針生戸 映一 運命の日
車中泊三日目、男は寝不足である。眠れるわけがない。
男は運転席でうつぶせた姿勢を起こしただけ。
そこから少し運転しては食料を調達しまたどこかへ。
何かから逃げるように、どこから来たにしろ車の距離は
出発から200キロを超えてまだ距離を伸ばしていた。
運転席とどこかの売店。それが今の男の世界だった。
目覚めて間もないわりに行動はふらつきながらもはっきりしていて
あたりを数回見渡しながらエンジンをかける。
ブルルルルン!ブブブブブブ
エンジン音と振動で男の瞼はまた閉じ始める。
それをとめたのは男の猛然とした恐怖による緊張感だった。
鼓動が早くなる。起き抜けとは思えぬ速さ。眠気はどこかへとんでいっていた。
助手席に雑に放置してある注射器と弁当の食べかすやペットボトル。
注射器の先端には血のようなものがついている。
男は自分が落ち着くためにと、その行為をその場で幾度となく繰り返していた。
依存し常習していたソレは助手席の足場にあるダンボール箱の中に
使い切れないほど入っている。そう、使い切れないほどに・・・。
早朝、その街の一級河川にかかる大きな橋。その十数メートル、
さらに数十メートル先の両側にも橋はある。
国道の通ったその大きな橋の名は多橋本当の名は
大橋(この字でのおおはし)だが、ここの数代前の市長が大がかりな補修工事の時、
市民の理解を得たうえで改名した。という話がある。
その橋の直前の歩道を針生戸が歩いている。朝も早く車はまるで通らない。わけではなく
時折、大型車が猛スピードに思える法的にはセーフなのか?という速度で通っている。
申し訳程度の路側帯がありガードレールはない。見通しはよく、ここ十年以上、この日まで
この国道のこの橋付近で交通事故が起きてないのがこの町の自慢の一つである。
人のいない、少し欠けている「多橋」のプレートのある欄干までやってきた針生戸は
一瞬足をとめた。が、再び歩き始める。まっすぐ学校まで歩いていたその足は
橋の真ん中の欄干でいつの間にか川を眺めている男に向いていた。
肩を越して伸びている髪、背の高いその人物。針生戸はその人物に向かって歩いていた。
が、あと数メートルほど近づいた時、露骨と思える角度で男を通り過ぎた。
「・・・・・・・・・」
小声。というには大きかったがちょうど大型トラック、男、針生戸、と
重なり合うタイミングで通過したことで全く聞こえない声で針生戸が口を開いて通り過ぎた。
「お世話になりました」
男には聞こえていた。聞こえた直後、背中を震わせながらうずくまる男。
少ししてその背後を明らかに速度超過の乗用車が通り過ぎた。
その車はあの薬を常習する男の車だった。男は速度超過を意識することなく
ただひたすらアクセルを踏み直進していた。大橋を渡って国道に出ればこの街を出られる。
頭の中はそのことだけにとらわれていた。前を走っているトラックに近づいていても停止できる。
と考えていた。だが男の車は男の想像以上に速度が出ていた。
針生戸は男を通り過ぎながら考えていた。
『自分は本当に死ぬのかな・・・?カインさんがいた。ということは
そうなんだろうけどどうやって・・・?』
そんなことを考えながら横を通り過ぎる異常な速度の車を気にすることなく歩いていた。
橋が終わって数メートルくらいの位置に信号がある。トラックは運悪く赤信号に捕まった。
異常車の男も信号があることは知っていた。取引や雑用の際には通り慣れた道だった。
この数日前、魔が差して取引中におきたトラブル(計画済み)で渡すはずだった
箱の中身と受け取った紙幣が詰まった旅行鞄を全て盗んだのだ。
今に至る数日間で計画通り車に乗り県外への逃亡を成功させる。それが今だ。
前のトラックが赤信号で止まっている。異常な速度の車だがブレーキを強めにかけ
止まれる間隔だった。が、突然トラックから不自然に人が降りてきた。
トラックに近づきながら車の中で男が
「あ、ああ!!」
怯えたような声が車内だけで響く。数日前、クスリの入った箱を引き取りに来た取引相手だった。
遠目で確認はできないが服装などがその時のそのものだ。
何より当人が一番「あの時のあいつだ」と確信した。
トラックから降りた男は逃げる男を逃がさないと降りたが直後寒気を感じて驚く。
脇に歩いている学生を見つけたのだ。針生戸だった。
考え事をしていた針生戸は橋の出口付近まで歩いてきていた。歩道信号も赤。
その横を少し見るとトラックが止まっている。その後ろ、
さっきまですごいスピードを出していたのを見た自分の斜め前の車が
急にハンドルを切ったのか自分めがけてつっこんできたのだ。
ドリフとしながら角度でいうと130度ほど急転回し路側帯に乗り上げたはずみで
車の速さは異常な速度が出ていた。
車の減速は針生戸も考え事をしながらも感じ取っていた。が、突然車が停まろうとしていたのに
いきなりアクセルをふかして左に曲がりはじめた。完全に虚を突かれた状態。
これをしのげる人間はおそらくいない。
車の男はトラックから降りてきた取引相手を見て『捕まったら殺される!』そう考えた。
組織を裏切り大金と大金の種を独り占めして逃げるからだ。男も組織を裏切る気はなかった。
だが、浅はかに考える人間は浅はかな欲望にすらあらがえないものなのだ。
ついおこった出来心だった。これも一つに「魔が差した」と言われるように
悪魔がそそのかしたように言われるがそれは人間側がとってつけた言い訳である。
幾度と取引の現場に立ち会いそれが場所こそ色々変えどやりかたを覚えた男は
「これは出し抜ける」そう考えてしまったのだ。
その報いが今日男に降りかかった。そしてその結果が一人の高校生の命運と関わっていた。
ただそれだけである。
ドガシャアパアアアアアアアアアアアアアアアアアー!!!!!
