忘却の水事件
忘却の水。レテ川と呼ばれる川の水。飲むとあらゆる事を忘れてしまうという。
飲む量によって忘れる時間が変わる。それに魔力を流すと忘れられる事柄、
期間を操作できる。そのほとりの川の水を吸って育った木を使った「忘却の椅子」
と呼ばれるものを使い、テセウスとペイリトオスという二人の英雄を罠にかけた事もある。
ピュレゲトン川の支流ともいわれていたりする。まぁそんな事はどうでもいいんだけど。
忘却の水・・・あんまり信頼しすぎるのは考えものだったな。
いや・・・違うか・・・あいつの、気持ちが忘却に勝ってた・・・んだろうな・・・。
某月某日、ある高校で文化祭が行われた。以前カイン達とディブグがひと悶着した学校だ。
一際大歓声が聞こえるのはあの体育館である。われんばかりの拍手が聞こえる。
そして時が過ぎ、それから思い思いの文化祭を楽しんだ学生、来場者が帰っていく。
空の片隅が暗くなりはじめた時刻。体育館裏で数人の生徒が片付けの
残りの片づけ(?)をしながら雑談していた。
「いや~初めて演劇ってみたけど面白かったな!」
「高校の演劇であんなアクションすんのか!?めちゃめちゃ練習したんだろうな」
「シーン数とか少ないのにめちゃめちゃ奥深い話だったな。
それが学生作品だろ?末恐ろしいな考えたやつ」
「アイドルオタばっかだと思ったけどなんか芸能関係も多く来てたんだってよ」
「でも役やってるのはあの紗栄子ちゃん娘含めて学生っぽい演技ばっかだったよな」
「さっき片づけ手伝った時に聞いたんだけどな。今回の演劇、途中に入った
あのブタクマ(宅間裕司のあだ名)の昔の脚本のリメイクなんだってよ」
「そういやブタクマ、復学してからなんか気味悪かったけど
最近めちゃめちゃいいやつっぽくなってない?」
「そうなんだよな。俺らやいじめてたやつらも初めキモがってたけど
最近のあいつっていい勢いあるんだよな。こんなおもろいやつだったとか見直してるわ」
「ケン坊(いじめてた学生)達も以前針生戸にちょっかいかけてから変だったけど
ブタクマ復帰してまたいじめようとしてあの勢いに返り討ちだったっけ?」
「なんか殴っても蹴っても紗栄子ちゃんネタ出しても愛想笑いで受け流してたってよ」
「・・・なんていうんかな?あいつ強くなってんだよ」
「うわーっといきなし大野っち!あれ?ケン坊くんらは?」
雑談に集中してた中でいきなり後ろから声をかけてきた。そのまま話に入る。
「ああ自分らのクラス片づけの途中でフケった。俺だけ居残り」
「ああ、なるほど」
「ブタクマが強くなってた?見た目昔っから変わんないけど」
「見た目とかじゃねーよ。何言ってもやってもヘラヘラしやがるトコ、それも
なんつーか怖がっての笑いとかじゃなくて普通に笑ってんの。殴るそぶりするだけで
ビビってた奴がだぞ。なんか毒気抜かれちゃってよ・・・」
「演劇部もよく戻したよな。その辺もなんかあるんかな?」
「俺もさっき演劇のほうの片し手伝ってたんだけどさ、ミカ(大野の彼女)に言われてよ。
校長室の前でたまたま耳に入ったんだけどブタクマを戻したのは針生戸の説得なんだってよ」
「まーたあいつか。戻っての2か月で猛練習に猛準備。学校もよく許可したよ」
「だな、俺らも同じクラスだからって狩りだされたし。紗栄子ちゃんはオーディションとか
で学校にも来ない事あったのに練習だけは毎回来てたらしいしな」
「針生戸もなんかこの2か月鬼気迫る感じだったよな。まぁ最後の文化祭だし
あれだけ面白いの見せられたらあの気迫も納得しちゃったよ」
「やっぱそういう進路行くのかね?」
「ん?あれ?あいつ2年だろ?最後じゃねーじゃん」
「ああなんか針生戸、転校するとか聞いたんだよ」
「「「はあああ?」」」
その場には4人いた。大野、大野登場に驚ろいた生徒、それと話してた生徒。
その横で黙々とダンボールを切ってはかけらを束ねていた生徒。みんなが驚いている。
「なんで?なんで竹っちょが知ってんの?本人からでも聞いたのか?」
「ん?ああ本人から「俺もうすぐ他に行くんだよ」って」
「マジかよ~。でもこんな時期にか?なんか聞いてるか?」
「いいや~全然、クラスでもなんにも聞いてねーし。演劇部は?」
「いえ、そんな話全然聞いてませんよ?練習中も準備の時も!本人も普通で・・・あ」
「「「?」」」
「一昨日かな?最終リハーサルの前の全力リハやったあとなんですが、
宅間先輩が針生戸君にしゃがみながら泣きついてたんです」
「うーわ!どういうことそれ?なに?エロ?ホモ?」
「おいおい」
「いや~あれはそんな雰囲気じゃ・・・遠めでしか見えなかったんで
