石
「ミホ、引っ越しお疲れー!」
アサミがいきなりそう言って手にしたジュースを掲げた。
つられたようにサナも「おっつかれぇー!」とジュースの缶を掲げる。
「ありがと! 本当なら新居に招待しなきゃなのに、ゴメンね。家具とかまだぜんっぜん揃ってなくて、とても人を呼べるような状態じゃないのよ」
お礼を言いつつ、私の返事は半分以上が言い訳になる。家具が揃ってないだけじゃなくて、まだ部屋のあちこちに段ボールが積んである状況なのだ。
「いいの、いいの! 引っ越しって大変だよね~。今日は段ボールの山は忘れて、思いっきり遊ぼうね」
そう言ってケラケラ笑うのはアサミだ。三人とも下戸なので、今日みたいなバーベキューでも飲むのはビールじゃなくてジュース。
「え、なんで部屋が段ボールの山ばっかだって分かったの!?」
「あー。やっぱりそうなのかー! ミホはものを大事にするタイプだからさ、きっと前の部屋にあったもの全部持って引っ越したんじゃないかと思って」
「やっぱ付き合い長いと隠しきれないか」
と、他愛もない話題で、あはははは! と笑う。
酔っ払いでもないのに、酔っ払いみたいなハイテンションではしゃいでいるのは、長い付き合いで気心の知れた仲だからだ。
「ところで、新居はメゾネットタイプのマンションなんでしょ? やっぱ広い?」
身をずいっと乗り出してそう聞いて来たのはアサミだ。
「ん。まぁね。やっぱり二人暮らしだから、それなりの広さが必要じゃない?」
「駅に近くて家賃格安って言ってたけど、そこ大丈夫なの? まさか事故物件?」
声を潜めてそんなことを言うのはサナだ。
言ったそばからアサミに「ちょっと!」と肘鉄を食らっている。
サナの怪談好きにはなれているので、別に気にならないけど。
私の横でアキハルが小さく息を飲んだ。
ああ、そうだった。怖い話、苦手だったっけ。
「だってさぁ、やっぱり気にならない? 大事な友だちがそんなとこに住むことになったら……」
「サァーナァー! だから! そういうのはっ!」
唇を尖らせるサナを、アサミが眉を吊り上げて遮る。
よくある光景だけれど、このまま黙って聞いてたらヒートアップしかねない。
「ね、ねぇ! ここのバーベキュー場って広いし新しくて綺麗だし、すごく良いね! こんな穴場よく見つけたねぇ」
慌てて探し出した話題だけれど、言っている内容は本音だ。
私たちがいまいるのは、川の近くに作られたバーベキュー場だ。静かに流れる川、その川の向こうには深い緑の山。河原では水に洗われて角が取れた石が太陽に白く輝いている。
「でしょ? この前、会社の人と来て、いいなって思ったんだ」
ここなら確かに大勢で来ても手狭にはならないだろう。各スペースの間隔は充分に広く取られている。
バーベキュー場からは直接河原に下りられるようになっている。
お腹もいっぱいになってきたし、ちょっと腹ごなしに散歩したいな。そう思ったけれど、目の前に座るアサミとサナは楽しげにお喋りをしている。今しがた険悪なムードに突入しそうになったのも忘れたようだ。
「ねぇ、ふたりでちょっと散歩してこない?」
女の中に男がひとりって言うのを気にしているのか、それともポンポンとかしましく話す私たちの会話に割って入るタイミングが掴めないのか、アキハルはバーベキューが始まってから、必要最低限の受け答えしかしないのだ。
いつもはこんなことないのに。やっぱり人見知りでもしてるのかな?
