第4話 強引な元親友
「……最悪だ」
トイレに行って気づいたのだが、さっきのラテが長袖シャツにも飛び散っていた。私立高校の制服は安くない。洗濯するにしても、少しでも落としておいた方がいいだろう。
ティッシュでごしごしと拭きながらも頭の中ではずっと理央のことを考えていた。
親友? 違うだろ。おれは理央を裏切った。心配してくれたアイツを「もう会わない」「連絡してくるな」と切り捨てた最低な人間だ。
「今更、どんな面して親友なんて言えるんだよ」
口の中がしょっぱい。変だな、ポテトもバーガーも食べてないのに。
ちがう。涙だ。
「朔。大丈夫?」
気がつくと横に理央が立っていた。慌てて目元を拭う。
「い、いきなり現れるなよ。びっくりするだろ」
「ごめん。なかなか戻ってこないから心配で。なにかあった?」
手元を覗き込んでくる。
「制服が汚れてたから洗ってるだけ。大したことじゃないから、先に戻っててくれよ」
「なら、手伝うよ。ティッシュ借りるね」
すっと手首を掴んでくる。血管の浮いた大きな手に握られた瞬間にどきっと心臓が跳ねた。
濡らしたティッシュを上に、乾いたティッシュを内側に入れてとんとんと叩くようにして汚れを移していく。
「あの、自分でできる、から」
「だめだよ。大人しくしてて」
顔がやけに近い。
長い睫毛の大きな瞳がじっと自分の手元に注がれているのは妙な気分だ。
こんなに距離が近いのは何ヶ月ぶりだろう。
昔から無駄にイケメンだと思っていたけど、こうやって横から見ても理想的な顔立ちだよな。
「なぁ理央、西高は楽しいか? あんなに行きたがってたもんな」
「……まぁまぁかな。そっちは?」
「うちか? 思ったより大変かも。テストが多いから勉強しなくちゃだし、校則や決まりごとが多くて窮屈に感じることも多い。でも校舎はキレイで設備も充実してる、食堂のメシも美味いよ」
私立だけあって最新のものが揃えられ、必要なものはなんでも手に入る。冷房がきいた教室は快適で過ごしやすいけど、中学のボロい校舎で理央と手で扇ぎ合った夏が懐かしくなった。
でも学校中を探しても理央はいないのだ。
「理央はどうせ高校でもモテるんだろう。彼女できたか?」
中学の時からモテ期に入っていた理央。また一段と背が伸びたみたいで、おれと違って腰のベルトの位置も高いし、手足も長い。イケメン王子として山田さんたちが噂するのも納得だ。
理央は「いないよ」と肩をすくめる。
「告白されても全部断ってる。どいつもこいつも俺の見た目ばっかり。よく知りもしない相手に告白されてオッケーするほど俺ノリ良くないよ」
「そう言って中学のときも彼女作らなかったじゃんか。断るとき『女の子に興味ない』って決まり文句で返すから、一時期おれとの関係が誤解されてたじゃん」
「はは、そんなこともあったね! だって女の子と付き合うより朔と遊んでる時間の方が楽しかったから仕方ないじゃん」
昔みたいに豪快な笑い声を出した。
たったそれだけなのに懐かしい気持ちがあふれそうになる。
「ところで朔の方は、彼女、できた? さっきの子、山田なんとかだっけ」
「彼女? ないない。非モテなのは相変わらずだよ。山田さんは全く関係ない」
「……そっか。お互いフリーってことだね」
どことなくホッとしたように目元を緩める。
「よし、これで落ちたかな」
「おお! すげぇ!」
まだうっすらと染みが残っているけどよく見ないと気づかないぐらい綺麗になっている。
「ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして」
ハンカチで濡れた手を拭いている。
中学の頃はそのうち乾くだろ、とぶらぶらさせていたのに急に大人に近づいた気がする。
たった半年でこれなんだから一年、二年と時間が経てば驚くほど変わるだろう。おれとの距離はどんどん開いていく。
でも仕方がないことだ。いつまでも隣にはいられない。
