SAN値は思い出の中に閉じ込めて
夕食後。
テレビでは、今年の紅葉特集が流れていた。
『続いてご紹介するのは、今まさに見頃を迎えている──』
「お〜、綺麗だねぇ」
「きゅう〜(ザ!秋って感じだな)」
梓と並んで、なんとなくテレビを眺める。
画面いっぱいに広がる赤や黄色に染まった山々。
その中を縫うように遊歩道が続き、その先には大きな滝が流れ落ちていた。
「あ」
「きゅ?」
「ここ、前に行ったところだよね!」
「きゅう(ああ)」
覚えている。
梓と二人で、初夏に訪れた場所だ。
あの頃はまだ青かった紅葉が、今は見事に色づいている。
「4ヶ月前に行ったばかりなのに、もう懐かしく感じるよ。前は電車で行ったよね〜」
「きゅきゅう!(そうそう、楽しかったよな!)」
「滝も綺麗だったよねぇ」
「きゅっきゅきゅ〜(行くまでに疲れたとか文句も言ってたけどな)」
そうだった。
駅から二人で歩いて、途中で見つけたカフェに寄り道して。
温泉旅館では何もせず畳の上に寝っ転がって、滝の前では二人で写真も撮った。
「…………」
梓がじっとテレビを見ている。
「紅葉の時期も、やっぱり綺麗なんだね」
「きゅう(ああ、そうだな)」
「…………」
なんとなく、次に何を言うのか分かった。
「また行きたいなぁ」
ほら。
「ねえ、修也」
「きゅ?(なんだ?)」
「また二人で行かない?」
「…………」
もう一度、テレビを見る。
行きたい。
俺だって、行けるものなら行きたい。
でも。
(……無理だろ)
俺の今の身体で行けるわけがない。
「ねぇ修也!そうしようよ!」
梓がぱっと笑いかける。
その笑顔を見て、俺も一緒に行きたくなる。
よし、行こう。
前みたいに、もう一度二人で。
(ただ、どうやって……)
電車は無理だ。
今の俺が満員電車に乗った日には、一両まるごとSAN値チェック会場になりかねない。
なら。
「きゅう」
「ん?」
ホワイトボードを引き寄せる。
『車で行かない?』
「車?」
『レンタカー』
「いいね〜。ドライブも楽しそう」
「きゅう(そうそう)」
『人も少ないだろうし』
「ん?」
しまった。
梓からすれば、別に人がいようが関係ない。
俺はさっと文字を消した。
『電車とは違う景色が見れる』
「あ〜、確かに」
「きゅう!(だろ!)」
梓がテレビへ視線を戻す。
「うん。じゃあ私、レンタカー調べとくね〜」
「きゅう(頼んだ)」
梓がさっそくスマートフォンを取り出す。
これなら大丈夫だ。
電車には乗らなくていいし、移動中は車内にいればいい。
現地だって、人が少ない時間を狙えばなんとかなる。
(よしよし)
我ながら、いい案じゃないか。
(ん?いや待てよ?)
レンタカーは梓が借りてきてくれる。
そして、マンションの駐車場に停める。
そこへ俺が乗る。
「…………」
俺は玄関を見る。
この部屋を出て。
廊下を通って。
エレベーターか階段で下まで行って。
マンションを出て。
駐車場まで歩く。
この姿で。
(どうやって車まで行くんだ?)
旅行当日を迎える前に。
まず、マンションからの脱出方法を考える必要がありそうだった。
◇◇◇
そして、旅行当日。
午前三時。
「…………」
俺は一人、玄関の前に立っていた。
梓はまだ寝ている。
レンタカーは昨日のうちに借りて、マンションの駐車場に停めてある。
出発は早朝。
人目を避けたい俺が、「道も空いてる」「現地も混んでない」「朝の紅葉も綺麗かも」と、それらしい理由を並べて早朝出発に持ち込んだ。
そして俺だけは、さらに一足先に車へ向かうことにした。
理由はもちろん。
(この時間なら、誰にも会わないはず)
住人のほとんどが寝静まっている深夜なら、この姿を見られる可能性も低い。
無事に車まで辿り着いたら、あとは梓が起きてくるのを待てばいい。
(くっくっくっ、我ながら完璧な作戦だ)
テーブルには、梓への書き置きも残してある。
『先に車行ってる』
『起きたら来て』
(これでよし。準備万端だ)
俺の触手には、風呂敷包み。
中身は、旅先でも梓と話すために必要なホワイトボードとペン。
風呂敷自体も、車に乗ったら身体を隠すために使う。
あとは、駐車場まで行くだけ。
「…………」
俺はそっと玄関の扉を開けた。
右。誰もいない。
左。誰もいない。
(よし)
風呂敷包みを抱え、廊下へ出る。
ここから先、誰にも見つかってはいけない。
目的地は、マンションの駐車場。
そこまで辿り着けば、第一関門突破だ。
(行くぞ!)