アキハルがこくりと頷くのを見届けて立ち上がった。
「ね、私たちちょっと川のほう行ってくるね!」
「お、了解! 気をつけてね。ミホ、転ぶなよぉ」
「分かってるって!」
軽口を叩く二人を尻目に、私はアキハルの手を引き河原に続く坂道を下った。
河原の石はバーベキュー場から見たよりずっと大きくて、石と石の間には大きな隙間があった。うっかり足を滑らせてこの隙間にはまったら大怪我をしてしまいそうだ。
飛び石の要領で慎重に歩きながら川のほとりを目指す。
川が近づくにつれて足下に転がる石は小さくなり、ぐっと歩きやすくなる。
「あ。この石、すごく綺麗」
乾いたような白い石の中、ひとつだけ目を惹く小石があった。
「なんだろう? 瑪瑙かなぁ?」
拾い上げた小石は深い赤と白のマーブル模様。
まるで今しがた磨かれたみたいに綺麗でつやつやと光っている。泥汚れさえついていない。
深い赤と白の対比が目に鮮やかだ。
――今日の記念に持って帰ってもいいかな。
そんな気持ちで私はその石をハーフパンツのポケットに入れた。
「今日はありがとね。楽しかった!」
車内をのぞき込むように腰を屈めてお礼を言えば、
「お疲れー! またね」
「じゃあね。また遊ぼ」
運転席のアサミと助手席のサナが揃って手を振る。
「うん! じゃあ、気をつけて帰ってねっ」
夕暮れの道を遠ざかっていくアサミの車を見送り、姿が見えなくなったところで新居であるマンションに向き直る。
建物を見上げて――――。
「あれ?」
なんだかいつもより薄暗く見える。まるで建物全体が黒いベールに包まれているような。
でもその黒さは目に見えないもので……。
じゃあ、目に見えないのになんで薄暗いって分かるの? そんな不思議な感覚だ。
黄昏特有の陽光のせいかな? そうだ。きっとそうに違いない。
引っ越して数日。その前だって何度も何度も下見して決めたマンションだ。おかしな感じなんて今までなかったし、疲れているからナーバスになっているのだ。
臆病になる自分を心の中で嘲笑うけど、なかなか一歩が踏み出せない。
立ちすくんでいると、私の手を小さな手がおずおずと握る。
ふと横を見れば彼――五歳になる私の息子――が、不安そうに私を見上げている。
「お母さん、どうしたの? 早くお家に入ろ?」
そう言われて、私は慌てて我に返った。
「そ、そうだね、アキハル。ぼんやりしちゃってごめんね。今日は疲れたでしょ? 急いで帰ろうね!」
アキハルは「うん!」と元気に返事をして嬉しそうに笑う。
ぎゅっと握った彼の指は冷え切っていた。指先が冷えてしまうほど待たせてしまったのかと思うと、自分に腹が立つと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「急いで帰って、急いでお風呂入って、急いで寝ようね。お休み前の絵本、今日は何がいい?」
エレベーターを待ちつつ訊けば、アキハルはうんうんと真剣な顔で悩んでいる。
と、すぐにエレベーターのかごが下りてきた。窓越しに見たかごの中は無人だ。すぐに扉が開くものと思ったら、スッと上昇を始めてしまう。
「え?」
なんで? 一度下りてきたかごが勝手に上がってしまうなんてあり得る?
首をかしげつつ、もう一度ボタンを押してかごを呼ぼうと思った。けれど、伸ばした指の先にあるボタンは、明かりが点灯したままだ。
これでは再び呼ぶこともできない。
「故障?」
そう独り言ちるのと同時に、再びかごが下りてくる。中は無人だ。今度こそ開くだろうと思いきや、なかなかドアは開かない。
「そんなこと、しちゃダメでしょ」
静まり返ったエレベーターホールに、アキハルの舌足らずな声が響く。
アキハルは私と手を繋いだまま、ジッとエレベーターの中を見つめる。
何度見ても中は無人なのに。
彼には何が見えているのだろう?
「アキ……ハル……?」
名前を呼んでも私を見ない。見えない何かを、黒い瞳でジッと見つめている。
ゾッとした。アキハルの様子にも、無人のかごにも。
「ア、アキハル! エレベーター、壊れてるみたいだから、階段で帰ろう! ねっ?」
全身に立った鳥肌を認めたくなくて、無理矢理明るい声を出すと、ようやくアキハルは私の方を見た。
「お母さんと、アキハル、どっちが先に階段登り切れるか、競争しよ?」
「うん!!」
ようやく五歳の男の子らしい顔つきに戻る。
初めてのバーベキューで疲れたのか、アキハルはお風呂から上がるとすぐに寝てしまった。
絵本を読み聞かせる間もない。
絵本は段ボール箱のどれかにしまってあるので、ねだられたらあの山と格闘しなければいけないところだった。それを免れてホッとするような、読み聞かせられなくて寂しいような。
アキハルはリビングの隣の部屋に寝かせてある。寝顔が見えるように引き戸を開けてあるので、彼の眠りの妨げないようリビングの照明もギリギリまで落としてある。
昔から気に入っているデカフェのハーブティーをひとくち飲み、ふぅっとため息をつく。
テーブルに頬杖をついて、すやすやと眠るアキハルの顔を眺める。
小ぶりな顔は私に似ず、よく整っている。透けるような白い肌と相まって、時々女の子に間違われたりもするのだ。
――アキハルももう五歳かぁ。大きくなったなぁ。
そんなことをしみじみ思う。
十代で産んで、誰にも頼れなくて。色々あったけど、真っ直ぐな優しい子に育ってくれた。
この子のためなら、私は何でもするだろう。きっと法に触れることだって平気だ。
……ァン……カタ……カタ……カタン……
どこからか小さな音が聞こえてきた。
「な、なに?」
思わず、頬杖から顔を上げる。
忘れようと思っていたのに夕方のエレベータの一件を思い起こしてしまう。
……カタ、カタン……カタ、カタ、カタ……タン、カタン…………
音は激しくなったり、途切れ途切れになったりと不規則だ。
どこから聞こえるのだろうと耳をすませば、どうやら玄関から聞こえてくるみたいだ。
玄関ドアに風がぶつかって、郵便受けの蓋が鳴っているだけかもしれない。
けど……。
このマンションは、前住んでいたアパートと違って玄関は外に面していない。
じゃあ、なに? 身体に感じないくらい小さな地震? それとも――?
