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お見合いの当日は、もう秋だというのに泣きたくなるくらいいい天気だった。
朝早くから、私は美容院へ行かされて、仰々しく着物まで着せられてしまった。
まるで成人式のようだ。
母もとっておきのいい着物を着てめかし込んでいる。
「いいかい、そんなふてくされた顔して相手の方に気を使わせるようなことするんじゃないよ」
だったら自分が見合いすればいいのに。
「――」
タクシーの中で、私はずっと無言だった。ぶっさい奴だったらその場で席を立ってやろうと決心しながら。
が。
予想に反して、お見合いの相手は、すこぶる好青年だった。
「こちらが高木勇介さん」
「――はじめまして」
私はしばし唖然としていて、自分が紹介されたことにも気がつかなかった。
すごいハンサム、というわけではなかったが、爽やかな感じで並の上ぐらいだ。
笑った顔は優しそうで、実際の年令よりも若々しく見える。
そんな人が、なんで見るからに並がいいとこの私とお見合いする気になったのだろうか。
もしかしたら、渡った写真は、私にしてはめずらしく写りが良かったのかもしれない。
「じゃ、ここは当人同士で落ち着いてお話でも」
「そうですわね。私達お邪魔虫は少し退散しときましょう」
唖然としているうちに、話はそこまでいっていて、私達はいきなり二人きりになってしまった。
少してれたように、高木さんは笑って頭をかいた。
「――気を使っているのが、見え見えの手ですね」
その笑みが何とも爽やかなものだったので私も自然に笑い返した。
「でも、テレビなんかじゃいつもそうですよ。これが当たり前ってところですか」
他愛のないおしゃべり。
幽霊以外と、こんなにたくさん話したのは久しぶりだった。
趣味や特技にはじまる自己紹介を終えて、私と高木さんはたくさんの話をした。本当にたくさんの話を。
会話がつまらなかったのではない。
高木さんの研修時の失敗談やら怪奇談やら、会話はおもしろいものばかりだった。
「――じゃ、じゃあ、高木さんも、見たんですか?」
「まあ、それらしいのは、何度か。その時はさすがに、独りで夜中にトイレに行く気にはなりませんでしたね。とにかく考えないようにしました。あれは気のせいだ、気のせいだって自分に言い聞かせて。今でも霊安室の近くは、昼でも走って通り抜けます」
「でしょうね」
高木さんの話し方は気さくなもので、かといって馴々しい感じもなく馴染みやすいものだった。話題が途切れて気まずくなることもなく、私も気楽に色々なことを聞いたり、本当に楽しかった。
楽しいと、思っていた。
「こうして聞いてみると、やっぱりお医者様って大変なんですね。私には絶対無理です。根気とか、根性とか、ないから」
「確かに我慢強いのには自信ありますよ。でも、そのせいか、あんまりいいことないですね。暇もないし」
高木さんは優しい。透と同じように。
高木さんはいい人だ。透とは違うけれど。
私は久々に生きている人と楽しく過ごしていた。でも。
それなのに何故、私は今すぐにでも帰りたいと思っているのだろうか。
こんなに楽しいはずなのに、何故私はこの人を透と比べて見ているのだろうか。
視界の隅の壁掛時計の針が、やけに速く動いている――
「――」
徐々に会話から遠ざかっていく、別の意識がある。
どちらも自分でありながら、意識は二つに別れているような。
一つは現実に、一つは夢の中を漂っていた。
落ちていくように私の意識は鈍くなり、不意に透の声が聞こえてくる。
しっかり現実を捉えなさい。でないと、あとでしっぺ返しがくるよ。思い込みだけで、願いは叶わないんだからな
ああ、透。
現実って何?
こうしてお見合いして、もしかしたらそのまま結婚して、子供を産んで、そうして年をとっていくってことなの?
