第8話 かつての宿敵
数週間後、俺は帝国内の僻地を歩いていた。
大きな街から離れた場所で、周囲は山や森が多い。
景色は良いものの、移動には苦労する。
老いた肉体には酷な地域であった。
(情報屋によるとこの辺りのはずだが)
俺は深い森を進んでいく。
やがて唐突に開けた場所に辿り着いた。
小さな湖の先に建物が建っている。
そばの花畑では、一人の女が屈んで手入れをしていた。
俺は歩み寄って声をかける。
「五十年前から変わらないな、ミザリア」
「……アッシュ・リーヴェライト。やっぱりあの噂は本当だったんだね」
「何のことだ」
「あんたが生きてるって噂さ。老衰でくたばるわけがないと思ってたよ」
作業の手を止めた女――ミザリアは立ち上がる。
切り揃えた銀髪に琥珀色の目を持つ彼女は、二十代半ばほどに見える。
しかし、こちらを探るような目付きは老獪で、外見と実年齢が乖離していることを示唆していた。
ミザリアの着る赤いローブには、術式の刺繍が施されている。
仄かに魔力を帯びており、彼女が臨戦態勢であるのが分かった。
俺の出方次第で仕掛けてくるつもりだろう。
緊迫した空気の中、俺は話を続けようとする。
「お前に少し話が……」
「ちょっと待ちな」
ミザリアが手で制して遮ってくる。
その直後、建物から数人の子供達が飛び出してきた。
彼らは一斉にミザリアのもとまで集まると、それぞれ元気よく話しかける。
「院長! これ見て! 上手にできたよっ」
「おや、器用だねえ。良い具合にまとまってるじゃないか」
「僕のも見て! みんなの絵を描いたんだ」
「ほう、こいつはすごい。将来は画家にでもなったらどうだい」
懐いた様子の子供達に、ミザリアは優しく応じていた。
その姿は、俺の記憶にある彼女とはまるで異なる。
先ほどまで見え隠れした冷たい殺気は霧散し、まるで聖母のような雰囲気で子供達と接していた。
違和感に困惑していると、少女がこちらを見た。
少女は目の前まで来て挨拶をする。
「お爺さん、こんにちは!」
「あ、あぁ……」
「院長のお客さんなの?」
「……そうだ。大事な話がある」
俺は答えながらミザリアを見つめる。
視線に気付いた彼女は、まだ話したがる子供達を離して指示を出した。
「あんた達、すまないが夕食の支度をしといてくれ。日没までには戻ってくるからね」
「はーい」
素直に頷いた子供達は建物の中へと戻っていく。
それを見送ったミザリアは歩き出した。
花畑を抜けて森の中へと踏み込む。
ここからの話を万が一にも子供達に聞かれないための配慮だろう。
俺は黙ってミザリアについていく。
「意外だな。凶悪だった死霊術師が修道院の経営か」
「戦時中はたくさんの命を奪ったんだ。罪滅ぼしで慈善事業くらいするさ」
ミザリアは歩みを止めずに述べる。
その背中からは、冷たく渇いた魔力が滲み出している。
彼女は高名な死霊術師だ。
正体は最上位不死者のリッチで、戦争時は数多の屍を使役して恐怖の権化となった。
敵対関係だった俺達は何度も殺し合った仲である。
故にミザリアの力や冷酷な精神性を知っていた。
だからこそ、彼女が子供達の世話をしているのが意外だった。
おそらくは正体を隠して接しているのだろう。
かつて混沌を制した死霊術師は、新たな人生を歩んでいるのだった。