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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

たとえばこんな終わり方【完結】

SAN値は思い出の中に閉じ込めて

作者: 有賀羊
掲載日:2026/08/20

 夕食後。


 テレビでは、今年の紅葉特集が流れていた。


『続いてご紹介するのは、今まさに見頃を迎えている──』


「お〜、綺麗だねぇ」


「きゅう〜(ザ!秋って感じだな)」


 梓と並んで、なんとなくテレビを眺める。


 画面いっぱいに広がる赤や黄色に染まった山々。

 その中を縫うように遊歩道が続き、その先には大きな滝が流れ落ちていた。


「あ」


「きゅ?」


「ここ、前に行ったところだよね!」


「きゅう(ああ)」


 覚えている。


 梓と二人で、初夏に訪れた場所だ。

 あの頃はまだ青かった紅葉が、今は見事に色づいている。


「4ヶ月前に行ったばかりなのに、もう懐かしく感じるよ。前は電車で行ったよね〜」


「きゅきゅう!(そうそう、楽しかったよな!)」


「滝も綺麗だったよねぇ」


「きゅっきゅきゅ〜(行くまでに疲れたとか文句も言ってたけどな)」


 そうだった。

 駅から二人で歩いて、途中で見つけたカフェに寄り道して。

 温泉旅館では何もせず畳の上に寝っ転がって、滝の前では二人で写真も撮った。


「…………」


 梓がじっとテレビを見ている。


「紅葉の時期も、やっぱり綺麗なんだね」


「きゅう(ああ、そうだな)」


「…………」


 なんとなく、次に何を言うのか分かった。


「また行きたいなぁ」


 ほら。


「ねえ、修也」


「きゅ?(なんだ?)」


「また二人で行かない?」


「…………」


 もう一度、テレビを見る。


 行きたい。

 俺だって、行けるものなら行きたい。


 でも。


(……無理だろ)


 俺の今の身体で行けるわけがない。


「ねぇ修也!そうしようよ!」


 梓がぱっと笑いかける。

 その笑顔を見て、俺も一緒に行きたくなる。


 よし、行こう。

 前みたいに、もう一度二人で。


(ただ、どうやって……)

 

 電車は無理だ。

 今の俺が満員電車に乗った日には、一両まるごとSAN値チェック会場になりかねない。


 なら。


「きゅう」


「ん?」


 ホワイトボードを引き寄せる。


『車で行かない?』


「車?」


『レンタカー』


「いいね〜。ドライブも楽しそう」


「きゅう(そうそう)」


『人も少ないだろうし』


「ん?」


 しまった。

 梓からすれば、別に人がいようが関係ない。


 俺はさっと文字を消した。


『電車とは違う景色が見れる』


「あ〜、確かに」


「きゅう!(だろ!)」


 梓がテレビへ視線を戻す。


「うん。じゃあ私、レンタカー調べとくね〜」


「きゅう(頼んだ)」


 梓がさっそくスマートフォンを取り出す。


 これなら大丈夫だ。

 電車には乗らなくていいし、移動中は車内にいればいい。

 現地だって、人が少ない時間を狙えばなんとかなる。


(よしよし)


 我ながら、いい案じゃないか。


(ん?いや待てよ?)


 レンタカーは梓が借りてきてくれる。

 そして、マンションの駐車場に停める。

 そこへ俺が乗る。


「…………」


 俺は玄関を見る。


 この部屋を出て。

 廊下を通って。

 エレベーターか階段で下まで行って。

 マンションを出て。

 駐車場まで歩く。


 この姿で。


(どうやって車まで行くんだ?)