見るな。
いや、ちゃんと原因を確かめないと。
だって、私とアキハルはこれからもここに住むんだから。少しでも気になることは解消しておかないと。
――ガタン!!
「っ!!」
大きな音がして私は身を強ばらせた。そのまま動けない。
が、その大きな音を境にして静寂が訪れた。唐突な静けさは逆に不気味だ。
嫌な予感をひしひしと感じつつ、視線をそろりと玄関に向ける。
ドアに着けられた受け箱の蓋がぶらんと垂れ下がっている。いましがたの大きな音は蓋が開いた音のようだ。
なんだ、びっくりした。そっか、蓋が開いた音か……と思った次の瞬間、ぎくりとした。あの蓋は開けるのにも閉めるのにも力がいるのだ。
そんなものがどうして勝手に開くの?
そう思い至るのとほぼ同時に、差し込み口の蓋がうっすらと開いていることに気づいた。
まるで誰かが指をかけているような……?
「ひっ……!」
喉の奥から引きつった声が漏れた。
指をかけているみたい、じゃない。本当に誰かが指をかけているのだ。
黒いもやを纏ったような、骨張った指がぬるり、と差し込み口から忍び込む。
「あ……ああ……」
声にならない。
金縛りにあったように、身体も動かない。
だって、まさか、こんなことが、起こるなんて――。
異常に黒ずんだモノは指だけでなく、手、腕、肩とどんどん部屋に侵入してくる。
ありえない。
だって、普通の人間が、あんな狭い隙間から入って来られる分けないじゃない!
逃げなきゃ。アキハルを連れて逃げなきゃ。
思うのに。
一向に身体が動かないのだ。
その間に、ソレはとうとう頭を潜り込ませてきた。
長い髪が郵便受けから床へとこぼれ落ちる。
それを為すすべもなく見つめていた。
ず、ずず、と身体を引きずるようにして、しまいには全身を部屋の中へ滑り込ませていた。
俯いたまま、ゆっくりと立ち上がる。
元の色が何色かわからないほど薄汚れたワンピースは、ところどころが大きく破れている。そこから骨と皮ばかりになった腕や足が伸びている。
顔は長い髪に隠れて見えない。
「あ……あ、あなた、誰……? 出てってよ……」
歯の根が合わなくて発音は不明瞭だ。
どうして喋ってしまったのか。自分でも分からないけれど、即座に『まずかったんじゃない!?』と後悔が浮かぶ。
私の声に反応したのか、ソレはゆっくりと顔を上げる。
「あっ、あ……あ……」
目がない。そこにはぽっかりと空いた黒い穴がふたつ。鼻は誰かに削がれたかのよう。丸く開けられた口もまた黒い穴だ。
――これは絶対に人じゃない。
顔を見るまで持っていた一縷の望みも絶たれた。
人でないなら、私はどうやって対抗したらいいの?
どうやって子どもを守ればいいの?
『……け』
虚ろな口がゆっくりと動き、何かを喋り始めた。けれど、声は小さく上手く聞こえない。
『……出て……け、……その……は……邪魔……』
ようやく聞こえたのはそれだけだ。出て行けと、なにかが邪魔だと言っているらしい。
何が、邪魔だと言うのだろう?
