尽れた桜の木を見て
東北のある山中に一人の女性が住んでいます。腰のあたりまである長い黒髪を生やした水色の着物がよく似合う美しい女性です。しかしこの女性は人間ではありません。この女性は雪女という妖怪です。しかし姿形は人間です。そのため時折人里に下りてきて人との交流を楽しんでいます。
雪女は深雪と名乗っています。いつ誰がつけた名前かは覚えていません。しかしそんなことは深雪にとってどうでもいいことでした。
深雪は氷彫刻家です。師匠である六花さんのもとで修行しています。六花さんも雪女です。
深雪の朝はいつも早いです。まだ日も昇らない時間に深雪は目覚めます。顔を洗って朝食をとります。食事を終えると身支度を整えて六花さんの職場である小屋へ出かけます。
六花さんの職場につくと深雪はおはようございますと挨拶をします。六花さんもおはようと挨拶をします。二人の一日は挨拶から始まります。
早速二人は作品作りに取りかかりました。一ヶ月後に開かれる氷彫刻大会に作品を出すからです。六花さんは小屋の外で、深雪は小屋の中で作品を作ります。
深雪は自分と同じくらい高さの氷で龍を作ります。イメージは龍が水面から水しぶきをあげ昇って行く様子です。
六花さんは氷鋸や平ノミ、角ノミなどの工具を巧みに使い分け本物と同じ大きさの桜の木を作っています。
深雪は苦戦していました。水しぶきや龍の鱗など一つ一つ丁寧に形作りをするのは簡単なことではありません。深雪は平ノミを床に置き、ため息をつきました。
深雪は小屋の中に置いてある六花さんの作品を眺めました。梅枝、鶴、虎……すべての作品が色までついていて本物のように見えます。
雪女は色をイメージしながら氷に手をかざすだけで色をつけることができます。深雪も氷に色をつけることはできるのですが六花さんのようにうまくつけることはできません。しかし深雪は色づけは得意な方でした。
ある程度休憩したところで平ノミを手に取り作品を作り始めました。
休憩しに六花さんが戻ってきました。六花さんは深雪の作りかけの龍を見るや否やまるで怪物でも見るかのような目つきそれを見つめました。六花さんは厳しい妖怪です。深雪に龍の鱗の大きさがばらばらで汚く見えるとか水しぶきが少ないとか龍の姿が単調すぎるとか云々……深雪は六花さんに褒められたことはありません。結局深雪ははじめからやり直すことになりました。じっくり時間をかけ色づけ以外は終わりました。
日が暮れ始めた頃に二人は作品作りをやめます。深雪は工具を片付け帰る支度をしました。支度を終えるとさようならと言って小屋を出ました。するとそこには作りかけの桜の大木が立っていました。しかしその桜には花はありません。まるで尽れているようでした。
深雪は桜が嫌いです。近づきたくもありません。桜はその美しさの虜になった人間の魂を吸うだとか死体の上に桜の木を植えるだとか庭に植えれば家を壊すだとか桜の紅は血を吸って色づいただとか桜は桜は……など不吉な話しか聞いたことがないからです。
不気味だなぁ
尽れた桜の木を見て深雪は思いました。
今日は週に一度の休日です。深雪は人里へ向かっていました。病院に用があるからです。
病院に着くと二階の病室へ行きました。そこには瑞花さんが入院していました。彼女も雪女です。深雪はお体の調子は大丈夫ですかと聞きました。瑞花さんは生まれつき心臓が悪い方です。瑞花さんはうん、態々お見舞いありがとねと笑顔で答えました。深雪は早くよくなるといいですねと言いました。それから二人は世間話をしました。病院でのこと、氷彫刻のこと……。
世間話も話のネタがなくなってしまったので私そろそろ帰りますねと言おうとしたときでした。瑞花おねぇちゃんと言いながら一人の少女が駆け寄ってきました。9~11歳ほどと思われる可愛らしい少女です。瑞花さんはあら、撫子ちゃんと笑顔で言い頭を撫でました。撫子ちゃんは深雪を見て、この人だぁれと瑞花さんに聞きました。瑞花さんはこの人はねぇ、深雪おねぇちゃんだよと言いました。深雪はしゃがんで撫子ちゃん、よろしくねと言いました。撫子ちゃんはわたしね、平野 撫子っていうの。よろしくと言いました。
一人の看護師が撫子ちゃん、検査の時間よと言って病室へ入ってきました。はぁいと撫子ちゃんは気の抜けた返事をして病室から出ていきました。瑞花さんはあの子はすぐ横のベッドで寝てるわ。医師がいうにはもう長くないらしいの。多分春には……と呟きました。深雪はえ、と声を洩らしました。
しばらくの沈黙。
瑞花さんはごめんね、重い話をしたかしらと言いました。深雪はいえいえと作り笑いをして言いました。
また来ます、深雪はそう言って病室を出ていきました。
