目の前の人を思い出さないと出られない部屋
何かが見ている。
それは透明で、両の瞳だけが見えている。子供くらいの大きさだろうか。イラストのラフ画のように塗りつぶされている赤い瞳が印象的だった。
俺は負けじとそれを見続けていた。2つの目玉がこちらを見つめているというなかなかホラーチックな現状だが、不思議と怖くは無かった。親愛のようなものを感じるからだろうか。……どこか懐かしいような、そんな感じ。
しばらく見つめ返していた俺だが、ふと、自分の今いる場所が気になった。
真っ白な、四角形の部屋。天井は5メートル程度。横幅は2.5メートルくらい。室内の明るさは暗くはないが、眩しくもない、ちょうどいい塩梅だ。
俺はどうしてここに居るのだろうか。会社の前の横断歩道まで来ていたことは思い出せるのだが……。
目玉の後ろには扉らしきものがあり、張り紙が書かれていた。
”目の前の人物を思い出せ。さすれば扉は開かれん”
……なるほど。どういうわけか俺は目の前の透明人間(?)と一緒に閉じ込められたというのか。それにしても、思い出せ? 目玉しか判らないこの状況で?
「あ、あー……君、名前は?」
無反応。そりゃあそうだ。だって口が無いのだもの。虹彩の動きで何か判るかも、とも思ったのだが、動く気配もない。なら次は……自己紹介、とか?
「俺は雨宮大樹。27歳の成人男性。一応……サラリーマンをやってる。よろしく」
反応があった。虹彩が上下に動いたのだ。よろしく、という言葉に反応したのだろう。少なくとも聴覚があることは判明した。じゃあ次は……。
「君は言葉を喋ることができる?」
虹彩が左右に動く。Noという意味か。水平思考ゲームのようにyesかNoの質問には答えることが出来る……ということなのだろう。多分。
「君は俺のことを知っている?」
上下に動く。俺のことを知っている存在、ということだ。
「君と俺はいつ会った? 俺が幼稚園生の頃?」
No。
「じゃあ、俺が小学生の頃?」
yes。小学生の頃に会ったということか。
「俺と君は年齢が近かった?」
No。
「俺はよく近くの神社で遊んでいたんだけど、その時に会ったことがある?」
yes。一か八かの質問だったが肯定された。神社で一緒に遊んでいた子ならある程度覚えている……というか、全員今でも付き合いがある。その中からあてずっぽうに選ぶか。
「山下祐樹くん?」
No。
「じゃあ、大嶺遥くん」
No。
「………………」
ダメだ。万策尽きた。神社で遊んでいた子と言えばこの2人だ。増えたことも、減ったこともない。それ以外……近くの神社は寂れていて、神主も居ない。たまに近所の親子が遊んでいるのを見かけたことがあるけど……もしかして祭りか? でも神社でやっていた祭りは本当に小規模なもので、地元以外の人が来ることはほとんど無かった。
「ヒント……ヒントが欲しい……」
ダメもとでそう言ってみる。強い願いが聞き届けられたのか、天井から1枚の紙きれが落ちてきた。紙にはこう書いてあった。
”瀬尾神社に祀られていた神様の名は?”
…………知るか!
え、本当に知らない。知っていたら「これヒントじゃなくて答えやないかーい!」ってできるんだけど、本当に何も知らない。
瀬尾神社というのは俺がよく遊んでいた神社の名だ。ああ、母方の祖父母が生きていたら神様の名前を教えてもらえたかもしれないのに! と俺は運命を呪う。
俺の祖父母は信心深い人で、よく瀬尾神社にお参りしていたそうだ。母もよく連れて行ってもらっていたようだが、お参りしている時間は退屈で苦痛だったと語っていた。
「もう少しこう、ヒントってないですかね……?」
そう言うとチッという音と共に1枚の紙きれが落ちてきた。誰か舌打ちした? そう思いながら紙切れを見ると、次の内容だった。
「12歳の夏、祭りの日に出会った子供の名は?」
祭りの日に出会った子供の名前~~? 俺は頭を捻った。地元の人以外滅多に来ない小さな祭りで知らない子供に出会ったとなるなら、覚えていないはずがない。俺は一所懸命になって当時のことを思い出す。
_ふと、太鼓の音が鼓膜を震わした。パッ、と記憶の蓋が取れるような音がする。完全に思い出したわけではないが、子供の容姿は思い出すことが出来た。
それと同時に、目の前の透明人間も姿を変えていく。茶色く長い髪に赤い瞳。顔立ちは中性的で、赤色の浴衣を着ている。まさに記憶通りの子だ。
「喋ることはできる?」
これなら彼自身に答えを聴けばいいと質問したのだが、彼は首をふるばかりで何も喋らない。
「指で文字を書くことは? ほら、俺の手のひらとかにさ」
右手を差し出すと、彼は笑顔で手を掴んだ。文字を書く気配は無い。自力で答えを探し出せということなのだろう。
