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迷宮管理者の掟  作者: 鶴燈
第三章 - 迷宮管理者の暗躍
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迷宮管理者の暗躍 第二節

 魔城の幻影が施された迷宮――より正確には、その管理者領域――の、ある一角。もはや馴染みとなってきた扉を、軽くノックする。


「はーい」


 ――という、可愛らしい声の返事。それを確認してから、私は扉を開けた。


 入口から少し離れた本棚の前で、淡い水色の髪が揺れる。その持ち主である少女が私を見るなり、嬉しそうに笑って。


「今日もよろしくね、フラム」


 その『よろしく』というのは、私が家庭教師――の、真似事を任されているからだ。

 当然、それを任せたのはエレナで……より正確には、『家庭教師という体で、娘であるレーデの話し相手になってやってほしい』というものだったが。とにかく、今の私の役目はそれだった。


 エレナは今も、財宝の迷宮を制圧するための準備を進めている。

 曰く、その準備は本来、どんなに早くとも三週間は掛かるものだった……らしいのだが。ノルド、私、クランスの三人が、それぞれに手伝いをしてくれるなら――これを二週間程度まで縮められる見込みだという。

 その手伝いというのが、主に……物資の調達と、レーデの家庭教師(兼、話し相手)。そして、ヴェルラートに直接潜入しての工作活動、の三つだった。


 ヴェルラートでの工作役については、言うまでもなく――かの地で顔が知られておらず、なおかつ『無窮の書』によって隠密行動もしやすい、クランスが宛てがわれた。

 ……当のクランス本人は、隠密にも様々な制約や限界があるので、過度の期待はしないでほしいとか、『先輩』が魔城の迷宮でやったようなレベルの高い隠密行動は、自分には無理だとか……そんなことを言っていたが。


 ――クランスの『先輩』が、自分たちより先に、エレナの元を訪れていた――それを知った時は驚いたし、やはりこの胸はざわつきもした。

 しかし、今はそれについて深く考えても、埒が明かないので――この件が落ち着いたら、クランスをじっくり問い詰めることとして。


 残るお役目は、家庭教師か買い出しの二択となり――予想はしていたが、ノルドは『そういうことはフラムの方が得意だろう』と言って、迷わず買い出しの方を引き受けた。


 そうして、私には残った家庭教師の役が回ってきて――早くも一週間が経つ。


 ノルドも、暇になると時々顔を出してはくれるが、本当に時々だ。

 ……まあ、ノルドは元々口数が多い方ではないので、どうあれこの役は私が引き受けるしかなかっただろう。

 幸い、私は探索受付という職業柄、人と会話する機会は多かった。少なくともコミュニケーション能力においては、彼より上だと自負している。


「……それじゃ、今日は数学からかな」


「うん」


 嬉しそうに返事をしたレーデの横で、いつものように大きな長テーブルを広く使い、教材を広げていく。

 ここは本棚が多い部屋で、さながら、ちょっとした図書室のようだ。レーデの部屋はこの隣にあり、一人で勉強する場合はそちらに持ち込むこともあるらしいが――家庭教師の時間には、この部屋に来てもらっていた。

 さて、今日の学習内容は……これは、なかなか……。


 レーデは、数年前にエレナが地上で保護した子供なので、正確な年齢はわからないという話だったが――推定で十三歳前後と聞いている。

 そして、私もヴェルラートで中等教育までは受けてきたのだが……私の記憶が間違っていなければ、今、レーデが取り組もうとしている内容は、その中等教育の終盤で教わったものだ。つまるところ、レーデの学習ペースは、通常より一年以上も早いことになる。

 それこそ、あと数ヶ月もすれば――私は家庭教師というより、『一緒に勉強する友達』に成り下がってしまうことだろう。……それはそれで悪くない、と思う一方――仮にそうなった場合、私はレーデの学習ペースについていけず、ひたすら教えてもらう側になるであろうことも、容易に想像できた。


