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会いたい  作者: ラサ


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5/17


 日曜の午後、買い物を終えてアパートまでの道程を運転中、私はふと、昨日空き家の門を開け放したまま帰ってきたことに気づいた。

 あの時はわかっていたけれど閉めて帰る心の余裕がなくて、そのままにしてきてしまったが、一日して冷静になって考えると、非常に心配になってきた。

 泥棒が入っているんじゃないか――何もない空き家に、泥棒が入るわけもないのだが――、子供達が入ってきて悪さをしているんじゃないか、など、悪い方へばかり考えがいってしまう。


「――」


 三秒考えてからハンドルを大きく切って方向転換し、私はまた空き家へ向かった。


 そういえば、あの幽霊はまだいるのだろうか。


 思い返して、私は少し笑ってしまった。

 あれはなかなか変な幽霊だった。

 生きているみたいに反応する。あの透け透けの体で。

 言葉が通じるなら、霊界に透がいるのかどうかでも聞けたのに。


「あ――」


 文房具店の看板を前方に確認した時、私はあることを考えついた。


「――まだ、いるかな」


 何故かわけのわからない予感を確信して、私は店の駐車場へと入った。




 こうして冷静に見てみると、確かに空き家は幽霊の出そうな雰囲気をかもしだしていた。

 私は門に下げてあった立入禁止の札を直してから中へと入る。

 決して大きくはないが、しっかりとしたつくりの家。

 がっちりとしたドア。

 白くなった床。

 差し込む日差しの中で、塵が舞っている。

 遠くで聞こえる子供の声が、逆にここを隔てられた空間へと錯覚させた。

 透はこの家を好きだと言っていた。

 透がいた時から、この家にはほとんど家具を初めとする生活用品がなかった。

 透が一人では多すぎるからと売ってしまったのだ。

 そのお金は透の放浪資金に消え、だからこの家は、透がいても空き家と同じだった。

 透は、物に執着しなかった。

 何も持たない方がかえって多くを得るのだと、言っていた。

 言葉通り、透はいつでも自由で、何にも持たずに全てを持っていた。

 私はそんな透が好きだった。

 羨ましかった。

 透はいつだって、私とは違っていたから。


「――」


 風がガラスを揺らす音が、私を正気に戻した。

 見上げると、階段の踊り場の窓が枝とぶつかっていた。

 階段を昇ると見える突き当たりの部屋が透の部屋だった。

 やっぱりその部屋にも家具はなく、唯一透のお気にいりだったこげ茶色の木の揺り椅子とガラスのテーブルがあった。

 昨日あの部屋に入った時は気づかなかったけれど、あそこにはまだあの椅子とテーブルが埃まみれの白い布を被ってあるはずだ。

 目の前の扉の向こうに、前に見た光景が浮かぶ。

 埃だらけの床に座り込んで本を読んでいた透は、今はもう過去のことなのだ。

 私は、静かに扉を開けた。


「――」


 予想通り、幽霊はやっぱりまだそこにいた。この前と同じに、そこに立っていた。

 私を見て驚いたような顔をしていたが、やがてためらいがちに笑った。


「こんにちは」


 私も笑った。

 私は持っていたバッグの中から、お店で買った大きなスケッチブックとマジックペンを取り出した。 そして太いマジックで、こんにちは、と書いた。

 それを見せると、幽霊は笑いながら頷いた。

 我ながらうまい手だと、私は思った。

 どちらも声が聞こえないのなら、視覚に訴えればいいのだ。

 手話という手段もあったのだが、私はそれを知らないし、幽霊も知っているとは思えなかったのでこれはやめた。


 あなた名前は? どこから来たの?


 書いたものを見せると、幽霊は黙って首を振った。


 わからないの?


 また、幽霊は首を振った。

 私を見つめる瞳は、困ったような、子供を諭すような、穏やかなものだった。


「――」


 私は、それ以上、この質問を聞いてはいけないのだと悟り、だが彼に対する興味は尽きずに、新しい質問を紙に書き込んだ。


 ここで 何をしているの?


 透けた腕が突然動いたので、私は内心びっくりした。

 幽霊の腕は真っすぐに伸ばされ、扉を指差していた。


「何?」


 幽霊は、遠い瞳をして扉の向こうを見つめていた。

 哀しそうに、見えた。


 誰かを待っているの?


 彼が頷く。


 恋人?


 恋人という文字に、幽霊は笑みを浮かべてもう一度強く頷いた。とても、愛しげに。


 その人も幽霊?


 驚くべきことに、幽霊は首を横に振った。


「生きてる人!?」


 私は思わず言葉にしていた。

 聞こえなくても、私が何を言ったのかはこの反応でわかったのだろう。頷いて笑う。


 来てくれるの?


 確信を持って、幽霊は強く頷いた。


「――同じなのね」


 幽霊は首を傾げる。


「同じ。私も。同じ」


 ゆっくり、私は言った。


「わかる? 私も、同じ」


 今度は幽霊が、びっくりした顔をした。


お な じ?


 唇が、聞き返す。


「そうよ。同じ」


 私も 待ってるの


 私が紙に書くと、幽霊は、また、唇を動かした。


「何?」


だ れ?  こ い び と?


 短く、ゆっくり唇は動くので、多少透けてはいるが、何を言いたいのかはわかった。


「そう。私も、あなたと同じ。ずっと、待っているの――」


 今度は、私が頷いた。

 そうして、私は透のことを、書いた。

 ゆっくりと、少しずつ、大切な想い出を、私は幽霊に長い時間をかけて語った。

 幽霊は、もちろん黙って聞いていた。時折楽しげに、時折切なげに、時折哀しげに、頷いて聞いていた。

 私は嬉しかった。

 長い間、私は透のことを誰とも話していなかった。

 楽しかったことだけが、鮮明に想い出される。

 想い出す透の顔は、いつも穏やかに笑っていて、それだけで私を幸せにした。




 窓から差し込む赤紫が日の傾きを教えるまで、私と幽霊は無言の会話を続けていた。

 風が窓を揺らして、別れを催促しているようだった。


 もう 帰らなくちゃ


 紙に書くと、幽霊は頷いた。

 少し哀しそうに笑っていた。このまま帰るのが気が退けるほど。


「また、来てもいい?」


 私は紙を見せながら、ためらいがちに言った。

 幽霊は一瞬驚いた顔をして、それから、人懐っこい笑みを浮かべた。

 唇が動く。


「――」


き て  ま た き て


 私は、すごく嬉しかった。


「また、来る。必ず。来るわ」


 私が手を振ると、幽霊もひらひらと手を振った。

 嬉しそうに笑ってくれた。


さ よ な ら


「さよなら」


 私は上機嫌だった。

 私は、新しい友達ができた。しかも、彼は幽霊なのだ。

 幽霊らしくない、けれど、本物の幽霊。


 こうして、私と幽霊の奇妙な交流が始まったのである――



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