 旅行当日を迎える前に。

 まず、マンションからの脱出方法を考える必要がありそうだった。


◇◇◇


 そして、旅行当日。


 午前三時。


「…………」


 俺は一人、玄関の前に立っていた。


 梓はまだ寝ている。

 レンタカーは昨日のうちに借りて、マンションの駐車場に停めてある。


 出発は早朝。

 人目を避けたい俺が、「道も空いてる」「現地も混んでない」「朝の紅葉も綺麗かも」と、それらしい理由を並べて早朝出発に持ち込んだ。


 そして俺だけは、さらに一足先に車へ向かうことにした。

 理由はもちろん。


(この時間なら、誰にも会わないはず)


 住人のほとんどが寝静まっている深夜なら、この姿を見られる可能性も低い。

 無事に車まで辿り着いたら、あとは梓が起きてくるのを待てばいい。


(くっくっくっ、我ながら完璧な作戦だ)


 テーブルには、梓への書き置きも残してある。


『先に車行ってる』

『起きたら来て』


(これでよし。準備万端だ)


 俺の触手には、風呂敷包み。

 中身は、旅先でも梓と話すために必要なホワイトボードとペン。

 風呂敷自体も、車に乗ったら身体を隠すために使う。


 あとは、駐車場まで行くだけ。


「…………」


 俺はそっと玄関の扉を開けた。


 右。誰もいない。

 左。誰もいない。


(よし)


 風呂敷包みを抱え、廊下へ出る。


 ここから先、誰にも見つかってはいけない。

 目的地は、マンションの駐車場。

 そこまで辿り着けば、第一関門突破だ。


(行くぞ!)



──Mission start──


(まず、エレベーターは却下)


 途中の階で誰かが乗ってきたら終わる。

 となれば、階段だ。

 足音を立てないよう廊下を進み、曲がり角の手前で止まる。

 聞き耳を立て、物音がしないか確認。


 触手を一本だけ、そろりと伸ばし、そーっと覗き込む。


(行ける!)


 そのまま、曲がり角のたびに立ち止まって安全を確認しつつ、階段を下りていく。


(よしよし、この調子なら案外簡単に──)


 ガチャ。


「…………!」


 どこかの部屋の扉が開いた。


(人!!)


 反射的に近くの柱の陰へ滑り込み、触手を伸ばして天井の隅へ張り付く。


「…………」


 足音が近づいてくる。


(来るな来るな来るな来るな)


 身体をできるだけ小さく縮め、風呂敷包みを抱えて息を潜める。


 足音が、すぐ真下まで来た。


 人が通り過ぎていく。


(上を見るなよ!フリじゃないんだぞ!)


「…………」


 そのまま遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。


「…………」


(あっぶねぇぇぇ……!)


 開始早々、危うくミッション失敗するところだった。


(油断するな、修也)


 ここは敵地だ。


(いや、自宅マンションだけど)


 気を取り直して、再び階段を下りていく。

 それからは誰とも遭遇することなく、一階まで辿り着いた。


(よし!あとは外に出て、駐車場まで行くだけ!)


 ここまで来れば、もうゴールは目前だ。

 エントランスを抜けようとして──。


 止まる。


「…………」


 天井を見上げる。

 そこには、防犯カメラ。


(……忘れてた)


 人に見つからないことばかり考えていた。


(防犯カメラもあるじゃん!!)


 もし、この姿が映ったら。


 翌朝。

 防犯映像を確認した管理人が。


『…………なんだ、これ』


 発狂。


 異変を聞きつけた警察がやって来る。


『映像を確認します』


 発狂。


 さらに別の警察官が。


『何が映って──』


 発狂→応援を呼ぶ→見る→発狂→また呼ぶ→見る→発狂。


「…………」


(発狂ロールの大安売りじゃねえか!!)


 駄目だ。

 このままでは俺一人……一人?

 まあいい。俺のせいで、芋づる式に被害者が増えていく。


(何がなんでもカメラに映るな!!)


 柱の陰から、防犯カメラを観察する。


(……待てよ)


 防犯カメラって、360度見渡せるタイプもあるよな。


(うちのマンション、どっちだ……?)


 じーっと見る。

 カメラは、一方向を向いている。


(よし!あのタイプなら行ける!)