──Mission start──
(まず、エレベーターは却下)
途中の階で誰かが乗ってきたら終わる。
となれば、階段だ。
足音を立てないよう廊下を進み、曲がり角の手前で止まる。
聞き耳を立て、物音がしないか確認。
触手を一本だけ、そろりと伸ばし、そーっと覗き込む。
(行ける!)
そのまま、曲がり角のたびに立ち止まって安全を確認しつつ、階段を下りていく。
(よしよし、この調子なら案外簡単に──)
ガチャ。
「…………!」
どこかの部屋の扉が開いた。
(人!!)
反射的に近くの柱の陰へ滑り込み、触手を伸ばして天井の隅へ張り付く。
「…………」
足音が近づいてくる。
(来るな来るな来るな来るな)
身体をできるだけ小さく縮め、風呂敷包みを抱えて息を潜める。
足音が、すぐ真下まで来た。
人が通り過ぎていく。
(上を見るなよ!フリじゃないんだぞ!)
「…………」
そのまま遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。
「…………」
(あっぶねぇぇぇ……!)
開始早々、危うくミッション失敗するところだった。
(油断するな、修也)
ここは敵地だ。
(いや、自宅マンションだけど)
気を取り直して、再び階段を下りていく。
それからは誰とも遭遇することなく、一階まで辿り着いた。
(よし!あとは外に出て、駐車場まで行くだけ!)
ここまで来れば、もうゴールは目前だ。
エントランスを抜けようとして──。
止まる。
「…………」
天井を見上げる。
そこには、防犯カメラ。
(……忘れてた)
人に見つからないことばかり考えていた。
(防犯カメラもあるじゃん!!)
もし、この姿が映ったら。
翌朝。
防犯映像を確認した管理人が。
『…………なんだ、これ』
発狂。
異変を聞きつけた警察がやって来る。
『映像を確認します』
発狂。
さらに別の警察官が。
『何が映って──』
発狂→応援を呼ぶ→見る→発狂→また呼ぶ→見る→発狂。
「…………」
(発狂ロールの大安売りじゃねえか!!)
駄目だ。
このままでは俺一人……一人?
まあいい。俺のせいで、芋づる式に被害者が増えていく。
(何がなんでもカメラに映るな!!)
柱の陰から、防犯カメラを観察する。
(……待てよ)
防犯カメラって、360度見渡せるタイプもあるよな。
(うちのマンション、どっちだ……?)
じーっと見る。
カメラは、一方向を向いている。
(よし!あのタイプなら行ける!)
向きを確認する。
壁際。カメラの真下。
(あそこが死角だな)
俺は身体を低くして、壁にぴったりと張り付いた。
ぺた。ぺたぺた。
少しずつ進む。
(俺は壁)
ぺたぺた。
(ただの壁だ)
どう見ても壁ではない。
(気にするな)
そもそもカメラは機械だ。
気にするも何もない。
それでも妙な緊張感に襲われながら、なんとか自動ドアの前まで辿り着く。
ウィーン。
「…………!」
(今だ!!)
外へ飛び出す。
あとは駐車場まで一直線。
物陰から物陰へ。
植え込みから植え込みへ。
(もう少し……!)
駐車場はすぐそこだ。
レンタカーも見えている。
(あとちょっと!)
そのとき。
ガサッ!!
「ぎゅっ!?」
植え込みから何かが飛び出した。
「にゃあ」
(猫ぉぉぉぉ……!)
「にゃ?」
「きゅう……(びっくりさせんなよ……)」
猫は俺を見ても逃げない。
(……お前、俺を見ても平気なの?)
「にゃあ」
「…………」
(お前、強いな)
人間よりよっぽど肝が据わっている。
「きゅう(じゃあな)」
「にゃあ」
猫に見送られ、俺は再びレンタカーを目指した。
(よし、今度こそ!!)
右みて。よし。
左みて。よし。
人影なし。
(行けええええ!!)
