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破滅した悪役令嬢が田舎にやって来た  作者: バスチアン
第一章 悪役令嬢と野豚の騎士
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悪役令嬢は妖花のように咲く


ダボンが戻って来たのはお昼になってからだ。野良仕事を終えた彼の服はところどころが泥で汚れていた。

いつも通り井戸から水を浴びて土埃(つちぼこり)を落とし、衣服を新しいものに着替える。そんな彼が最初に向かったのはシルフィーの元だった。

先日と違い、鍵がしっかりとかかっていたのだが、ノックをすれば今日は内側からドアが開く。

現れたシルフィーは妙に気恥しそうな顔をしてダボンを迎えた。


「体調は大丈夫ですか?」

「え、ええ……」

「良かった。ガランの話だと熱があるように聞いていたので心配してたんです」

「そうなのね……心配をかけたみたいで、ご……ごめんなさい」


殊勝に頭を下げる。

しかしダボンはその姿を見て、大いに驚いた。


「何よ」

「いえ、その……昨日と雰囲気が違うと思って」

「そ、そんなことはないわよ」

「そうですか?」

「そうよ、何でもないの。ところでダボン、アナタ食事はまだでしょ?」

「ええ」

「なら、お昼にしましょう」

「解りました。じゃあ、ゼベおばさんに言って、持ってこさせ――」

「いいわ」

「はい?」

「食堂に行きましょう。ここではそういう決まりなんでしょ?」

「決まりというか、習慣みたいなものですけど」

「なら、私もこれからそうするわ。一緒に食べましょう」


シルフィーはダボンの言葉に反射的に応えていた。

それはこの屋敷の流儀に合わしていかなければなならないと思ったことがひとつ。

そしてもうひとつ。昨日のこともあり、彼を部屋にあげるという行為が気恥ずかしかったからだ。

赤らんだシルフィーの頬を見て、ダボンは心の中で「やはり何かあったのか」といぶかるのだが、彼女が言葉で否定しているのだから、それを指摘するほど無粋ではない。





昼食として(きょう)されたのは麦粥と干し肉を浸したスープだった。シルフィーはそれを匙でひと掬いして口に運ぶと、塩気とわずかな肉の脂が舌の上に広がっていく。朝食のときにも思ったが、ゼベおばさんというのは随分と腕の良い料理人のようだった。


「思ったよりも、ちゃんとしたものを食べているのね――」


思わず口に出し、そしてそれがかなり失礼な言葉だったと気づき慌てて口元を隠した。彼女としては褒めたつもりだったのだが、あまり良い褒め方ではなかったと気づいたからだ。


(こういう所を気をつけないといけないわね)


昨日は散々取り乱してしまったのだが一晩経って頭は多少冷えている。そうなると彼女は冷静に考え始めていた。

今の立場は決して楽しいものではないが、既にどうしようもないほど事態が進んでしまっているのは事実だ。謹慎中にもっと何か打てる手があったのかもしれないのは確かだが、もはやそれは言っても仕方がない。

昨日、無意識に彼に媚びを売ろうとしてしまったのを恥じる気持ちはあるが、それでも彼に嫌われて好いことなどなにひとつないのだ。


「仕方ないですよ。ここはシルフィーさんがいた所と比べたら田舎ですから」

「そ、そうね――」


言いかけて、また「しまった」と口を噤む。


(まいったわ、そんなつもりじゃないんだけど)


馬鹿にしてるつもりではないのだが、育ちが違い過ぎて無意識にどうしても田舎の生活を下に見てしまうのだ。


(そのためにも、まずは相手のことを知らないといけないわね)


マンバナ村は辺境な上に、ダボン自身ルナ家の城に訪れたことが一度しかない。そのせいで彼に関しては「下品な野豚」という見た目以外の情報が一切入ってこなかったのだ。

田舎の野蛮な野豚。そういう先入観を取り去るよう努力してシルフィーは改めてダボンを見た。

ずんぐりむっくりした体型に丸い顔、丸い鼻、唇は分厚く、目は細い。宮廷の女性からは受けの悪い顔だ。美男子ではもちろんないし、正直あまり賢そうにも見えない。


(でも喋ってみると、この子って意外と理知的なのよね)


