1 異常
中学二年の夏。親が理由の転校が決まった。
ずっと地元の友達と一緒だった。それが転校とか。
暗く沈みながら、翌日、学校、いつもの教室に足を踏み入れた瞬間からだ。
見たことのないものが、クラスメイトたちの側に見えた。いた。
驚いて立ち止まりかけた。が、他のクラスメイトが僕に続いていたのでそのまま教室に入った。
それからやっと立ち止まり、驚きながら声も出さずに教室内を見わたした。
女子の側に、目がギョロリと大きな、小人みたいなおじさん・・・みたいな何か。その横の女子も同じだ。その後ろの女子も。
色彩は黒というより灰色。グロテスクで奇妙。
僕の様子が変なのだろう、クラスメイトも、その何かも、僕に気づいて見つめてくる。
「おー」
と、僕に朝の挨拶の声をかけたのは、親友だ。その側にも、目の大きな小さなおじさん・・・。他と同じだ。ギョロッと僕を見て、じぃと見つめてくる。
幻覚…? どういうこと。
「おー」
と、小さく、僕も普通を装って挨拶を返した。
とはいえ視界を持て余している。だけどこのことについて僕はどうして良いのか、反応できず、普段通り、自分の机に向かって、荷物をかけ、座った。
・・・僕にもいる?
自分の周りを見回した。
いない? 僕に見えないところ? 隠れてるんだろうか。
「どうした?」
という友達の声にもうまく説明できない気分だった。
「いや、ちょっと先トイレ」
と僕は立ち上がった。
鏡だ。鏡で自分の後ろを確認しよう。え、確認しない方がいい? まずい?
ついでにと、ついてきたクラスメイトと一緒にトイレ。
そして鏡の中を、勇気を出して確認する。
・・・何も見えない。普段通りだ。鏡の向こうは。
鏡の中にはいない。
直接隣を見ると、友達のそばにいる。つまり鏡には映らない様子。
なんだ。何なんだ。
奇妙だ。変だ。だけど皆は普通にしている。僕だけが。
落ち着け。
攻撃はしてこない。これは悪いもので、ない、かもしれない、可能性もある。
そう、いや、実は学校に連れてきていいペット。
いや、それはない。さすがに無理だ。そんな話聞いたこともない。
他の人は…気づいていない?
または、いて、当然?
全員で僕を試している・・・?
いや僕はそんなことに選ばれるキャラじゃない。
まさかこれが普通? 僕が今まで見えてなかっただけ。
分からない。
あとは、これは僕の幻覚。
真っ当な判断だ。可能性は高い。
ただ、そう認めるのは怖い。
もう少し様子を見るべきだ。
こうなってみて分かることは、少なくとも僕には、
「急に変なものが見える」
などと告白する勇気はないということだ。
僕が変だと、バレることを恐れている。
こんなに異常なのに。
***
教室に戻った。
奇妙なのが増えているのは、気のせいではない。
どうすれば。
あ。何もしないのが正解?
愛嬌があるなら良いのに、不気味で怖い方が強い。
今のところは、向こうは見てくるだけ。
僕以外には集まって・・・あ、集まってるところもある。なんだ。雑誌? 雑誌見たくて集まってる?
僕がじっと無口でいるまま時間は過ぎ、授業開始のチャイムが鳴り、担任の薗田先生が教室に入ってきた。
先生にも、何かがいた。
ただ、クラスメイトとはまた違う。まだ、怖くない。全然マシ。
能面の女の人のような、それが溶けて垂れ下がったような・・・。雰囲気は優しい。薗田先生が大人で女性だから?
というか、違う何かもいるんだ・・・。
いや、違うのも見えてる、ってことだ。
先生のはまだ雰囲気優しい何かで良かった。前を見るのがそこまで怖くない。
どうする? 薗田先生に相談?
あ、転校の話はしなければ。その時に一緒に?
どう言う。変なものが見えるようになりました? 頭が変だって話になるんだろう。あれだ、精神的なショックとか。ストレスとか。
本当にそうかもしれない。
まだ。転校まで時間はある。
今日すぐ言わなくても良いはずだ、困ったら相談…。
今? 言うほど困ってるのか?
分からない。全部全然分からない。
***
授業が終わって廊下に出た。クラスメイト以外の人はどうなんだろう。
廊下を見やった結果、生徒は皆、同じだった。なんていうか・・・慣れてきて例えが出てきたんだけど、沖縄のシーサーとか、鬼・・・ナマハゲみたいな、なんか、違うんだけどそんなのに似ている。僕にとっては。
そして、僕の前を、人間は普通に通り過ぎていくのに、何かからは見つめられ続けている。なぜだ。怖い…。
観察を切り上げようとしたところで、隣のクラスから先生が出てきた。橋本先生だ。
「ハンバーガー・・・?」
と僕は思わず呟いていた。
冴えない風貌の橋本先生の背中に、ハンバーガーのお化けみたいなのが引っ付いていた。結構大きい。
橋本先生は正直陰気なのだけど、ハンバーガーは明るく見える。
僕は少し首を傾げた。大人には違うものが見えるのかな。
そうだ、職員室だ。大人を見に行こう。
***
僕なりの結果。
生徒は、大体が同じ何かが見える。
中には違うのもあったが、そういう人は全員、話したことがない人だった。だから、何が違うのか・・・分からない。
比べて、先生たち、つまり大人は色々だった。そして、それぞれ、先生たちより大きいものが多かった。
一番雰囲気が優しかったのは担任の薗田先生で、担任で良かった。次はハンバーガーの橋本先生。
教頭先生の何かは黒くい大きなマントみたいな、近寄りたくないと思うタイプの何かだった。
ただ、怖い方が多く、優しく思える方が珍しい。
自分にもいるんだろうか。見えないってことはいない?
いないなら良い・・・。いや、自分にもいたら、じっくり観察できたのか? 観察したいか? いやしたくない。
変わりないように授業の後で部活もした。
今はもう夕暮れ・・・も過ぎて暗い。
僕は川を眺めて土手に座り込んでいる。
人間観察とか、考えを整理するとか・・・ではなくて。すぐに帰りたくなかった。
空腹だから最終帰るけど。
「どうした、日向くん」
自転車を止める音がした。降り仰げば、隣のクラスの橋本先生だった。ハンバーガーは変わらない。
「もう遅いぞ」
「はい」
そんなことは分かってます、と思う。けど口にしない。
「なんか大丈夫か」
と橋本先生は言った。
僕は少しだけ考え、先生は僕の転校とその理由も知っているからな、と結論を出した。そもそも職員室に報告しに行ったのは僕だ。
「はぁ、大丈夫です」
と僕は答えた。
大丈夫ってなんだろうな。大丈夫じゃないってどこからだろう。
「なんかあったら遠慮せず来いよー。薗田先生は女性だから、まぁ男同士が話しやすいこともあるしな」
「・・・」
「じゃ、そろそろ帰れよー。気をつけてな」
橋本先生は再び自転車に乗って去っていった。
後ろ姿、やっぱりハンバーガーのような何かが、僕に向かってたくさん、ヒラヒラとレタスのような手のようなものをはためかせていた。
「橋本先生ハンバーガー好きだろって言えば良かった」
と、僕はどうでも良いようなそうでもないようなことを呟いた。




