第9話 理央のウソとホントの気持ち
『ちょっと用事があって遅れる。席で待ってて』
約束の木曜日。理央からメッセージが入った。すでに到着していたおれは『了解』とだけ返し、自分の飲み物を買ってきた。
フードコートで待ち合わせするようになって一ヶ月。おれが待つ側になるのは初めてだ。
理央はいつもおれより早くここに来て、飲み物や食べ物を用意してにこにこしながら待っている。毎回では申し訳ないのでお金を渡すと一応は受け取るものの、帰りにゲーセンで使い切ってしまうのが定番になっていた。
まさかこんなに続くと思わなかったが……、ところでテストはいつなんだろう。
ストローに口をつけたとき、きょろきょろと周りを見回している女の子と目が合った。
おれの姿を見て「あっ!」と指さす。
「いたいた。やっぱり天宮くんだ。だから言ったでしょ!」
「あの噂は本当ってこと? うそでしょ~」
一人に続いて、もうひとり。机の間を縫って二人の女子が近づいてくる。金色に近い派手な髪色と濃い化粧。ピンク色のリボンは理央と同じ西高生だ。
「天宮くん。ひっさしぶり~」
「全然変わってないね~」
ひらひらと手を振られるが、あいにくと心当たりがない。
「あの……どちら様ですか?」
「覚えてないの?」
「ひっどー!」
それぞれに名前を言われ、中学で同じクラスだったことを思い出した。クラス内ではほぼ絡みがなかったし、分厚い化粧のせいもあって全然気がつかなかった。
「久しぶり……だけど、おれに何か用?」
二人は見合わせて思わせぶりに微笑む。
「用っていうか、ねぇ?」
「お願い、かなぁ。だってこのままじゃ理央くんが可哀想だもん」
椅子を引っ張ってきておれを挟むように座った。
懐かしい昔話をしにきた、という雰囲気ではない。
「学校でね、理央くんが毎週ここに来てるって噂があったの。帰りにわざわざ遠回りして」
「天宮くんと会ってるってホントだったんだ。よその高校なのに」
棘を含んだ言い方だった。
たしか二人とも中学時代に理央に告白して玉砕していたはずだ。仲を取り持つよう頼まれたこともあったけど、面倒だから断った。まだ恨んでいるのかもしれない。
でもなんでここに? 理央に話があるなら学校で言えばいい。同じ校内にいるんだからチャンスはいくらでもあるはずなのに。
「……で、おれに何のお願い? 理央に関係あること?」
二人はまた顔を見合わせて頷いた。一人が身を乗り出し、一人がスマホを構えた。動画を撮っているんだ。
「天宮くんさぁ、もう高校生なんだから理央くんに付きまとうのやめなよ」
「無理言って理央くんを呼び出しているんでしょう? 彼、すっごく忙しいんだよ。迷惑だって分からない?」
「――――は? おれが呼び出してる?」
青天の霹靂。
言ってる意味が分からなかった。
「全然違う。おれは理央から頼まれたんだよ。テスト勉強手伝ってほしいって」
至極まじめに答えると二人はほぼ同時にげらげらと笑い出した。
「テストぉ? そんなのとっくに終わってるよ。先月の話じゃん」
「しかも理央くん学年二位の高成績だったんだよ? 生徒会の仕事も忙しいはずなのに勉強もできるなんて凄すぎるよね」
テストは終わった?
学年二位?
生徒会?
なんだよそれ。知らない。聞いてない。
テスト勉強を教えてっていうあれは、理央のウソだったのか?
