迷宮管理者の約束 第一節
……トラルウィク、『魔城の迷宮』の管理者区域。
今回エレナが用意してくれた部屋は、初めてこの管理者区域へ入った時に通された一室によく似た――しかし、異なる家具が置かれた別の部屋だった。あちらは長テーブルに一人掛けの椅子がいくつも並んでいたが、こちらは多人数で座るための大きなソファと、それに合わせて低めのテーブルが用意されている。
「こほん……では、改めて」
と、軽く咳払いをしてから、スフィラがよく通る声で自己紹介をする。
「――スフィラという。クランス君は私が育てた」
「……無窮の書の使い方について、基礎を教えて下さった、という程度ですよね」
「なんだいクランス君、自分の扱いにまだご不満なのかな。たまにおやつも奢ってあげてるというのに、これ以上どう先輩風を吹かせればいいのか、私には思いつかないのだが。――あ痛っ!」
「……余計なことは言わなくていいです。僕は『自己紹介してください』としか、お願いしていないんですが」
クランスは、酒場で最初に会った時に交わした――『先輩』について今は語れないが、顔を出した時には自己紹介させる――という約束を、律儀に覚えていたらしい。
その約束が数週間を経た今、果たされた形になる。
「ああ、皆の紹介は省略してくれて構わないよ。フラムのことは言わずもがな、ノルド君に関しても、お噂は予々(かねがね)、というやつだ」
……その『お噂』は、クランスから伝え聞いたものなのか、あるいはヴェルラートに滞在していた時に耳にしたり、調べたりしたものなのか……。自己紹介の手間が省けるのはいいが――
「一方的に自分のことを知られてるってのは、複雑な気分だろ?」
トレーの上にティーセットを載せて運んできたエレナが、こちらの心情を汲んでそう訊いてきた。後ろには、同様にトレーを持ったレーデもいる。
「アタシも、初対面の時点で随分細かく調べ上げられててね……そりゃあ、メイネス・エン・ヴェーダに勤めてた頃は、それなりに有能な研究者だった自覚はあるし、情報は転がっていたかもしれないが……それにしたって、だ。探索者より探偵の方が向いてるんじゃないか、スフィラ」
「なるほど、そういうのも悪くないが……うん、迷宮に潜るのがしんどい年齢になったら考えようかな?」
どこまで本気なのかわからないスフィラの返答を聞きながら、エレナが茶の準備を進める。それを見たフラムが自分の出番とばかりに、するりと立ち上がった。
「お手伝いしますよ」
「ああ、それなら先にレーデの方を頼めるかい?」
「はい!」
フラムはにこやかに答えてレーデの横へ。……レーデも嬉しそうな顔だ。
その二人が手分けして、テーブルの上へケーキを配っていく。白いクリームに、苺の赤色が目に鮮やかだった。
「前より、歓待に手が込んでるな」
「一応は祝いの席だろう? それに、茶の淹れ方をフラムに教えてもらったからね、実践するいい機会ってやつさ。それとも、前と同じ安物の珈琲がお望みかい?」
「まさか。……まあ、余程変わった味の茶を出されたら、お願いするかもしれないが」
「そこは安心しな。巷で人気の茶葉って話だからね」
「……どちらかというと、ケーキの方が心配、かな……?」
レーデが恥ずかしそうに、俯き加減で付け加えた。
「と言うと?」
「……その、初めて作ってみたので……」
「……えっ、売り物じゃなくて手作りなんですか、これ!」
クランスが驚いて目を見張る。
こちらも、目の前のケーキをよく見てみるが――しっかりと観察してみれば多少、クリームの塗り方にムラがあるように思えはしたものの、言われなければ気づかない程度のものだった。
「……ですので、あんまり期待はしないでください……」
「ふふ、大丈夫ですよ。私もお手伝いしながら味見しましたから!」
頬を少し赤くしているレーデに、フラムが言う。なるほどフラムも手伝っていたのか、と納得する一方、
「どこにそんな時間があったんだ……?」
「む。なんか非難の意味込めてますかノルドさん? お祝いの席にケーキを用意するのはむしろ必要なことでは? 有意義な時間の使い方なのでは?」