鈍重そうな見た目をしているせいで、頭の中まで鈍いのかと勘違いしてしまいそうになるが、話してみるとそんなこともない。思えばダボンは終始自分に対して礼を尽くしてくれていた。そう言う意味では、礼を見せずにいきなり無礼な発言をする自分の方がよほど野蛮人だと言えるだろう。


「えっと……何ですか?」

「何でもないわよ。ただ食べ方が気になっただけよ」

「そ、そうですか? すいません、あまり作法には詳しくなくて」

「別にいいわよ」


その言葉が示すように、彼の所作はあまり美しいものではない。汚い食べ方というわけではないが、食器の持ち方ひとつとっても上品とは言い難い。こういったところが前情報の「品がない」という風に伝わったのだろう。


「こんなところで気取って食べてもしょうがないもの」


言いながらシルフィー自身は優雅な所作で麦粥を匙で掬って口元へ運ぶ。粗末な料理と雑器でも、彼女が使えば宮中での昼餉(ひるげ)のようだ。ダボンはその仕草にうっとりと見とれながら、麦粒が縁まで飛び散った自分の皿の上に気づき背筋を正した。


「もう少ししたらパンが作れるようになるんですけどね」

「もう少し? 何かあるの?」

「今、パンを作るための窯を作ってるんです。前の交易団が来た時に窯の作り方を知っている人がいて、試しているんです。パンって美味しいですよね」

「そ、そうかしら?」

「はい、フワフワして、甘くてとっても美味しいです。僕は父と一緒に他所の領地に行くことが多かったんですけど、この村の人はほとんど食べたことがないんです」

「パンを食べたことがない?」


その事実に驚愕する。シルフィーにとってパンは主食であり、ありふれた食べ物だ。彼女自身はしたことがないが、街に買い物にいけば銅貨何枚かで買うことも出来るだろう。

呆れたように彼女は言った。


「パンも作れない村なのね」

「何しろ手間がかかるし、小麦を挽いて食べるほどの余裕もありませんでしたから。麦は挽いて食べると無駄が多く出るんです」

「畑は広くなってるってガランちゃんが言ってたけど?」

「畑が広くなっても土が出来上がるまで時間がかかるし、一回麦を植えたら最低でも2年は畑を休ませないといけませんから。だから本格的に収穫量が増えてきたのは今年からなんです」

「そ……そうなのね」


そういう意味では自分は良い時期に来たのだろう。そうして天の配剤に感謝しようとしたのだが――


(そもそも自分の失敗でこんなところに来てしまったのよね)


身から出た錆でこんなところに来たのだから感謝も何もないことに気づく。本当に天祐(てんゆう)があったのなら、そもそも自分はこんな所にいないのだ。シルフィーの下がった眉に、ダボンも合わせるように眉を下げた。


「ダボンは畑仕事をしてるみたいだけど、他にも何か仕事をしているのかしら?」

「さすがに畑ばかり耕していません。ちゃんと領主の仕事もしていますよ。収穫量を記録したり、人口を調査したり、税の計算をしたり、集落を見て回ったりです。マンバナ村はいくつかの集落が集まった村ですから、全部見て回ると意外と時間がかかるんです。あと一番大事なのは魔物の退治ですね。マンバナ村はもともと辺境の魔物が都に流れ込まないように作られた村ですから」