触手を総動員して、駐車場を爆走する。
車に辿り着くなりドアを開け、そのまま車内へ滑り込む。
バタン!
そして静寂。
シートの上へ、べちゃりと崩れ落ちた。
誰にも見つからなかった。
誰一人のSAN値を削ることなく。
(やった……!俺は、やったぞ……!)
──Mission complete──
しばらく、そのまま達成感に浸る。
やがて何気なく窓の外へ目を向け、マンションを見上げた。
俺たちの部屋。
そのベランダ。
(あ)
今の俺なら触手を使って、ベランダから壁伝いに下りてこられたんじゃないか?
(そっちの方が楽だったかも……)
人間だった頃の癖で、律儀に玄関から出ることしか考えていなかった。
「きゅう……」
まあ。
(無事に着いたからよし!)
気を取り直して、風呂敷包みを解く。
ホワイトボードとペンを後部座席へ置き、残った布を身体にぐるぐると巻きつけた。
車の中とはいえ、外から見えないとは限らない。これなら、ぱっと見は大きな荷物にでも見えるだろう。
(完璧)
あとは梓を待つだけだ。
時計を見る。
午前三時十二分。
「…………」
(早いな……)
出発は早朝。
当然、梓が来るまでにはまだ時間がある。
「きゅう……」
俺は布に包まれたまま、後部座席へ沈んだ。
◇◇◇
しばらくして、車のドアが開いた。
「おはよ〜」
「きゅう!(やっときた!)」
「修也、ほんとに先に来てたんだ。そんなに楽しみだったんだね〜」
「きゅう〜。ききゅう〜(違うんだよ〜。しょうがなかったんだよ〜)」
「ずっと待ってたの?」
「きゅきゅう(人の少ない時間を選んだからな)」
「ふふ。楽しみにしすぎでしょ〜」
「きゅううう……(そうだな、そういうことにしておこう……)」
ホワイトボードを手に取る。
『早く行こうぜ』
さすがに外で、梓を一人で喋る変な奴にはしておきたくない。
「やっぱり楽しみだったんじゃん」
「きゅうう(まあ、楽しみではあるからな)」
そう、楽しみだった。
ずっと部屋にいたから、久しぶりに外の景色を見られることに内心ワクワクしていた。
ホワイトボードを置き、身体を隠すように布に包まる。
「じゃ、行こっか」
「きゅう!(レッツゴー!)」
エンジンがかかり、車が走り出す。
まだ薄暗い早朝の街を、布の隙間からそっと覗く。
(おお……)
人も車も少ない。
これなら大丈夫そうだ。
そう思っていたのだが。
信号で止まると、隣の車線に一台の車が並んだ。
(……ち、近い)
改めて自分を見る。
布に包まれた、でかい何か。
しかも触手のせいで、ところどころぼこぼことしていて形がおかしい。
(……これ、荷物に見えるか?)
隣の車の運転手が、こちらを向いた。
「…………!」
さっと身体を縮める。
(俺は荷物。俺は荷物)
ただの荷物だ。
ちょっと形がおかしいだけの。
(形がおかしい荷物って、逆に怖くない?)
なら。
(ぬいぐるみ)
でかいぬいぐるみなら、多少形がおかしくても不自然じゃない。
(俺はぬいぐるみ。キモカワ系ぬいぐるみ)
よし。
これならいける。
「修也、さっきから何してるの?」
「きゅう!!(何でもない!!)」
「そっか〜」
梓は気にした様子もなく、楽しそうにハンドルを握っている。
「いい天気になりそうだね」
「きゅう(そうだな)」
布の隙間から外を見る。
空が白み始め、少しずつ明るくなっていた。
◇◇◇
しばらく走る頃には、すっかり日も昇っていた。
街を抜け、高速道路へ。
窓の外を流れていく景色も、少しずつ建物が減って山が増えていく。
「きゅう〜(おお〜)」
久しぶりに見る外の景色は、それだけで楽しかった。
「修也、見て。山、ちょっと色づいてるよ」
「きゅう!(ほんとだ!)」
「目的地は、テレビだともっと色づいてたよね。場所によって色合いが違うのも面白いかも」
「きゅう!(これぞ芸術の秋!)」
「ね〜。ゆっくり景色も見れて、これがドライブの醍醐味だよね〜」
「きゅう(そうそう)」
お気に入りの音楽を流して景色を眺め、時々ホワイトボードで話す。
(楽しいな)
そんな時間を過ごしていると。
「あ、次のサービスエリア寄るね〜」
「きゅ?(なんで?)」
「飲み物買いたいし、お手洗いも行っときたいから」
「……きゅきゅう(……なるほど)」
まだ六時半ごろで混雑する時間には早いが、サービスエリアには俺たちと同じように早朝から出かけている人や、休憩に立ち寄る人もいる。
「…………」
(俺、車で留守番じゃん)
サービスエリアの駐車場に車を停める。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね〜」
「きゅう(おう)」
「何か欲しいものある?」
ホワイトボードに『ご当地プリン。あったら』と書く。
「はいはい。見てくるね〜」
「きゅう!(よろしく!)」
梓が車を降りると、俺はすぐさま布を頭まで被った。
外から聞こえる話し声や足音にビクビクしながら、ひたすら梓の帰りを待つ。
(早く戻ってきてくれ……)
さっきまであんなに楽しかったのに、梓がいなくなった途端これである。
すると、よりによって隣に一台の車が停まった。
(おい)
人が降り、ドアが閉まる。足音が遠ざかるまで布の中でじっと耐え、完全に聞こえなくなってから、そっと隙間から外を覗いた。
(……行ったか?)
