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鍛えよ、勝つために 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 おいおい、つぶらや、大丈夫か? さっきから息が切れっぱなしじゃないか?

 正直、若い頃の感覚で身体を動かすもんじゃないぜ。お互い、この歳じゃあね。

 ほんと、若い頃はこの気力、体力がずっと続いていくもんだと思っていたのになあ。ずっと心臓は動き続けて、命は途切れることなく連綿とつながってきたはずなのに、どうして変わっちまうんだろうな。

 一方で、生涯ばりばり元気なじいちゃん、ばあちゃんだって存在する。若い者にとって、目の上のたんこぶに感じるくらいのさ。

 これ、老人たちの練磨や心がけを称賛するべきなのか? それとも、若者たちの怠慢や不甲斐なさを叱責するべきなのか?

 いずれにせよ、成果の前には、年齢なんて二の次。

 その時、その時に適した奴がそこにいる。上には上がいて、下には下がいる。実力に見合わない順位を得ようと、不正に手を染める奴までいる。ほんと、競争ってのは怖いところだ。

 競い、勝つために限界を極めていった者たち。そのいちエピソードがあるんだが、聞いてみないか?


 戦国時代に入ると、武芸の教授によって生計を立てる「兵法家ひょうほうか」が姿を見せるようになった。

 同じ字でも「兵法へいほう」が戦略や戦術を指すものであるのに対し、「兵法ひょうほう」は個人の武芸修行を指し、規則などない戦いの場で、生き残ることに重きを置いた、実戦的な技術を会得する。

 ことわざでも語られるように、中途半端な技だとケガをするのは必定、というわけだ。

 だが合戦の世にあって、ひとりだけが無双の力を持っていても、大局に影響を与えることはできないという観点からか、兵法家はその戦闘能力の高さに関わらず、さほど重宝されなかったという。

 それでも、続けなくてはならない事態があったらしいぜ。


 その流派は、滝行を修練の一環として取り入れていた。そのためにお世話になる滝は決まっていて、師範とその弟子しか寄り付く者はいないという、山奥の霊地。

 そこにたたずむ岩の肌を削って流れる滝は、ゆうに三十数名の大人が並んでも、まだ横幅に余裕を持っていたという。師範はここを「天の産湯うぶゆ」と呼んでいたらしい。

 いわく、ここは天の神様が生まれた時に漬かった、大量の湯が流れているところ。それははるか時を経た今でも尽きず、また神の身体を最初に清めたものであるがために、あらたかな霊験を備えている、と。


 実際、滝に打たれた者の話では、最初の数十拍ほどは、鼓動が早まり、全身へ次々と針を刺されるかのような、痛さと冷たさが走る。

 しかし、それを超えると、鋭かった針は羽毛のように柔らかいものへへんじ、眠気すら覚える心地よさに包まれるとのこと。

 かの流派の滝行は、その滝を浴びながら足場となる岩の上に禅を組み、師範が順番に座っている者たちの身体を、手でもみほぐしていく、という現代でいえばマッサージのようなもの。先に述べたような滝の感覚も相まって、苦行、荒行とは程遠いものだったとか。


「天恵を受け入れること。これが何よりも肝要。そのための身体を作らねばならぬ。さすればいかなる悪意、害意が降りかかろうと、倒れることはない。倒れなければ、負けることもない。負けなければ、勝つのみよ。鍛えるのだ、勝つために」


 弟子たちの身体を解きほぐしながら、師範は常々、そう語っていたそうだ。


 実際のところ、弟子たちが素手のみならず、木剣やタンポ槍を持って打ちかかった時、師範はそれらを必ず一度は防ぎもせず、身体で受け止めたらしい。

 そののち、あまさず払い飛ばし、その身にはアザひとつ残さなかったという。

 ほかにも滝行の際、その場にいる全員を押しつぶさんほどの巨大な丸太が、滝の上から転げ落ちてきた時があった。

 逃げようとする弟子たちの前で、師範はひとり、丸太の落ちてくる場所に立つや、拳で丸太を殴りつけた。そこを起点に真っ二つに砕き割られた丸太は、弟子たちのいずれも巻き込むことなく、滝の両端へ飛んでいったという。


 弟子たちはこの力を手にするべく、滝行以外の稽古にも精を出したが、大半の人はさしたる効果を得ることができず、去っていってしまった。

 それに加えて、月に二回。師範が稽古場を離れるため、各自で乱取りをするよう申し付けられる日が存在する。

 そして翌日に姿を見せる時、全身、大小さまざまな傷を負い、手や足に添え木をしている場合もあったという。

 強健な師範の身体を、ここまで傷つける用事とは、何なのか。

 それは弟子の中でも、師範のいう「天恵」を最もよく受けられるようになった、と認められた者によって、伝えられる。


 その弟子は師範ほどではないにせよ、至近距離からの投石に対し、肌が傷つかないほどの堅固な身体を身につけることができたらしい。あくまで傷を負うことがないだけで、相応の痛みは走るから、好きこのんで受けたくはない、というのが本音だったようだが。

 皆の仕掛けを受け続けている師範の辛さが、文字通り身に染みた頃。彼は師範に呼び出され、かの外出の用事に立ち会うことを頼まれた。


「お前が一番、スジが良い。このままいくならば、私のあとを継ぐこともできるやもしれん。だからこそ教えておきたい。なぜ我らが、『天の産湯』を浴び続け、天恵を得んとしているのかを」


