わたしの名前の話
名前をバカにするやつは許さない。たとえそれがだれであろうと。
自分の名前の由来は、ママから聞いた。
わたしの名前の元は、おじいちゃんがつけたんだという。おじいちゃんは初孫が生まれたのに大喜びして、毎日のように入院しているママのところにお見舞いにきた。
それはそれは尋常じゃない喜び方だったとおばあちゃんも言う。ある日、そんなおじいちゃんがぷつりとお見舞いにこなくなった。ママが不思議に思っていると、おじいちゃんが実に嬉しそうな顔してやってきて、持ってきた半紙を広げて見せた。
そこには美しい毛筆で、
路地子
と書かれていた。
祖父は誇らしげに、これは路地子と書いて、『みちこ』と読むのだと説明した。
路地という言葉には、仏教用語で「煩悩から逃れた悟りの境地」を指す言葉であり、とにかくとても御利益があるのだと。また東雲とあわせてみても画数が実にいいのだと。
でもそんなのは後から付けた理屈で、おばあちゃんが言うには、おじいちゃんはほんとうは孫の名前に、自分の名前の『菊地郎』のどれかの文字をどうしても入れたかったらしかった。だから、フツウに『道子』にはせずに、すこしひねった形で『路地子』にしたのだ。
ママはそれを見て、軽い気持ちで、
「なかなかいい名前ね」
と言った。
するとおじいちゃんはまたまた大喜び。
(おばあちゃんがいうには、その様子はとても正気ではなかったという……)
上機嫌のおじいちゃんはパパをつかまえると、早速、この素晴らしい名前を市役所に届け出してくるように、と命令を下した。
「フン、どうせおまえのような駄文書きには、こんな素晴らしい名前はとうてい思い付くまい! さあ、さっさと市役所にいって手続きをしてくるがいい! それぐらいおまえのような雑文書きにでもできるだろう! このっ、三文文士めがッ!」
勝ち誇ったようにおじいちゃんは言ったという。パパはぶつぶつ言いながらも、市役所にそれを届け出るために、タクシーに乗った。
しかし……そこでわたしの運命は狂った。
タクシーに乗ったパパは、おじいちゃんに言いたかったけど、こわいから本人の前では決して言えない(おじいちゃんは剣道と柔道で合わせて六段だった)文句をぶつぶつ言いながら窓の外を眺めるとなく眺めていた。信号が赤になって、車が止まる。
と、ある建物がパパの目に入った。
その壁には、そこの会社名らしい名前がでかでかと書かれていた。
それを見てパパは目を疑った。
○○○○システム・ロジコ。
○○○○システム・ロジコ……
パパは手の中の、達筆の習字を見た。今度は建物の壁を。
また習字を。また壁を。
路地子……みちこ? いや、ちがう!
「そうだ、ロジコだ!」
パパは世紀の発見でもした偉人のようにいきなりそう叫んで、運転手さんを驚かせた。
……パパがなんという名前で市役所に届け出たかは、もう知ってのとおり。
それを知ったおじいちゃんはパパと大ゲンカして、その戦いは一昼夜にも及んだという。
はじめてその話を聞いたとき、わたしは思ったものだ。
……わたしも、ロジコなんかよりミチコのほうがよかったなー、って。
それを聞いたら、ママはすこし悲しそうな顔をして、
「どうして?」
と聞いてきた。
わたしはその表情になんだか悪いことをしたときみたいに、なんとなくうつむいて、
「だって、ロジコって名前、なんだかヘンだもの。ミチコのほうが普通で、よかったよ」
「そうかな。わたしは好きよ」
ママはにっこり笑っていった。
「だって結果的には、パパとおじいちゃんが協力して出来た名前なんですもの。わたしはとても好きよ。とてもいい名前」
「そう?」
「そうよ。それに、ミチコって名前だと、なんだかおとなしくて物静かな女の子ってイメージがするじゃない。元気で明るいあなたにはすこし似合わない気がするわ。……ロジコ」
ママは確かめるように、その名前を囁いた。
風が、名前を運んでいった。
「うん、やっぱりあなたはロジコのほうがしっくりくるわ。とてもいい名前よ。あなたにも好きになってもらいたいな」
「……うん、わかった」
わたしは思った。わたしはあまり好きではないけれど、ママが好きでいてくれる名前なら、わたしも好きになれるようにしよう。って。
だから、その名前を馬鹿にするやつも許せない。それはわたしのママの好きなものを馬鹿にするのと同じことだ。それはママを悲しませることだ。わたしのママを悲しませるような人間を、わたしは絶対許さない。
うちに帰ると、パパはぼけらーっとしていた。全然、原稿は進んでいない。カレンダーを見ると、今日のしめきりのところにバッテンがついていた。どうやらカミさまのところの週刊誌のエッセイは無事にあがったらしい。でも今月はまだ、児童長編の『おきらく警察』、ライトノベル長編の『チャキのホロスコープ』、追加で来月しめきりの短編が三本も入っている。『おきらく警察』はほぼ完成しているが、『チャキのホロスコープ』は中盤で筆が止まり、短編二、三本にいたってはまったく手がついてはいない。
再来月には『キツツキ探偵』の長編第十三弾のしめきりもあるというのに……。
本当に、このままで大丈夫なのだろうか。




