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「はぁ? なんですかそれ? どこを皮肉って『センパイ!』何て言ってるんですか? もしかして美子都の真似ですか? それでも全然意味わかんないんですけど!」
「――おいおい、そんなに怒るなって。馬鹿にしたのは悪かった、悪かったからな」
せっかく思い出した人の思考を妨害する存在の登場にムカついた戸宮の一方的な捲くし立てに気圧されたのか、藤吾は自分の非をそう詫びた。
普段は滅多なのことでは謝りもしない藤吾がちょっとした冗談に言い合いで謝罪したことに驚いて、熱くなっていた戸宮の頭は冷えていった。
「あ、はい。俺も言い過ぎました。すみません」
そう言いながら頭を下げる。内心、自分は何であそこまでムカついていたのだろうか、と考える。
(美子都との思い出を邪魔されたように感じたのかな?)
一応心の中でそう結論付けて頭を上げる。すると、目の前でこの一連の戸宮の行動を不思議に思った藤吾が首を傾げていた。
「……、どうしたんですか先輩?」
「いや、怒ったり謝ったりと。お前ってそんな不思議ちゃんキャラだったかなってな。俺の見立てではよほどの事がない限り喜怒哀楽をあまり表に出さない奴だと思ってたから」
「うーん、基本はそういうスタンスなんですけどね。なんつーか少し自分でも驚いてるんですよ。さっきまでの自分はどっかおかしかったなーって」
あえて不思議ちゃんと比喩された事には触れずに話を進める。ってかそういう表現知ってたんだこの人、っ戸宮は藤吾に対しての認識を改めた。
藤吾は目の前で頭を掻きながら「そうか」と呟くと、一瞬腑に落ちないような顔をするがすぐにいつもの険しそうで結構緩んだ表情に戻る。
「で、先輩は部活動のほうはどうしたんですか? 空手部って時間ギリギリまで練習するって聞いてましたけど。ほら、下校開始時刻まであと五分程度ありますし」
そう尋ねられた藤吾は苦虫を噛んだ様な表情になる。
「いやな。後輩たちがついて来ないんだよ。二時間ぐらい経てば疲れ果てた連中ばかりで、道場は死屍累々。――まったく、不甲斐ない連中だ」
そう藤吾は天井に目を向けながら深くため息をついた。――瞬間、瞳の色を変えて目前の戸宮へ向き直る。
その動作はたとえるならば獲物を捕らえた狩人のようで、自分も不思議ちゃんじゃんか、と戸宮は若干思った。
「そこでだ、戸宮。空手部に入――」
「お断りします」
しつこい悪徳業者のように繰り返されてきたその問いかけに、いつもどおりに答える戸宮。
藤吾は「そうか」とちょっとしょんぼりした様子で呟いた。
藤吾としては自分の後釜として戸宮を入部させたいようなのだが、生憎戸宮は空手を含むあらゆる格闘技に興味はなく、そんなやつが部活動に参加しても他の部員の反感を買うだけ。
そんな長く語るほど考えてはいないが、それでも自分は入部しないと結論付けている。
……少し先輩が可哀相だな、と思いながらも。
「てか先輩。そんなに今年の二年生、頼りになるやつがいないんですか? 俺一度だけ先輩に連れられて練習の見学したとき、全員強そうに見えましたけど」
「ふん。強そうじゃ意味がないんだよ。――例えるなら、誰にも負けない筋肉を持っている男は誰にも負けない男なのか、ということだ。どれだけ腕力が強かろうと扱う人間でそれは切れない物はない名刀にも、豆腐さえ満足に切れないなまくら刀にもなる。それが奴らは分かってなくてな、ただ筋肉をつける事が勝利につながると思っている」
長々と語られた藤吾の持論。要約すれば「筋肉つけたいだけならボディビルダー部でも作れバカヤロウ!」と言った感じがしっくりくると戸宮は思った。
そしてその上手に出来た戸宮の要約は、しかし披露する間も与えられず、藤吾の話はまだまだ続く。
「その点お前はいい。物事の真理を見抜く目も備わってるし、そこら辺も理解してくれる。特にお前がそこいらのやつより優れているのは綾瀬が証明してくれているからな」
「美子都が、ですか?」
戸宮は「俺がそこまで有能に見えてるんですか?」という質問もしたかったが、それ以上に美子都のことが気になりそんな質問をした。
「ああ、そうだ。あの子は男を見る目は結構優れていてな。お前は同級だから知ってるだろ、三枝のことは」
「ああ、あのミスター猫かぶってる君ですね」
一年の三枝とは世間で女たらしといわれる部類で、甘いフェイスと真面目な(上っ面だけ)態度が評判の男子。
彼の恐ろしいところは交際したことの在る女子の非難を拭い去るほどの人気だ。クラスでこいつの悪口を言った女子が独りぼっちになった風景などを戸宮は何度か見たことがあった。
しかし、そんな自分をも超越する真性の不真面目と、あの純真無垢な美子都の話が戸宮野中ではどうしてもつながらない。
「で、あれと美子都がどうかしたんですか?」
「ああ、それがな。」
先輩がそう言いかけた時だった。
戸宮の背後にある階段から、もの凄いスピードでなにかが駆け下りてくる音が聞こえだした。
戸宮は携帯の時刻を確認してみる。長針は下校開始時刻を二分程過ぎており、グラウンドでは運動系部活の生徒たちが片づけをはじめていた。
この時間にあんなに騒々しくしながら昇降口に向かってくる生徒を戸宮は一人しか知らない。
そしてその音を聞いた藤吾も何か感づいたらしく「男女の邪魔はいけないからな」と言って足早にその場を去ってしまい、 肝心の話は結局聞きそびれてしまった。
……なんて間の悪いやつだろう、戸宮は思う。
悪意のない妨害だと分かってはいるが、少しばかり悪態をついてやろうと思い。
そして、
「センパイ!」
戸宮がそこにいるのを確認した瞬間、満面の笑みでそう叫び駆け寄ってくる少女を見て、そんな考えはシャボン玉のように弾けて消えた。