「ごめん、おれそろそろ帰るよ。今日は会えて良かった。また機会があれば――」
曖昧な言葉でその場を立ち去ろうとすると、
「朔、待って」
ぐいっと腕を掴まれた。
さらりと揺れる前髪の奥で、獣のような強い瞳がおれを捉えている。
なんだか怖い。
「は、はなせよ」
「イヤだ。端からこのまま消えるつもりだったんだろ。手を離したらまた会えなくなる。――そんなのは、やだ」
ぐっと腕を引かれて両手で抱きしめられる。
「ほんとに、ずっと――会いたかった。会いたくてたまらなかった。朔――」
泣きそうな声でおれの名前を呼ぶ。
鼻の奥がツンと痛くなって、なぜかおれも泣きたくなった。
抱きしめる腕は決して強くはないけど、抗えない。
やめろよ。優しくするな。
もう会わない、と決めた気持ちがぐらぐらと揺れる。おれだって本当は会いたかった。会って色んな話をしたかった。でも、できなかったんだ。
「朔、来週またここで会えないか? 俺は部活やってないからいつでも空けられるし」
「でも……」
約束したら理央を縛ってしまう。本命だった桜が丘西に合格した理央の時間を。
「ウン、って言って。じゃないと俺、自分でも何するか分からない――」
首の後ろにするっと手を差し込まれ、強引に上向きにされる。
なぜか唇に視線が吸い寄せられた。顔が近づく。吐息がかかるほど近くに。
「待て、冗談はやめ――ッ」
ぎゅっと目をつぶった直後、
「おーい、天宮! 大丈夫か!? 倒れてたりしないか!?」
杉本の良く通る声がした。
ハッとして理央から離れようとするが手首を掴まれたままだ。
「天……宮と、親友くん……?」
駆け込んできた杉本は状況を見てギョッとしたものの、申し訳なさそうにスマホを示した。
「えーと……取り込み中のところ悪い。オレ顧問の先生に呼ばれたから寮に帰らなくちゃいけないんだ。天宮はどうする? 山田さんはまだいるって言うけど……」
助かった。
「じゃあおれも一緒に帰……」
と動こうとしたが、
「まだ返事聞いてない」
と理央が力を込めてきた。コイツ、こんなに意地っ張りだったか。
「分かった、分かったよ! じゃあ来週の木曜日。それでいいだろ」
「――やった、約束だからね!」
パッと顔色が明るくなった。と同時に解放される。
さっきまで真面目な顔していたくせに次の瞬間には子どもみたいに無邪気に笑うところ、全然変わってない。
「あとは山田さんと仲良く話してくれ。じゃあな」
カバンを担いで走り出そうとすると、後ろからぎゅっと腕を回された。突然のことにつんのめりそうになる。
「また連絡する。――もし来なかったら学校まで迎えに行くから」
吐息とともに囁きかけられる。
「からかうなよ!」
乱暴に突き飛ばして走り出した。
理央は手を振っている。おれの姿が見えなくなるまでずっと。
駅までは全力疾走で約二分。
発車一分前の電車になんとか駆け込み、席に着いたところで急に心臓がばくばくしてきた。
おれ、理央に会ったんだ。半年ぶりに。
会って、話して、次の約束をした。
どうしよう、にやけ顔が止まらない。
おかしいな。自分から別れを告げたなのになんでこんなに嬉しいんだろう。
久しぶりに触れた手。
熱くて、力強かった。
今もまだジンジンと痛む。指の形まではっきりと思い出せるほどに。
「天宮、良かったのか? 親友くんともっと話さなくて……」
走り出した電車の中で杉本がこそこそと問いかけてきた。
おれは息を整えながら手すりに摑まる。
「へーきへーき。アイツとはなんでもないから」
なんでもない。
自分で言って、ようやく冷静になった。
そうだ。おれたちは同じ中学出身の『元親友』でしかない。今日会ったのもただの偶然。来週の約束だって無理やり交わされたものだ。ずっと続くわけじゃない。
何も変わらない。
おれたちはこれからも別々の高校のまま、別々の人生を歩んでいくのだから。
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