「君_ヒントって出せる?」
ヒントを乞うてばかりだな、と苦笑しながらも彼が動くのを待つ。すると彼は着物の柄を指さした。描いてあるのは……鶴? 鶴がついた名前、ということだろうか。
鶴に関係した名前……俺は当時のことを思い出す。
鳥居の前。柱には折り紙の千羽鶴が飾られていて、俺たちはそれを眺めていた。
『綺麗でしょ?』
小さい頃の俺がそう言って得意げな顔をする。彼はこくりと頷くとこう言った。
『うん。僕の名前もこの千羽鶴から名付けられたんだよ』
『そうなの? なんて名前?』
「千羽鶴…………あっ」
思い出した。
「千鶴?」
そう言うと、彼女はパァっと表情が明るくなり、こくこくと頷く。あの夏に見た笑顔と同じだった。
「やっと思い出してくれた!」
千鶴はそう言って両手で俺の頬を包む。千鶴は怒りの表情でこう言った。
「きみ記憶力悪すぎ! 思い出せなかったらどうしようかと思ったよ……」
「ご、ごめん? ……というか俺、なんでここにいるの? どこここ?」
「ここはあの世とこの世の境目にある部屋。きみ、車に撥ねられて死にかけてたんだよ?」
そうだったのか。全然思い出せないけれど……嘘を吐いているようには見えなかった。だからたぶん、本当のことなのだろう。
「ほら、僕の後ろの扉から現世に帰って。最低でも50年くらいはここに来ないで」
グイグイと背中を押され、俺は扉の前まで来た。この扉を開ければ……現世に帰れると、そういうことなのだろう。
「最後に質問、いいか?」
「一つだけならいいよ。何?」
「なんでクイズ形式?」
千鶴は視線を泳がせる。
「君が思い出せないと姿が保てなくて生き返らせることもできなかったから……ごめんね」
「あー、いや。気になっただけだから。ありがとう」
ドアノブに手をかけひねる。扉はすんなりと開き、視界が白く染った_。
・
目が覚める。頭が痛い。俺が目覚めたことに気づいた看護師さんが医師を呼び出し、説明を受けた。
通勤中にトラックに撥ねられ病院へ運ばれたらしい。運ばれた時には瀕死の状態だったようで、こうして意識を吹き返したのは奇跡に近しいと言っていた。
俺は3ヶ月後に退院し、有給を取って実家へと帰っていた。意識を失っている間に見た……夢? の通りなら俺は瀬尾神社の神様に助けられたから、それのお参りに。
久しぶりに来た神社は寂れてはいるが手入れがされていて、この神社が大事にされていることが判る。特別な日以外は出入口の隣にある簡易的な賽銭箱に金を投げ入れるシステムで、俺は五十円玉を投げ入れる。
「俺の事を助けてくれてありがとうございます」
手を合わせて礼を言う。しばらくそうしたあと、俺は鳥居の前に来た。俺が彼と出会ったのはここだった。
当時、友達が軒並み風邪になって、俺は一人で祭りに来ていた。りんご飴だけ買ってさぁ帰ろうかと踵を返すと、鳥居の傍でうずくまっている子供を見つけた。
『大丈夫?』
具合でも悪いのかと近寄って話しかける。子供_千鶴は首を振って立ち上がる。
『大丈夫だよ』
『それならよかったよ。……お前、見かけたことないけどどっから来たの?』
『ん~。隣町からかな』
『隣町から!? 珍しいな。何もないのに』
『え~でも、活気にあふれてて楽しいよ』
千鶴は鳥居にかかっている千羽鶴を指さす。
『あれ、何?』
『千羽鶴だよ。毎年学校で作ってるんだよね』
『そうなの?』
『うん。綺麗だろ?』
千鶴は目を輝かせてこくりと頷くと、こう言った。
『うん。僕の名前もこの千羽鶴から名付けられたんだよ』
『そうなの? なんて名前?』
千鶴は社のほうを見ながらこう言った。
『_千鶴っていうんだ』
・
「あー、母さん」
「んー?」
実家にて。家庭菜園をしていた母に声をかける。
「尾瀬神社の神様なんだけどさ……」
俺は昏睡時の出来事を母さんに伝える。母さんは黙って聴いていたが、話が終わると「そう……」と感慨深そうにつぶやいた。
「あの神社の神様はね、昔から雨宮家を見守ってくれてる存在なのよ」
「そうなの?」
「えぇ。お母さん……あんたのおばあちゃんから教えられたんだけど、ご先祖様が罠にかかっていた鶴を助けたの。それが尾瀬神社の神様だったみたいで、お礼として子孫を見守ってあげるって言ってたらしいのよ」
「へぇ~……」
なんでも、千年以上生きて守り神になった存在らしい。
「母さんは信じてなかったからアンタには教えてなかったんだけど……そうなのねぇ。あそこの神様がうちの子を助けてくれただなんて」
母さんは何度も何度も頷くと、すっくと立ちあがった。
「じゃあお礼参りに行かないとね」
「あ、それはもう行ったよ」
「アンタはでしょ? 母さんは行ってないからねぇ。今から行ってくるから、晩御飯の準備、お願いしていい?」
「おー、判った」