「そうなのね」

「ええ、だから定期的に魔物を間引くというのが、実は一番の仕事なんです」

「その割にはガランちゃんは村のわれを知らなかったみたいだけど?」

「そうなんですか? もう……何度も教えたのにしょうがないヤツだな」


ダボンは頭を掻く。どうやらガラン自身が言っていたように、本当に勉強が嫌いらしい。少し余計なことを言ってしまったと感じたシルフィーはすぐに付け足した。


「ちゃんと勉強するように言っておいたから、今頃バンに村の謂われを聞いてるんじゃないかしら」

「そうなんですか?」

「ええ、ご先祖様に興味を持つような話をしてあげたから」

「それはありがとうございます」


背中を丸めてダボンはぺこりと頭を下げる。


「ガランのヤツはどうも勉強が嫌いみたいで困っていたんです」

「だったらもう少し勉強をする理由も用意してあげた方がいいわよ。そうじゃないと人は面倒なことなんてしないもの」

「確かにそうです。シルフィーさんは人を動かす術を心得ているのですね」

「少し前まで人を動かす立場の人間だったからね……」

「そ、そうですね」


ダボンの表情が硬くなりシルフィーは己の失言に気づく。それを誤魔化すように咳払いをひとつした。


「ダボンは見かけによらず勉強を大事にしているのね」

「まぁ、この先もしも……ええっと、何があるか分かりませんから、もしもの時のために準備しておかないと。特に勉強はしておいて損はありませんよ」

「準備……ね」


準備という言葉に含むものがあったのか、シルフィーは黙り込む。(かげ)の射した表情にダボンは訝しむ。


「シルフィーさん?」

「そうね……準備することは大切よ。本当に人生なにがあるか分からないわ。私もこんなところに来るなんて思ってなかったし」


わが身に跳ね返ってきた言葉にシルフィーはため息のように呟く。その声の重さにダボンの表情が暗くなったのに気づき、彼女ははっとした。


(またやっちゃたわ。この子に文句を言っても仕方がないのに)


自己嫌悪に陥った。

気持ちを切り替えたつもりだったのだが、田舎暮らしへの倦厭感はやはりまだまだ尾を引いているらしい。


「ところでガランちゃんが言ってたわね。アナタって、この村で一番強いんでしょ」

「そうですね。一番強いです。とは言っても都の人と比べれば大したことありませんけど」

「そんなことはないと思うわよ。切り株を引っこ抜くんでしょ。そんなこと近衛騎士でもそうそう出来ることじゃないわ」

「そ、そうですか?」

「ええ、昨日も私の部屋まで軽々と荷物を持って来たじゃない。あんなに大きな木箱だったのに」


事実、ダボンはシルフィーの荷物が入った箱を一人で持って来た。相当な重量でシルフィーはもちろんのこと大人の男でも一人では持ち上げれないような箱を軽々とだ。だからこそ彼の腕力が並外れていることは間違いないのだ。

もっとも――


(田舎の力自慢くらいだとは思うけど)


と心の中で呟いているのだが、それは(おくび)にも見せることはない。

だがそれでも一目惚れした少女に褒められたダボンは有頂天に喜んでいた。


「学園の騎士候補達の中にもダボンくらいの力持ちはいなかったわ」

「そ、そう言われると、自信がついてきますね」


優雅に微笑みを浮かべ、頭を撫でるように誉めそやす。するとダボンの表情が蜜でもかけられたように蕩けていく。高貴に咲く黒百合のような笑みだった。

先ほど自分で言った通り、彼女はこうしていつも人を動かしていた。ときには美貌で、ときには言葉で、ときには親の権力でだ。そしてこの純朴な田舎者には彼女の美貌は極めて有効だった。

ダボンの目には、彼女が笑ったときに揺れる黒髪やまつ毛の先まで魅力的に映る。目の前の大柄な少年は魔性の黒華にすっかり魅了されていく。ただその逆にシルフィーの頭の中はどんどん冷めていった。


「ダボンなら大きな竜が襲ってきても、きっと私を守ってくれるわよね」

「大きな竜はさすがに怖いですけど、でもシルフィーさんの為ならやっつけます」

「勇ましいわね。とても嬉しいわ」


(調子のいいことを言ってるわね……この子)


自分で焚きつけておきながら、そう思わずにはいられない。

結局、彼女には、取り巻きも、友人も、婚約者も、誰ひとり残らなかったのだ。彼女の立場が悪くなった途端、誰も彼もが逃げ出して、誰一人として助けてくれなかったのだ。


(あの決闘のときだって、そうよ。誰も代理人になってくれなくて、それで――)


そうして最後に自滅したのだ。


「あのシルフィーさん?」

「え?」

「あ、いえ……急に黙っちゃったので、どうしたのかと」

「ああ、ごめんなさい。ちょっとぼぉっとしちゃって」

「やっぱり、まだ旅の疲れが出てるんですね。もう2、3日は家でゆっくりしてください。体調が戻ったら村の中を回ってみましょう」


そう言うとダボンは「お茶を持ってきます」と言って立ち上がる。


「また気を使わせちゃったわね……」


きっとバレているのだろうと思い、今日、何度目かのため息を吐く。

目尻に触れた指先は微かに濡れていた。



マンバナ村の食卓では麦粥オートミールがよく出てきます。ただ日本人のイメージする主食という感じじゃなく、カロリー摂取は主に肉類です。肉だけは豊富に獲れる村ですから。その代わり命がけですが……


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