第八話 夢の名前
「あぁ、あの時の。 覚えていますよ?」
「そうですよね。 流石にもう覚えてなんて……あれ?」
前回のあらすじ。
俺は彼女を知らないのに彼女は俺を知っていた。
言うまでもないと思うがこれはおかしい。
由々しき事態である。
俺が現実じゃ初めて対面したはずの彼女が実は既に俺との面識があっただと?
予想していたのとは大きく異なっている彼女の返答に俺は戸惑いを隠しきれない。
しかし表情からは嘘をついているようには到底思えず、むしろ小口を開けて俺を見るその様子からは本当に今しがた俺のことを思い出したという気さえしてくる。
会っていたのだろうか? 俺たちは以前にどこかで。
すぐに俺は彼女について考え始める。
と言ってもぶっちゃけ答えはもう出てしまっているようなものなのだが。
考えるのは夢で彼女と会った日のことだ。
俺はその日夢に現れた彼女との記憶を探していた。
突然全く関わりのない女性が夢に現れるだなんて一般的に考えておかしな話で、どう考えてもどこかで会ったことがあるはずだと考えたからだ。
でないと俺は無意識に夢の中で理想の女性を創り出してしまう可哀想な人ということになってしまう。
そんなの納得がいくわけもない。
だが幾度思い返してみても俺と彼女との繋がりなんて一切浮かんではこなかった。
というか俺の記憶で真っ先に浮かぶ女性は喧しく騒ぎ立てている梓くらいのもので、他の女性とは特に思い出らしい思い出もない。
俺は不意にこみ上げてきた寂しさをなんとか堪えて脱線した思考を本題に戻す。
そう、根拠ならもう一つあるのだ。
それはもしも俺が過去にこれほどの美少女に出会っていたのなら忘れている筈もない、というもの。
確かに俺はアニメやライトノベルも嗜むが現実の人間に好意を抱けないとかいうヤバいオタク達とは違うのだ。
普通にリアルの女性を可愛いと思うし、恋だってする。
だからこそそんな俺が彼女を覚えていないわけがないし、反対に相手がなんら冴えない俺を覚えていることもかなり不思議だった。
少々強引なことを言っている気はするがこれは割と自信がある。
そこまで考えた俺は当然こう考える。
――本当に彼女は俺のことを知っているのか?
湧き上がった疑問を解消すべく俺はしっかりとこちらを見てくれている彼女に質問を投げかけることにした。
どこかでぼろが出るか、あるいは俺が何かを思い出すことに期待して。
「すいません、そういえばあの時ってどんな話したんでしたっけ? 俺はいまいち覚えていなくて」
話をしたという記憶こそあれど中身までは覚えていない。
別にあってもおかしくない話だ。
これならば相手に不信感を抱かせることなく俺と彼女との関係性について探ることが出来るだろうし、なにより会話でこの場を繋ぐことが出来る。
「あの時……」
だがしかしそれも俺の思った通りにはいかないようで。
「どうかしました?」
「いえ、まさかあの時のことを聞いてくるとは思えなくて」
「え……?」
話の途中で公園の電灯が白く灯った。
だがそれに気付かないほどに俺の思考は別のところへと向けられていた。
ちょっと待ってくれ様子がおかしい、というか俺はひょっとしてとんでもない地雷を踏んでしまったのかもしれない。
彼女は目を伏せて何かを紛らわすように自らの片腕を抱く。
あ、胸が潰れて……じゃなくて。
「俺って何か酷いことしましたっけ……? すみません全く記憶がないです」
「ふふっ、酔ったおじさんみたいなこと言うのねあなた」
「――――」
表情を曇らせたかと思えば今は口元を抑えて上品に笑う彼女。
すごくかわいい。
もうなんかこう……かわいい、すっごい。
不覚にも語彙力を完全に蒸発させた俺はまたも思考停止しそうになってしまうのだが、彼女の意味ありげな発言は俺の脳を迅速に再起動させるのに大いに貢献した。
俺が安らぎを得るにはまだずっと早い。
下手をすると俺は初対面のつもりだったこの人に謝罪をせねばならないかもしれないのだ。
もう背に腹は代えられない。
回りくどく聞くのではなく男らしく直球で質問するしかないみたいだ。
「――だめです。少し考えてみてもまるで考え付きません……何があったのか教えてくれませんか?」
「へえ……覚えていないのね?」
「残念ながら……。昨日の晩御飯さえ覚えていられない俺には少し厳しいのかもしれません」
「軽口は叩けるくせに」
どんなに考えても思い出せないんだからこればっかりはしょうがないことだと思うし、考えようによっては彼女が嘘をついている可能性だってある。
が、そうすることによる彼女側のメリットというのが考える限り皆無であるということも事実。
そして何より彼女の声色からは嘘なんて一切匂わせない自信のようなものが感じられた。
俺は軽口を言うほど余裕があったわけでもなくむしろ適当な言い逃れをする他にできなかっただけなのだ。
これはひょっとすると認めなければならないのかもしれない。
俺は彼女と面識があるのだと。
俺は改めて彼女と向き合ってみる。
概ね姿は夢で見た通りだった。
ぱっちりした目と肩より少し長いくらいの結われていない髪に、暗がりでもわかる白い肌。
筋肉質というわけでもなく特に運動をしているようには見えない。
文化部の所属かあるいは帰宅部だろうか?