 向きを確認する。

 壁際。カメラの真下。


(あそこが死角だな)


 俺は身体を低くして、壁にぴったりと張り付いた。


 ぺた。ぺたぺた。

 少しずつ進む。


(俺は壁)


 ぺたぺた。


(ただの壁だ)


 どう見ても壁ではない。


(気にするな)


 そもそもカメラは機械だ。

 気にするも何もない。

 それでも妙な緊張感に襲われながら、なんとか自動ドアの前まで辿り着く。


 ウィーン。


「…………!」


(今だ!!)


 外へ飛び出す。


 あとは駐車場まで一直線。


 物陰から物陰へ。

 植え込みから植え込みへ。


(もう少し……!)


 駐車場はすぐそこだ。

 レンタカーも見えている。


(あとちょっと!)


 そのとき。


 ガサッ!!


「ぎゅっ!?」


 植え込みから何かが飛び出した。


「にゃあ」


(猫ぉぉぉぉ……!)


「にゃ?」


「きゅう……(びっくりさせんなよ……)」


 猫は俺を見ても逃げない。


(……お前、俺を見ても平気なの?)


「にゃあ」


「…………」


(お前、強いな)


 人間よりよっぽど肝が据わっている。


「きゅう(じゃあな)」


「にゃあ」


 猫に見送られ、俺は再びレンタカーを目指した。


(よし、今度こそ!!)


 右みて。よし。

 左みて。よし。

 人影なし。


(行けええええ!!)


 触手を総動員して、駐車場を爆走する。

 車に辿り着くなりドアを開け、そのまま車内へ滑り込む。


 バタン!


 そして静寂。

 シートの上へ、べちゃりと崩れ落ちた。


 誰にも見つからなかった。

 誰一人のSAN値を削ることなく。


(やった……!俺は、やったぞ……!)


──Mission complete──


 しばらく、そのまま達成感に浸る。

 やがて何気なく窓の外へ目を向け、マンションを見上げた。


 俺たちの部屋。

 そのベランダ。


(あ)


 今の俺なら触手を使って、ベランダから壁伝いに下りてこられたんじゃないか?


(そっちの方が楽だったかも……)


 人間だった頃の癖で、律儀に玄関から出ることしか考えていなかった。


「きゅう……」


 まあ。


(無事に着いたからよし!)


 気を取り直して、風呂敷包みを解く。


 ホワイトボードとペンを後部座席へ置き、残った布を身体にぐるぐると巻きつけた。

 車の中とはいえ、外から見えないとは限らない。これなら、ぱっと見は大きな荷物にでも見えるだろう。


(完璧)


 あとは梓を待つだけだ。


 時計を見る。


 午前三時十二分。


「…………」


(早いな……)


 出発は早朝。

 当然、梓が来るまでにはまだ時間がある。


「きゅう……」


 俺は布に包まれたまま、後部座席へ沈んだ。


◇◇◇


 しばらくして、車のドアが開いた。


「おはよ〜」


「きゅう!(やっときた!)」


「修也、ほんとに先に来てたんだ。そんなに楽しみだったんだね〜」


「きゅう〜。ききゅう〜(違うんだよ〜。しょうがなかったんだよ〜)」


「ずっと待ってたの?」


「きゅきゅう(人の少ない時間を選んだからな)」


「ふふ。楽しみにしすぎでしょ〜」


「きゅううう……(そうだな、そういうことにしておこう……)」


 ホワイトボードを手に取る。


『早く行こうぜ』


 さすがに外で、梓を一人で喋る変な奴にはしておきたくない。


「やっぱり楽しみだったんじゃん」


「きゅうう(まあ、楽しみではあるからな)」


 そう、楽しみだった。

 ずっと部屋にいたから、久しぶりに外の景色を見られることに内心ワクワクしていた。


 ホワイトボードを置き、身体を隠すように布に包まる。


「じゃ、行こっか」


「きゅう!(レッツゴー!)」


 エンジンがかかり、車が走り出す。

 まだ薄暗い早朝の街を、布の隙間からそっと覗く。


(おお……)


 人も車も少ない。

 これなら大丈夫そうだ。

 そう思っていたのだが。


 信号で止まると、隣の車線に一台の車が並んだ。


(……ち、近い)


 改めて自分を見る。


 布に包まれた、でかい何か。

 しかも触手のせいで、ところどころぼこぼことしていて形がおかしい。


(……これ、荷物に見えるか?)


