悪役令嬢でも反省はする
その日の朝、シルフィーは自己嫌悪に陥っていた。枕をぶつけて盛大に羽をまき散らしたのは、つい昨日の出来事だった。
「馬鹿なことをしてしまったわ」
部屋の隅には飛び散った羽がそのまま残っている。それを1枚摘まんでシルフィーは反省する。
どうにもこの村に来てから感情の抑制が効かなくなっている。もともと彼女は激高しやすい性格ではあったのだが、さすがにこれほど躁の気が強い訳ではなかった。
「気をつけないと駄目ね。じゃないとまた同じことになってしまうわ」
そもそも自分がこんな辺境に飛ばされてしまったのも、許嫁が他所の女に手を出しているのが我慢出来なかったからだ。
シルフィーは四大貴族であるルナ家の女として幼少から貴族のルールというものを叩き込まれている。なので、例え自分がエリオットと結婚したとしても、いずれ彼が妾や第二王妃を娶ることは解っていたはずなのだ。当初は『聖女』だと判明していなかったアリスが第二王妃になることはなかっただろうが、それでもお気に入りの妾の一人として招き入れるのは難しくない。
そう言ったことを鑑みれば「女がすり寄ってくるのはエリオット王子がそれだけ魅力的だから」そういう度量を見せつけるべきだったのだ。
すでに手遅れになってしまった自分ではあるが、これ以上無様を晒すわけにもいかなかった。
着ているものを簡素なワンピースに変え、彼女は立ち上がる。昨日は結局、部屋から一歩も出なかった。しかしいつまでもこのままではいけないだろう。どれだけ嫌がろうとも、自分はこの先何十年もこの田舎で暮らすことになるのだ。
「さぁ、行くわよ」
これが本当の意味でのマンバナ村での第一歩だ。
そう己を鼓舞してドアを開ける。昨日は逃げるようにして部屋に入ったので屋敷の間取りは覚えていないが、少し歩けばあっという間に回りきれるような大きさだ。
廊下に出るとすぐそこに突き当たりが見え、予想通り狭い屋敷であることが伺い知れた。
「やっぱり――」
「犬小屋じゃない」と言いかけて彼女は口を噤んだ。
そうして手近な部屋に入ろうとしたとき、足元から声がした。
「お姉ちゃん、何してるの?」
そこにいたのは10歳に届くかどうかというくらいの少年だった。丸顔のコロコロとした体形でダボンをそのまま小さくしたような子どもだ。
「アナタは?」
「オレはガランだよ。お姉ちゃんはシルフィーさんだよね?」
「お姉ちゃんって……」
「え? お姉ちゃんじゃないの? ダボン兄ちゃんのお嫁さんってことは、オレのお姉ちゃんになるんだよね?」
「じゃあ、アナタはダボンの?」
「うん、弟だよ」
思った通りの答えが帰ってくる。
シルフィーには2人の兄がいるが年下の兄弟はいないので、弟という響きに不思議な感覚を覚えた。ガランは部分部分はダボンに似ているが、つぶらな瞳が可愛らしい少年だ。
豚は子どものときは可愛いけど、大人になったら不細工になる。という極めて失礼な話をシルフィーはふと思い出す。
「食堂はこっちだよ。ご飯食べてないよね」
ガランはシルフィーの手を握ると食堂の方へと引っていく。その力が思ったよりも強くて驚いたのだが、一人でうろうろと歩き回るのも嫌だったシルフィーはそのまま手を引かれ食堂に向かった。
連れていかれた食堂は長テーブルが一つ置かれた部屋だった。
「ここで食事を摂るのね」
「うん、そうだよ。だって食堂だし」
「え……ええ、そうね」
当たり前のようにガランは言うが、ルナ家の屋敷では食堂で食事を摂ったりはしない。基本的にはそれぞれの部屋に給仕の者が料理を運んできて別々に食事を摂る。もちろん食堂もあるのだが、それは何か特別な催しがあるときだ。
(こういう所でも違いがあるのね)
思い出すと、学園の一般生徒が似たような生活をしていた気がする。こういった生活習慣の違いもこれから合わせていかねばならないのだ。
出てきた料理は根菜を薄切りにしたソテーと、スープ、麦粥だ。粗末なものだが、さすがに蒸かした芋が丸まま出てくるようなことはなかった。そんな事実にほっとする。皿に乗った薄切りの根菜にソースを絡めて口に運ぶと素朴だが優しい味がした。