誰もいない。
(よし)
ほっと身体の力を抜いた、そのとき。
ふと、視線を感じた。
「…………?」
ゆっくりと横を見る。
隣の車の後部座席。
「…………」
犬が、こちらをじーっと見ていた。
(……え、何?)
犬はなぜか目を逸らさない。
(俺、ぬいぐるみだぞ。お前の興味を引くもんじゃないぞ!)
じ──っ。
(……見るなよ)
じ───っ。
(こっちを見るなよ犬ぅ……)
人間には見つからないよう必死なのに、なぜか犬にはめちゃくちゃ見られていた。
「ワンッ!」
「ぎゅっ!?」
突然吠えられ、身体がびくっと跳ねた。
「…………っ」
しまった。
(動いちゃったじゃん!!)
「ワン!」
(やめろ!それ以上騒ぐな!人が来る!!)
慌てて布の中で身体を縮める。
(頼むから早く戻ってきてくれ、梓……!)
そう願いながら待つこと数分。
「お待たせ〜。プリンあったよ」
「きゅう〜!(梓!おかえり〜!)」
「あと飲み物も買ってきた。修也も飲む?」
「きゅう!(飲む!)」
梓が車に乗り込み、ドアが閉まる。
それだけで一気に安心した。
「じゃ、そろそろ行こっか」
「きゅう!」
車がゆっくりと駐車場を出ていく。
隣の車を見る。
「…………」
犬はまだ、俺を見ていた。
(じゃあな)
「ワン!」
「ぎゅっ!?」
最後まで吠えるんかい。
◇◇◇
それからは途中で何事もなく、車は目的地へと近づいていった。
山道へ入る頃には、窓の外の景色もすっかり変わっていた。
赤や黄色に染まった木々が増え、テレビで見た景色が少しずつ近づいてくる。
「わぁ……!」
梓が嬉しそうに声を上げる。
「修也、見て見てっ!すっごい綺麗!」
「きゅう〜!(おお〜!)」
布の隙間から外を覗く。
前に来たときは青一色だった山が、今日は赤や黄色に染まっている。
同じ道のはずなのに、まるで違う場所みたいだった。
『前と全然違うな』
「ね〜。また来てよかったね」
「きゅう(ああ)」
やがて、見覚えのある景色が見えてくる。
前にも二人で歩いた道や、泊まった温泉旅館。
記憶に残っている景色が、車の窓の向こうを流れていく。
(ほんとに来たんだな)
あの部屋から。
誰にも見つからないようマンションを抜け出して、防犯カメラを避けて、猫に驚かされて、犬にガン見されて。
そこまでしてもう一度、梓とここへ来た。
「もうすぐ着くよ〜」
「きゅう!」
嬉しかった。
ただ、それだけだった。
◇◇◇
駐車場に車を停め、周囲を確認する。
「…………」
人影はない。
(よし)
朝早く来た甲斐があった。
今のところ、人はいないようだ。
「きゅきゅう!(よし!行ける!)」
「修也、準備できた?」
「きゅう!(うん!)」
巻いていた布を外し、ホワイトボードとペンを持つ。
車のドアを開け、外へ出る。
冷たい朝の空気が、身体に触れた。
「…………」
(外だ)
部屋の中でも、ベランダでもない。
久しぶりに、自分の身体でこんなに明るい外にいる。
「修也」
「きゅ?(ん?)」
「ねっ、久しぶりに手を繋ごうよ」
「…………」
梓が、俺に向かって手を差し出す。
その手を見る。
それから、自分の身体を見る。
手はない。
代わりに、触手を一本伸ばした。
梓の手のひらに、そっと乗せる。
きゅっと梓の指が、俺の触手を握った。
「行こっか」
「きゅう(うん)」
並んで歩き出す。
前にここへ来たときも、こうして手を繋いで歩いた。
あのときは、俺にもちゃんと手があったけど。