 隣の車の運転手が、こちらを向いた。


「…………!」


 さっと身体を縮める。


(俺は荷物。俺は荷物)


 ただの荷物だ。

 ちょっと形がおかしいだけの。


(形がおかしい荷物って、逆に怖くない?)


 なら。


(ぬいぐるみ)


 でかいぬいぐるみなら、多少形がおかしくても不自然じゃない。


(俺はぬいぐるみ。キモカワ系ぬいぐるみ)


 よし。

 これならいける。


「修也、さっきから何してるの?」


「きゅう!!(何でもない!!)」


「そっか〜」


 梓は気にした様子もなく、楽しそうにハンドルを握っている。


「いい天気になりそうだね」


「きゅう(そうだな)」


 布の隙間から外を見る。

 空が白み始め、少しずつ明るくなっていた。


◇◇◇


 しばらく走る頃には、すっかり日も昇っていた。


 街を抜け、高速道路へ。

 窓の外を流れていく景色も、少しずつ建物が減って山が増えていく。


「きゅう〜(おお〜)」


 久しぶりに見る外の景色は、それだけで楽しかった。


「修也、見て。山、ちょっと色づいてるよ」


「きゅう!(ほんとだ!)」


「目的地は、テレビだともっと色づいてたよね。場所によって色合いが違うのも面白いかも」


「きゅう!(これぞ芸術の秋!)」


「ね〜。ゆっくり景色も見れて、これがドライブの醍醐味だよね〜」


「きゅう(そうそう)」


 お気に入りの音楽を流して景色を眺め、時々ホワイトボードで話す。


(楽しいな)


 そんな時間を過ごしていると。


「あ、次のサービスエリア寄るね〜」


「きゅ?(なんで?)」


「飲み物買いたいし、お手洗いも行っときたいから」


「……きゅきゅう(……なるほど)」


 まだ六時半ごろで混雑する時間には早いが、サービスエリアには俺たちと同じように早朝から出かけている人や、休憩に立ち寄る人もいる。


「…………」


(俺、車で留守番じゃん)


 サービスエリアの駐車場に車を停める。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね〜」


「きゅう(おう)」


「何か欲しいものある?」


 ホワイトボードに『ご当地プリン。あったら』と書く。


「はいはい。見てくるね〜」


「きゅう!(よろしく!)」


 梓が車を降りると、俺はすぐさま布を頭まで被った。

 外から聞こえる話し声や足音にビクビクしながら、ひたすら梓の帰りを待つ。


(早く戻ってきてくれ……)


 さっきまであんなに楽しかったのに、梓がいなくなった途端これである。

 すると、よりによって隣に一台の車が停まった。


(おい)


 人が降り、ドアが閉まる。足音が遠ざかるまで布の中でじっと耐え、完全に聞こえなくなってから、そっと隙間から外を覗いた。


(……行ったか?)


 誰もいない。


(よし)


 ほっと身体の力を抜いた、そのとき。

 ふと、視線を感じた。


「…………?」


 ゆっくりと横を見る。

 隣の車の後部座席。


「…………」


 犬が、こちらをじーっと見ていた。


(……え、何?)


 犬はなぜか目を逸らさない。


(俺、ぬいぐるみだぞ。お前の興味を引くもんじゃないぞ!)


 じ──っ。


(……見るなよ)


 じ───っ。


(こっちを見るなよ犬ぅ……)


 人間には見つからないよう必死なのに、なぜか犬にはめちゃくちゃ見られていた。


「ワンッ!」


「ぎゅっ!?」


 突然吠えられ、身体がびくっと跳ねた。


「…………っ」


 しまった。


(動いちゃったじゃん!!)