『……は……に……かえ、せ……お前……せい……わたし、は……』
ぽっかりと開いた二つの穴が、私を見つめる。
ただの空洞なのに、憎しみが籠もっているのがひしひしと感じられる。
「ダメだよ。お母さんをいじめないで。ここはお母さんと僕が住むお家なの。お姉ちゃん、出てってよ。勝手に人のお家に入っちゃダメなんだよ」
「アキハル!!」
眠っていたはずのアキハルが、いつの間にか私の隣に立ている。
まだ眠たいのか、目をこすりながら、私のスカートの裾をぎゅっと握る。
「ねぇ、お母さん。お姉ちゃんいなくなったよ。帰ったのかな?」
「えっ?」
アキハルに言われて慌てて玄関を見れば、そこには誰もいない。
ただ、受け箱の蓋がぶらんと開いているだけだ。
「お母さん、寝よ?」
アキハルはふぁーっと大きなあくびをした。
「そうね。もう寝よっか」
眠れそうになかったが、一人で起きている気にもなれない。
玄関に近づくのは怖かったけれど、蓋をそのままにするのはもっと怖い。
急いで蓋を閉め、家中の明かりをつけて就寝することにした。
「ごめんね、アキハル。まぶしくて眠れない?」
「ううん。そんなことないよ。おやすみ、お母さん」
本当平気らしく、アキハルは間もなく寝息を立て始めた。
そんなことがあってから数日が経過した。
あれ以来、奇妙なことは起きていない。
管理会社に連絡をしてエレベーターの点検をお願いしたけれど、異常はなかったということだったし、夜中に郵便受けが鳴ることも、人でないモノが現れることもない。
徐々にあの夜の恐怖は薄れてきている。
一時は引っ越しも考えたけれど、引っ越したばかりでまた……というのは現実問題として難しい。
底をついているわけではないけれど、貯金はだいぶ目減りしている。
――大丈夫。きっと、大丈夫。アキハルだって普通にしてるし。
ブランコを楽しそうに漕ぐアキハルを眺めながら、自分に言い聞かせる。
マンションに併設されているこの公園には、真新しい遊具が沢山設置されており、アキハルは先ほどからあれこれと駆け回っては楽しんでいる。
間取りの広さ、駅までの近さ、破格の家賃。
それにこんなに手入れの行き届いた公園まであるのだから、できれば引っ越したくはない。
――とりあえず、もう少し様子を見よう。
そう結論づけたタイミングでスマホが鳴った。
ディスプレイには『アキハル』と表示されている。
アキハル? 息子と同じ名前だ。
誰だったかな?
でも登録しているのだから知り合いなのは間違いない。
「はい?」
『ミホ? 俺だよ』
「……どなた?」
いきなり『俺』だなんて言われても、心当たりがない。
『ミホ? どうしたんだよ、大丈夫か? バーベキュー行った日以来連絡ないし、こっちからメールしても電話しても出ないし。具合が悪くて寝込んでたのか?』
「え? あの……?」
『出張今日で終わりだから、夕方ぐらいにそっちに行くよ。ごめんな、新居の準備、ミホ一人に任せちゃって。君のことだから無理しちゃったんだろ』
なに? どういうこと? 新居? 準備? 私はこの『アキハル』という人とどういう関係?
『無理させるぐらいならやっぱり俺も、ミホと同じ時期に引っ越しすべきだったな。本当にごめん。来週、俺有給取るよ。だから片付けは無理しないで』
一方的に喋る男性の話からすると、私は電話の向こうの『アキハル』と同居することになっているということだろうか?
そんな馬鹿な。
私はシングルマザーで、息子と二人で住むために引っ越してきたはずだ。
部屋で山積みになっている段ボールの中には、私と息子の荷物が入っているはず。
そう。
十代で出産して――。
――待って。
私、一度も休学していない。十八歳で高校を卒業して、二十二歳で大学を卒業している。
ねぇ、子どもを産み育てるって、休学をしないでもできることなの?
いや、出産だけなら長期休みもあるし、なんとか……。
そこまで考えて愕然とした。
私は息子の誕生日を知らない。
そんな馬鹿な。そんなことあるわけない。
電話の向こうで『アキハル』がまだなにか言っているけれど、耳に入ってこない。考えるのに邪魔だから、通話を切る。
「私に、息子なんて……いた?」
霞がかかったような記憶の向こうから、なにかがやってくる。
ああ、そうだ。私に子どもはいない。
同僚のアキハルと付き合っていて、それで結婚を前提に同棲することになって。
私はちょうどアパートの契約更新時期だったので、彼より一足早く引っ越したのだ。
このマンションを借りたのは、息子と住むためじゃない。恋人と一緒に住むためだ。
――じゃあ、あの子は、誰?
「どうしたの、お母さん?」
私を母と呼ぶこの子は、誰?
