わたしのひどい休日の話
朝方、早く起きてわたしはパパの原稿の進捗状況を確認する。
『おきらく警察』は完成していた。あとは担当さんにわたして細かい手直しするだけ。来月の二十日しめきりの短編『獣の踊り』も完成。血なまぐさくて好みではないけれど、作品としては悪くない。来月末日しめきりの『清水さんと西山くん』の新刊もちょっと手直しすれば……たぶん、今日かあしたのうちにはあがるだろう。あんななって適当に思いついたわりにはなかなかよくできている。
前に出した原稿の編集者さんからの問題点の手直し電話はいまのところないから、問題は『チャキのホロスコープ』とタイトルもできていない来月十日しめきりの短編だ(なぜ、日程が近い短編からあげようとしないんだろう?)。
とくに『チャキ』のほうは枚数がすすんでいるわりには話の筋がばらけて、いったいなんの話なのかわからなくなっている。チャキの行動の原理もよくわからない……読ませたいのは占い? 少女の成長? 恋愛? どれにしたってひどくちぐはぐだ。
……下手に口出しすると怒りだすから言わないけれど。
もう一度、ことわるようにすすめてみようかと考える。だいたい、こういう突発的な仕事は、もっと新人とか、若いひとにまわされるべき仕事で、いちおう中堅作家(?)のパパがすることじゃないんじゃないだろうか。
でも、改めて考えてみる。
逆に考えてみると、パパは出版関係のひとたちから『そういうレベルのひと』だと思われているのかもしれない。ひょっとして、下手に仕事を断ってしまったら……もうパパみたいなチャランポランには、二度と仕事を頼みにこなくなってしまうかも。
わたしはその先のことを案じて身震いした。もしかすると、わたしたち家族は路頭に迷って、それこそ野良猫のような生活を余儀なくされることになってしまうかもしれない。そうなったら、一戸建てなんて夢のまた夢だ。
(そんな事態だけは避けなければ……)
わたしは、パパがまだぐうぐう寝ているのを確認し、昼御飯の準備にとりかかる。お昼はパパの好きなハンバーグを食べさせてあげよう。いい気分で仕事ができるように。でも、よそりすぎてはけない。満腹感に、お昼寝してしまうかもしれない。夕御飯はいちおう、パパの好きなカレーを準備。大好きなからあげもいれてあげよう。でも、もし、上機嫌に仕事しているようなら、カレーはやめて、いつものようにバームクーヘンに牛乳を添えて、ワープロの横に置いてあげよう。
そうだ、がんばってもらえるように、今日は奮発して、ただのバームクーヘンじゃなく、秩父屋のバナナクーヘンを買ってこよう。パパはバナナクーヘンが大の好物だ。秩父屋までいくのには骨が折れるけれど、パパのためだ。なんてことない。機嫌が悪くならないように、ちゃんと手ぬぐいは白いヤツ。ジャージはお気に入りのヤツを出して……。
わたしはすべての準備を済ますと、自分の御飯もそこそこに、ハンバーグがさめたらチンするように書き置きして、家を出た。
これだけやればだいじょうぶ。いつも自分で言っているとおり、パパはやればできるひとなんだから。今日の夜には、もう短編の構想ができあがって、半分ぐらいできあがっているかも。ううん、もしかすると完成しちゃうかも。
わたしは自転車に飛び乗った。
目標は秩父屋。
距離はだいたい往復で十六キロくらい。道のりは……不明。山をひとつ越えなければならないけれど、だいじょうぶ、夕方までにはきっと帰ってこれるはず。
夕方、わたしは意気揚々とペタルを踏んで、帰途についた。
帰りは坂が多くて、楽チンだった。
山の途中で疲れきったときは、もうだめかと思ったけれど、負けてたまるかとなんとか持ち前の気合いと根性で乗り越えた。なぜなら一戸建てのためだから。サンルームと、月明りの差し込む屋根裏部屋付きなのだから。ついでに猫だから。
秩父屋について、バナナクーヘンがないことに気付いたときには、さすがに泣きそうになったけれど、そのときちょうどパンの業者さんがやってきて例のブツ補給していったときは、努力は神さえ味方につけるのだと実感した。
わたしは有り金はたいて七つのバナナクーヘンを買い占めた。
しかも、ちゃんと夕御飯までに間に合った。カレーの材料はそろってるけれど、パパはちょうど執筆に集中しているころだろう。
邪魔しないように、お盆に乗せたバナナクーヘンと牛乳を、そっと脇に配置してあげよう。さすがにバナナクーヘンと牛乳だけじゃ物足りなくなるかもしれないから、夜食のおにぎりの準備もしてあげよう。からあげと、栄養のバランスを考えてホウレン草も添えて。
わたしはにこにこしながら、自転車をかついで階段をのぼる。わたしたちはうまくやってける。ふたりだって。このままいけば、自分のうちに住めるのも、そうして、実物の猫を飼えるのも、それほど先のことでもないような気がする。
わたしは身体中が、うれしさでせ満たされる思いだった。
扉の前まできて、わたしは、はっと気がつく。
あぶない。
あやうく普通に開けるところだった。ゆっくり、気付かないように、それこそ夜中の泥棒のように開けなくちゃ。パパは一度、集中力を散らされると、また集中するまで、どんなにがんばっても三十分はかかってしまうから。
わたしはそおっと、ドアを開けた。
そのとき、ひどい違和感を覚えた。
なに、これは?
…………台所のハンバーグは食い散らかされていた。食器を洗い場にもっていってさえいない。でも、そんなのはいい。そんなの、いつものこと。
問題はそんなことじゃない。
どこからか電子音がする。どこかで聞いた、電子音。古い、粗い音質……この音。
わたしはおそるおそる、居間をのぞいた。その光景に、唖然とする。持っていた、バナナクーヘンの袋が落ちた。必死になって、型崩れしないように、大事にもってきたのに。
居間のテレビがついていた。テレビからコードが伸びていて、それはゲーム機につながっていた。ゲーム機から伸びたコントローラーは、パパの手に握られている。
ワープロを叩いてなければいけないはずの手に。
……どうして、パパはドラクエをやっているんだろう。
もう、とっくにバラモスは倒したはずなのに。
「あ、ロジコ。ごはんは?」
パパは、こちらに振り返ると、笑っていった。わたしはパパの仕事場に飛び込む。めくれた毛布。散らばるジャンプとマガジンのコミックス。その向こうのワープロ機。
……朝とおんなじだ。
電源入れても、フロッピーを開いてみても……『チャキ』はちっとも進んでないし、新しい短編は姿形も、あらすじもない。……部屋きれいにしたのに。からあげも買ってあるのに。……タオルは白いのに。バナナクーヘンも買ってきたのに。
わたしにはもう、こみあげてくるものが、抑えられなかった。
自然と、眼の周りがじわりとくる。
「ねえ、ロジコ、ごはんは?」
脳天気な、声。
「パパの……」
「へ?」
「パパのバカッ!」
弾けるように叫んで、わたしはパパを押し退けて、うちを飛び出した。……どうやって自転車を担いで、階段を降りたのかもわからない。気がつくとわたしは自転車に乗って、こいでいた。そのうち、なんでだか前が見えなくて、一度ななめに傾いて、地面に倒れる。
どこか遠くからパパの声。
「パパのバカ」
さっきよりうまく言えなかった。
わたしは、自転車をこいだ。こいで、こいで、団地が遠くなるように、すこしでもこの見慣れた景色から逃げるように、こいで、こいで、こぎまくった。
前が見えなくても、行き先がわからなくても……わたしはただ自転車をこいだ。




