第5話 英雄の悲願①
俺は枯れ木のような両脚で前に進む。
色濃い疲労を堪えてようやく辿り着いたのは小高い丘の上だった。
息を切らしながら大地の手のひらを当てて術を行使する。
魔法陣が広がり、そこに古びた棺桶が出現した。
表面を覆う結晶状の魔力が崩れて内部へと浸透する。
ほどなくして棺桶の蓋がずれて開いた。
そこから現れたのっは、精悍な顔立ちの男だった。
「ここは……」
上体を起こした男は、困惑した表情で周囲を見回す。
その容貌は間違いなくノック・レイルだ。
封印しておいた死体を解放すると同時に、魔術で命を吹き込んだのである。
レイルはこちらを見ると、目を見開いて驚愕する。
「お前、まさかアッシュか?」
「よく分かったな。五十年も経っているというのに」
俺は老いた自分の肉体を見下ろす。
四肢は痩せ細って皮と骨だけとなり、髪も真っ白になってしまった。
顔は皺だらけで張りがない。
昔の面影はほとんど失われているだろう。
しかしレイルにとっては、俺の容姿よりも看過できないことがあるらしい。
動揺する彼は棺桶から飛び出すと、掴みかかってきそうな勢いで問い詰めてくる。
「五十年だと!? 一体何が起きているんだッ!」
「落ち着け。それを今から説明する」
俺はレイルを宥めつつ、丘の先にある光景を指差す。
そこでは揃いの鎧を着た兵士が、逃げ惑う獣人を襲っていた。
木造の建物に火を放って物資を略奪している。
女子供は攫って馬車に詰め込んでいた。
「あれを見ろ。帝国軍が獣人の集落を滅ぼそうとしている」
「どういうことだ。和平条約があったはずだ。あのような蛮行、他の国が黙っていないぞ!」
「条約なんて意味がない。他の国も助けに来ない」
「なぜだ」
「世界は再び戦争を始めた」
俺の言葉にレイルが固まる。
その事実を信じられない、正確には信じたくないのだ。
俺はあえて残酷な真実を突き付ける。
「小さな不仲をきっかけに争いが生まれ、やがてそれが戦禍として広まった。もはや誰にも止められない」
「そんな……」
「平和など形ばかりのものだった。俺達が掴み取った新時代は、たった五十年しか保たれなかったんだ」
俺は皮肉を込めて論じる。
平和な時世でも本質的に戦いは望まれている。
皆が顔に出さないだけで、人々は憎悪を蓄積させてきた。
それが臨界点を超えて戦争を再発させた。
結局、きっかけなど何でも良かったのである。
きっと人間は殺し合うようにできているのだと思う。
レイルはよろめき、地面に膝をついた。
敵国軍による蹂躙を眺めながら、彼は乾いた笑い声を洩らす。
「は、ははは……人間って奴は、本当に……」
理解を超える出来事が立て続けに起きている。
精神的な衝撃は大きいはずだ。
しかし、ここで参ったままでは困る。
俺は話を本題へと移すことにした。
「お前の遺書を読んだぞ。すまなかった」
「どうして謝るんだ」
「同じ苦しみを持っていたのに、親友として助けてやれなかったからだ」
「……アッシュ」
レイルの眼差しに喜びと悲しみが去来する。
彼はそこから我に返ると、複雑な顔で尋ねてきた。
「なぜ自殺した俺を蘇らせたんだ。戦争の兵にするつもりか」
「半分正解だな」
「何!?」
レイルがまたも驚く。
まさかあっさりと肯定されるとは思わなかったのだろう。
それには構わず、俺は眼下の蹂躙劇を一瞥する。
「あれがお前の最後の戦場だ」
レイルの肩に手を置く。
そして、彼の目を真っ直ぐに見据えて告げた。
「弱き者のために命を捧ぐ。誇り高き騎士にとって最高の状況じゃないか」
肩に置いた手を動かして、レイルの胸に指先を当てる。
五十年ぶりに稼働した心臓は速まった鼓動を鳴らしていた。
俺は続けてレイルに宣告する。
「ちなみにお前の命は半日で尽きる。死者の蘇生は難しくてな。錬金術師の俺にはそれが精一杯だった。まあ、それでも大丈夫だろ。戦うには十分すぎる猶予だ」
「ひょっとして、俺の無念を晴らすためにわざわざ蘇生したのか……?」
「それ以外に理由が必要か」
平然と訊き返すと、レイルは目に涙を浮かべる。
俯いて必死に耐えようとしているが、地面に次々と滴が垂れ落ちていた。
悲しみではない。
たった半日の蘇生を心底から喜んでいるのだ。
最期に再び剣を振るえることを噛み締めて、レイルは静かに打ち震えていた。
俺は苦笑し、亜空間から鎧と二種の魔剣を取り出す。
「ちゃんと装備も用意したぞ。ここがお前の死に場所だ。存分に戦って死んでこい」
「……感謝する」
レイルは泣きながら装備を身に着けていく。
その顔付きが次第に変わる。
諦めと絶望から、燃え盛る戦意へ。
鎧を着込んで魔剣を構えた時、彼の表情は英雄の名に恥じない輝きを湛えていた。
レイルは丘の下を見つめて、次の瞬間には駆け出した。
彼はこちらを振り返って剣を掲げてみせる。
「ありがとう、生涯の友よ! おかげで俺は戦場で果てることができるッ!」
"二刀"の騎士レイルは丘を駆け下りていく。
彼の進む先には不可避の死が待っている。
それだというのに、背中は晴れやかな希望に満ち溢れていた。
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