「ワン!」


(やめろ!それ以上騒ぐな!人が来る!!)


 慌てて布の中で身体を縮める。


(頼むから早く戻ってきてくれ、梓……!)


 そう願いながら待つこと数分。


「お待たせ〜。プリンあったよ」


「きゅう〜!(梓!おかえり〜!)」


「あと飲み物も買ってきた。修也も飲む?」


「きゅう!(飲む!)」


 梓が車に乗り込み、ドアが閉まる。

 それだけで一気に安心した。


「じゃ、そろそろ行こっか」


「きゅう!」


 車がゆっくりと駐車場を出ていく。

 隣の車を見る。


「…………」


 犬はまだ、俺を見ていた。


(じゃあな)


「ワン!」


「ぎゅっ!?」


 最後まで吠えるんかい。


◇◇◇


 それからは途中で何事もなく、車は目的地へと近づいていった。


 山道へ入る頃には、窓の外の景色もすっかり変わっていた。

 赤や黄色に染まった木々が増え、テレビで見た景色が少しずつ近づいてくる。


「わぁ……!」


 梓が嬉しそうに声を上げる。


「修也、見て見てっ!すっごい綺麗!」


「きゅう〜!(おお〜!)」


 布の隙間から外を覗く。


 前に来たときは青一色だった山が、今日は赤や黄色に染まっている。

 同じ道のはずなのに、まるで違う場所みたいだった。


『前と全然違うな』


「ね〜。また来てよかったね」


「きゅう(ああ)」


 やがて、見覚えのある景色が見えてくる。

 前にも二人で歩いた道や、泊まった温泉旅館。

 記憶に残っている景色が、車の窓の向こうを流れていく。


(ほんとに来たんだな)


 あの部屋から。

 誰にも見つからないようマンションを抜け出して、防犯カメラを避けて、猫に驚かされて、犬にガン見されて。

 そこまでしてもう一度、梓とここへ来た。


「もうすぐ着くよ〜」


「きゅう!」


 嬉しかった。

 ただ、それだけだった。


◇◇◇


 駐車場に車を停め、周囲を確認する。


「…………」


 人影はない。


(よし)


 朝早く来た甲斐があった。

 今のところ、人はいないようだ。


「きゅきゅう!(よし!行ける!)」


「修也、準備できた?」


「きゅう!(うん!)」


 巻いていた布を外し、ホワイトボードとペンを持つ。


 車のドアを開け、外へ出る。

 冷たい朝の空気が、身体に触れた。


「…………」


(外だ)


 部屋の中でも、ベランダでもない。

 久しぶりに、自分の身体でこんなに明るい外にいる。


「修也」


「きゅ?(ん?)」


「ねっ、久しぶりに手を繋ごうよ」


「…………」


 梓が、俺に向かって手を差し出す。


 その手を見る。

 それから、自分の身体を見る。


 手はない。

 代わりに、触手を一本伸ばした。


 梓の手のひらに、そっと乗せる。

 きゅっと梓の指が、俺の触手を握った。


「行こっか」


「きゅう(うん)」


 並んで歩き出す。

 前にここへ来たときも、こうして手を繋いで歩いた。

 あのときは、俺にもちゃんと手があったけど。


 形は違っても、梓の手はあのときと同じだった。


「わぁ、すごい!」


 少し進んだところで、梓が声を上げた。


 遊歩道の両脇には、赤や黄色に染まった木々が並んでいる。

 朝の光が葉の隙間から差し込み、歩くたびに景色が少しずつ変わっていく。


「前に来たときと全然違うね〜」


「きゅう(な)」


「あのときは全部緑だったもんね。それはそれで爽やかな雰囲気で良かったけどね!」


 紅葉がひらり、ひらりと舞う。


「よし!キャッチするぞ〜」


 梓が舞い落ちる葉っぱを追いかける。

 赤い葉を一枚掴んでは、嬉しそうにこっちへ見せてくる。


「取れた〜!」


「きゅう〜(良かったな)」


 紅葉の中ではしゃぐ梓を眺める。


(来て、良かった)