何言ってるか聞こえなかったし。あ、あのトイレ脇の焼却炉の手前で
僕その時ゴミ捨てしてたんですよその時目に入っちゃって」
彼が指さす方向はざっと20メートルはあった。
夕闇もいつのまにかそこそこ深くなっている。一応、焼却炉とトイレが見える。
「遠!!見間違いだったんじゃね?」
「僕目はいいんですよ。両目2,0なんで。間違いなくお二人でした。遠いからこっちは
気づいてないようでしたけど。他じゃ死角ですけどちょうど見える角度だったんです」
「ふ~ん・・・ブタクマは知ってたのか。そういやあいつら幼馴染なんだっけ?」
「ああ、ケン坊が言ってたな。ケン坊も同じ地区だからちょくちょくあいつらの
ごっこ遊び見てたって。ケン坊、紗栄子ちゃんひそかに好きだったらしくてよ(笑)」
「ごっこ遊びから演劇か。筋金入りってやつだな」
「本当に最後なんか・・・来年も見たかったな」
「転校先行ったら見れるんじゃね?」
「ここで見たいんだよ!ほか行くのめんどくさいだろ?」
「俺らも頑張りますよ!」
「ははっまぁほどほどにな。とりあえず最後のゴミ捨てて帰んべ」
そう言うやしゃべりながらも、ちょくちょくと手を動かして各々で片づけていた
燃えるゴミや木片、ダンボールなどちょうど人数で収まる荷物を体育館の壁際に押しやる。
タイミングを見こしたかのように担任がやってきてOKサインを出すと生徒たちは礼をして
それぞれの帰り道に向かう。直帰するもの、寄り道するもの。彼女と待ち合わせするもの。
担任はそれぞれの生徒の背を見送り片隅の荷物を一目見やる。
「片づけていいもん、だったよな」
そうつぶやくとパチンッと指を鳴らす。
その瞬間その荷物は煙も出さずいきなり燃えて燃え尽きた頃には
そこには何も残っていなかった。焦げ跡も燃えていた痕跡さえも。
探知能力は低いその男も周りに気を使って周りに人がいないのを確認したうえで
魔力を使ってゴミを片付けたのだ。ただ一部を除いて。
体育館の周りをなぞるように回り、いつぞやの体育館の入り口に差し掛かる。
そこで待つ一人の男に早く帰るよう注意するために。ただ一部とは体育館内部に
一人分の気配に気づいたということだった。
空には太陽の痕跡が赤々と西の空を燃やしその色も数時間も待たずに黒に染まる。
逢魔が刻。男が驚く奇跡はそこで起きた。そしてそれが始まりでもあった。
担任の男はまだ気配のあった体育館にいる生徒?それとも教師?に早く帰宅せよ
と注意を促しに向かっただけだった。
「・・・カインさん?」
入り口から入り閉められていたカーテンをまくりながら進み出たところで
注意しようと進めていた男の足が止まる。
数時間前まで拍手を見けられていた輝かしい舞台は名残すら消えたように暗い中、
スポットライトだけ手前中央についており、その真中に小太りの見覚えある人影が一言呟いた。
カーテンがするりとはだける暗闇の中スポットライトからの輪郭で男の姿はかろうじて見える。
カインだった。
「・・・」
「やっぱり、カイン先生、い、いや、し、死神のカインさん」
ドキッ カインの胸に何かが刺さる。
あの騒動の後、針生戸、宅間裕司、紗栄子の三人には忘却の水をふりかけ魔力を流し
自分との記憶、それにかかわる部分の記憶をすべて消し変えたはずだった。
魔力の作用は魔力使う存在なら目に見えてわかる。当時カインもプリンシパリティも
取り巻きのガミジン達も忘却の水の効力は確認している。
もはや自分たちを覚えているハズなどありえない。あってはならないのだ。
が、なぜかこの場にいた宅間裕司は明らかな発音で、男に死神、カインと言った。
おそらくはディブグとの出来事すら覚えているだろう。カインは動けもせず声も発せずにいた。
「カインさんは・・・映一を、針生戸を殺すために来たんですよね?」
「・・・」
「映一を殺したんですか?」
「・・・」
「殺してないんですか?」
ひとつ深呼吸するカイン。吐く息はため息に似ている。
「宅間、裕司・・・なぜ覚えてる・・・?」
質問を質問で返すカイン
「映一をこr
「まだ殺してない・・・というか別に俺が殺すわけじゃない・・・なぜ覚えてるんだ?」
以前の宅間裕司なら質問返しにそのまま答えていたろう。
しかし強くなった彼はカインにさらに問い返した。
あり体に答えて自分の質問を繰り返すカイン。
「お、思い出したんです。一昨日くらいに・・・ぜ、全部・・・全部・・・」
答える声はゆっくりと嗚咽を含み最後に泣き出してしまう宅間。
舞台の端に座っていた宅間。少し高さはあろうその舞台から滑り降りるように床に降りる。