「あなた、誰?」
「僕? 僕は僕だよ、お母さん。ねえ、お母さんが僕をアキハルって名付けてくれたんだよね? だから僕はアキハルだよ」
私はいつ、この子を名付けた? 記憶を逆再生のように巻き戻す。
そして、いつかの夕暮れを思い出す。
今と同じように私の手を握る幼い手。体温などないかのように冷え切った手。
その手を握り返して私は呼んだ。『アキハル』と。
「あ……、わた、わたし、は……」
凍り付く私の手を、男の子がギュッと握る。
顔をのぞき込む黒い瞳。真っ黒な瞳孔と、まったく同じ色の虹彩。
深淵をのぞき込んでいるかのような錯覚を覚える。
「お母さん、どうしたの? 頭痛いの? お腹空いたの?」
心配そうに訊いてくる。アキハルが。
アキハル?
そう、アキハル。
私の、大事な、たった一人の息子。
「――あ、ゴメンね。お母さん、ちょっとボーっとしてた。お腹空いたからかな?」
「そっか! 僕もお腹空いた! 一緒だね」
「そうね。じゃあ、お家帰っておやつ食べよ?」
私は何を考えていたのだろう。
息子はいないだなんて、馬鹿馬鹿しい!
可愛い可愛い私の息子は、こんな傍にいるのに。
電話の向こうの男性は、私と私の息子の仲を引き裂こうとする悪い人に違いない。
なんでそんな人の連絡先を登録していたのか分からないけれど、きっと必要があってのことだろう。
あの人は今日ここに来ると言っていた。
私と息子を引き離そうとする人は誰であろうと許さない。
排除、しなければ。
ああ、それにしても息子と同じ名前だなんて、酷く不愉快だわ。
スマホをしまう際、バッグの底で赤い石がキラリと光った気がした。
河原のバーベキュー場は今日も盛況だ。
アルバイトたちも汗だくになって駆け回っている。しかし、忙しいのは一時で、客たちが焼けた肉に舌鼓を打つ昼頃には、落ち着いてくる。
四人のアルバイトは二人ずつ交代で休憩を取る。
控え室で、金髪の青年と、それより少し年かさの青年が向かい合って煙草を吸っている。
「しっかし、みんなよくこんなとこでバーベキューなんてしようと思いますよね。そう思わないッスか、先輩」
「あー? そう言うなよ。利用してくれる人がいるから、俺ら、こーやってバイトできんじゃん」
灰皿を囲んで二人は苦笑いを浮かべる。
「あれッスよね。あそこ、あの辺りで小っちゃい子が殺されたんでしょ? 母親に石で頭かち割られて。よくこんなところで遊べるよなぁ」
「だから、地元のヤツは利用しねえだろーが」
「ッスよね。殺された男の子の幽霊も出るって噂もあるし。――先輩、出るってほんとッスかね?」
金髪の青年が身を乗り出し、興味津々な様子で尋ねる。
「ん? ああ、出るってのは本当らしいな。でも今は出ねえぞ?」
「え? なんで? 成仏しちゃったとか?」
残念そうに眉尻を下げる。
そんな後輩の様子を眺めつつ、年かさの青年は紫煙をふうっと吐き出した。
「なんかよくわかんねぇけど、出るのはな、ほら、あの辺り……」
「ああ、殺害現場って言われてるあたりッスか?」
「そう。あのあたりにな、赤い石が落ちてる時だけなんだよ」
「は? 赤い石? そんなの偶然でしょ」
きょとんとする金髪をよそに、先輩は興味なさげに続ける。
「どうなんだろうな? 結構目立つんだけど、小さい石でな。綺麗だからって持ち帰ったりしたヤツもいたんだが、いつの間にかあそこに戻ってたんだとよ。ちなみに持ち帰ったヤツはだいたい皆そのあとに大怪我してるな」
「なんすか、そのありがち展開」
「ありがちとか言うなよ。怪我したヤツにとっちゃ洒落にもなんねえ。――まぁそういう曰く付きの石なんだが、たまーに無くなるんだよ。今みたいに。期間はだいたい数ヶ月から一年ぐらい。その間は幽霊の目撃情報も無くなるなあ」
そう言うと男はもう一度河原に目をやった。
「きっと、新しい母親でも探しに行ってんじゃねぇの? 自分を殺そうとするような親じゃなく、優しい母親でもよ」
「あー……そう考えるとなんか、かわいそー」
「そうか? 縋られた方はたまったもんじゃねーと思うけど? じゃあ、あの赤い石が戻って来たら見せてやるよ。なんだったら、お前が面倒見てやれよ。あ、お前じゃ母親じゃなくて父親か」
「先輩、冗談きついッス! 教えてくれなくていいッス! 君子危うきに近寄らずッス」
金髪の青年がブンブンと首を横にふれば、先輩は「お前が君子ってタマかよ!」とゲラゲラ笑った。