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短編No.61-

No.67 ハナミズキ

作者: 藤夜 要

 樹木医は渋い顔をしながら腕を組み、誰が聞くでもない愚痴を零した。

「灌水も充分に遣っている。陽射しがたっぷり当たる場所にも植え替えたのに、どうしてこの木は日に日に弱っていくのだろう」

 依頼主から頼まれたのは、結婚の記念として亡くなった妻と若いころに植えたハナミズキが今にも枯れそうになっているのをどうにかして欲しい、というものだった。

 確かにハナミズキは、人の手によって灌水してやらねば若干の水不足になりそうな場所に植えられていたので、最初こそそれが原因かと考えた。樹木医は依頼主にその旨を伝え、懇意にしている庭師に移植の手配までしてやった。

 ついでに少々陽の当たりも気になったので、いっそメインにしている常緑樹を副木に変え、ハナミズキを庭の主役にしてやったらどうかと提案もした。

 今でも亡妻を愛する依頼主は、二つ返事でそれを受け容れた。

 樹木医の提案は、ハナミズキのためだけでなく、依頼主のことも考慮してのものだった。

 縁側の正面からすぐに見えれば、彼の慰めにもなるだろう、と。

 樹木医もまた、若かりしころに妻を亡くした身の上だった。


 樹木医が茶飲み話に付き合うに従い、依頼主の身の上が解っていった。

 社会に対する不満ばかりを繰言として樹木医に零す彼は、二言目には

「早く家内が迎えに来てくれないかとばかり考えてしまう」

 と言っては涙ぐむ。その気持ちは解らないではないが、次第にその言葉は樹木医の心にまで影を落としていった。

 大恋愛だったというわけではない。これといって美人だったわけでもない。だが、かけがえのない伴侶であった妻が、先に逝くとは思ってもみなかった。世間を見れば女性のほうが長寿だと言うではないか。

 そんな憤りはやがて社会に対する不満へと摩り替わっていく。

 もっと早く医者が精密検査をしてくれていれば、末期で手遅れなんていうこともなかっただろうに。あんなにも苦しい思いをせずに済んだだろうに。

 行政がもっと早くに調査をしてくれていたら、あんな危険なものが治験薬にされていることも知らずに服用させ続けやしなかったのに。

 樹木医と依頼主は、お互いにそれぞれの病に倒れた妻の苦しみを思い出しては、じめりとした重い空気に身も心も沈めながら、今にも枯れそうなハナミズキを眺めて溜息をついていた。




 そんなある夜、樹木医の枕辺に亡くなった妻が現れた。若いころと同じ姿のまま、愛しげに自分を呼ぶ。

(おまえ、迎えに来てくれたのか)

 涙声でそう尋ねると、妻は哀しげな笑みを浮かべて首を横に振った。

(では、いったい……おまえが枕辺に立ってくれるなど、若いころ以来だ)

 彼女は小さく笑うと、樹木医の後方を指差した。

(あ、あれは)

 そこには、依頼主の庭にあるものとまったく同じ樹形をしたハナミズキが立っていた。しかもそれは、枯れかけている哀れな姿ではなく、たわわに可憐な花を咲かせている。


 ――あなた、思い出して。私との約束。


 妻はそれだけ言うと、霞のように消えてしまった。




 目覚めた朝、樹木医はひとりポツリとつぶやいた。

「思い出した。そうか、おまえはあのハナミズキが元気な木に戻る方法を教えに来てくれたのか」

 樹木医ははらりと一滴の涙を零し、そして急いで依頼主の許を訪ねるべく出掛ける支度を整えた。


「奥様の遺影やハナミズキに、毎日楽しい話を語りかけてやってください」

 突然の樹木医からの提案に、依頼主は目を剥いた。

「どうしたのですか、突然」

 樹木医はそう尋ねられると、自分と亡妻との約束を語った。

「妻が亡くなるときに言ったのです。元気な姿を毎日見せてくださいね、と。私はあなたが元気で楽しく幸せに過ごしていることを、毎日天から見ています、と」

 あなたの奥様は、あのハナミズキに宿ってあなたを見守っているのではないか。あまりにもあなたが世の中を呪い暮らしているから、心配のあまり病んでしまったのではなかろうか、と。樹木医は今朝方見た夢の話を交えて、依頼主へもう一度「楽しいことにも心の目を向けてみてください、奥さんのために」と願い出た。

 依頼主は一瞬眉をひそめたが、なにか心当たりがあったのだろう。

「ダメで元々ですね。試してみます」

 そう言って遠回しに樹木医に帰ることを求めた。

 樹木医は茶飲み友達を失くしたことに少しばかりの後悔を感じたが、何も言わずに依頼主の家をあとにした。


 それから数ヶ月後、樹木医が彼の家の前をそっと訪ねると、庭木のハナミズキが見事な花を咲かせていた。

「ああ、よかった……」

 彼は元気になったのだ。亡くなった妻の宿るハナミズキとともに。

「あ、先生」

 庭木を愛でるに夢中で、その足元で草引きをしている依頼主に気づかなかった。

「先日はよい年をして、大人気ない失礼を申しあげてすみませんでした」

 よかったらお茶でも、話したいことが山ほどあるのです、と言われて断れるはずがない。

「それはぜひ、お伺いしたいですな」

 樹木医は相好を崩し、久しぶりに依頼主の家の門をくぐった。

 梅雨の晴れ間の心地よく乾いた風が、樹木医の嬉しげな横顔をなでて通り過ぎていった。

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