中篇
それからのことは、あまり覚えてない。
その日のうちに隼人のお通夜、翌日に葬式が執り行われた。どちらにも同じ学園の生徒が大勢押し寄せた。裕子がずっとそばに居てくれて、あれこれ話しかけてくれたけど、その声は私の中まで届かなかった。仏壇に飾られた隼人の笑顔の写真が別人のように感じる。頭では分かっているけど、心が追いつかない。隼人がもう、この世のどこにも居ないなんて。だって、ほら、涙が出ない。本当に隼人が死んじゃったんなら、悲しくて涙が出るはずだ。だけど、隼人が私の代わりに事故に遭った時も、隼人のお母さんや大勢の人が目の前で泣いているのを見ても、涙は一滴も流れない。いねむり運転で事故を起こした、中年の男性が遺族に土下座しているのを見ても何も感じなかった。
隼人が居なくなって3日。食欲は全く湧かなかった。ずっと自分の部屋にこもり、ベッドの上で丸くなっていた。
夕方、隼人のお母さんが部屋に来た。たった3日なのに、おばさんは一回りも二回りも小さく見えた。
「おばさん…」
「笑ちゃん、こんなにやつれちゃって…」
「おばさん、ごめんなさい。隼人が死んじゃったの、私のせいだ。私が居なかったら、隼人は死なずに済んだのに」
「ううん、そんなことないわ。笑ちゃんのせいじゃない」
おばさんはそう言うとベッドに腰掛け、私の肩を抱いた。
「あの子ね、階段から落ちた後、病院で処置していたはずなのに、突然居なくなったの。そしてあの事故の連絡があった。その時に、思ったの。あぁ、笑ちゃんを助けるために、あの子は居なくなったんだって。笑ちゃんのピンチに気付くなんて、さすが私の息子だわって…」
「おばさん…」
「だから、笑ちゃんがそんな風じゃ、あの子、悲しむと思うの」
「……」
「お願いだから、ちゃんとご飯食べて、早く元気になって。お母さんもお父さんも心配しているわ。もちろん、私もね。笑ちゃんも私の大事な子供なんだから」
「おばさん…」
「これ、あの子のポケットに入ってたの。きっとあの日の誕生日パーティーで渡そうと思ってたのね。…もらってあげてくれる?」
おばさんが小さな箱を私に握らせてくれた。恐る恐る箱を開けると、以前私が雑誌を見た時に一度だけかわいいと言ったネックレスが入っていた。小さい、ハートが付いたシンプルなネックレス。あの時、漫画を読んでいた隼人は、へぇ、と生返事をしただけだったけど、ちゃんと聞いててくれたんだ。
目を上げると、おばさんは微笑んでいた。隼人の死を誰よりも分かち合える、最大の理解者。その顔が隼人の笑い方にそっくりで―――私は初めて、おばさんにしがみつきながら子供のように声をあげて泣いた。
年末年始を挟んで、新学期が始まった。最初は受け付けなかった食事も今では普通にとれるようになり、体力も回復している。体の水分が全部出ていけばいいと思えるほど泣いても、食べた物を全て戻しても、死にはしない。ほんと、人間の生命力はすごいと思う。朝、隼人からもらったネックレスを首にかけていると、祐子が家まで迎えに来てくれた。
「笑、大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配掛けてごめんね」
「ううん。笑が元気になってくれて良かった」
微笑みかけると、祐子の顔がくしゃりと歪んだ。必死で涙をこらえてるようだ。祐子にもたくさん心配をかけてしまったな。私は祐子の背中に優しく手を当て、行こう、と促した。
学園は少し暗い雰囲気を残しつつもいつもと変わらないように見えた。変わったのは隼人が居ないことだけだ。それがとても奇妙に感じる。
始業式の際には全校生徒で黙祷をして、その後は普通に授業があった。終業後、私は約半月ぶりに部室へ顔を出した。
部室のドアを開けると阿久津が窓際で本を読んでいた。彼は横目で私の姿を認めると、本を閉じて立ち上がる。
「遅いですよ、先輩。部活は4日から始めるって年末に決めたはずですが」
「…ごめんなさい」
「まぁ、事情が事情なんで、許してあげます。それで、今後の活動方針なんですが―――」