形は違っても、梓の手はあのときと同じだった。
「わぁ、すごい!」
少し進んだところで、梓が声を上げた。
遊歩道の両脇には、赤や黄色に染まった木々が並んでいる。
朝の光が葉の隙間から差し込み、歩くたびに景色が少しずつ変わっていく。
「前に来たときと全然違うね〜」
「きゅう(な)」
「あのときは全部緑だったもんね。それはそれで爽やかな雰囲気で良かったけどね!」
紅葉がひらり、ひらりと舞う。
「よし!キャッチするぞ〜」
梓が舞い落ちる葉っぱを追いかける。
赤い葉を一枚掴んでは、嬉しそうにこっちへ見せてくる。
「取れた〜!」
「きゅう〜(良かったな)」
紅葉の中ではしゃぐ梓を眺める。
(来て、良かった)
「おーい修也!どっちが多く取れるか勝負しない?」
「きゅう?(勝負?)」
「景品はさっきサービスエリアで買ったプリンだよ〜」
「ぎゅぎゅう!(それは俺のじゃん!)」
「はい開始〜!」
「きゅ〜!(ちょっ、待てって!)」
言うが早いか、梓はさっそく葉っぱを追いかけ始めた。
俺も負けじと触手を伸ばして、一枚。
もう一本伸ばして、二枚。
さらに三枚、四枚。
「…………」
(待てよ)
自分の触手を見る。
(俺、めちゃくちゃ有利じゃね?)
「修也、負けないからね〜!」
「きゅう!(おう!)」
ごめん、梓。
(その勝負、もう勝ったわ)
使える触手を総動員する。
右から一枚。左から二枚。頭上から落ちてきた一枚も逃さない。
「修也、すごい!」
「きゅう〜!(だろ〜!)」
梓が楽しそうに笑う。
俺もつられて笑った。
梓と手を繋いで、一緒に景色を見て、くだらないことで笑う。
(ああ、これだ)
俺が、もう一度やりたかったこと。
◇◇◇
ひとしきり紅葉で遊んだあと、俺たちは再び手を繋いで滝を目指した。
歩いていくうちに、水の流れる音が少しずつ大きくなっていく。
「あ、聞こえてきた!」
「きゅう!(滝だ!)」
梓が俺の手を引いて、少しだけ足を速める。
木々の間を抜けると、一気に視界が開けた。
「わぁ……!」
「きゅう〜!(おお……!)」
赤や黄色に染まった木々。その間を縫うように、大きな滝が流れ落ちている。
崖の遥か下にある滝壺へ、水が勢いよく叩きつけられていた。
初夏に見たときとは、まるで違う景色だった。
「すごいね〜!やっぱり来てよかった!」
「きゅう!(な!)」
「あ、修也。覚えてる?」
「きゅ?(何?)」
梓が少し先を指差す。
「前に写真撮ったところ!」
「きゅう!(ああ!)」
覚えている。
滝を背景にして、二人並んで写真を撮った。
今もスマートフォンに残っている。
「せっかくだし、今日も同じところで撮ろうよ」
「きゅう!(撮ろう撮ろう!)」
近くに人はいない。
梓はスマートフォンをちょうどよさそうな場所に置き、タイマーをセットした。
「修也、もっとこっち〜」
「きゅう」
梓の隣へ行く。
身体が触れそうなくらい近くに並んで、俺は触手を一本、梓の腕に絡ませた。
「はい、笑って〜!」
(今の俺、笑ってるって分かるのか?)
そう思いながら、カメラを見る。
ピピピ。カシャ。
「撮れた〜!」
「きゅう!(見せて!)」
二人でスマートフォンを覗き込む。
赤く染まった紅葉。
白く流れ落ちる滝。
その前に並ぶ、俺たち。
「きゅう〜(お〜、いいじゃん!)」
「…………」
梓から返事がない。
スマートフォンの画面を見つめたまま、動かなくなっていた。
「きゅう?(梓?)」
「…………」
なんだ?