加えてとても清楚な雰囲気がある。
それから今更思ったのだが彼女はうちの高校の制服を着ている。
一週間前に学校でそれらしい後ろ姿を見たからか、はたまた意識せずしてなのかどうやら俺は彼女を藤丘の生徒だと勝手に思い込んでいたらしい。
結果としてそれは格好を見るに間違っていなかったようなのでなんら問題はなかったのだが。
ひとまず彼女の制服がうちの高校のものだと分かった俺は次に胸元のリボンへと視線を向ける。
やましい気持ちからではなく、理由は単純。
うちの高校の女子の制服は学年によってリボンの色が違っているからだ。
一年生は赤、二年生は青、そして三年生は緑という配色。
つまり胸元のリボンを見れば学年が分かる。
そして見えた彼女のリボンの色は――緑。
つまり一年先輩ということになる。
一応敬語を使っておいて正解だったようだ。
「あれ?」
ふと胸元から目線を上げると彼女と目が合った。
だが彼女の眼はついさっきまでのものではなく軽蔑の念がこもっていて……。
俺は一瞬にして誤解が生じていると察した。
「見てないです」
俺はきっぱりと言い切った。
確かに目線は胸に寄っていたかもしれないが本当に俺が見たかったのはそこじゃない。
あくまでもリボンの色だ。
「見てたわね。それはもうまじまじと」
「リボンです。リボンを見ていたんです」
「はぁ……別にこの際どちらでもいいわ。でもね? 一度生まれてしまった印象というのは中々変えることができないものよ」
「早速俺の好感度が悪いほうに振り切っちゃいそうですね……」
ただでさえ過去に何かをやらかした可能性があるにも関わらず俺はまた罪を重ねてしまったみたいだった。
しかしまぁ、三年生か。
そうなってくるとますます自分と彼女との繋がりというのが懐疑的になってくる。
俺は確かにテニス部に所属しているが一つ上の代には女子マネージャーがいなかったため今の三年生女子には知った人間などいないと胸を張って言えるからだ。
もちろん胸を張って言うことではないが。
しかしまぁ、こうしてあれやこれやと考えてみたものの……。
「なんっにもわかんないな……」
ただ漠然と会って話さえすれば彼女を知れると、夢にまで現れた理由がわかるはずだと考えていた。
今にしてみればなんて楽観視していたのだろうかと呆れてしまうほどなのだが、とにかく俺はその程度に捉えていたのだ。
だが実際に会ってみて知れたのは彼女が俺や梓と同じ藤丘高校の三年であることくらい。
何がきっかけで知り合ったのかも俺が彼女にどういった感情を持っていたのかさえわからない。
好きだったから夢に現れたという考えもあるのかもしれないが、こちらが把握していない人間を夢に見るだろうか?
「先輩は知っているのでしょうけど改めて言わせてください。俺は二年三組の佐藤優太って言います」
「そう」
そして暫しの沈黙。
「――え? いや、先輩は?」
「ごめんなさい、ひょっとして私も教える流れだった?」
そりゃあお互いに自己紹介をするところだろう。
見ればよほど可笑しかったのか彼女は目に涙を溜めて笑っている。
明らかにくみ取れていたであろう意図を一切無視した対応に思わずむっとしてしまった俺だったが、もう彼女が楽しそうにしているのを見ているだけで許せてしまっている自分がいることにも気付いていた。
「唯よ。それが私の名前」
そうして俺をからかっていた彼女はひとしきり笑った後で満足そうにそう言って帰っていった。
「送っていこうか?」という喉まで出かかっていた言葉は流石に引っ込めておいた。
確実に僅かな時しか重ねていない俺が彼女の家まで付いていくというのはいくらなんでも図々しく思えたからだ。
それに名前も学年も知れたのだ。
またきっと何処かで会える。
むしろそれ以上に俺の中でつっかえていたのは、
「あの人なんで下の名前を教えてきたんだよ……呼び辛え……」
思春期の男子には難しい羞恥に満ちた問題であった。
* * * * *
あの日の夜、電灯が白く照らす公園で浮かれ切っていた俺は気付けなかった。
彼女の……唯という少女の涙が含んでいた意味に。