「ま、待って。七不思議の解明、まだやるの?」
無表情の阿久津くんが長テーブルの上に乗せたのは七不思議に関する資料や書籍だった。隼人が居なくなって、この記事も立ち消えになったものだと漠然と思っていた私は、彼が当然のように再開し始めたのを見てとても驚いた。
「もちろんです。生前、部長が心血を注いでいたネタですよ。このままお蔵入りさせるなんて、僕には出来ません。これが僕なりの部長に対する敬意の表し方です」
生前…その言葉にまだショックを感じながらも、私は阿久津くんの言葉が嬉しかった。
あぁ、彼の中で、まだ隼人は生きている。そして、私の中にも。
「分かった。私も、手伝う」
「何言ってるんですか。当たり前です。僕は部長と違って厳しいですよ」
その言葉に思わず笑みがこぼれる。ヘタな慰めよりも遥かに心に響く言葉だった。その後、阿久津くんに今までの取材内容と今後の活動方針を詳しく説明してもらった。
「…とまぁ、こんな感じです。で、先月の24日に部長が新聞部OBである新聞記者の沢口氏のところに取材に行ったんですが、帰りに事故に遭われたんで、その資料が抜けてしまっているんです。それで、失礼を承知で再度取材を申し込んだんですが、事故のことを知っていたらしく、快諾してもらえました。明日の放課後に会う約束をしているんですが、先輩も来ますか?」
「うん、私も行きたい。いい?」
「駄目だったら誘っていません。先方の許可も取ってますから。では、この後僕は取材があるので、これで。明日は授業が終わったらすぐに部室集合でお願いします」
遅れないでくださいよ、と念を押して阿久津くんは部室を後にした。どうやら完全に信用を失っているらしい。取り戻すには骨を折りそうだ、と冷汗をかきつつ、渡された資料に再度目を通す。目に入ったのは、七不思議の各項目に関する目撃談や噂が事細かに書かれている。例えば、トイレの花子さんの正体は、ポットン便所時代に穴に落ちて死んだ少女の霊だとか、実は女装した痴漢だ、とか。中には眉唾な噂もたくさんある。これを真剣に取材していたであろう隼人を想像すると可笑しくてくすりと笑ってしまった。
そして、最後の科学準備室の大鏡の項目で目が止まる。4時44分に鏡の中を覗くと、未来の結婚相手が映る、自分の死に顔が映る、悪魔が召喚されて自分の命と引き換えに願いを叶えてくれる、そしてその後に書かれている一文。
―――大鏡に強く願えば、やり直したい過去に行くことが出来る―――
あの時、隼人は言ってなかっただろうか?
笑、あの七不思議は本当だったよ。俺は、未来から来たんだって。
まさか、という思いと、もしかして、という思い。…ずっと不思議だった。病院に居たはずの隼人が、偶然私の事故現場に居合わせたことが。あの時、隼人は階段から落ちて足首を痛めたらしく、念のためにCTで頭部の検査をした後に簡易ギブスで足を固定したらしい。でも、事故に遭った時、隼人はギブスなんてしていなかった。それに、時間。病院から駅前までは、どんなに急いだって車で15分はかかる。しかも、今日はクリスマス・イヴでいつもよりさらに渋滞していた。誰も気づいてはいないけど、病院で隼人が居なくなった時間は、彼が事故に遭った時間とほとんど差がない。
隼人が未来から来て、事故に遭ってしまったために、病院に居た現在の隼人が消えてしまったのではないか…?
そこまで考え、私は自分の考えが恐ろしくなり思わず自分自身を抱きしめる。
本当は私が死ぬはずだった?それなのに、未来から来た隼人が私の身代わりになって死んだ?
私の考えすぎなんだろうか。いや、違う。きっと間違いない。私の中にいるもう一人の私がそう告げる。真実を知ることを怖がるな、と。
隼人が最後にくれたメールには、24日に新事実が発覚したと書いてあった。その情報源は、明日再取材を取りつけている新聞記者の沢口氏だろう。明日、真実が分かるかもしれない…。私は知らず知らずのうちに隼人から貰ったネックレスを握りしめていた。