さっきまであんなに楽しそうだったのに。
梓の顔を見る。
笑顔が消えている。
(…………あれ?)
有りもしない心臓が、バクバクと鳴っている気がした。
(……まさか)
梓の指が、ゆっくりと画面に触れ、写真を拡大する。
俺のところを。
「…………何?」
(気づいた……?)
そんな。
(今?ここで?)
今までずっと、俺のことを修也だって分かってたじゃん。
今日だって。
手を繋いで、一緒に笑って。
さっきまで普通に話してた。
「これ……何?」
梓の指が、震えている。
「きゅう……(梓)」
やめろ。
顔を上げるな。
こっちを見るな。
そんなことを梓に思ったのは、初めてだった。
「…………」
けれど。
梓の視線が、ゆっくりとスマートフォンから離れていく。
そして、俺を見る。
「…………」
目が合った。
「…………え?」
梓の顔から、すっと色が消え、一歩後ろへ下がる。
「きゅう……(梓?)」
俺がわずかに身体を動かすと、じりっともう一歩下がる。
さっきまで俺の触手を握っていた手が、だらりと下がっている。
「……何?」
今度は。
写真じゃない。
俺を見て、言った。
「きゅう……(梓……)」
「…………っ」
梓が息を呑み、さらに後ろへ下がる。
(まずい)
完全に、見えている。
今の俺が。
「きゅう、きゅう(大丈夫。俺だよ)」
できるだけ落ち着かせるように声をかける。
けれど、今の梓には意味なんて伝わらない。
「なに……それ……」
「きゅう……」
「なんで……」
梓の視線が、俺の身体を上から下まで彷徨う。
俺が少し動くたび、びくりと肩を揺らした。
(怖がってる)
分かっていた。
他人が俺を見れば、こうなるかもしれないことくらい。
だから今日だって、誰にも見つからないよう必死だった。
でも。
(梓が、俺を怖がってる)
それだけは、考えたくなかった。
「きゅう……(梓……)」
触手を一本、ゆっくりと伸ばす。
さっきまで手を繋いでいた触手。
「来ないで!」
「…………!」
伸ばしかけた触手が止まった。
梓は両手で頭を押さえ、その場で何度も首を振る。
「……あ、ぁぁ……違う、違うよっ!」
「きゅう……」
「だって!今まで……修也が……隣に、いて……」
言葉が続かない。
視線が俺とスマートフォンを行ったり来たりする。
「……っ」
梓の呼吸が、どんどん速くなっていく。
(落ち着け)
そう言いたい。
大丈夫だって。
俺は何も変わってないって。
「きゅう……きゅう(梓、大丈夫だから)」
「いや……」
また一歩、梓が下がった。
「きゅう……」
「いや……来ないで……」
さらに、一歩。
「…………!」
そのとき、気づいた。
(待て)
梓の後ろ。
もう、ほとんど余裕がない。
このまま下がったら──。
「ぎゅう!(梓!)」
咄嗟に近づく。
「来ないで!!」
「きゅう!きゅきゅう!(違う!後ろ危ないって!)」
触手を伸ばす。
梓をこっちへ引き戻そうとした。
「いやっ!!」
梓が俺の触手を振り払う。
「きゅう!(梓!)」
駄目だ。
これ以上、下がらせるな。
もう一度、梓へ触手を伸ばした。
「来ないでって!!」
梓の手が、俺の身体を強く押した。
ぐらり。
今度は、俺の身体が後ろへ傾いた。
(あ)
落ちる。
そう思った瞬間、反射的に触手を伸ばした。
何かに掴まろうとした。
そこにあったのは、梓の腕だった。
「えっ」
「…………!」
(しまっ──)
梓の身体が、大きく傾いた。
俺に引っ張られるように、前へ。
目が合う。
さっきまで恐怖に歪んでいた梓の顔が、今度は驚きに変わっていた。
身体が宙に浮いた。
梓の身体も、一緒に。
離さなきゃ。
そう思った。
けれど、もう遅かった。
視界いっぱいに、真っ青な空と、赤や黄色の紅葉が広がる。
さっきまで二人で綺麗だと笑っていた景色。
それが今は、ものすごい速さで遠ざかっていく。
梓がいる。
すぐそばに。
(ああ)
落ちる。
エンド6:事故




