迷宮管理者の地上紀行 第六節
「思ったよりスムーズでしたね」
迷宮への転送陣を通り抜けてすぐ、フラムがそう言った。
――オンターと話した後、三人で歩きながら、一階に寄るか否かを相談した結果――僕とノルドはどちらでも構わず、フラムは折角なので見ておきたい、という意見だった。
ゆえに、僕たちが転移した先は、『魔城の迷宮』の一階。
地上の転送陣の前には待機列というほどのものもなく、特に滞りなく転送までを終えることができた。
……諸々の手続きや支払いなどで、受付が最も混雑するのかもしれない。
転送された先は石造りの、重厚だが飾り気のない部屋だった。それなりの広さがあり、部屋の反対側には開け放たれた大扉がある。
さらにその先には、遠くまで伸びる石の橋と――青空のようなものが顔を覗かせていた。
「おぉ……噂には聞いてたんですが、本当に空が……?」
フラムが我先にと、小走りで扉の方へと向かった。
――よく見れば、この部屋の窓からも日光が差し込んでいる。
迷宮というのは、ある程度深い地下にしか存在しないため、そのようなことは、本来あり得ないのだが――。
駆けていったフラム、そして前を歩くノルドに続き……僕も大扉をくぐる。
――幅のある石橋の上に、満遍なく――暖かな陽光が降り注いでいた。
見渡す限りの快晴に、空の青を映し返す広大な湖、遠くの山々の稜線……そして、石橋が続く先に高く聳える、荘厳な巨城。
まるで一枚の絵画を、現実に還元したかのような光景だった。
「これは……観光名所になるのも納得ですね」
それが地下空間に投影された幻影だとわかっていても、思わず息を呑んでしまう。
あるいは、幻影だからこその、完成された美しさなのかもしれないが……絶景であることに変わりはない。
「……こんな迷宮もあるんだな」
先を歩くノルドの表情は見えないが、その声は穏やかに聞こえた。
――前方から、フラムが興奮を隠せない様子で戻ってくる。
「いいですね、ああいうお城! 一日でいいから住んでみたいなぁ」
「幻だけどな、あれ」
「いえ、そういう話をしているのではなく。憧れません? お城暮らし」
「無駄に広いのは却って面倒だ。掃除の手間が増える」
「そこは、メイドと執事を雇う方向で」
と、自らメイド服を着込んでいるフラムが言ってのける。メイドから城主へのランクアップは中々に難しそうだ……と思ったが、そもそもフラムはメイドではなく探索者だった。
「……そういえば、フラムさんはなんでメイド服を?」
「ああ、これは趣味です」
そう言うとフラムが恭しく、かつ優雅に一礼してみせた。
三人で暫し雑談に興じながら、人の流れに乗って歩いていく。
湖の上に渡されたその橋は、途中で右に角度を変え、城門へと続いているようだった。
……ふと、僕はシンプルな疑問を口にしてみる。
「内部まで見学できるんですかね、これ」
「そうみたいですよ。この橋と、庭園と、城の一階部分まで合わせて『魔城の迷宮・一階』、だそうです。ついでに、三階くらいまでは全く敵が出ないんだとか」
……と、フラムが案内の書かれた紙片の内容を読み上げた。いつの間にそんなものを。
「なるほど、オンターが言ってた通りの――」
ノルドが急に言葉を切って、立ち止まった。
その視線が右を向いているので、僕もその方向を見てみるが――そこには誰もいなかった。
目を凝らしてみても、何も落ちていないし、浮いてもいない。橋の欄干と、その向こうに景色が広がっているばかりだ。
「どうかしましたか……?」
「気配……いや、視線だな」
ノルドが腑に落ちないといった表情で答えた。
「……隠蔽された監視装置か何かか……?」
――ノルドが所持している遺物については、既に説明を受けている。
おそらく、彼が持つ『第六感の結晶飾り』の効果で、視線を察知したのだろうと予想できた。
「……幻影に隠れて何者かが視ている、と?」
「おそらく、そんなところだと思うが……敵意は感じなかった。ひとまずは放っておいても大丈夫だろう」
「周りにこれだけ人がいると、下手に仕掛けるわけにもいきませんからね」
フラムもそう言って、うんうんと頷いてみせる。
「そもそも、何かしたところで、他に情報が得られるとも限りませんし」
「ああ。気にはなるが、今は様子見だな」
「もしかしたら、この迷宮の主が平和主義な方で、我々が長閑に観光する様子を陰から見てニマニマしているとか」
「……いくらなんでもそれは……いや、一階をこんなことにしているような奴なら、あり得るのか……?」
そんな二人の会話を聞きながら――僕は自らの視覚に、こっそりと新たな視界を重ねる。
壮麗な幻影が消え、その向こう側――迷宮本来の構造と、そこに立つ『何者か』の姿を。
僕だけが、誰にも悟られないように見透かした。
橋を渡りきり、城門をくぐり、庭園を抜けて。
「すごーい! 天井たかーい! きらびやかー!」
……と、普段の落ち着きが完全にどこかへ行ってしまったフラムを先頭に、城の内部を歩いていく。
確かに、豪華なシャンデリアや、鮮やかなステンドグラス、壁面から天井にまで施された緻密な装飾、それらに合うよう設計された家具類……外の絶景も素晴らしいものだったが、こちらは人工物の美を追求したかのような、至上の空間だ。
ただ――説明の難しい、僅かな違和感も同時に存在した。
……それは、あるいは迷宮であるがゆえに、壁や天井の繋ぎ目が不自然であるとか、切り貼りしたかのように反復する光景とか――そういうものが原因なのかもしれなかった。
そして、その違和感が、『ここが迷宮である』という事実を、脳裏に留めさせていた。
「クランス。体力の方は大丈夫そうか」
後方からノルドが問うてくる。
「ええ、まだまだ平気です。景色が開放的なので、普段より気疲れしなくていいかもしれません」
「そうか」
ノルドが満足げに微笑んだ。
「細身だから心配したが、伊達にランクⅣを取ってないな。……どちらかといえば、フラムの方が怪しいか……」
「……結構、はしゃいでましたからね……」
僕とノルドの数歩先を行くメイド姿の探索者は、今はまだ足取り軽やかに魔城を見学している。
「まあ、ヴェルラートを脱出した時に比べれば、か……疲れが残っていないといいが」
「……無理はせずにいきましょう。危険度の低い迷宮とはいえ、何があるかわかりませんし。焦ってもいいことはありませんから」
「そうだな。……だが、観光はそろそろ切り上げてもいいだろう」
そう言うと、ノルドが歩を早めて、興奮冷めやらぬフラムを連れ戻しに行った。