 そう告げる師範は、次の外出日。こっそり件の弟子にのみ、自分の向かう場所と時間について教えた。もちろん、その日の乱取りを休んでだ。


 指定されたのは、稽古場から半里ほど離れた、小高い丘の上だった。弟子自身も何度か訪れたその場所。わずかに崖を成す、小さな高台で師範は待っていた。

 師範の服装は、いつもの胴着姿じゃない。袴、小袖、その上に羽織る単衣ひとえまで、白一色で統一された、白装束。もしも目を閉じ、横たわっていたならば、死人と見まごうほど、整ったたたずまいだったとか。

 師範は弟子の姿を見据えると、自分のそばへ手招きし、低く静かに話し出す。


「よく来てくれたな。これよりお前が目にすること、しかと心に刻んでおけ。ただ『こと』が済むまでは、あの……」


 師範が指さす先に、人がすっぽり隠れてしまうほど、太い幹を持った大樹が立っていた。師匠はなお、重々しい口調で続ける。


「木陰より、気配を殺して見つめるのだ。音を立てたり、声を出したりしてはならぬぞ。重々、気をつけよ。そして、見届けよ」


 弟子は空恐ろしい言葉に、かすかな怯えを抱きつつも、師範に言われた通り、木の陰へと身をひそめる。

 その姿を確かめた師範は、高台のへりへ歩いていく。崖っぷちの数歩手前で立ち止まると、そのまま姿勢を正し、直立不動の構えを取る。

 師範が弟子たちの仕掛けを受ける時は、いつもこの姿勢だ。両腕をぴしりと身体につけ、足の間も開かない。瞳こそ薄目を開けているが、ほとんど閉じていた。その状態でも、師範のまぶたは堅牢で、拳や投石、刃すらも跳ね返す。

 かたずを飲んで見守る弟子。やがてその視界に新しい影が差した。

 

 それは、崖の下から湧き上がるようにして、立ち上がる。

 その身体の高さは、今、弟子が隠している大樹を超え、幅もじょじょに高台からはみ出して、周囲に漏れ出す。図太く作った、物見やぐらといった大きさだ。

 黒々とした身体は、その肉付きがはっきりと見えず、半ば煙のようだった。しかし、最初に見え始めた頭部らしき箇所には、一つだけのまなこが光るのが見えたんだ。人のそれよりも何倍も大きい。

 一つ目をした大きい煙の先端が、師範へと伸びていく。対する師範は姿勢を変えず、動こうともしない。

 前から伸びた煙が師範の額に、回り込んだ煙が師範の後頭部に、それぞれ触れたかと思うと、風に吹かれたように空へと上がる。師範の全身も煙に合わせて、空中へと持ち上がっていく。その様は、二本の指につままれた、楊枝ようじのごとく見えたとか。

 

 あっけに取られて、宙へ持ち上げられた師範を見つめるばかりの弟子の鼻へ、思わず息を止めてしまうくらいの、つんとした臭いが襲い掛かる。

 ちらりと目を動かすと、ちょうど高台を挟んで、師範を持ち上げた黒い煙と対するように、白い煙が立ち込めていたんだ。

 やはりはるか上部に一つ目。そして、煙が成す身体の中ほどには、師範と同じように白装束に身を包んだ、人間の姿が。

 弟子の頭に、恐ろしい考えが浮かぶ。そして、それはほどなく、現実のものとなった。

 相対する二つの煙は、高台の存在など気にも留めぬとばかりに、間合いを詰め合うと、手に持った師範たちが振り回され、互いに激しくぶつかったんだ。

 それは、自分たち人間が行う剣術の稽古と、非常によく似通っていた。

 

 件の戦いのいきさつを、彼が詳細に語ることはなかったという。

 ただ、結果のみを見れば、師範は打ち勝った。白い装束を、相手のものか自らのものか分からない液体に染め上げながら、やがて煙の指が高台の上へ放り出したらしい。

 相手はというと、同じく大層汚れた白装束が地面に落ちたのをのぞけば、足首から先しか残っていなかった。やはり白い煙の指が、興味をなくしたかのように、かの残骸を放り捨てたんだ。

 黒き煙が崖下へ、白き煙が丘の下へと姿を消していくのを見届けて、弟子は木の陰から飛び出して、師範に駆け寄る。

 その身体を抱きかかえたものの、すぐに師範は目を開け、自分の足で立ち上がった。痛む箇所があるらしく、身体が少しふらついている。

「見たか」という師範の問い。弟子は恐る恐るうなずいて、答えた。


「あいつらにとって、我らは道具。稽古か、たわむれかは知らぬ。だが、あやつらの望みに応じられなかった時、この世にあまねく存在する全てが、奴らの道具となる道をたどる、と伝わっておる。

 勝たねばならぬ。鍛えねばならぬ。将来さきのために」


 師範は弟子に大義を説き、後を継いでもらいたい、と頼み込んだが、あまりに刺激が強すぎた。

 彼は数日後、荷物をまとめて出奔。二度とかの稽古場に訪れることはなかったという。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] 天恵を受け入れるには、それに見合う器づくりというのも必要なのかもしれませんね。 確かに、修行の先はゴールではなく、そこから本当の戦いが待っているのですね。 弟子の気持ちも分かりますが……。 …
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