前篇
「笑クン。君は七不思議なるものを知っているかねっ?」
「…ナニソレ」
隼人の突然のセリフと訳の分らないキャラ設定に、私は冷たくそう返した。WITH 凍てつく視線。しかし相手はそれに気付かない。それとも気付いているのに気付いてない振りをしているのか。
「何ィ、七不思議を知らないのかねっ?それでは教えてあげよう!七不思議…それは、ある地域や場所において起こる不思議な7つの事象を指す語のことである!古くは諏訪大社七不思議や遠州七不思議、江戸時代に入ってからは吉原七不思議など、単に説明がつかない、あるいは科学的根拠の無いジョークやジンクスを7つまとめたものであーる!」
「……」
「そして時代は流れ、昨今、七不思議と言えば学校の七不思議などの怪奇現象を示す言葉になっているのであーる!ばーい、うぃきぺでぃーあっ!」
「……」
私の沈黙を、話の先を促していると捉えたのか、隼人はさらに身を乗り出す。トレードマークとなっている黒ぶちのメガネ(本人はオシャレメガネだと言い張っているけど明らかにダサい)の端を親指と人差し指でくいくいと上げ下げしている。言いたいことは山ほどあったけど、ぐっとこらえる。ここはヘタにツッコミを入れるより黙って聞いていた方が、話が終わるのも早そうだ。
「そ・こ・で!君の出番なのだよ、笑クン!」
ヤバイ。モウレツ嫌な予感。っていうか、ヤバイ予感しかない。
「私と一緒に、この歴史ある学園の七不思議を徹底的に解明しようではないかっ!笑クン!」
やっぱりキタ――!悪い予感ほど的中するってホントだね!!思わずしかめっ面になってしまった私の顔を見て、隼人は嬉しそうに笑う。邪気の無い笑顔が逆に始末に負えない。
「心配するな、笑クンよ!もうすでに我が学園の七不思議は調べがついておる!その①、トイレの花子さん!その②、走る人体模型!その③、目が動く音楽室のベートーベンの肖像画!その④、1段増える13階段!その⑤、誰もいない体育館に響くボールの音!その⑥、プールで足をひっぱる謎の手!その⑦、異世界へと引きずり込む科学準備室の大鏡!」
そう叫びながら隼人は部室にあるホワイトボードに七不思議を書きつける。
「他にもいくつかあるみたいだが、有名なのはこの7つ!しかし、噂にも諸説あり、例えば②番の走る人体模型だが、スキップだという者もいる。それに⑦番の大鏡は異世界に引きづり込むのではなく、悪魔が出てきて、自分の命と引き換えに願いを叶えてくれるという者もいる!…そこで、我が新聞部はこの七不思議を実際に調査・体験して記事にまとめようと思うのであーる!」
「あの…部長。質問、いいですか?」
その時、部室の端で黙って聞いていた阿久津くんが手を挙げた。彼はたった一人入って来た1年生で唯一の新聞部員。っていうか居たんだ。今気付いたけど。
「何だね、阿久津氏!」
「調査・体験とおっしゃいましたが、今は冬です。11月です。たいてい、そういった怪奇現象というのは夏が相場なのではないでしょうか」
「ちっちっちっち。分ってないねぇ、君も!3年生や先生に取材したり、卒業生に話を聞きに行ったり、とても半年では間に合わないくらいやることはたくさんあるんだよ!それに、怪奇現象が必ず夏に起こる、なんて誰が決めたんだいっ?例えそうだとしても、我々は怪奇現象は冬には絶対に起きない、ということも証明しなければならないのだ!」
「なるほど。深いですね、部長」
阿久津くんは納得して挙げていた手を下す。彼の疑問は主に取材内容に重きを置いていて、このへんてこな隼人のキャラには一切疑問を持っていないらしい。すごい。きみってすごいやつだったんだね、阿久津くん!