「おーい修也!どっちが多く取れるか勝負しない?」


「きゅう?(勝負?)」


「景品はさっきサービスエリアで買ったプリンだよ〜」


「ぎゅぎゅう!(それは俺のじゃん!)」


「はい開始〜!」


「きゅ〜!(ちょっ、待てって!)」


 言うが早いか、梓はさっそく葉っぱを追いかけ始めた。


 俺も負けじと触手を伸ばして、一枚。

 もう一本伸ばして、二枚。

 さらに三枚、四枚。


「…………」


(待てよ)


 自分の触手を見る。


(俺、めちゃくちゃ有利じゃね?)


「修也、負けないからね〜!」


「きゅう!(おう!)」


 ごめん、梓。


(その勝負、もう勝ったわ)


 使える触手を総動員する。

 右から一枚。左から二枚。頭上から落ちてきた一枚も逃さない。


「修也、すごい!」


「きゅう〜!(だろ〜!)」


 梓が楽しそうに笑う。

 俺もつられて笑った。


 梓と手を繋いで、一緒に景色を見て、くだらないことで笑う。


(ああ、これだ)


 俺が、もう一度やりたかったこと。


◇◇◇


 ひとしきり紅葉で遊んだあと、俺たちは再び手を繋いで滝を目指した。

 歩いていくうちに、水の流れる音が少しずつ大きくなっていく。


「あ、聞こえてきた!」


「きゅう!(滝だ!)」


 梓が俺の手を引いて、少しだけ足を速める。

 木々の間を抜けると、一気に視界が開けた。


「わぁ……!」


「きゅう〜!(おお……!)」


 赤や黄色に染まった木々。その間を縫うように、大きな滝が流れ落ちている。

 崖の遥か下にある滝壺へ、水が勢いよく叩きつけられていた。


 初夏に見たときとは、まるで違う景色だった。


「すごいね〜!やっぱり来てよかった!」


「きゅう!(な!)」


「あ、修也。覚えてる?」


「きゅ?(何?)」


 梓が少し先を指差す。


「前に写真撮ったところ!」


「きゅう!(ああ!)」


 覚えている。

 滝を背景にして、二人並んで写真を撮った。

 今もスマートフォンに残っている。


「せっかくだし、今日も同じところで撮ろうよ」


「きゅう!(撮ろう撮ろう!)」


 近くに人はいない。

 梓はスマートフォンをちょうどよさそうな場所に置き、タイマーをセットした。


「修也、もっとこっち〜」


「きゅう」


 梓の隣へ行く。

 身体が触れそうなくらい近くに並んで、俺は触手を一本、梓の腕に絡ませた。


「はい、笑って〜!」


(今の俺、笑ってるって分かるのか?)


 そう思いながら、カメラを見る。


 ピピピ。カシャ。


「撮れた〜!」


「きゅう!(見せて!)」


 二人でスマートフォンを覗き込む。


 赤く染まった紅葉。

 白く流れ落ちる滝。


 その前に並ぶ、俺たち。


「きゅう〜(お〜、いいじゃん!)」


「…………」


 梓から返事がない。

 スマートフォンの画面を見つめたまま、動かなくなっていた。


「きゅう?(梓?)」


「…………」


 なんだ?

 さっきまであんなに楽しそうだったのに。


 梓の顔を見る。

 笑顔が消えている。


(…………あれ?)


 有りもしない心臓が、バクバクと鳴っている気がした。


(……まさか)


 梓の指が、ゆっくりと画面に触れ、写真を拡大する。


 俺のところを。


「…………何?」


(気づいた……?)


 そんな。


(今?ここで?)


