帰り師 向日葵の日常 0番地 ~ キミワルイコ
気味が悪い子と良く人に言われる。
普通の人が見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりできるからだ。
子供の頃はそれが良く分からず、回りの人を困惑させたり、怖がらせたりした。
気味が悪いこというな。嘘をつくな。と、罵られることも多かった。
歳を経るごとに学習して、そう言うことを口走ったり、気取られないように注意するようになった。けれども一度ついてしまった汚名はなかなかに消えることはなく、『気味が悪い子』というレッテルは幾度となく目の前に現れては、私を苦しめた。
チリリン
ドアについた鈴が鳴り、お客さんが入ってくる。
背広を来た年配の男性だ。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
男の人は汗を拭きながら店内を物色する。私がバイトをしているのは個人経営のそれほど大きくも特色もない極々普通の喫茶店だ。窓際に4人が定員のテーブル席が3つ。そして、カウンターに5席ある。
今はテーブル席2つにお客さん。そしてカウンターに1席ずつ開けて2人座っていた。
「カウンターで」
と言いながらそのお客さんはカウンターの端っこに腰を落ち着かせた。
私は、喫茶店の一番奥、トイレの前のテーブル席へ一瞬視線を送ると、やっぱりカウンターを選んだかぁ、と思った。
そのテーブル席には誰も座ってはいない。
お客さんもそれには気づいている筈だ。入ってすぐにその席をぼんやり眺めていたから間違いない。
座らずのテーブル
他の席が埋まっていてもあのテーブル席に人が座ることはまずない。故にバイト仲間での通り名が『座らずのテーブル』だった。
マスターもあの席は人が座らないね、と嘆いていた。その度にバイトには「何か憑いているんじゃないですか」、とか「お祓いしてもらったら」とか言われていた。私はその度に「はい、あの席には憑いていますよ」、と言う言葉をかみ殺す。
その通り。憑いているのだ
私の目にははっきりと見える。
そのテーブル席に眼鏡をした男の人が1人、ずっと座っている。
男の人はうつむいたままじっと動かない。ただ、それだけで特に悪さをするわけではなかった。それでも見えない人にもなにかしら感じとるものがあるのだろうか、無意識であの席はなかったことにされるようだった。かくて『座らずのテーブル』の完成である。
勿論、そんなことを言う気はさらさら無い。
言えば、気味悪がられるか、祓ってくれとか面倒事を押し付けられるのが常だからだ。私は見えても霊を祓うとかできるわけではない。だから誰にも言わず、そ知らぬ顔でバイトをしている。
でも……
注文のコーヒーを運びながらチラリと男の人を見る。
いったいこの人はなんであんなところにずっと座っているのだろう。と気にならない訳ではなかった。
そんなある日の事。チリンと、いつものように鈴の音が響いた。
「いらっしゃ……」
そこで言葉を飲み込む。
入り口付近にすこぶる顔色の悪い女の人が突っ立ていた。
両手をぶらりと垂らし、目の焦点が少しおかしい。
ぐらりと大きくバランスを崩した。
そのまま倒れてしまうのかと驚いていると、倒れる寸前でなんとか1歩足を踏み出す。ゆらゆらとバランスを取り直すとまたぐらりとバランスを崩すように足を進める。ゾンビのようなその異様な動きに、最初、また普通の人には見えないものを見てしまったのかと思った。
ちらりとマスターの方を見る。
マスターもコーヒーカップを拭いていた手を止めて、その異様な女の人を見ていたから普通の変な人なんだと分かった。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
じりじりと近づいてくる女の人に半ば引きながら取りあえず声をかけてみたけれど、女の人は無言で私の横を通りすぎ、そのまま店の奥のトイレへ入った。
ウゲゲゲ ゲロゲロ
思わず眉をひそめたくなる盛大な声がトイレから漏れてきた。
飲食店でこれはもはや営業妨害レベルでは? と思わずにはいられない。でも、急な体調不良というのは誰にでもあることなので仕方ないと思うし、さっきのあの様子も納得がいく。余程調子が悪かったのだろう。
ま、そういう時もあるよね。あっ、出てきた。
うわっ……
頬がさっきより痩けて、両目は虚ろで今にも白目を剥きそうにぴくぴくと痙攣している。
少し休んでいったら、と言うべきか早く病院に行ってください、と提案すべきか悩ましい。
女の人はそのままふらふらとお店から出ていこうとしたけど、ふと例の『座らずのテーブル』の前で立ち止まった。少しの間、テーブル席を見ていたが、心底疲れたというように息を吐き出すとすっとテーブル席に腰をおろした。
背後で微かにマスターの息を呑む声が聞こえた。
私も驚いた。
あの『座らずのテーブル』に人が座っているのを見るのはこれが初めてだ。余程体調が悪くて立っていられないのだろう。
真意は分からないけれど席に座られた以上はお客様なので取りあえずお水を置いた。
「ご注文は? 後にしましょうか?」
「ええっと、クリームソーダで」
メニューも見ずに女の人はそう言った。
あの『座らずのテーブル』に座った人はどうなんるんだろ、とふと思った。
座ったらなにか障りがあるのではないだろうか?
