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彼は、私に気づくなり眼を丸くさせた。
確かに、こんなところにこんな格好で来るのは少々場違いだったと思う。
でも、彼の顔には嬉しいような表情が浮かんでいたので、私は気をよくしていた。
「どう、きれいでしょ?」
私はくるりと回って言った。
彼は感動したように何度も頷いた。
手もたたいてくれた。音はなかったけれど。
「今日ね、お見合いしてきたのよ。わかる? お見合いよ、お、見、合、い」
目を丸くして彼が頷く。
「でね――」
続けようとして、不意に私は言葉をなくした。
大きく、息をついた。
「すごく、疲れちゃった 」
本当に、私は疲れていた。
重い荷物を背負いながら、ずっと歩かなければならないように、本当に、とても疲れていたのだ。
幽霊は心配そうな顔を私に向けていた。
私は、気をとりなおすように笑った。
「その人ね、とてもいい人なの。今、研修医として大学病院に勤めてるんですって。
でも、高飛車な感じもなくて、優しくて、気を使ってくれて、透のことも知ってて、それでもいいからつきあってくださいって言ってくれたの。本当にいい人なの、もったいないくらい、いい人なの」
早口にまくしたてる。
すぐに全部吐き出してしまわないと、みっともなく泣いてしまいそうだった。
お見合いの席での高木さんの姿が思い出される。
でもその声も顔も、話し方も、もう虚ろだ。
高木さんは優しい。透と同じように。
高木さんはいい人だ。透とは違うけれど。
わかっている。わかっているのだ。
「でもね、その人がいい人な分、透と重ねて見ちゃうの。その人の仕草、言葉遣い、何をしても、同じだとか、ここは違うとか、そんなとこしか憶えてないの。どうしても、透と比べちゃうの――」
透の声。
笑った顔。
やんわりとした口調。
優しい性格。
癖も、仕草も、まだこんなに憶えてる。
なぜ、みんな忘れろというのだろう。
こんなに幸せな想い出なのに。
忘れてしまったら、私達のあの日々は、どこにいくというのか?
私が忘れてしまったら、それこそ意味のないものになってしまう。
確かに透は生きていたのに。
確かに、私達は愛しあっていたのに。
「ねぇ。死んだからって、どうして忘れなきゃいけないの……?」
忘れなければ生きていけないほど、私は弱い女ではないのに。
想い出だけを大事に抱えて、それだけで生きていけるのに。
そんなにいけないことなのだろうか。
一人で生きていけるのなら、それでいいはずなのに。
誰かがいないと生きていけないなんて、そんな弱い人間にはなりたくない。
私と透は、どんなに近くにいても、一人だった。それを互いが知っていたから、二人でいるのが好きだった。
二人でいても、どこまでも一人だったのを知っていたから、私は今も透なしで生きている。
みんな同じなのに。
どんなに深く愛したとしても、本当の意味で一緒には死ねない。
どんなに愛しても、結局は一人なのだ。
それは変えられない。
だからこそ、大事なのに。
だからこそ、愛しいのに。
それを抱えて生きて、何が悪いのだろう。
気がつくと、彼は目の前に来ていた。
「――」
私の前に立って、ためらいがちに手を伸ばして私の頭を撫でる動作をした。
感触のない、それは無意味な行動だったが、私の心を和ませるには充分だった。
「――」
彼には何も言わなくても私の哀しみがわかる。
私は、無意味なように思われる彼の行為の中の思いやりが嬉しかった。
私達の間に、余計な言葉はいらなかった。
言葉がなくても、私達には互いの気持ちがわかった。何故なら、どちらも、待ち続けるだけのものだから。
「ありがとう。ごめんなさい」
私は、ゆっくりそう言った。
幽霊は首を振る。
だ い じょ う ぶ?
唇が、そう告げた。
心配そうに私を見ている。
それだけが、今の私には救いなのだ。
待つだけの恋は、終われない恋は、どちらも同じだった。
哀しみよりも強く、想いはまだ心に残っている。
忘れることなどできなかった。
今までも、これからも。
ならば待ち続けなければならない。例えその日が二度と来なくても。
「大丈夫。大丈夫よ」
私は笑った。
泣かないためには笑うしかないことも、この三年で嫌というほどわかっていた。