隼人は阿久津くんを納得させたことに満足し、期待に満ちた目を私に向けてきた。すると、部室のドアが無遠慮に開き、祐子がひょっこりと顔を覗かせる。
「笑ィ、部活終わった?一緒に帰ろ~」
「あ、うん、今終わったとこ。行こ行こ」
私は隼人のキラキラ輝く目を敢えてスルーして立ち上がる。
「え、笑クン!まだ話は終わってないぞっ?あ、そうか、沈黙は肯定と捉えて良いのだね!?このぅ、恥ずかしがり屋さんめっ!」
「…ググれ、カス」
私は氷河期の氷よりも冷たい一瞥をくれる。馬鹿なことに付き合ってる暇はない。それよりも、今日各学年の先生に取材した期末試験の傾向と対策を家でまとめるのが優先だ。なにしろ試験まで1カ月を切っている。なんとか今週発行予定の新聞に載せなくては間に合わない。
「あ、おい、笑!待てよ~!!」
背後でキャラ設定を忘れた隼人の声がしたけれど、私は聞こえなかったふりをして部室のドアを力強く閉めた。
「良かったのぉ~帰って?何かまだしゃべってたみたいだけど」
「ああ、いいのいいの。どうせくだらない話だったし」
「ふ~ん。ならいいけどさ。仲いいのか悪いのかよく分んないね、魔女宅コンビは」
「…その呼び方やめてってば」
「ははっ、ごめんごめん」
祐子は右手で謝罪のポーズをする。魔女宅コンビというのは、私と隼人が国民的アニメ映画に出てくるキャラに見た目がソックリだという理由で、小学校のころに付けられたあだ名だ。祐子も同じ小学校だったために未だに私たちのことをそう呼ぶ。何度、子供の頃に魔女子さーんとからかわれたか。私はこのあだ名が大っ嫌いだ。
「ねぇ、あんたたち、本当に付き合ってないの?」
「はぁ?」
「だって、子供のころからいつも一緒にいるでしょ。そろそろそうなってもおかしくないんじゃないかって思ってさ」
「祐子、自分が彼氏いるからって、全部そっちの方向に持っていかないでよ…」
「そんなんじゃないけどさ。そっかぁ、付き合ってないのかぁ。隼人くん、クラスで人気あるんだよ?うちの吹部の1年にも憧れてる子がいるよ」
「え、何で?吹奏楽部にまで?」
「この前の定期演奏会のときに取材に来たから。隼人くん、見た目もわりといいし、明るくてムードメーカーじゃない?そこがいいみたい」
「あれはムードメーカーって言うよりもお調子者だよ」
驚いた。隼人ってモテるのか…。
私たちは同じマンションに住んでいる。階は違うものの、同い年の子供ということで親同士も仲がいい。そういう理由で、物心がついたころから一緒だった。だから、隼人のことをそういう目で見たことは、ない。
だけど、隼人が女子に人気があると聞くのは不思議な気分だ。まるで両親のなれそめでも聞いたかのような、奇妙で面映ゆい、そんな感じ。
「どっちでもいいでしょ。もうすぐクリスマスじゃない?きっと告られたりすると思うよ。いや、もうされてるかも?」
「……」
「あ、そんなしかめっ面して、やっぱり好きなんだぁ?」
「ち、違うよ!これは、何て言うか、女子って見る目ないなぁって思って!」
「そうかなぁ、私はいいと思うよ、隼人くん。今ドキの男子にしてはスレたりチャラチャラしたりしてないしィ。背も高校に入ってから大分伸びたんじゃない?細いけど筋肉はちゃんと付いてるよね、新聞部部長なのに」
それは偏見だ。文化系の部活はもやしっ子が定番だとでも思っているのだろうか?
「大学は?どこ目指してるとか聞いてる?」
「うーん、具体的な名前は聞いてないけど、新聞記者になりたいって言ってたからどっかの大学の社会学部とかじゃない?」
「そっかぁ。じゃあ上京組だねぇ。この辺、社会学部のある大学無いし。笑は?同じ大学に行くの?」
「まさか。私はヤツに頼まれて新聞部に入っただけだもん。地元の4大の英文科か国文科あたりに行くつもり」
「じゃぁ、N大かO大?それなら一緒だよ!やったね!」
「ほんと?やったね!」
盛り上がった私たちは、駅前のクレープで乾杯をしてお互いの今後の健闘を祈りあった。高校2年の冬ともなると、話題は自然と受験の話になる。どの参考書がいい、とかどこの予備校の冬期講習に参加するか、とか。焦りと不安に常に付きまとわれている。3年生になれば、まさに受験一色の生活が待っているのだ。それを拒絶するかのように、クリスマス前のこの時期は誰もが浮足立っているように見える。
隼人が急に七不思議なんて言い始めたのもそのせいかもしれないな。
そう思いながら生クリームだけになったクレープを飲み込んだ。
マンションに帰ると、エレベーターホールで隼人に会った。祐子と駅前で時間をつぶしている間に部活を終えて帰って来たらしい。何となく無言で同じエレベーターに乗り込む。
「…本気なの」
「何が?」
「さっきの。七不思議」
「あぁ、もちろん。笑も手伝ってよ」
「…時間があったらね。それより、今日は夕飯うちで食べてってお母さんが言ってた」
「まじ?助かる!今日もかーちゃん、仕事で遅くなるって言ってたからさ!今日の夕飯、何!?」
「あんたの大好きなカレー。大根入り」
「やたっ!|笑んちのカレー、うちのよりうまいからな!」
「私は大根入り、そんなに好きじゃないんだけどなぁ」
「馬鹿、お前、あんなにうまいもんはちょっとねぇぞ?大根は鍋に入れてもおでんに入れてもうまい、最高の食材だ!もちろん生をすりおろしてポン酢をかけても良し!」
