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会いたい  作者: ラサ
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「とおる――」


 何も変わっていなかった。

 透は最後の時から何も変わらずに、優しい笑みを浮かべて私から少し離れたところに立っていた。

 別れたあの日と同じ、濃いグレイのシャツを着て、前髪をのばしかけたまま。

 そういえば、髪を切りにいくと、最後の日話していたのだ。


「とおる」


 何も変わらない、あの日のままの透。


「とおる」


 私はただ透を呼んだ。


「とおる、とおる、とおる、とおる――」


 言いたいことがたくさんあったはずなのに、いざ透を前にして、私は何もできずに立ち竦むだけだった。

 嬉しかった。

 どうしようもなく、嬉しかった。

 心のどこかで、私はもう一度透に会えると思っていたから、だから、ずっと独りで待っていた。

 今、それはかなったのだ。

 透がいる。

 透がいる。


 確かに、私の前に透がいるのだ――


「――」


 不意に透の唇が動いて、何か言葉を綴っている。だがそれは、私には聞こえなかった。


「何――?」


 私は少女を振り返ったが、彼女は何も言わずにただ首を振るだけだった。

 私は透の言葉を知ろうとして、必死で唇を見つめた。

 透はある程度間隔をおいて、何かを話していた。


「とおる――何? なんて言ってるの?」


 私は泣きだしそうになりながら、それでも必死で透を見つめた。

 そして、ふと透の唇が止まり、静かに笑った。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる。


「とおる――」


 透は私の前に佇んで、黙って懐かしそうに私を見つめていた。

 背景を透かす体。

 それが私に、透の死を前よりももっと強く感じさせた。


「あなた、本当に死んでしまったのね……」


 この三年、心のどこかでは信じきれていなかった透の死を、今やっと、私は受け入れなければならなかった。


 帰ってこなかった透。

 戻ってこなかった透。


 遺体すら、私のもとには帰ってこなかったから、だから私は待っていられた。

 いつかひょっこり帰ってきて、また私の前に現れてくれると信じていられた。

 けれど、今、それは壊れた。

 私は透の死を受け入れ、独りで、歩きださなければならなかった。


「――なんで死んじゃったの? なんでおいていっちゃったの? とおる、答えて! とおる、ちゃんと答えてよ!!」


 悔しかった。

 哀しかった。

 何故、透でなければいけなかったのか。

 何故、透が死ななければならなかったのか。

 そんな考えだけがぐるぐると空回りしている。

 何故、他の人ではいけなかったのかと。

 私には透さえいればよかった。

 他の誰が死んでも、透さえ生きていてくれたらそれでかまわなかった。

 なのに、透は死んでしまった。

 なのに、透が死んでしまった。

 私は幸せになれるはずだったのに、それは私から奪われてしまった。


「とおる……」


 透は、私の頬にその透ける手を伸ばした。

 何も感じない。

 当たり前のことなのに、なんて哀しい。

 こういうことなのだ、死は。


 もう二度と、触れることもない。

 もう二度と、声を聞かない。

 もう二度と、会えない。


 これはさよならなのだ。

 あの時、透が死んでしまった時、できなかったさよなら。

 そして私はまた、明日から独りで生きていかなければならない――たった独りで。


「……」


 私は、同じように透の頬に手を伸ばした。

 ほんの少し伸ばしただけで、私は透をつきぬけてしまう。

 まるで夢を見ているようだった。

 前に透と見た、映画のよう。

 ストーリーは全然違うけれど、あの結末も、こんな風だった。

 BGMはなく、まばゆい光もない、ひっそりとしたものだけれど、これは私達の別れのシーンなのだ。


 言葉も、交わせない。

 触れることすら、できない。それでも。


 私達はただ、互いを見つめていた。

 見つめることしか、許されなかった。

 何か言えば泣いてしまうことが、私自身にもわかっていた。


「――」


 透の唇が動いた。

 静かに、透は短い言葉を繰り返した。

 ゆっくりと、綴る言葉。

 ゆっくりと、一言ずつ――


「とおる……」


 私は、その言葉を解した。


 涙が、溢れた。


「とおる――!!」


 とびきりの笑顔で、透は私の唇に自分の唇をあわせた。

 それが最後のキス。


 決して触れない、さよならのキス。


 透は静かに、背景に溶けた。


「とおる……とおる――っ!!」


 とびきりの笑顔を私の心に焼きつけたまま、透は私の前からいなくなった。


 いってしまった。

 透はいってしまった、今度こそ本当に。


 私はその場に崩れ、両手で顔をおおって泣いた。


「――聞いたね」


 少女の声が頭上で響いた。

 私は顔を上げずに頷いた。


「忘れないで。

 想い出だけが、心をつなぐから。

 忘れた時、本当に永遠の別れがくる。

 忘れなければ、いつかきっと、あなたたちはまた会える――」


 私は何も言わなかった。

 静かに、彼女は私から離れた。


「さよなら、律をありがとう」


 足音が止まって、そう聞こえた。

 私はやっと顔を上げ、扉の向こうの彼女と彼を見た。

 二人はとても綺麗だった。

 二人だから、綺麗だった。


「ありがとう――」


 私はそれだけを言った。

 扉を閉めずに彼らは私の視界から消えた。

 彼らがいなくなった扉の向こうから、やがて穏やかな風が吹いた。



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