魔城の主 第一節
前を行くノルドが、自慢の氷剣を閃かせ、小型の魔獣を連続で斬り伏せた。
「――後ろからも来ます!」
クランスの警告に、私は後方へと向き直る。蝙蝠にも似た有翼の魔獣が三体、横並びに飛んでくるのが見えた。
「お任せを」
魔力を充填した宝石を投げ――それが敵に最接近したタイミングで起爆。青白い雷光が弾け、それに打たれた魔獣たちが地に墜ちた。
そうして狙いを定めやすくなったところで、すかさず投げナイフを連続投擲――魔力によるブーストで十分な加速を得たナイフが、三体の魔獣の急所を、正確に射抜いた。
「これでよし、と」
手元へと戻ってくる宝石を受け止めながら。
「後方はクリアです」
……しかし、その報告への応答はない。
気づいてみれば、薄暗い迷宮の空間に響いているのは、私の足音ばかり。
――焦って振り向くも、そこにノルドとクランスの姿は、まるで最初からいなかったかのように、消え失せていた。
……何らかの罠にかかってしまったのだろうか。
想定外の事態に、思わず一歩後ずさって――ぴちゃ、という嫌な水音が、耳に届く。
……音の方向、即ち足元を見ると――暗碧色の床を覆い隠すように、赤黒い血溜まりが広がっていた。
その血は当然、私のものではない。
魔獣のものでも、ノルドとクランスのものでも、ない、はず――。
その血溜まりが、急に飛沫を上げた。
私は咄嗟に足を退けようとするが、それは叶わず――バランスを崩し転んでしまう。
そして、姿勢が変わったことで、なぜ足が動かなかったのか、その理由が理解できた――血溜まりの中から現れた、人の手が――私の足首を掴んでいる。
血溜まりから次々に手が現れる。両腕をも掴んで拘束され、服に赤黒い染みが広がっていく。
私は、否応なしに背筋が凍りつくのを感じながら――しかし、これはきっと『そういう罠』なのだと、そう自身に言い聞かせて。努めて冷静に、この状況を打破するための方法を考えようと――
「やあ」
――後方から、唐突に声が響く。
「やっと来てくれたんだ」
その声。
私が、よく知った――しかし、二度と聞くことは叶わないはずの、その声に。
それまでの思考が、全て白紙に戻ってしまう。
恐怖だけではない。罪の意識、悲しみ、嘆き――様々な感情が入り混じって頭の中を埋め尽くす。
唯一できたことは――後ろを、振り返ることだった。
「……酷い有様だろう? 我ながら、なかなかに凄惨な死に様だと思うよ」
頭からは流血し、片腕はなく。脇腹は大きく裂かれている。
それでも、その姿。
赤毛のポニーテールに、薄紫の瞳。見間違えようもない。
「……スフィラ、私――」
「言い訳かい? せっかくだし、聞かせてもらおうかな。私が深層に向かうのを止めずに、見殺しにした理由を、さ」
――言葉が、出てこない。焦燥も、混乱もある。だがそれ以上に――
「どうしたの? 今なら聞いてあげるって言ってるんだけど」
もう何を言おうと、何をしようと。
「……思いつかないのかな。じゃあ、しょうがない――」
謝罪も、贖いも、祈りも、慰めも。何の役にも立たないことを。
「――報いを受けろ。ここで死んだ――お前が見殺しにした、全ての人の分を」
私が許されることはない、と――思い知ったのだ。
***
カーテンの隙間から、黄金色の光が差し込んでいる。
上体を起こし、顔を顰めながらカーテンを開けた。
早朝の日光がベッドを明るく照らし出すのを、目を細めて耐え――頭痛と眩しさでくらくらしながらも、直近の記憶を呼び覚まそうと、思考の糸を手繰り寄せる。
……スフィラに、背中から心臓を貫かれたのは……夢だったようだ。
その、さらに前の記憶は――そうだ、魔城の迷宮から戻ってきて、クランスに夕食を奢ってもらい……酒を、飲んだ。
そこからは記憶が曖昧だ。
いったいどのくらい飲んだのか――記憶にあるのは一杯だけだが、記憶の飛び具合と、この頭痛からして――調子に乗って、相当な量を飲んでしまったのかもしれない。
そして、現在の状況は……窓から見える景色には全く見覚えがないものの、おそらくどこかの宿屋だ。
十中八九、ノルドが酔っ払いの介抱という迷惑を被ってくれたのだろう。
……さすがに、私が酔った勢いで、行きずりの男と一夜を明かした――なんてことはないと思いたい。
服は昨日着ていたものから変わっていないし、特に乱れてもいないので、その可能性は低そうだが。ベッドだってどう見てもシングルサイズ、なんならこの部屋自体が一人用の――。
と、そこでようやく。私が寝ているベッドの隣に、もう一つベッドがあることに気がつく。
そして、そこには――当然ではあるのだが――ノルドが寝ていた。
「よくも! やってくれやがりましたね! 人が泥酔したのをいいことに相部屋なんて!」
「……いや、まあ、悪かったが……そんなに怒ることか?」
「乙女の一大事ですよ! お嫁に行けなくなったらどうしてくれるんですか!」
「? 嫁に行く予定があるのか?」
「……ないですけど! そういう話をしているのではなく!」
ノルドは腑に落ちないといった表情で、未だベッドの上に座っている。
寝ぼけているわけではない……と思うのだが、彼がそんな調子なので、私もどう怒ったらいいのか、だんだんわからなくなってくる。
「オンターに薦めてもらった宿なんだが……二人部屋しか残ってなかったんでな。他にアテもなかったし、酔っ払いを連れてあれ以上歩くのは、気が進まなかった」
……そう言われてしまっては、反論できなかった――そもそも、泥酔したのは私の落度である。
一時の感情に任せてつい怒ってしまったが、それが落ち着いてくると……こうして怒っている私自身が、なんだか逆に恥ずかしくなってきて。
「……いや、まあ……自力で歩けないほど酔ったのは私が悪いので、今回はお咎めなしにしますけど……っていうか、別に二人部屋でも……いいですけど。心の準備というものがあるので! 一言ほしいです、事前に!」
などと、我ながら浅ましい発言しか出てこなかった。
「あと――私だからいいものの、他の女性に同じことしちゃダメですからね!」
「……? あぁ」
ベッドから降りつつ、ノルドが生返事をする。わかっているのかいないのか……。
「まあ、フラムの方も」
隣に立ったノルドが、頭一つ上の高さから言う。
「今後、酒には気をつけろよ」
「……それは私も、ちょっと――いや、かなり、反省してます。……おかげで、酷い悪夢も見ましたし」
確かなことはわからないが……頭痛もしていたし、あの悪夢も、きっと酒のせいだろう。
……あれが、単なる夢でよかったと、そう思う反面――夢で見たあの光景こそが、私の迎えるべき末路のようにも、思えてならなかった。
いずれ全ての問題を片付けたら、これまで私が重ねてきた罪――ヴェルラートの受付で、見て見ぬふりをしてきた犠牲者たちの存在に――向き合わなければならない。
いっそ、あの夢のように――スフィラたちが現れて、憎悪を込めた刃で、私のことを斬り刻んでくれたら。
それで彼らの魂が、幾分かでも安らぎを得られるのなら――そうしてほしいとさえ思う。
それほどまでに――そんなことでは到底足りないほどに、私の犯した罪は重かった。