「分かった、分かった」
こいつの大根ラブトークは毎回のことなので、これも軽く流す。まだ大根の魅力を話し足りない様子の隼人だったけど、じゃあ後でな、と言って5階で降りていった。
私の家は6階でちょうど隼人の家の真上だ。横に階段があるから、玄関を出て1分で互いの家に着いてしまうほどの近距離だった。そんなわけで両親が共働きの隼人はしょっちゅうウチにご飯を食べにくる。私より先にウチで夕飯を食べてることもあるほどだ。もはや家族のような存在の隼人に、恋愛感情など生まれるはずもない。
その後、期末試験があったにもかかわらず、隼人と阿久津くんは着々と校内で七不思議についての取材を進めていたようだ。
なぜ分るかというと、「笑!聞いて!あの走る人体模型だけど、教頭先生がこの学園の生徒だったころは足も動かさずに移動していたらしいんだ!」とか、「科学室の大鏡だけど、異世界に引きづり込まれるんじゃなくて、過去や未来に行けるタイムマシンだという新説が出た!それで行方不明者も出てるって話があるんだって!」など、いちいち報告してくるからだ。24日には新聞部OBにも会いに行くと息巻いている。
「24日って、クリスマス・イヴじゃん」
「先方がその日しか時間取れないっていうから。パーティーまでには帰るよ」
毎年24日は隼人と私の家族合同でパーティーが開催される。24日は私の誕生日でもあるから、誕生日会も含まれている。こんな日に生まれてしまったために毎年ケーキもプレゼントもクリスマスといっしょくたにされてしまって、正直嬉しくないイベントだ。まぁ、もらえるものはもらっておくけど。笑ちゃんに彼氏が出来たらこんなパーティーも出来なくなるわねぇ、と隼人のお母さんに言われて早数年。全くそんな予定が立たないのがちょっと情けなくもある。
そして24日、クリスマス・イヴ。終業式が終わった後(通知表のことは敢えて忘れておく)、祐子たち仲良しメンバーが誕生日会をカラオケBOXで開いてくれた。
途中で隼人から「新事実発覚!夜話す!(^o^)v」ってメールが来てたけど返事は返さなかった。どうせ七不思議についてだろう。
5時になり、皆に別れを告げて家に帰ろうとすると、実家から電話がかかって来た。
「笑、今どこに居るの?」
「え、まだ駅前だけど、どうしたの?パーティーは7時からでしょ?」
「パーティーは中止。隼人くん、階段から落ちて足を怪我したらしくて、救急車で病院に運ばれたそうなの。今、集中治療室に入ってる。早く帰って来なさい。一緒に病院へ行くわよ」
母親のいつになく焦った言葉が私の動きを止めた。隼人が階段から落ちて、病院に運ばれた?救急車で?突然のことで頭が情報を処理しきれない。
「病院…病院はどこ!?直接行く!」
「県立病院の救急センターらしいわ」
それを聞いた途端、通話を切り、今来た道を逆走する。病院は駅を挟んで反対側だ。頭の中は真っ白、心臓が早鐘のように音を立てている。
早く、早く病院に行かなきゃ。隼人、隼人、隼人―――!!
駅前の交差点の青信号が点滅を始める。ここは交通量が多いから赤信号になるとなかなか青にならない。今は信号を待つ時間ですら惜しい。私は迷わず走って来た勢いのまま横断歩道に飛び込んだ。
その瞬間、キキィ―ッというブレーキ音が聞こえ、はっとして右を見ると、目前に乗用車が迫っていた。
轢かれる―――!!
そう思って目を閉じた瞬間、誰かが私の腕を掴んで引っ張り、そして突き飛ばした。
歩道の沿石に腰を叩きつけられた瞬間に聞こえた、ドンッという鈍い音。そして悲鳴。何が起きたか分らず、私は目を道路に向けた。
そこには、隼人が、寝ていた。…いや、転がっていた。
病院の集中治療室にいるはずの、隼人が。たくさん、たくさん、血を流して。
どうして?どうして隼人が、ここに、いるの?
私は訳も分からずに四つん這いのまま隼人に近づく。
「…隼人…隼人、隼人ぉ…!」
喉がひりつくように痛む。頭の奥がガンガンする。まるで、状況を理解するのを、拒むかのように。
隼人の頭を抱えあげると、手に血がいっぱい付いた。温かい、隼人から流れる生命の源。
「救急車…救急車呼んでください…!」
私は遠巻きに見てる人に向かって叫んだ。サラリーマン風の若い男性が慌てて携帯を手にする。
「笑…?」
「…!隼人!」
隼人が意識を取り戻した。でも、目はうつろで、私を見ていない。呼吸も苦しそうだ。私は震える手で頭の出血を止めようと必死に押さえるけど、血は次から次へと溢れてくる。
「笑…大丈夫?…怪我、してない…?」
「怪我してるのは|隼人の方だよ!階段から落ちて病院にいたんじゃなかったの!?待ってて、今救急車来るから!」
「この時の…俺は…病院に居るだろうな…」
「…?」
「あの…七不思議は本当だったよ、笑…俺は…1年後の、未来から来たんだ…」
「…何、言って、るの…?」
「笑が…無事で…良かった…誕生日、おめでとう…パーティー行けな…くて、ごめんな…」
その瞬間、隼人の体から力が抜けた。
「隼人?…隼人、冗談やめてよ…ねぇ、隼人ってば…」
隼人は目を開かない。みるみると生気を失っていく、白い顔。
その時、救急車がやっと到着したけれど、私には何も見えなかった。隼人以外、何も。
「いやあぁぁぁぁぁぁ―――――っ!」
私は隼人にしがみついたまま、絶叫した。