だとするとただでさえ調子の悪そうなあの女の人は大丈夫なのか? 余計体調が悪くなったり、最悪死んでしまったりしないだろうか、と心配になり戻る途中、様子を見るために振り向いた。
「えっ?!」
思わず声が出た。
女の人は頬杖をつき、正面に座る霊と談笑していた。
何を喋っているのか聞き取れなかったけれど、女の人は確かに微笑みながら男の人に話しかけていた。男の人も頷いたり、たまに女の人の方へ顔を向け答えたりしていた。
あの人にも見えるんだ……
正直、驚いた。見入っていると不意に女の人が私の方を見た。
まともに目があった。
一瞬の間の後、ニィッと女の人が微笑んだ。
心臓がどきりと震え、反射的に目を反らした。
気づかれたかも……
ずっと見ていたこと、いや、私にも『あの人』が見えていることに気づかれたかもしれない。余計なことを言われたくないので慌てて背を向ける。
「あれ、さっきのお客さんは?」
声をかけられなかった事にほっとしていると、マスターがクリームソーダを持ったまま聞いてきた。
何を言っているのだろうと思いつつ、『座らずのテーブル』へ振り返ると誰も居なかった。
「えっ? いない……」
テーブル席には誰も座っていなかった。女の人は勿論、いつも座っていた例の男の人もいなかった。
「困ったなぁ、出てっちゃったの?」
マスターがやれやれと呟く。
そうなのだろうか? 鈴の音もさせずに出ていったのか? もしかしたら2人ともこの世の人ではなかったのでは、と思えてきた。
「マスターもあの女の人を見ましたよね?」
「うん? なに言ってるの。見たに決まってるじゃない」
マスターは怪訝そうな目を向けてきた。
「あっ、いえ。ですよねぇ~。どうしたんだろ?
わ、私、ちょっと外見てきます!」
変な空気になりかけたので外に飛び出した。
左右を確認するとさっきの女の人が歩いているのが見えた。隣にはいつもテーブル席に座っていた男の人がいた。その光景に混乱する。一体なにがどうなるとこんなことになるんだろう。
2人(?)は仲良く角を曲がって姿が見えなくなった。。
「あの! ちょっと待ってください」
彼女達に追いつこうと声を上げて走り出した。
ようやく角を曲がり、2人の姿を探す。
すぐ先にバス停があり、バスが止まっていた。女の人はバスに向かって手を振っている。男の人の姿はなかった。
男の人の姿を求め周囲を見回すがどこにもいない。そうこうしている内にバスが発車した。残っているのは女の人だけだった。
「あ、あの……」
バス停まで行って女の人に声をかけた。
「あら。あなたはさっきの喫茶店の人?」
好奇心に負けて思わず声をかけてしまったが、女の人が振り向いた時にはもう後悔していた。次の言葉が思いつかないのだ。
あの男の人はどうなったのか? と、聞く事ができない。聞けば、私にも見えると白状するようなものだからだ。
「あの、えっとクリームソーダ……」
「えっ? ああ、ゴメン。とても飲む気にならないからもう良いわ。
お代は払うから、あなたが飲んじゃってよ」
女の人は千円札を取り出した。
「あっ、ではお釣……」
「良いの、良いの。それも取っといて……
うん、どうしたの。まだ何か聞きたい事でもある?」
お札を渡されて戸惑う私を女の人は探るような眼差して見つめる。そして、悪戯っ子のような笑みを浮かべ、さらっと言った。
「例えばさっきの男の人の事とか?」
心臓が飛び出そうになった。
「男の人の事?
