悪役令嬢の憂鬱
王太子であるエリオットの隣には同級生の女の子がいて不安そうな表情をしながら彼の腕を掴んでいる。
アリス・キシュア――平民でありながら特例で学園に入学し、瞬く間に頭角を現し、気がつけば聖女の称号を得ていた少女。他者に優しく、決して驕らず、しかし自分の中に一本筋の通ったものがある。他人から与えられた称号など関係のない本物の聖女。
そんなアリスを守るように立ちはだかったエリオットは、目の前の黒髪の少女に言い放った。
「お前との婚約は破棄する。二度と俺たちの前に顔を見せるな」
◇
馬車に乗ったシルフィーは流れる景色を見ながらため息をついた。
「もうすぐ着いてしまうわ……」
シルフィー・ルナが元婚約者だった王太子から絶縁状を叩きつけられたのは半年前の出来事だった。
どうしてこうなったのかはこの半年間で嫌というほど自戒して、嫌というほど理解させられていた。
この国の第一王子との婚約を破棄され、これから辺境の地方領主に嫁ぐという事実。それはもうどうしようもない事実なのだ。
「あんなこと……誰でもやってるじゃない」
始めの頃は勢いのあった悪態も、最近ではすっかり小さな呟きに変わっていた。黒真珠と呼ばれた美貌がすっかりくすんでしまっているのは自分でも分かっているのだが、それももうどうでもいい。
最初は自分の婚約者であるエリオットがアリスと仲良くしているのが気に入らず、立場を弁えさせるために冷たくしただけのことだった。
アリスを無視するようにクラスメイトに通達した。
取り巻きを使ってアリスに直接的な意地悪もした。
平民である彼女がエリオットに相応しくないことを、財力を見せつけてなにかと注意して見せた。
それは確かにアリスにとっては辛い出来事であったかもしれない。だがシルフィーから言わせれば、先にルールを破ったのは向こうの方なのだ。少なくともシルフィーは、貴族としてのルールを守っていたし、許される範囲でしか法律破りもしていない。彼女のやったことは普段なら何の問題もないはずだったのだ。
だというのに何か呪いにでも囚われてしまったかのように、不運が立て続けに起こり、気がつけば自分は卒業を待たずに学園を追い出され、名前も知らない辺境の地方領主と結婚することになっている。
自宅への謹慎を命じられ18歳の誕生日も一人で自室で過ごした。
そして本当に破談になったことを父親から伝えられたときシルフィーの頭は真っ白になり、その後に何を言われたかまるで思い出すことが出来ないほど自失してしまった。何しろ幼少時から結婚することが決められており、彼女自身も恋慕の情を寄せていたエリオットとの婚約がなくなってしまったのだ。自慢の黒髪が真っ白になったのではないかと錯覚してしまうほどにだ。
だがそれでもその時に父に突き出された言葉は強烈に彼女の心をえぐり取っていた。
父は自分に言ったのだ。「ダボン・マンバナと婚姻を結び、子を産め。それがルナ家に生まれたお前の役割だ」そうはっきりと言ったのだ。
「これって体のいい見せしめよね……」
自分は学園にいる間に随分と次期国王に対するルナ家の心象を悪くしてしまった。ルナ家は名門の四大貴族の一角であるが、逆に言えば他にも有力な大貴族が三家あり、ルナ家の勢力をそぐために虎視眈々と機会をうかがっている。そのためにもルナ家は早々に王家に、次期国王であるエリオットに反省した姿を見せなければならない。それが今回の結婚だ。
「お宅の息子さんにご迷惑をかけた馬鹿娘はド田舎の地方領主に嫁がせました。もう二度と顔は見せませんので、今回の一件は子ども同士のやったこと、平にお許しください」
そうアピールするつもりなのだとシルフィーは考えていた。
何しろ王妃にさえ手が届くはずだった娘が、最果ての地で生涯を使いつぶすのだ。貴族としては処刑されたにも等しい仕打ちだ。
「ものすごい田舎ね……」
最後に大きな街を出てからすでに1週間。時には野宿さえも挟みながら、シルフィーは辺境の地へと赴いていた。文明の火が小さくなっていく。華やかな王都や、故郷であるルナ家のお膝元とは比べるのもおこがましい未開の地だ。
実際に何度も魔物に襲われており、その度に何度も足止めを食らっていた。ルナ家の姫の輿入れだけあり、警護するのは当主直属、青牙騎士団の一騎当千の猛者たちだ。なので旅に安全上の不安は感じなかった。
「でも、この人たち帰っちゃうのよね……」
彼らの仕事は自分を無事にマンバナ村に届けることで、それが終われば国に帰ってしまう。さすがに全員が帰るわけではないだろうが、これほどの人員を小さな村で維持できるとはシルフィーも思っていない。
