第11話 中学三年、夏 ―side理央―
俺は昔から国語が苦手だった。
特に、"次の文章を読んで「作者の狙い」や「登場人物の気持ち」を答えよ"――という設問が意味不明すぎて「そんなもん分かるか」と空欄のまま提出して先生に怒られることが多かった。
他人の気持ちなんて分かるもんか。
自分のこのモヤモヤした気持ちが何なのかも分からないのに。
夏休みまであと数日。
知らない子に中庭に呼び出され、案の定、告白された。
「ごめん、俺いま誰とも付き合う気ないから」
以前は「女の子に興味がない」と断っていたけれど、とある人物からクレームが入ったので「誰とも付き合う気がない」に変更することにした。
「……そうだよね。ごめん、ありがと」
顔をくしゃくしゃにした女の子は、遠くで見守っていた友人たちの元へ走り去った。
「夏帆泣くことないよ、がんばったよ」
「そうだよ。きっと五十嵐くんよりいい彼氏できるよー」
俺の方をちらっと睨む。まるで悪者扱いだ。
女の子は慰められながら校舎の方へ消えていった。
「お断りする方だってそれなりにメンタル削られるんだけどなー」
見上げた先には絵に描いたような夏空が広がり、太陽の光が容赦なく降り注ぐ。鉄板の上でじりじりと焼かれているようだ。たちまち汗が噴き出してくる。
「……あっちぃ」
もうすぐ中学最後の夏休みが始まる。
もしかしたら最後かもしれない、アイツとの夏。このモヤモヤとした気持ちを解消することはできるのだろうか。
俺、五十嵐理央は――とある男に、たぶん、欲情している。
「お! 五十嵐おかえりー」
教室に戻るとクラスメートの男子たちが迎えてくれた。
示し合わせたようなニヤニヤ顔に「また下らねぇことやってたな」とピンとくる。
「これで今月三人目! 高級アイスはおれのもんだ!」
「いやいやもう一人増えるかも知んねぇじゃん」
「あーぁ、二人って賭けてたのになんだよ五十嵐~」
どうやら夏休みまでに何人に告白されるか賭けをしていたらしい。人の気も知らないで勝手だよな。
呆れながら奥へ進むと窓際の席に座っている親友の姿が視界に入った。
「天宮くんって教え方うまいよね。この前の期末テストも助かっちゃった~」
「参考になったなら良かった」
クラスの女子と楽しそうに話しているのは俺の大親友、天宮朔だ。
短い黒髪にくりっとした大きな瞳。
身長163センチ。中三にしては背が低いことを本人は気にしているけど、小さくて可愛いから俺は好きだ。
「良かったら夏休みも勉強教えてくれない? 連絡先交換しようよ」
クラスの女子がスマホを取り出す。
イヤだ、と思った。
朔が俺以外のヤツと話してる。イヤだ。
俺以外のヤツに無邪気な笑顔を向けている。イヤだ。俺だけを見ててほしい。
どろどろとした黒い感情が噴き出してくる。
「ただいま朔! なーに話してんの?」
俺はたった今戻って来たばかりを装って二人の間に割り込んだ。
我ながら最低だな、と思いつつ、どうしても我慢できなかったのだ。
「い、五十嵐くん! な、なんでもない!」
女の子はそそくさと逃げていく。
連絡先交換を阻止できたのは良かったけど、朔は怒っているかも知れない。
「もしかして俺、お邪魔虫だった?」
「べつに」
朔は何事もなかったように机の上へ参考書とノートを広げた。ことあるごとに『受験生』と口にする朔は、前にもまして勉強熱心だ。俺に構ってくれなくなってちょっぴり寂しい。
「おかえり。ポッキー食べるか?」
俺が前の席に腰を下ろすと、定番の赤い菓子箱を差し出してきた。
ありがと、とお礼を言って一本引き抜く。口に含むとチョコの甘味が優しく広がった。
「朔ってさ、クラスのあの子と仲良かったっけ?」
「いや。テスト前に本屋でたまたま会って。数学が苦手だっていうから放課後に時々教えてあげたんだ」
「えー、俺には教えてくれなかったじゃん」
「理央は部活だったし理数系は得意科目だろ。国語は壊滅的だけど」
参考書に視線を落としながら朔自身もポッキーをくわえた。
ぷるん、とした柔らかそうな唇に視線が吸い寄せられる。
さっきの女の子はリップを塗ってキラキラしていたけど、朔の唇は元々赤みが強く、厚みがある。ポッキーを咀嚼する度に大きく動き、ちらりと歯が覗く。
――触れてみたい。
首の後ろに手を回し、強引に抱き寄せて、噛みつくようなキスをしたい。
そんな自分を想像して、ぞくっ、と肌が粟立った。
いかんいかん。ここ最近、暑さのせいかやましいことを考えてばかりだ。
「言っておくけど、あの子の目的は理央だよ。勉強中も理央の進路をしつこく聞かれた」
「そうなの?」