えっ、えっ? お、男の人ってなんの事でしょう」
「あははは。良いのよ、別に隠さなくったって。
あなた、見える人なんでしょう?」
慌てて誤魔化そうとするけれど、女の人は笑いながらそれを一蹴する。
「ふぅ。ちょっと腰かけて良いかな。体がしんどくてね」
女の人は返事も待たずにバス停のベンチへ腰かけた。さっきよりは顔色は良さそうだったけれど青白い顔色なのは変わっていない。額にはうっすらと汗が浮いていた。体調が悪いのは嘘ではないのだろう。
「調子悪いのならお医者さんに見てもらったほうが良いのではないですか?」
「ああ、良いの良いの。医者とか薬で治るもんじゃないから。全ては時間が解決してくれるのよ。
ってことであなたもここに座って頂戴。少しお話ししましょう」
ベンチをぽんぽんと叩いて座るように促された。普段なら絶対に座らないだろうに、その時はなんとなく座ってしまった。
暫くどちらも黙っていた。
その女の人は私の方を値踏みをするよな不躾な視線を投げかけてくる。
くすぐったく居心地も悪い。それでいて何故だか暖かいものに包まれるような安心感もあった。この居心地が悪いのに安心という奇妙な感覚に私は痺れたように動けなくなぅていた。
「あの男の人ね。会社が倒産したのよ」
女の人は独り言を言うように喋り始めた。
「それで、あの喫茶店で家族にどう言おうが随分迷って、迷って、それでも結論が出なくて。お店閉まって外に出てもどう言おうか迷っている内に交通事故に遭って亡くなったのよ。
死んじゃってからもどうしようかってずっとあの席で悩んでいたのね。
これからどう家族を養っていこうか。
どう謝ろうか。
なんて言おうか。
ずっと考えて悩んでたみたい。なんか悲しいわよね」
バス停のベンチの背もたれに身を任せたままその女の人はとうとうと話続ける。それはあの座らずのテーブルの男の人の話なのだろうか。
「そんなことをうじうじ考えていても仕方ない。ちゃんと家に帰って家族に伝えなさい。勇気がないなら一緒に行ってあげるって言ったの。
でね、ここまで来たらね、後は1人で行けますって言ってバスに乗っていっちゃったわ」
「いっちゃったって……男の人がですか?」
「そうそう。あの男の人の家族はまだ同じところに住んでるし、それに皮肉な話なんだけどね、あの人の生命保険で家のローンも払えたのよね。
それから色々あったようだけどまあ残された家族はみんなそれなりに幸せのようだから。あのまま1人で家に帰っても大丈夫かな」
「大丈夫って、どう大丈夫なんですか?」
「帰宅して、家族がそれなりに生活しているのを確認できたら満足して『あちら』に行くって事。
俗な言葉でいうなら成仏する? ってこと」
「なんでそんなことまで分かるのですか?」
「ふふん。それは企業秘密」
これは本当の事なのか?
口から出任せを言っているだけなのではないのか?