 エレナは――できることならレーデを、ちゃんと学校に通わせたかった――と言っていたが、これほど優秀なら、少なくとも知識面の心配は不要だと確信できる。

 ……だからこそエレナも、『話し相手になってやってほしい』と言ったのかもしれない。

 知識ではなく、人と関わる力――この社会で生きていくための力を、レーデに身につけさせるために。



   ***



 レーデの勉強は、特に滞りもなく進み――あっという間に、時計の針が一周半。内容の区切りも悪くはない。


「そろそろ、休憩にしよっか」


「はーい」


 返事をして間もなく、ノートの上を走らせていた万年筆を置いて、レーデが伸びをする。

 ――休憩、とは言っても、勉強の合間にも軽い飲食は挟んでいるので、どちらかというと目を休めるとか、部屋の外で気分転換をするような時間だ。


「フラム、休憩のついでに、ちょっといい?」

 レーデが立ち上がりながら、こちらを見て言う。

「他に用事とかなければ、なんだけど。ちょっと見せたいもの、っていうか……ついてきてほしい場所があるんだ」


 ……レーデからのお誘いは珍しい。

 こちらも、休憩中は時間を持て余しがちなので――その誘いに乗らない理由はなかった。


「うん、いいよ」


「やった――じゃあ、ちょっと遠いけど、ついてきて」


「……あ、一応訊くけど。『外』じゃないよね?」


「安心して、ちゃんと管理者領域の中だから! 外なんて出たら、エレナに大目玉くらっちゃうし」


 ……それを聞けて安心した。仮にレーデを連れて外へ出ようものなら、私の方は大目玉で済むかどうか。


 雑談をしつつ――廊下を歩き、曲がり、階段を二階分下りて、また歩く……道を覚えるのは苦手ではないが、似たような景色が続くこともあり、気を抜くと迷ってしまいそうだった。

 管理者領域の案内は、エレナにもある程度はしてもらったのだが――この辺りまで下りるのは初めてだ。


 前を歩いていたレーデが、通路の端にある扉の前で立ち止まる。


「このドアの向こうだよ。……景色が変わるけど、びっくりしないでね?」


 ちょっと悪戯っぽく笑って、レーデがその扉を開けた。


 ――最初に感じたのは、屋外のような眩しさ。

 それゆえに、まさか本当に管理者領域の外に出てしまったのでは、とも思ったが――私はその光景に見覚えがあった。

 青空と、遠くの山々の稜線、きらきらと日光を照らし返す湖面。足元には長く続く石造りの橋。……そして、聳える巨大な城。


 魔城の迷宮、そのエントランスで見た光景に相違なかった。


「――って、レーデ? ……ここ、本当に管理者領域から出て……ないの?」


 私からの質問に、レーデはさも当然というように。


「うん、出てないよ? 確かに、次元的に隣接はしてるけど」


 ほらあれ――と言って、レーデが遠方を指差す。

 その先には、私たちが立っているのとよく似た、もう一つの石橋が見えた。……さらによく見ると、その上を歩く人影がいくつもある。

 それを見咎める前は、この空間は単に、エントランスと同様の幻が投影されているだけかと思ったのだが――レーデの発言も合わせて考えると、どうやら本当に、エントランスと『次元的に接続』された空間であるらしかった。


「向こうからは、こっちは見えないようにしてあるんだって。まあ、そうじゃなかったらいろいろマズいから、当たり前だけど……」


 レーデの言葉を聞きながら――私は、この迷宮のエントランスを初めて訪れた時のことを思い出していた。

 ……あの時、ノルドが視線を感じたと言っていたのは、おそらくこの場所からレーデがエントランスを眺める、その視線を感知したということだったのだろう。


 だが、エレナはなぜこんなリスクのあることを、労力とコストを掛けてまで――と、そこまで考えてすぐ、その理由に思い当たった。……私がこうして遣わされた理由にも共通する。


「……これは、エレナの計らい? 外が見えるように、っていう……」


 私が訊くと、レーデは――嬉しそうにも、申し訳なさそうにも見える表情を見せた。


「……多分、ね。実際に『外』に出るのは、なかなか難しいから。せめてここから、外の……地上の人たちの様子が見えるようにって、気を遣ってくれたみたい」


 ――エレナから、ある程度の事情は聞いていた。無用なトラブルやリスクを避けるために、外出は最低限にしている、と。

 レーデはともかく、エレナはこの近辺でそれなりに長い間働いていたらしいので、顔を知っている者も少なくないようだ。万が一、迷宮に『非正規のルートで』出入りしていると知られでもすれば……大変なことになりかねない。

