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一瞬私は別の、どこか知らない空間に入りこんだような気がした。
強い、何か引きつけるような視えない力があった。
そしてその中心に、彼はいた。
「――」
後ろの壁をかすかに透かして、私をじっと見ていた。
テレビで見るのと違って、その幽霊は透けてはいるけれど、ちゃんと全身があった。
優しそうな顔。
襟足の少しのびた髪。
見たこともない、知らない幽霊。
「ちがう……とおるじゃない……」
それまで歓喜に輝いていたと思われる私の顔は、幽霊が哀しげになるくらい急激に、落胆の表情に変わっていった。
「……」
私は、ひどくがっかりしていたので、この場の異常な現象を気にも止めなかった。
絶対に、透だと思ったのだ。
根拠のない分、思い込みは激しくて、私は本当に久しぶりにがっかりした気分を味わっていた。
しばらくその場に立ち尽くし、そうして、どれほどの時間が過ぎたのか。
不意に顔を上げると、幽霊はまだそこに立っていた。
長身で黒ずくめの幽霊はひどくすまなそうな表情になったまま佇んで、私を見つめている。
そして、ぺこんと頭を下げた。
「――」
それが何だかおかしくて、私は笑ってしまった。
幽霊の顔にも、安堵の表情が浮かぶ。
その時の私は、彼を幽霊だと頭では理解していたが、本当にはわかっていなかったような気がする。
「ごめんなさい。あなたのせいじゃないの。ただ、勝手にかんちがいしてただけ。気にしないでね」
私が笑うと、幽霊も笑った。
とても変な幽霊だ、ちっとも恐くない。
恐そうな顔もしていないし、体には血もついていない。
透けて後ろの壁が映っていなかったら、とても幽霊とは思えない。
しかも私に頭を下げた。絶対に変わってる。
「あなた、どこから来たの? どうしてここにいるの? 昔、ここに住んでた人?」
私が言うと、幽霊は困ったような顔をした。
唇が何かを語って動いた。
けれど、私には聞こえなかった。
「何? もっと大きな声で言って。全然聞こえないわ」
もう一度、幽霊は言ったが、やっぱり私には聞こえなかった。
「私の声、聞こえてる?」
幽霊は首を傾げて私を見ていた。
聞こえないのだ。
私が幽霊の声を聞けないように、彼にも私の声は聞こえないらしい。
これでは会話になりはしない。
そして、はたと気づく。
もし私が透の幽霊に会えても、私達は言葉を交わすことすらできないのだ。
こんなに待って、その挙げ句に、こんな致命的な事実を知るなんて!!
なんだか、唐突に私は虚しくなった。そして、腹が立った。
「――かえる」
私は言い捨てて、その場を走り去った。
幽霊は追いかけてきたりはしなかった。
門も開け放して、私は走った。
そうして薄野原を通ると、また、哀しくなってきてしまった。
「――」
その場にしゃがみこんで、私は息を整える。
どうしてだろう。この頃は、哀しいことばかり起きる。
期待しすぎるから、いけないのだろうか。
私はただ、はっきりした答えがほしかったのだ。
中途半端な状態に、透が私をおいていってしまってから。
三年前の私は、こんな風になるなんて、思ってもいなかった。
透がいて、私の傍にいて、二人でいろんなことをして。
それがずっと続くものだと思っていた。
やがて私達は結婚して、子供が生まれて、二人で年を取って――そんな風に、生きられると思っていた。
そう、信じていた。
「とおる……」
私は、こんな風に終わりたくはなかった。
終わりたくはなかったのだ――