ただそうなるとやはり不安だ。平和な王都と違い、ここは結構な頻度で魔物が襲ってくる魔境だ。そんな中で彼らが帰ってしまったら……
「まぁ、処刑みたいなもんだもの……仕方がないわよね」
辺境のド田舎に自分が嫁いだという事実が重要なのだ。あとはどうでもいい。むしろ自分が死んだ方が王子と聖女に逆らった愚か者の末路として、周囲への心象が良くなるだろう。
「案外、ダボンってやつが守ってくれるのかもね……」
美しい顔に自虐的な笑みを張り付けて嗤う。
魔物が蔓延るこんな場所で領主をやっている男だ。野蛮人のように棍棒を振り回し、魔物をぶん殴っては追い返す。そんな日常を夢想する。そして自分はそんな野蛮人の女として子を産むのだ。
新たな婚姻が決まった際、シルフィーは当然のようにダボン・マンバナの情報を集めていた。
ダボンという男はずんぐりむっくりした巨躯らしい
顔は豚のようでお世辞にも美男子とは言い難い男らしい
作法というものを理解していない野蛮な男らしい
辺境から出てきたことが一度しかないためにそれ以上の情報はないのだが、やはり印象的な容姿の話が多かった。特に領主の任命にルナ家に顔を見たものの話だと、その容貌から「野豚」と揶揄されていたようだ。
「聖女を貶めようとした、悪女にはお似合いの末路ね」
そういう意味では周囲の要望通りの婚姻なのだろう。
御者から「もうすぐだ」と知らせが届いたので外を見れば、遠目に集落のようなものが見えた。
どうやらアレが自分の終の住処らしい。
「もうどうでもいいわ……」
せめてもの抵抗に周囲の声を押しきって黒いドレスを着てやった。慶事では身につけない色だ。しかしそんな反骨心も、いざ見えてきたマンバナ村を前にして萎んでしまっていた。
風雨に晒され傷つきくすんだ黒真珠。それが今のシルフィーだった。
◇
村に入れば全体が浮き足だっていることは一目瞭然だった。さして人口のないはずの村に人だかりまで出来ており、その誰もが自分の名をささやいている。シルフィーはそれを見て不安になった。
「私の悪名はどれくらい広まっているのかしら?」
学園のある王都では面白おかしく騒ぎ立てられたせいで彼女の評判は散々だった。あの後すぐに謹慎を命じられたので、どれくらいまで噂が広がってしまったのかは分からないが、新聞にまで名前が乗せられてしまったと聞いている。さすがにこの村にまで新聞が届けられているとは思わないが、それでも人の口に戸は立てられない。
噂に尾びれがついて、半年前の彼女は世紀の大悪人に仕立て上げられてしまっていた。
「そりゃ、私はアリスみたいに大人しい性格じゃないけど……」
小さい頃から親兄弟からも気が強い女だと言われてきた。しかし今回に関してはそれが全て悪い方向に働いてしまった。
実際にイジメや意地悪を示唆したので完全に無実だと言い張るつもりはさすがにない。しかしそれでも無実の罪をなすりつけられた部分は少なくなかった。
屋敷が見えて馬車が止まったとき、彼女は自分がひどく緊張していることに気がついた。
こんなことは初めてだった。
彼女は四大貴族の娘として社交界デビューしてから様々な場に出向いていた。この国で一番偉い国王にさえも何度も私的に顔を合わせている。そんな自分が田舎の地方領主に合う事に怯えていた。
本来なら自分の方が圧倒的に立場が上なのだが、実家に見捨てられ放逐されてしまった今はその力関係は逆転している。
大柄で野蛮な野豚のような男。その男に自分は全てを捧げなければならないのだ。
「し、しっかりしなさい……」
自分自身を叱咤する。
ゆっくりとドアが開けられると、シルフィーは覚悟を決めて立ち上がる。それでもやはり緊張していたのだろう。馬車から降りるときに慌てたせいか、少しだけドレスの裾が乱れて足が見えてしまう。
(わ、私としたことが、しっかりするのよ……)
普段はしないようなミスだ。それを誤魔化すようにシルフィーは改めてまっすぐに正面を見据える。するとそこには大柄な男が立っていた。
この男がダボンなのだろう。樽のような体型に短い手足。顔は丸顔で、鼻も丸い。確かに美男子とはとうてい言えない顔をしているものの、思ったよりも愛嬌のある顔をしていることにシルフィーは少しだけ安堵した。
その男が自分を見据えながら口を開く。
「はは、はじめまして。マ、マンバナ村の領主のダボン・マンバナですっ!」
悪女と呼ばれて追放されたシルフィーは、こうしてダボンと初対面を果たしたのだ。
シルフィーの性格は序盤が終わるまでちょっとわかりにくいかもしれません。
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