するとまるで崩れ落ちるようにその場に伏し号泣し始めてしまった。
『一昨日くらい・・・さっきの連中の言ってたあの時に何か・・・?』
カインは実は先ほどの学生の雑談を可視化することなくそばで聞いていた。
最初はあの演劇のできをきくだけだった。というのも
カインはあの騒動の後、忘却の水を使ったのを最後に針生戸との接触を避けていた。
脱走者も始末し始末書も書き終え、プリンシパリティとの繋がりも断ち、その予定者の
予定までの不安材料がないと判断し、この瞬間までカインはこの学校にすら
立ち入ることがなかったのだ。今ここにいるのは偶然なのか、本人のきまぐれによる
まさに運命による事であった。
近づくカイン。が歩みが止まる。近づく男を死神と知る男、人間が恐怖しない訳がない。
号泣する男に何をするわけではない、ただ近くによろうと思って再び足が動いたとき。
「カインさん、あいつ、ヒックあ、あいつの代わりに・・・」
ビシイッ
カインの体にまるで氷の槍が上から貫くほどの冷たい衝撃が走る。当然歩みも止まる。
「映一の代わりに・・・お、お、俺、俺を・・・う、うう」
嗚咽、鼻水のすする音、恐怖による震え。だがその恐怖はカインにではない。
自分の言葉。自分の言おうとする覚悟めいた言葉に対しての言葉へだった。
かつていじめられ、その末に妹への偏愛から悪魔に魅入られて私欲を貪り
死神にとらわれた幼馴染を嘲り死を願ったにもかかわらず、今はその死を願った
その人間の代わりに自分の命を差し出そうとしている。その人間を目の当たりにした
カインは再び足を動かした。
「俺をあいつの代わりに殺ひてくd
「言うな・・・!言うな・・・言わんでいい・・・」
カインの足は駆け出して少し重めの少年の体を抱きかかえ抱きしめていた。
「あい、あいつはぜ、絶対、おお俺よりすごいや奴に、な、なるんでず!!
あいつのおかげで今、お、おれがあるんです!でも、でもあいつのほうが絶対!絶対!
俺なんがより・・・!」
カインはただただ抱きしめていた。が、次の瞬間、頭をなでていた左手に魔力を込める。
そしてすぅっと手を上に伸ばすと透けた宅間裕司のようななにかが手に引っ付いて出てきた。
『うわああああああああ!!!!!ちょっ!ちょっとカインさん!』
文字通り上空からとんできたのは一人のガミジン。腕に6と書いている。
「すまん、つい」
『ついで霊魂抜かんでください!まぁレテ水が効いてなかったのは
こっちも驚きましたが、って・・・』
そのやり取りの間、カインは宅間の霊魂を戻し横に寝かせた。
数十分後に当直の担任に見つけてもらう手はずを
別に飛んできたガミジンにとらせていた。
「すまん・・・すまん。始末書はちゃんと書く。霊魂から直接レテの効果を流し込んだ。
持っててよかったよ・・・今度はいいだろう。まさか効果がきれるとはな・・」
『はぁ・・・そういう事でしたか。いきなり引っこ抜くからびっくりしましたよ。
でもやっぱり物理界だと効きが悪いんですかね?』
「それはないだろ。今までこんなことなかったよ・・・まぁこんな状況が
そうそうなかったがな・・・」
『ディブグの宿主だったというのも関係があったのかも、ですね』
「そうだな・・・となると、だ。もしかしたらあいつも覚えてるかもな」
『予定の彼、ですか?死神と関わったことを覚えてる場合・・・
自分の防衛に走りますかね・・・?』
「いや、人間の運命ってのはその当人が俺ら物質に非ざる者を
認識しようがしまいが、当人が物質界そのものの流れの中にある以上
・・・なるようにしかならないのさ」
そういいながらカインは胸ポケットから手帳を取り出す。
死の予定者の名が記された手帳。そこに書かれている「針生戸映一」の名前は
血の色と同じくらい赤く燃えるように記されていた。もうすぐ。である。
カインは先ほどの宅間裕司の言葉をかみしめるように考えていた。
人の運命の不条理、自らの欲により呼び出した悪魔に翻弄されながらも改心した奇跡、
その末に身代わりになろうとする覚悟。人の、それも若い命が
これから終わろうとしていることを知るカイン。
しかしどうすることもできない。カイン自身、見届けるだけなのだ。
カインにとってこの忘却の水による事件はカインの心に強く残る思い出の
一つに焼き付くことになる。
その仕上げのためにカインは夜空に溶け込むように消えていった。
カインによろしく2もう少しで終わります。
もしかしたらカインによろしく1(前作)と2(コレ)」のタイトルを変えるかもしれません。
その時はよろしくお願いします。