大きな衝突音と同時にクラクションが壊れたように叫び続ける。
トラックから降りた男はくるまに走り寄る。正確には巻き添えになった学生に。
車まで近づいて車内を一瞥し運転席を確認すると『こいつはあとでいい』と判断したのか、
「おい!おい!」とぶつかった欄干と車に挟まれたであろう位置を見る。
男の位置では車の角度で見えないので回り込もうとした時だった。
「くるな。」
目の前に欄干でたたずんでいた男が車の横に立って男を遮っていた。
いきなり現れた男に驚きはしたが、この今の状況にさっきまで未確認だった男
『こいつの協力者か?』
そう考えた男はとっさに男の胸倉をつかみにかかる。
近づいてきたその手首を男は掴み裏にひねって口を開く。
「車の男は好きにしろ。早く警察を呼んでこの場からすぐに消えろ」
そういうや掴んでいる手を離しながら男を突き飛ばす。
あまりの速さに体を極められた男は突き飛ばされた直後負けじと振り向きながら懐へ手を入れる。
距離を取り得物を構えると、そこにさっきまでの男はいなかった。
数秒もないできごとだった。逃げる場所などない。クラクションはずっとなっている。
バスンバスン!!
男の握っている拳銃が勝手に銃口が上に向き、男の意識しない中で2発発射された。
硝煙が銃口から漂う。弾丸は数秒後橋のどこかに落ちるだろう。
何が何だか分からなくなった男だが
「最後に言ってやる。早く警察を呼んでここから立ち去れ。そろそろ人も来るぞ」
恐ろしい威圧のこもった声だけが男に聞こえた。がなぜか気持ちも落ち着いてきた男。
冷静になってきた感覚は不思議だったが今は逃げた男と証拠品の回収だ。
手袋をして車を開きうなだれてもう呼吸もない男を抱きかかえ放り投げる。
「おい、でてこい」
トラックの助手席側から2人の男が飛び出てくる。いそいそと男に近づく。
「兄貴、さっきのは・・・」
「いいからもの運べ。お前は助手席下の箱の中身だけ持てるだけ持ってこい。かばんはお前が持て」
「しかしさっきのは・・・」
「いいから!それから警察に通報しろ。大橋で事故がありました。くらいでいい。
あっちこっち人も出てきた」
いろいろ言いながら3人はそつなく作業をこなし呼吸してない男を再び運転席に置き
トラックに乗り込んだ。
トラックから最初に降りてきた男はトラックに手をかけた時車の方をちらっと見ると、
さっき立ちはだかっていた男を一瞬
目にとめたがトラックに乗り込むやちょうど信号が変わったのでそのまま走り去っていった。
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ほどなく警察が到着。現場保全のために黄色いテープを張る。
今まで事故などなかったので近隣住民は落胆したり野次馬したりいろいろ集まってきた。
数分後、警察は現場の調査に乗り出していた。
その下で・・・
橋の下、コンクリートの厚い支柱が途切れた直後の隙間のような場所。
そこに、カインと欄干と車に挟まれてしまった針生戸、であった魂が見つめあっていた。
「・・・これが、僕の最期なんですね」
「・・・」
「考え事してた自分も悪いですが、これ偶然ですよね?」
「・・・ああ、それが運命だ」
「・・・で、今は何を・・・?」
「あいつの・・・宅間裕司の最後に伝えたい言葉があるんだ」
遅くなりました。もうすぐ。