 もちろん、その『非正規のルート』――もとい、この管理者領域へ直接繋がっている転送陣は、簡単に見つからないよう隠蔽されてはいるのだが――転送の瞬間を誰かに見られでもすれば、周辺を調べられ、隠された転送陣の存在に気づかれてしまうかもしれない。


 そのような事情により、レーデは全くと言っていいほど外出することができず――この『魔城の迷宮』が、彼女を取り巻く世界のほぼ全てになってしまっていた。必然、話し相手もエレナただ一人……。

 そんな、狭く変化のない世界の中だけで成長してしまうことは――本人が外の世界を嫌っているのでもなければ――本来避けるべきだと、エレナもそう考えたのだろう。

 だからこうして、外に生きる者の姿を見せ、外からの者と話す機会を与えたのだ。


 ――レーデが橋の欄干に手を置く。施された幻影が、少し揺らいだ。


「フラムが私のところに来てくれるのも、エレナに頼まれたんだよね? ……あっ、それが嫌ってことじゃなくて」

 レーデが誤解を恐れるように言葉を継ぎ足す。

「フラムと知り合って、こうやって話せるのはすごく嬉しいんだ。ただ、エレナが私のことを想って……手を尽くしてくれてるなら、それは……そのことはちゃんと覚えておいて、いつか感謝を伝えなきゃって、思うから」


 そう言ったレーデの顔は、少し照れくさそうだったが――とても純粋で、優しい表情だった。


 ――私が家庭教師に来るまでもなく、レーデは素晴らしい人物に成長していたことだろう――その表情を見るだけで、私はそう確信できた。エレナの教育の賜物か、レーデの生来の性格かはわからないが、これだけ人を思いやることができる、優しくて賢い子であるのなら。

 ……当然、レウィンスのようなクソ野郎につけ込まれないよう、警戒心といったものも、鍛える必要はあるかもしれないが――善き人々との縁にさえ恵まれれば、その将来は明るいに違いない。


「……すごく、素敵な心がけだと思う」

 言って、我ながら月並な表現しか出てこないな、と内心で自嘲する。

「でも、今すぐ感謝を伝えちゃうのもアリだと思うな?」


「い、今すぐは……ちょっとなぁ……」


 想いはあれど、面と向かって言うのは恥ずかしいのだろう。その気持ちもよくわかる。


「じゃあ、私が代わりに伝えてきてあげちゃおっかな~」


「えっ、そ、それは待ってよフラムー!」


「ふふ。冗談、冗談」


 ……今、私たちを取り巻いている、この状況が落ち着いたら。レーデを連れて――いや、せっかくなら、エレナやノルド、クランスたちも一緒に。街を歩いて、おいしいものを食べたり……幻影でない、本当の絶景を楽しんだり……そんなことができたらいいな、と。

 遠くの橋を行き交う人々の姿を眺めながら、いつしか、私はそんなふうに夢想していた。


 エレナが言っていた通りなら、決戦の日まであと一週間程度。

 来たるべきその日と、さらに先の未来を思い描いて、私は決意を新たにする。


 それと同時に――前向きな気持ちで未来について考えることは、久しくなかったようにも感じ――私もまた、エレナの計らいと、レーデの存在に助けられていることに思い至った。


「……じゃあ、エレナのやることが片付いたら……二人で一緒に、お礼しに行こっか?」


 私からの提案に、レーデが不思議そうに首を傾げる。


「一緒に……? フラムも、エレナにお礼するの?」


「まあね。……そうだなぁ、どうせならプレゼントも用意して……そうなると、まず二人で外出してもいいか、訊かないとね」


 レーデが目を輝かせた。

 ……エレナが外出を許可してくれるかはわからないが、レーデ一人ではなく、私が同伴するのであれば、あるいはお許しが出るかもしれない。

 とはいえ、ただでさえ忙しくしているエレナの心労を、さらに増やすわけにはいかないので――いずれにしても、ヴェルラートの一件を片付けてからの話にはなる。


 ――それにしても、レーデからの期待の眼差しが凄まじい。

 これは私としても、応えないわけにはいかなくなってしまったな――などと思いながら、橋の欄干に寄り掛かった。


 そうして――休憩時間が残り僅かになるまで、私とレーデは幻影の橋の上で笑い合いながら、楽しいお喋りに興じたのだった。


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