17
夕暮れが静かに降りてきて、私は床を照らす茜色を見つめていた。
夕暮れは、いつも不思議を連れてくる。
その落ち着いた色合いは、まるでこの世のものでないように、ひっそりとやってきては去っていく。
美しい、けれど哀しい光景。
たった一人で見るには、今日の夕暮れは静かすぎた。
もう私一人しかいない部屋。
もう誰もいない。
「――」
私は床に座りこんだまま、窓からさす光を見つめていた。
涙はもう枯れはてて、静寂だけが心の中にあった。
「とおる――」
思わず洩れた声に、答えはない。
「――」
私はゆっくり立ち上がった。
そして静かに部屋を出た。
全ては一瞬に去っていった。想い出だけを残して。
私は夢を見たのだ。
二度と見ることのない、そして決して消えない特別な、私のためだけの夢。
私のことを想って、透が見せてくれた。
いつも、透は私を本当に想っていてくれたのだ。
それを忘れなければ、きっと私は大丈夫。
だから透の想い出と共に、私も透のように自由に生きていこう。
それが私が見つけた、新しい生き方。
誰が何を言ってもかまわない。
私はもう、揺らがない。
私が私らしく生きるために、そうする。
それは私だけにしかできないこと。
門の鍵をしっかり閉めて、私はそこを後にした。
歩きながら、大きくのびをする。
「うーんっ!!」
今やっと目覚めたばかりのように、何もかもが、新鮮だった。
立ち止まって辺りを見回すと、外は家の中よりも茜色の大気が充満していた。
薄がそれを反射して輝いている。
風になびく薄の群勢は、少し離れて見える住宅街とは、まるで別世界のように静粛なものだった。
私は一人その場に立ち尽くし、夕暮れを見ていた。
風は少し冷たくて、冬の気配をかすかに漂わせている。
この静寂は、彼らに似ている。あの不可思議に美しい恋人達に。
彼らはいったい何者だったのだろうか。
不意に心によぎる疑問。
何故、彼らはあんなにも特別だったのだろう。
まるでどちらも生きているように。
どちらも、この世の者ではないように。
今となっては確かめるすべはない。
もう二度と、会うこともない。
それは確信だった。
それでも、私は彼らが少しだけ羨ましかった。
私にもできたら、私はいつまでも透と一緒にいられたのに。
あの一瞬だけでなく、何度でも気のすむまで、透の声を聞いていられたのに。
「とおる――」
そう 確かに私は聞いた。
透の唇から洩れた、声のない言葉を。
いつもいつも、私が怒ったり哀しくなったりすると、透は慰めの言葉の代わりに、それを言うのだ。
透がいつも私にくれた言葉だったから、声が届かなくても私の記憶に、そして心に、届いた。
愛してるよ
とても鮮明に記憶は甦り、聞こえないはずの声さえ呼び戻した。
いつでも、透は私に一番大切なものをくれるのだ。
そして最後に、とびきりの贈り物を残していった。
これから先、たった一人でも生きていけるだけの、あざやかな想い出を。
どんなになっても、私は忘れないだろう。
透がくれた最後の言葉が、大切なものを呼び覚ましてくれたから。
愛してるよ
私も、愛してた。
透、あなたをとても愛してた。
だからきっと、これからもずっと愛していける。
あなたはもう私の傍にはいてくれないけれど、あなたが生きていたことを私が忘れなければ、あなたはきっといつまでも永遠に生き続ける。私の心の中で。
例え私がこれから先、また揺らぐことがあっても、きっとあなたを想い出す。
あなたを愛したままの私で、きっと私はこれから幸せになる。
だから透、心だけは傍にいて。
あなたと生きた想い出を、あなたも持ってそこにいて。
私達は、また出会う。
いつか必ず、出会うから。
その時まで――さよなら。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
いつか、この話のもとになった別の話も書きたいと思います。