「ああいや、単純に驚いてるだけだ。てっきり、忙しくしてるだろうと思ってたからな」
「そうでもなかったですよ。ヴェルラートの方々も、気を遣ってくださいましたし」
それは、あの激戦の後で休養を取ってもらうための心遣いだろうに――とは思ったが、これ以上要らないことを言っても、レーデがそれについて申し訳なく思ってしまうばかりなので。
「……ならいいが。元ヴェルラートの敏腕受付は、仕事も速いだろうしな」
と、適当に褒めておけば、フラムも悪い顔はするまい。
……いや、なんだか笑顔で青筋を立てられているような。今のは当てつけで言ったんじゃないぞ。
財宝の迷宮での決戦から、丸一日が経過したが――ヴェルラートは、元首不在の状態で様々な事柄への対応を迫られ、慌ただしい様子だった。
そして……自分はともかく、ヴェルラート出身のフラムと、財宝の迷宮の今後について大きな役割を担うエレナは、当事者としてかなり頻繁に連絡を取り、また、会議に出席する予定があるという。
「……ところで。結局、レウィンスは……どうしたんだ?」
上品な香りのする紅茶を飲む合間に、エレナにそう訊いてみる。
「その話を蒸し返すのかい? ……まあ、気になるのはわかるが」
顔を顰めながら、エレナが続ける。
「前にも言った通りさ。『一生出られないように閉じ込めた』。それ以上のことは、悪いが言うつもりはないね」
――その言葉は、倒れたレウィンスをエレナが『回収』した時に、通信機越しに言っていたのと全く同じものだ。
仮にレウィンスを捕らえても、地上で正しく裁くことは困難である――というのが、エレナの見解だった。
ヴェルラートの民に任せるとした場合、一部の民衆による私刑となってしまう可能性や、それとは逆に、レウィンスの方針に賛同する人々、場合によってはレウィンスに買収された者たちによって、罪を問わない方向に進んでしまうおそれもあった。国外で裁判を行う手も考えたというが、そもそも、それを担うに足る機関が存在していない。
ゆえに、エレナは自ら、汚れ役を買って出た。レウィンスを、魔城の迷宮の――ある特殊な隔離空間に閉じ込めたというのだ。
「心配しなくても、命は取っちゃいないさ」
……命は奪わず、しかし自由を与えることもなく、永久に拘留し続ける――それは、間違いなくエレナによる私刑と言えるだろう。
エレナ本人も、それが正しい行為とは言えないことを理解して――その上で実行に移していた。……あるいはそうして、自分の手を汚してでも制裁を加えることが、レウィンスの肉親としての、エレナなりのケジメだったのかもしれない。
「それと、あのクソ野郎がまた地上に現れるなんてことは、絶対にないから安心しな。仮にこの迷宮が維持できない状態になったとしても、人知れず地の底で骨になってるはずさ」
そう言ってティーカップを傾けるエレナの表情を見ても、その心情までは伺い知れそうになかった。エレナ自身、複雑な心持ちなのだろう。
「さて、この話はもういいだろう。何か面白い話のひとつでもないのかい?」
「……そういえば。あ、面白い話ではないんですけど、気になっていたことが」
フラムがカップを置いて、エレナに問う。
「魔城の迷宮には、特に被害はなかったんですか? レウィンスが管理権限を取り戻した時に、反撃がどうのとか言っていたような……」
「ああ、元通りにするのは少しばかり面倒だったが、深刻な被害はなかったよ。エントランスの幻影は管理系統を別にしてたから影響はなかったし、特に問題はないね」
「それなら良かったです」
「……まあ、仕事はだいぶ増えちまったがね。アンタたちを労う会が今日にずれ込んだのも、大体そのせいさ」
本当は豪勢な晩餐を用意したかったんだが、などと言いながら、エレナはフォークで切り取ったケーキの一片を口に運んだ。
「……まあ、この美味いケーキに免じて、勘弁してもらいたいね」
「もちろん。十二分ですよ」
クランスが即答し、さらにケーキを食べ進める。あのペースでは、すぐに食べ終えてしまいそうだ。
……さて、自分も頂くとしよう。