その翌日、深雪は病院へ駆け込んできました。六花さんがあの桜の大木を作っているときに事故にあったらしいのです。深雪は三階の病室へ向かうと六花さんが横になっていました。
六花さんは深雪を見るとどうしたのと言って上半身を起こしました。深雪はそれは私の台詞ですからと言いました。続けて何があったんですかと聞きました。六花さんは風に足場を持っていかれたと言いました。深雪はふとこの事故はあの桜が引き起こしたのではないかと思いました。言うまでもなくそのようなことはあり得ません。しかし桜はあのように不気味な花だからと思うと納得できなくもなかったのです。
深雪はまた来ますと言って病室を出ました。そのまま家に帰ろうかとも思いましたがついでに瑞花さんに会ってから帰ることにしました。
深雪は二階に降りて病室へ入りました。そこに瑞花さんはいませんでした。しかし撫子ちゃんが瑞花さんのベッドに座って窓から外を眺めていました。深雪は撫子ちゃんに声をかけました。撫子ちゃんはあ、昨日のおねぇちゃんだ、と言いました。どうやら名前を覚えてくれていないようです。深雪は再度名前を言いました。撫子ちゃんは深雪おねぇちゃんと笑顔で言いました。
深雪はそこに座ってると瑞花おねぇちゃんが困っちゃうよと言いました。撫子ちゃんはだってぇ、ここからじゃないと見えないんだもんと言いました。深雪は何がと撫子ちゃんの横に座って言いました。撫子ちゃんは桜だよと指して言いました。撫子ちゃんの指の先を見てみると駐車場の隅に尽れた桜の木が立っていました。撫子ちゃんはわたしね、あの桜が咲くのずっと待ってるんだよと笑顔で言いました。深雪はそれを見て撫子ちゃんを哀れみました。あの桜が咲くころには撫子ちゃんの命は散ってしまうからです。
それから二人は桜の話をしました。あそこの桜は綺麗だよ、あの桜は見に行きたいな、といった具合に撫子ちゃんがひたすら話し続け深雪はただそれを聞くだけでした。深雪は桜のことについてはなにも知らないのです。あの不気味な木の話でしたが深雪はなんとなくおもしろく感じました。
撫子ちゃんは深雪に桜見たことあるよねと聞きました。深雪はうん、あるよと言いました。撫子ちゃんは深雪おねぇちゃんは一本の桜に何色なんしょくの色の花があると思うと聞きました。深雪は一色じやないのと答えました。撫子ちゃんは違うよ、花びらの数だけあるんだよ。みんな色が違うんだよと言いました。深雪はそうなのと言いました。
六花さんが戻ってきました。六花さんは撫子ちゃんを見ると桜見てたのと言いました。撫子ちゃんは笑顔でうんと返事をしました。六花さんは撫子ちゃんの横に座りどう、咲いてると聞かずとも分かっていることを撫子ちゃんに聞きました。撫子ちゃんはまだ咲かないと答えました。それから三人はしばらくの間外を眺めていました。
まだ咲かないの、意地悪だね
尽れた桜の木を見て深雪は心の中でそう呟きました。
深雪の朝はいつも早いです。まだ日も昇らない時間に深雪は目覚めます。顔を洗って朝食をとります。食事を終えると身支度を整えて六花さんの職場である小屋へ出かけます。
六花さんの職場に着くと深雪はおはようございますと挨拶をしませんでした。したとしても返事が来ないことは分かっていたからです。
深雪は早速作品作りに取りかかります。今回は練習として狼を作ります。
作業は順調に進んでいました。しかし完成に近づくとなぜか撫子ちゃんの笑顔であの桜が咲くのをずっと待ってるんだよと言っていたのを思い出しました。
深雪は出来上がった狼を眺めていました。今まで作った中で最も上手く作れた作品です。もう一つくらい何か作ろうかとも思いましたが氷がこれ以上ありません。
深雪は撫子ちゃんに桜を見せてあげたいと思いました。深雪は氷鋸を手に取りせっかく作った狼をギコギコ切り始めました。深雪は桜枝を作ることにしました。しかし深雪は桜の花がどんなものだったかいまいち思い出せません。悩んだ末に深雪は六花さんの桜の大木を参考にしようと決めました。
深雪は外へ出て桜を観察しました。その桜の大木は一部にだけ桜の花がありました。深雪はそれを見ながら桜枝を作りました。
桜枝は意外に簡単に出来上がりました。あとはこれに息を吹きかけて氷に妖気を宿させます。こうすると氷が解けにくくなります。これも雪女だからこそできることです。とは言っても深雪の場合は持って10日、暖房のきいた部屋に入れられると4日も持ちません。因みに六花さんは暖房のきいた部屋に入れられても1ヶ月は持ちます。
深雪は早速その桜枝を持って病院へ向かいました。その途中で花瓶を買いました。青藍色の小さな花瓶です。深雪は花瓶に桜枝を入れて再び病院へと歩を進めました。