 今までずっと、俺のことを修也だって分かってたじゃん。


 今日だって。

 手を繋いで、一緒に笑って。

 さっきまで普通に話してた。


「これ……何?」


 梓の指が、震えている。


「きゅう……(梓)」


 やめろ。

 顔を上げるな。

 こっちを見るな。


 そんなことを梓に思ったのは、初めてだった。


「…………」


 けれど。

 梓の視線が、ゆっくりとスマートフォンから離れていく。


 そして、俺を見る。


「…………」


 目が合った。


「…………え?」


 梓の顔から、すっと色が消え、一歩後ろへ下がる。


「きゅう……(梓?)」


 俺がわずかに身体を動かすと、じりっともう一歩下がる。

 さっきまで俺の触手を握っていた手が、だらりと下がっている。


「……何?」


 今度は。

 写真じゃない。


 俺を見て、言った。


「きゅう……(梓……)」


「…………っ」


 梓が息を呑み、さらに後ろへ下がる。


(まずい)


 完全に、見えている。

 今の俺が。


「きゅう、きゅう(大丈夫。俺だよ)」


 できるだけ落ち着かせるように声をかける。

 けれど、今の梓には意味なんて伝わらない。


「なに……それ……」


「きゅう……」


「なんで……」


 梓の視線が、俺の身体を上から下まで彷徨う。

 俺が少し動くたび、びくりと肩を揺らした。


(怖がってる)


 分かっていた。

 他人が俺を見れば、こうなるかもしれないことくらい。

 だから今日だって、誰にも見つからないよう必死だった。


 でも。


(梓が、俺を怖がってる)


 それだけは、考えたくなかった。


「きゅう……(梓……)」


 触手を一本、ゆっくりと伸ばす。

 さっきまで手を繋いでいた触手。


「来ないで!」


「…………!」


 伸ばしかけた触手が止まった。

 梓は両手で頭を押さえ、その場で何度も首を振る。


「……あ、ぁぁ……違う、違うよっ!」


「きゅう……」


「だって!今まで……修也が……隣に、いて……」


 言葉が続かない。

 視線が俺とスマートフォンを行ったり来たりする。


「……っ」


 梓の呼吸が、どんどん速くなっていく。


(落ち着け)


 そう言いたい。


 大丈夫だって。

 俺は何も変わってないって。


「きゅう……きゅう(梓、大丈夫だから)」


「いや……」


 また一歩、梓が下がった。


「きゅう……」


「いや……来ないで……」


 さらに、一歩。


「…………!」


 そのとき、気づいた。


(待て)


 梓の後ろ。

 もう、ほとんど余裕がない。

 このまま下がったら──。


「ぎゅう!(梓!)」


 咄嗟に近づく。


「来ないで!!」


「きゅう!きゅきゅう!(違う!後ろ危ないって!)」


 触手を伸ばす。

 梓をこっちへ引き戻そうとした。


「いやっ!!」


 梓が俺の触手を振り払う。


「きゅう!(梓!)」


 駄目だ。

 これ以上、下がらせるな。


 もう一度、梓へ触手を伸ばした。


「来ないでって!!」


 梓の手が、俺の身体を強く押した。


 ぐらり。


 今度は、俺の身体が後ろへ傾いた。


(あ)


 落ちる。


 そう思った瞬間、反射的に触手を伸ばした。

 何かに掴まろうとした。

 そこにあったのは、梓の腕だった。


「えっ」


「…………!」


(しまっ──)


 梓の身体が、大きく傾いた。


 俺に引っ張られるように、前へ。


 目が合う。


 さっきまで恐怖に歪んでいた梓の顔が、今度は驚きに変わっていた。


 身体が宙に浮いた。


 梓の身体も、一緒に。


 離さなきゃ。


 そう思った。


 けれど、もう遅かった。


 視界いっぱいに、真っ青な空と、赤や黄色の紅葉が広がる。

 さっきまで二人で綺麗だと笑っていた景色。


 それが今は、ものすごい速さで遠ざかっていく。


 梓がいる。


 すぐそばに。


(ああ)


 落ちる。


エンド6:事故

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