追い打ちをかけるように二人が耳元で囁いた。
「知ってるよ。天宮くん本当は西高志望だったんでしょう? 前に理央くんと話しているの聞いたもん」
「なのに橘田学園の制服着てるってことはもしかして……残念でしたってやつ? ぷぷっ!」
関係ないだろ、と言い返したかったのに喉が凍りついたように動かない。
どろりとした冷たい感情が広がり、指先が冷たくなっていく。
あの日、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋で、『不合格』の表示だけが点滅して、ベッドの中でうずくまって、涙を流しながら願った。
――『なんでおれだけ不合格なんだよ。理央も……』
一瞬でも願ってしまった。理央の不幸を。深い底なし沼に一緒に沈んで欲しいと願ってしまった。
そんな醜い自分自身に絶望して、また泣いた。
やっぱり、会うべきじゃなかった。
おれなんかが理央の隣にいていいはずがないんだ。
「朔……こっち見ろ、朔!」
ぐっと腕を引かれた。
ハッとして顔を上げると理央のキレイな顔がすぐ間近にある。
「理央……おれ……」
「言わなくていい。場所移動しようぜ」
飲み物とカバンを手に持ち、もう片手でおれの手を引いていく。そこで初めて自分の手が震えていることに気づいた。
「ちょっ、ちょっと理央くん!」
「待ってってば! 話を聞いて!」
二人が慌てて追いすがってきた。
理央は無視している。
「あたしたちは親切のつもりだったの」
「そいつが理央くんを束縛してるみたいだったから」
大股で歩いていた理央がぴたっと立ち止まる。
「――いま、朔を『そいつ』呼ばわりしたか?」
「「ひっ!」」
二人の顔が恐怖で引きつる。
「親切? 束縛? ふざけんなよ、おまえらに俺や朔のなにが分かんの?」
びりびりと痺れるような冷たい空気。
声音は静かだけど今までにないくらい怒っているのが分かった。
「わざわざフードコートまで来て嫌がらせかよ。しかも動画撮って脅すなんて最低だな。心底軽蔑する。だれに言われたか知らないけど、もう二度と俺たちに近づくな。金輪際、関わりたくない。……行こうぜ朔」
呆然とする二人を残し、おれの手を掴んでフードコートを出た。
ひと気のない駐車場近くのベンチへ連れていかれる。
「座ってて」
さっきとは打って変わった優しい声で告げられ、素直に従った。あんなに激怒した理央を見たのは久しぶりだ。
「遅くなってごめん。お詫びに、これ」
「……りがと」
自販機で買ったレモンソーダを差し出してくる。受け取るとき、少しだけ手が震えた。
「……いつから、来てたんだ?」
レモンソーダから顔を上げられない。気まずい。
「志望校の話してたあたり。あの二人、同じクラスなんだけど毎日絡んでくるからうざったくてテキトウにあしらってたんだ。まさか朔に八つ当たりするとは思わなかった。俺のせいだ。本当にごめん!」
背筋を伸ばして深々と頭を下げてくる。
おれは慌ててやめさせた。
「理央が謝ることじゃないだろ。言ってることは滅茶苦茶だったけど、落ちたのは事実だし……」
たぶん理央と同じ高校に行くために彼女たちも努力したんだろう。でも結局相手にされなくて、その鬱憤をおれにぶつけてきた。
端から見れば他校の元同級生が呼び出していると思われても不思議じゃない。
「理央、おれは、大丈夫。平気、だから」
必死に笑顔を作った。
同じクラスなら毎日顔を合わせるだろうし、険悪なムードになるのはあまり良くないと思う。時々しか会わないおれと違い、学校生活に影響する可能性がある。
「おれがちゃんと言い返すべきだったんだ。でも何も言えなかったから理央がかわりに怒ってくれたんだろう? ごめんな。不合格のことももう気にしてないから――」
口角を上げて笑おうとすると理央がやさしく頬に触れてきた。
「俺は、大事な人のことを笑われて平気な顔していられるほど大人じゃないよ」
どきっとした。
隣に座った理央は、顔を覗き込むようにして肩を抱いてくる。
「ずっと朔の隣にいたんだ。西高に行くためどれだけ努力して、苦しんで、泣いたのか知ってる。だから結果がどうあれ朔を笑うヤツがいたら絶対に許せない。さっきだって朔のためじゃない。俺自身が悔しくて悲しかったから怒ったんだ。だから朔も無理して笑わなくていい」
「…………理央……おれ、は」
「言って。朔の気持ち、ぶつけて。俺が全部受け止める」
ああ、理央の言葉は、どうしてこんなに真っすぐ刺さるんだろう。
俺の心の奥底に押し込めていた『汚い気持ち』が揺さぶられていく。必死に誤魔化してきた仮面が剥がれていく。胸の奥に押し込んでた気持ちがあふれだす。
「ほんと、は……悔し、かった」
「うん」
「あんなに頑張ったのに合格できな、くて、理央のとなりに、いられなくて……情けなくて……どんな顔して会ったらいいのか分かんなくて」
「うん」
「理央も、落ちてたら……って、一瞬でも期待した自分が、すごく、汚くて……」
「そんなことないよ」
「怖かっ……こんなに醜い自分を知られて、理央に嫌われるのが……」
「朔は綺麗だよ。今も昔も変わらない。だから安心して、好きなだけ泣いていいよ。俺の前では」
赤ん坊をあやすようにポンポンと背中を撫でられる。
もう限界だった。ダムが決壊するように涙が込み上げる。
「う……あっ……!」
おれは泣いた。泣き続けた。
理央の体にしがみついて子どもみたいに泣き続けた。