病室には瑞花さんと撫子ちゃんがいました。撫子ちゃんは桜だ、と 言って深雪のもとへ駆けてきました。深雪はあそこの桜がなかなか咲かないから作ってきたと言って桜枝を渡しました。撫子ちゃんはいいの、いいのと小刻みにぴょんぴょん飛び跳ねながら言いました。深雪はいいよと笑顔で言いました。撫子ちゃんはわーい、わーいと今度は瑞花さんのもとへ駆けていきました。桜枝を見た瑞花さんはよかったねと撫子ちゃんの頭を撫でました。
深雪は撫子ちゃんにまたねと笑顔で言いました。撫子ちゃんもまたね と笑顔で言いました。
数日後深雪は病院の二階の病室に足を運びました。中に入ると撫子ちゃんが深雪に飛びついてお出迎えしました。瑞花さんはベッドに座っていましたが立ち上がってまた来てくれたのねと笑顔で深雪に歩み寄りました。
そして三人は瑞花さんのベッドに座り桜枝を見ながら桜の話をしました。言うまでもなく 雪女たちは 相づちを打つだけでした。上匂はすごくいい匂いすること、十月桜は春と秋に咲くこと、御衣黄の花は緑色であることなど色々話しました。そして最後に本物の桜をみたいと言いました。
それを聞いた深雪は撫子ちゃんにより本物に近い桜を見せてあげたいと思いました。どうしたら本物に近い桜を見せてあげられるだろうか、深雪は考えました。
色をつける
これしかないと思いました。
深雪は桜枝を一瞥しました。桜枝は少しずつ解け始めていました。
深雪はいつも通り六花さんの職場へ赴きました。すぐに桜枝を作る準備を始めました。しかし深雪は困ってしまいました。氷がないのです。この前の桜枝が最後の氷でした。深雪は六花さんがどこから氷を集めてあるいは買っているのか知りません。どうしようか悩んでいるときに深雪が作った龍が視界に入りました。色はまだついていません。六花さんに教わりながらしようと思ったからです。
深雪は迷いました。悩んだあげく氷鋸を取り出し龍の鱗を削ぎ落としました。
前回と同じように桜枝はあの桜の大木を見ながら作りました。
いよいよ色づけに入ります。深雪は色をイメージしました。氷に手をかざして色づけをしました。しかしその桜枝は実物とはかけ離れていました。何度も何度もやり直しましたが全く上手くいきません。
深雪はふと撫子ちゃんと二人で桜の話をしたときのことを思いました。
みんな色が違うんだよ
深雪は花びら一枚一枚わずかに色を変えて色づけをしました。すると桜枝は少しだけ本物の桜枝に近づきました。深雪は何度かやり直し、ようやく本物に近い桜枝を作りました。深雪は桜枝に息を吹きかけました。気がつくと辺りは暗くなっていました。 深雪は明日病院に持っていこうと決め家に帰りました。
深雪は本物そっくりな桜枝を手にして人里へ下りてきました。
桜といえばお花見かな、何か買っていこうかな。いや、撫子ちゃんに桜を見せるのが先か。
深雪は撫子ちゃんの笑顔を想像するだけで嬉しく思いました。深雪は歩を速めました。
深雪は病院の駐車場付近まで来ました。そこには尽れた桜の木が立っていました。深雪はその桜の木に近づきました。
これ、あなたにそっくりかな
尽れた桜の木を見て深雪は笑顔で言いました。勿論返事は返ってきません。深雪は再び歩き出しました。
二階の病室に着きました。室内の照明は薄暗く光っていました。撫子ちゃんがいません。六花さんは俯いてベッドに座っていました。手には空の青藍色の花瓶を持っていました。
深雪は六花さんに撫子ちゃんはどこにいると聞きました。六花さんは震えた声で死んだと言いました。深雪は……え、うそ……と手をふるわせて言いました。次第に六花さんの顔がぼやけて見え始めました。呼吸は荒くなりました。はらりはらりと頬を伝って落ちていく悲しみは雪のように冷たいものでした。
六花さんはあなたに伝えたいことがあるんだけどと深雪に言った。深雪は何ですかと両手で顔を隠して言いました。指と指の間から悲しみが流れ落ちています。六花さんは撫子ちゃんね、言ってたのよ。あなたの作った桜を見て……今まで見てきた桜の中でいちば…………一番……綺……麗だ…………て……。
六花さんは言葉は最後のほうは何を言っているかは分かりにくいものでしたが確かに深雪には伝わりました。深雪の胸の奥にある感情が一気に温められ、喉を通りそれは嗚咽となって現れました。頬を伝った悲しみも温められて喜びに変わりました。桜が咲くあの季節のように温かいものでした。
あれから数日経ちました。深雪は病院の駐車場にやって来ました。あの桜を見るためです。
私には何色の桜色が見えるだろうか。一色だろうか、二色だろうか、それとも花びらの数と同じだろうか。自分の目で確かめよう。今年の桜は絶対に見に行く。
尽れた桜の木を見て深雪は心に決めました。