そんなのずるい。
あなたは自由に生きてたくせに。私がそうして生きちゃいけないわけは何なの。
あなたはいいわ。そうして好き勝手に生きれて、好き勝手にどこへでも行けて、好き勝手に死んでしまって。
でも、私は生きているのよ。これからも生きていかなければならないの。
どうして私だけが我慢しなければならないの。
私はあなたが好きだった。とても、とても、好きだった。
なのにどうして、あなた以外の人を好きになって、結婚しなくちゃいけないの。
何故、私はあなたのように好き勝手に生きられないの。
大事なことは行動すること。何もしないでジジいババあになってから、ああ、あの時こうしていれば、なんて思わないようにね
だってあなたを縛るものは何もなかった。
あなたはいつだって自由だった。
私は違う。
家族と常識に縛られて、私は身動きがとれない。
常識。それがなんだというの。
ううん、腹立たしいのは、結局そこからはみだせない自分。
人の目を恐れて、ひっそりと暮らしていこうとするただの臆病者。
私には、あなたのようには生きられない。
その勇気がない。そうして生きていける、力すらない。
今の自分はとても惨めだわ。
私もあなたのように生きたかった。
あなたのように何にも縛られずに、常識にも世間の目にも左右されずに、そんな風に生きたかった。あなたと二人なら、できると思った。
あなたが、いれば――
体がひどく揺れているのではないかと思いかけた時、がたん、と椅子を引く音がして、高木さんが私の肩を支えるように掴んだ。
「顔色、悪いですよ。具合が悪いんじゃないですか?」
居眠りをしかけて、はっと我に返ったような感覚だった。
その時初めて、私は自分の体調がおかしいことに気がついた。
「あ――」
頭に錘でも入ったような、支えていなければそのまま床に落ちてしまいそうな感覚。
同時に襲ってくる嘔吐感。
涙が滲んた。
「――すみません、気分が、悪くて……」
私はテーブルに手を置いて体を支えた。
「お母さん、お呼びしましょうか?」
「いえ、いいです。少し休めばよくなると思いますから――」
「でも、本当に、顔色悪いですよ」
高木さんは私の顔を覗きこんで、しばらく考えこむように眉をしかめていた。
「高木さん――?」
「家に、帰って下さい」
その言葉に、私は呆気にとられた。
「――な、何言ってるんです!? お見合いの相手を放って帰るなんて、そんな失礼なことできません!!」
「いいえ」
高木さんは断固とした態度で首を振る。
「――そんな今にも倒れそうな顔色で、無理して相手をしてもらう方が失礼です」
「!!」
「医者の言うことは聞いてください。帰って十分な睡眠をとること。昨夜、あんまり寝てないんじゃないですか?」
「――」
私の反応を見て、高木さんが笑った。
「さぁ、出ましょう。しばらくしてから、あなたのお母さんには言っておきますから」
「……高木さん」
高木さんは私をホテルのロビーへ連れていって、そこでタクシーを頼んだ。
「座ってください。すぐにタクシー、来ますから」
「――すみません、本当にすみません」
「いえ、謝らなければならないのは、こちらのほうだと思っていますから」
「え?」
高木さんはためらいがちに眼をそらして、
「実は、このお見合い、無理に仕組んでもらったのは俺なんです。すみません」
いきなり頭を下げた。
「あなたの、恋人だった方のことも、聞いてました」
「!?」
「――とても、哀しいことだったと、思います」
「……知ってて、どうして?」
高木さんは、和らかな眼差しで私を見返した。まるで透のように。
「――俺にも、好きな娘がいました。高校の時ですけど。いいなって感じだけの人でしたけど、なんでか今まで忘れられなかったんです。
今にして思えば、何もしなかったから、忘れられなかったと思うんです。
何もしなかったから、かえって考えます。あの時うちあけていたら、もしかしたら、何か変わっていたかもしれないって」
「――」
「ずっと、それがひっかかってて、そんな時あなたの写真見せられて――あ、でも、似てるとか代わりとかじゃなく、ほんとに一目でいいなって思ったんです。だから、今度は後悔したくなかったんです」
「高木さん――」
私には、返す言葉がなかった。
ボーイさんが私達に近づいて来て、タクシーが来たのを報せてくれた。
私は高木さんに支えられて外へ向かった。
入口の自動ドアの向こうに、タクシーが見えた。
「ありがとうございます。本当にすみませんでした」
私はもう一度深々と頭を下げた。
「いいえ。もとは俺が無理言ったからです。あなたが謝ることはありません」
高木さんが笑う。
「俺、後悔してたんです。何も言わなかったこと。もっと前に何か、何でもいいから行動してたらよかった。ずっとそう思ってたから、今からでもなんかしようと思ったんです。人生一度しかないから、後悔しないようにって」
「――高木さん」
「すぐに忘れられるとは、俺も、思ってません。とても簡単には忘れられないこともわかってます。だから、時間をかけてつきあっていけたらと思うんです」
私はなんだか情けなくなった。しなければよかった、お見合いなんて。
高木さんはいい人だ。とってもとっても、いい人なのに。私はこの人を傷つける言葉しか言えない。
「――返事は今でなくてもいいです。また、連絡します」
鈍い痛みを抱えたまま、私はタクシーに乗り込んだ。
「――ごめんなさい。ごめんなさい」
私はそれしか言えなかった。
「帰ってすぐに薬飲んで寝たほうがいいですよ。あ、御飯はちゃんと食べてください。食べないと体力なくなりますから」
ドアが閉まる。
高木さんはタクシーが角を曲がって見えなくなるまで、そこに立って手を振っていてくれた。私は体を後ろへ向けたまま、ずっとそれを見ていた。
長年の目標を達成したような、そんな晴れ晴れした顔を、高木さんはしていた。それに比べて、私はなんて惨めな、情けない顔をしているのだろうか。
しばらくしてから、私は向き直り、そのまま黙っていた。
「――」
流れる景色に眼がついていかない。
私は眼を閉じた。
何も考えたくない。このまま眠ってしまいたかった。こんな気分は、前にも感じたことがある――あれは、透が死んでしまったと聞かされたあの時に似ている。
考えてはいけない。
何も考えてはいけない。思い出したくないことばかり、考えてしまいそう。
考えてはいけない。
何も、何も――
「着きましたよ」
不意にかかる言葉。
「!?」
目を開けると同時に車が止まった。
見慣れた風景。
実家の前だった。
「すみません」
反射的に、私は言っていた。
たぶんこんな時に、独りでいたくなかったからだろう。
「この先、もう少し行ってください」
そうして空き家の少し手前で、私はタクシーを降りた。
着物なんか着て、こんなところまで来るなんて、馬鹿みたいだった。
でも、私はどうしても彼に会いたかった。
会うだけでいい。
何も話さなくても、ただ――
「――」
着物を乱さないように、しずしず歩きながら、私は中に入った。
会いたさに反比例するように、体はひどく鈍く動いていた。