笑みを浮かべた女の人の胸の内を測りかねた。しかし、なんにしても、そんの事を得意気に話すなんて……
「あ――、今気持ち悪いって思ったでしょう」
女の人は愉快そうに笑いながら言った。
「見えちゃいけないものが見えるだけじゃなくて、そんなホラ話を吹聴するなんて気味悪いって」
図星だった。
気味悪い。本当に気味が悪い。そして、その言葉は自分にそっくり返ってくる言葉だった。
この名前も知らない女の人は気味悪い。だけど男の人が見えてしまう私もまた気味悪い存在で、見えてしまう以上、家に帰って安心して成仏する男の人の姿が想像できてしまう自分がたまらなく嫌だった。
ふっと、目の前に白い物が差し出された。
名刺だった。
『 櫛雲商会 代表
喜美和 涙香 』
「くしくも しょうかい だいひょう
きみわ るいか……?」
「るいこ、よ。涙の香りって書いて、最後の香は『こ』と読むのよ」
「キミワ……ルイコ……
本名ですか?!」
「プッ な、わけないでしょう」
涙香と名乗るその人は吹き出した。
「芸名? それとも源氏名って言う方が良いかなぁ」
「源氏名……って。ならもっと」
「もっとマシな名前にすれば良いのに!」
最後まで言わせて貰えなかった、と言うか先に言われた。
「嫌がらせ、って言うのかな。
ほら、世の中ってこう、本当の事を言っても嘘つきだとか、気味が悪いとか言う輩ばかりじゃない。基本、みんな自分の信じたい事しか信じないわけ。
ならさ、いっそキミワルイコで良いじゃない。そう言う意思表示。ってところかな。そんなつまらない評価に引っ掛かっているより、もっと大事な事が、やれる事、やらなくちゃならない事があるのよ」
「大事な事、やらなくちゃならない事ってなんですか?」
「死んでもなお帰る道を見失って思い惑う霊に帰るべき道を指し示し、帰る事。
私達はそれをする人を帰り師と呼んでいる」
「送り師……?」
「『帰る』と書いて『おくる』と読む。
ねえ、あなた。あなたも『帰り師』になってみない?」
「えっ? 私?!」
「そうよ。あなたにはその力があるわ」
「そんなの無理です。出来っこない」
「なんでそう思うの?」
「なんでって……」
怖いとか、やったことがないからとか色々な言葉か頭の中に湧いては消えいく。でも、どれも出来ない理由とはなにか違うように思えた。
「まあ、今すぐ決めろって事じゃないから。
気が向いたらその名刺に書かれている住所に来て頂戴。いつでも歓迎するわ」
黙りこんでしまった私に対して涙香さんはそう言って立ち上がった。
「良かったら、お名前聞かせてもらえるかしら?」
「私、ですか?
日葵。向日葵と言います」
「そう……、向、日葵……。
これも、またひとつの縁ね」
涙香さんはほんの一瞬遠くを見るような目をした。
「それじゃ、また会いましょう」
軽く手を振ると、ふらふらした足取りで歩いていってしまった。その後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
そして、また会いましょうと言われたけれど、もう2度と会うことはない、とその時は思っていた。
「日葵ちゃ~ん、日葵ちゃ~ん」
「はーい」
涙香さんに呼ばれた。
「日葵ちゃん、ちょっとお仕事頼みたいの。
えっと、これね」
部屋に入ると寝間着姿の涙香さんが1枚の紙を差し出した。ざっと中身を流し読む。
「病院に出る看護師さんの帰りですか?」
「そうそう。内容見る限りそんなに切迫してないみたいだから様子見程度でも良いのよ。
1人でやってみるのに丁度良いかも、と思って。
どう、1人でやってみる?」
「はい。やらせてください」
「そう、じゃあ、任せるわ」
涙香さんはそう言うとそのまま、布団に突っ伏した。今日も元気に体調不良のようだ。
紙に書かれた病院の住所を確認する。
町の中心から少し外れていて、結構距離があった。今から行くと夕暮れになる。でも、それがかえって初見には丁度良いかもしれない。
「早速行ってきます」
「あら、やる気満々ね。なら先方には今から行きますって話をつけておくわ」
「ありがとうございます」
立ち上がり部屋を出た。
カラリと戸を開け外に出る。少し傾いた初夏の日差しに目を細めた。
これもまた一つの縁
いつかの涙香さんの言葉を思い出した。
例え気持ち悪いと言われても、自分が大切だと思うならそれをやる。
だから……
私の名前は向日葵
帰り師をやると決めた
2023/08/06 初稿