「この屋敷には使用人は何人いるのかしら?」
「使用人?……ゼべおばちゃんと、バン爺ちゃんがそうなのかな?」
「二人だけ?」
「うん、そうだよ。ゼベおばちゃんは家のことをやってくれて、バン爺ちゃんは兄ちゃんの仕事を手伝ってくれるんだよ」
「そ、そうなのね」
実家では侍女だけで何十人もの使用人がいたし、ここに来る道中でさえも身の回りの世話をする侍女が3人着いてきた。だがここは二人もいて良かったと言わなければならないのだろう。
シルフィーは身の回りの状況を少しずつ呑み込んでいく。
「ダ、ダボ……ダボンは今は、何をしているのかしら?」
夫となるダボンのことを貴族の淑女らしく「ダボン様」と呼ぶか、それとも最低限の体面だけ保って「ダボンさん」と呼ぶか大いに悩み、結局呼び捨てにすることを選ぶ。そんな彼女の内なる葛藤など知る由もないガランは答えた。
「兄ちゃんなら、今は畑かなぁ」
「畑? 畑で何をしてるの?」
「畑を開墾するんだよ。兄ちゃんは村一番の力持ちだからな。おっきい石を運んだり、ぶっとい木の切り株を引っこ抜いたりするんだ。兄ちゃんが手伝うようになってから、村の畑が倍になったんだぞ」
「そ、そうなのね」
大好きな兄を自慢するガランの笑顔にどう答えたものかとシルフィーは悩む。確かに畑が大きくなるのは良い事だ。収穫が増えれば税収が増える。しかしそれは領主がするような仕事なのだろうか?
思ったよりも田舎の現状は大変のようだ。まさか自分も野良仕事を手伝わなければならないのか?
そんな不安が鎌首をもたげる。
「兄ちゃんはスゴイ戦士なんだぞ。魔物がやって来ても一発でやっつけるんだ。オレも大きくなったら兄ちゃんみたいな強い男になるんだ」
「ダボンは凄いのね」
「おう、でもオレは兄ちゃんに魔物と戦うための稽古をつけて欲しいのに、兄ちゃんはいっつも「勉強しろ」って言ってくるんだ。もう字も書けるし、計算も出来るのにさぁ」
「ガランちゃんは学校には行かないの?」
「学校? そんなのないよ」
「じゃあ、勉強はダボンが教えてるの?」
「ううん、バン爺ちゃんが教えてるんだ。バン爺ちゃんはオレの爺ちゃんの代からうちで働いている爺ちゃんで、オレも兄ちゃんも、バン爺ちゃんから勉強を教えてもらったんだ」
「そうなのね」
田舎者であるが文字も書けない野蛮人というわけではないらしい。それにほっとする。腐っても領主なのだから当たり前といえば、当たり前なのだが、先ほどから体験し続ける初体験はそんな常識さえ疑わしいものに変えていた。実際にガランに詳しく聞いてみれば、ある程度教養があるのは政に関わる一部の者だけで識字率はあまり高くないようだった。
「兄ちゃんはいっつも勉強しろ、本を読めって煩いんだ」
「そう、ダボンが本を……」
意外な情報に眉をあげる。あの大柄で鈍そうな青年が「本を読め」などと口にするなど思いもよらなかったからだ。だから興味をそそられついつい聞いてしまう。
「ダボンはどんな本を読むのかしら?」
「兄ちゃんが好きなのは騎士が出てくるヤツだな。えっと……たしか白薔薇の騎士って話だな」
「そ、そう……意外なのを読むのね」
そして聞いてから激しく後悔した。白薔薇の騎士は王都でも有名な小説だ。貧乏騎士の青年が大貴族の娘と相思相愛になり、数々の苦難を乗り越えていくロマンス小説。とくに主人公の騎士が陰謀に巻き込まれたヒロインの無実の罪を晴らすため、100人の騎士と決闘するシーンは学園の女生徒が最も喜ぶシーンのひとつだった。
「あんなの何が面白いんだろうな?」
「本当ね」
「姉ちゃんもあの話、嫌いなのか?」
「ええ、大嫌いよ」
この話は今の自分には色々と毒だ。ハッキリと答えると、ガランはその答えが随分と気に入ったようだった。
「でも兄ちゃんは勉強は大人になるための準備だって言うんだ」
「そう、準備……ね」
「うん、変な話だよなぁ。同い年で勉強なんかしてるのはオレだけなのに」