「進路だけじゃない。住所から家族構成、趣味、好きなもの嫌いなものまで根掘り葉掘り聞かれた。おれのこと、聞けば何でも教えてくれるAIとでも思ってるんだろうな。……ま、全部てきとーに答えたけど。あの子の中では理央は医者の息子でタワマンの上層階に住んでて、趣味はピアノとヴァイオリン、納豆やオクラみたいなネバネバ系大好きって設定になってるからよろしく」
「げ。なにひとつ事実じゃないんだけど」
朔はにやりと笑った。
「仕返しだよ。モテ男の親友は大変なんだぜ? おれに頼るくらい理央のことが好きで仕方ないんだろ。あー、熱い熱い」
暑さを紛らわすようにシャツの襟もとを掴んで風を送っている。汗で湿った肌にどきっとした。
「ところで今日の告白相手は誰だったんだ?」
「知らない。たぶん二年生。何度か帰り道で待ち伏せされていたことがあるから、告白される予感はしてた。清楚系の可愛い子だったよ。メイクもシンプルで俺の好みだった」
尤も、朔の童顔で愛らしい顔立ちには敵わないけど。
「一回くらい付き合ってみれば良かったじゃん」
「あのさ、新商品のお試しみたいに簡単に言わないでくれる? 女の子と付き合うのって大変なんだよ。毎日の電話やメッセージのやりとりは必須で、デートの場所やお金や服装……色々気を遣わなくちゃいけないんだから」
中二の頃にお試し感覚で交際したことがあるけど、相手のワガママに振り回されて大変な思いをした。求められることが多すぎて、それに応えきれない自分が申し訳なかった。結局一か月ももたずに別れた。
「付き合うなら自分から告白する方がいい。俺たぶん好きになった相手には一途に尽くすタイプだと思うんだ。……まぁ、今まで本気で好きになった人がいないっていうのがネックなんだけど」
テレビやネットに登場する芸能人や、道ですれ違った美人で胸の大きな女性を「いいな」と思うことはあるけど「好き」とは違う気がしている。
自分の全部をかけてもいいと思える相手。「運命の恋」みたいなのにちょっぴり憧れている。
「ねぇ朔は? 朔は好きな人いる?」
「いない。受験生だし、それどころじゃない」
「受験が終わったら?」
「その時になったら考える。好きとか尽くしたいとか……誰かの特別になりたいって感情、よく分からないんだ」
朔は真面目だ。そして優しい。
気まぐれに誰かと付き合うような無責任なことはしない。
「じゃあ受験が終わってお互い志望校に受かったら……俺と付き合ってみない?」
冗談のつもりで深く考えずに言ってしまったけど「案外それもありかもしれない」と思い至る。
朔と過ごす時間は楽しい。
毎日電話やメッセージのやり取りをするのもウェルカムだし、休日だって会いたい。手だってつなぎたいし、叶うならその先も……。チョコがついてる唇をつい凝視してしまう。
なのに朔の返答ときたら、
「断る。おまえ付き合うと執着強くて面倒臭そう」
と、あっさりしたものだった。
「ガーン! この俺を振るなんて……!」
何気に失恋したの初めてかもしれない。
「ひどい。速攻でフラれた。ひどいよ。慰めてよ……」
「はいはい。ポッキーもう一本やるから」
呆れながらポッキーを差し出してきた。
すかさずその手首を掴む。
「こら放せ」
「やだ。フラれた腹いせ」
しっかり握りしめて意地でも放さないつもりだった。
ポッキーを噛み砕きながら朔の手を引き寄せ、偶然を装ってぺろりと指先を舐める。
「悪ふざけはやめろ! 殴るぞ!」
威嚇するように拳を振り上げてみせるが、耳まで赤くなってるせいで説得力がない。
可愛いなぁ。
このまま抱き寄せて唇を覆ったらどんな顔するだろう……って考えた。
朔は恥ずかしがりやだから真っ赤になって激怒するだろう。
そして絶交宣言をするだろう。
うん、それはダメだな。夏休み前に関係がこじれるのはイヤだ。俺、朔と一日でも長く過ごしたいから。夏休みは図書館で受験勉強したり海に行ったり花火大会行ったりしたい。一時的な衝動で楽しい時間を棒に振るのはナシだ。
「ごめん。冗談だよ」
笑いながら手を放した。
本当はずーっと握りしめていたいけれど。
いまはまだ、我慢する。
「受験、頑張ろうね。で、お互い志望校に合格したらもう一回言うから真剣に考えて欲しい。……いい?」
顔を赤くした朔は、俺と目線を合わせようとしない。
ああこれはご機嫌損ねちゃったかな……? と心配になって顔色を窺っていると、やがてポツリと呟いた。
「……わかった。ちゃんと考える」
恥ずかしそうに瞳を潤ませる朔。
ぎゅっと抱きしめたい衝動をこらえ、俺は小さくガッツポーズした。
「ありがとう。そうと決まったら絶対に西高に行けるよう頑張ろうね!」
俺は、たぶん、朔に欲情している。
この気持ちが恋かそうじゃないかなんて、分からない。教科書のどこにも書いてないんだから。
ただ一つだけ確かなことがあるとしたら――朔は渡さない。絶対に。誰にも。