「でも、ガランちゃん、準備……準備することは大切なことなのよ」
「そうかなぁ」
シルフィーの言葉にガランは首を傾げる。
それを見てシルフィーは自分自身にも言い聞かせるようにして語って見せた。
「準備することはとっても大切なのよ世の中何があるのかわからないもの」
「でも歴史なんて勉強して何の役に立つんだろうなぁ?」
「歴史は大切よ。例えば……ガランちゃんはご両親のことは覚えてる?」
「うん。父ちゃんも強い戦士だったんだ。母ちゃんは、小さいときに死んじゃったけど優しい母ちゃんだったぞ」
「じゃあ、自分のお爺さんやお婆さんに会ったことはある?」
「ないぞ。爺ちゃんも婆ちゃんも、オレが生まれたときには死んでるからな」
「どんな人だったか知ってる?」
「う~ん、分かんない。でも爺ちゃんも強かったって聞いたことがあるぞ」
「じゃあ、その更にお爺さんは?」
「う~ん、分かんないなぁ」
「でも、お爺さんのお爺さんが強い戦士だったら、ガランちゃんも嬉しいでしょ?」
「うん、もちろんだぞ」
「じゃあ、ちゃんと昔のことを知らないといけないわね。それが歴史を勉強するっていうことなの。ご先祖様がどんな人で、どうしてご先祖様がここの土地にやってきたのか知っていた方が、お爺さんのお爺さんも嬉しいと思うわ。ガランちゃんもお爺さんのお爺さんが強い戦士だったかどうか知りたいでしょ?」
「うん、もちろん」
「じゃあ、きちんと歴史の勉強もしないとね」
「おう、バン爺ちゃんに聞いてみるぞ」
きっと自分の先祖が勇敢に戦って村を切り開いているところでも想像しているのだろう。ガランは嬉しそうな顔で頷く。つぶらな瞳が輝いていると思わず庇護欲を掻き立てた。
ダボンとガランは顔の造作がよく似ているのだが、この瞳のせいで印象が変わるのだろう。目の細いダボンは表情が解りにくいというか、何を考えているか分からない印象がある。反してガランのつぶらな瞳は素直でとっつきやすく愛嬌のある顔なのだ。
この顔なら成長したとしても、美男とまでは言わなくとも、ダボンのような醜男にはならないだろう。
「そういえばガランちゃんは何歳なの?」
「オレは今年で9歳になるぞ」
「ダボンとは年が離れているのね」
「うん、ダボン兄ちゃんは7つ年上だぞ。本当は真ん中に兄ちゃんと姉ちゃんがいたんだけど、二人とも小さい時に死んじゃったんだ」
「そうなのね……?」
両親が死んだことは知っていたが、まさか兄弟も死んでいたとは思わなかった。辺境は思った以上に過酷な環境らしい。そのことを不安に思ったシルフィーだが、自分の未来に慄くよりも先にとあることに気がついた。
「え!? あら?……え??」
「どうしたんだ、姉ちゃん?」
「えっと、ダボンはガランちゃんの7つ年上なのよね」
「そうだぞ。今年で兄ちゃんは16才なんだ」
「そ、そうなのね……」
(まさか……ダボンって年下だったの?)
その事実に行き当たり肝をつぶす。しかもこの国では18才で成人と認められるので、彼はまだ未成年なのだ。
身体が大きく、すでに領主の任についていることから、漠然と年上だと思っていた。しかし実際にはシルフィーの2才も年下だ。それを思うと、強烈な羞恥が襲い掛かってきた。
(ど、どうしよう。私、昨日……あの子に)
成人前の年下の男の子の前で、自分はひどく恥ずかしい真似をしてしまった。それを思うと顔が熱くなっていく。
「どうしたんだ、姉ちゃん顔が赤いぞ」
「だ、大丈夫よ」
「そうか」
「ええ、大丈夫だから」
本当は全然大丈夫ではない。
だけど「お姉ちゃん」である以上、彼女は醜態を晒すわけにはいかない。そんな妙なプライドを意識しながら、彼女は水を飲み干し、強引に食事を飲み下した。
白薔薇の騎士は王国でロングヒットしている小説で舞台とかにもなっています。乙女なら一度は洗礼を受ける書物です。マンバナ村には書物が少なく、ダボンは何度も読んでいる内に教化されてしまいました。
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