第六話 夜の前のブランコ
「あんた、居残りはもう終わったんでしょ? 今日はちゃんと部活来なさいよね!」
「は、はあ……」
転校生が一週間遅れてやってきた今日の放課後。
目つきを鋭くした梓が俺の席までやってきたかと思えば、彼女が発したのは実に我がテニス部のマネージャーらしい、至極真っ当な一言だった。
――思えば小学生の頃の話。
今でも観ると凄く不思議なのだが、俺はサッカーを習っていて砂の山を作っていた。
何を言っているのかわからない者がほとんどだろうが言葉通りの意味。
今も残っている俺が小学一年生の頃のビデオを観ると、他の連中がこぞって一つのボールを取り合いさながらおしくら饅頭的状態が生まれている最中、俺一人だけがグラウンドの隅で砂の山を作っているのだ。
何も知らずに見た人間であれば俺はどうしてかユニフォームを着て砂と戯れる児童でしかなかっただろう。
実際そのビデオも途中から俺はほとんど映っていない。
現れるのは精々ボールが近付いてきた際に見切れるくらいだ。
どうやらわざわざ足を運んでくれた両親も、即座に「息子にスポーツはむいていないようだ」と悟ったらしい。
そりゃあそうだろう。
呆れた両親は息子の晴れ舞台よりも純粋に小学生のほのぼのとしたサッカーを楽しんで帰路についたらしく、帰宅後にどうして砂山を作っていたのかと聞かれた俺は、「暑いから」とだけ答えたそうだ。
繰り返すが、この時の俺は齢七つである。
「はぁ……。 やっぱりやめた。 その様子じゃあんたがほんとにくるのか心配だわ。だから……い、一緒に行ってあげる。 ほら、早く!」
そうしてぼんやりと己の昔の姿に思いを馳せていると俺の淀みを含んだ返事に納得がいかなかったようで、梓が俺の前で一喜一憂していた。
呆れた様子を見せたかと思えばもじもじと体を動かし始め、今は怒ったような表情で手を差し伸べ、俺を急かしている。
こういう感情がころころと変わるようなところも、梓の面白いところだ。
一見慌ただしいだけのような気がしないこともないがわかりやすい人間というのは万人受けすると思うし、一緒にいて和やかな気分になる。
ましてや梓のように見てくれも良いとなれば、尚更彼女の学校での人気も頷けるというものだ。
「一週間ぶりだし、みんなも待ってるわよ? だからほら、急いで!」
「うん、わかったから手を離してくれないか? 掴まれてるところ完全に鬱血しちゃってるから」
シンプルに手首が痛い。
努めて冷静にしていたがこいつの馬鹿力に慣れていない人間であれば今頃腹の底から発狂している場面であったろうと思う。
「はっ! ごめんなさい!」
梓が顔を少し赤くして瞬時に手を離した。
その様子からするとそもそも手首を握っていたこと自体が無意識だったらしい。
ここは幼馴染であるはずの梓の過剰な反応を不思議に思うべきなのかもしれない。
普通一緒にいた時間が長い分耐性なんかがついていそうなものだけどな……。
だがそれはそれとしても、今どきの高校生というのはそれくらいには初心であっていいように思う。
むしろ近頃の若者は色気づき過ぎなんだ。
うちの学校でもそうなのだが、少し上目遣いでねだれば奢ってもらえるとかそんな風に考えている輩が多すぎる。
むしろそういう計算されたあざとさというのは醜く見えてしまうのだ(あくまで俺個人の話だが)。
同時に甘く見られているな、とげんなりしてしまう。
「そういえばあんた、ちゃんとラケットは持ってきてるの? 前みたいに『ラケット忘れたので家に取りに帰りまーす』とかはもう効かないんだからね? あの後も結局戻ってこなかったし……」
「あぁ、それについては大丈夫だ。部室に置きっぱなしにしてあるから」
「いや、きちんと持って帰りなさいよ!」
そう、今日は梓が来ようが来るまいが練習には行くつもりだったので事前にラケットは部室に置いておいてあったのだ。
そのためのんびりと居残り期間を経ていた俺は、ラケットを一週間以上触っていないことになる。
とはいえそれ自体はそこまで珍しいことでもないのでいちいち重く捉えてはいない。
どうせ二、三日練習すれば調子は取り戻せるのだから。
それよりも、気になっているのは今の状況だ。
教室から昇降口へと向かっている間、梓はそのつやつやとした長髪を束ねてポニーテールに結い直す。
日頃は茜色のピンで前髪を留めているだけで特に髪型をいじったりはしていないみたいなのだが、部活の時は別だ。
清潔感があった方が良いという本人の意向で、髪をポニーテールにするのだ。
実際長い髪を纏めることでマネージャーとしての作業はしやすくなるようで、入部から一月くらい経った頃にはもう現在のスタイルが確立されていた。
では、これの何が問題なのかという話だが……。
「おい、見ろよ如月だ……!」
「髪束ねるとまた雰囲気変わって可愛いよな~」
「梓たんすこすこおおお!」
――という感じに、移動中に髪を束ねる梓はそれはそれは目立つ。
若干一名こちらにも聞こえる声で喚き散らしている奴がいたが、本人もあまり気にしていないようなので気にしないでおく。
そして当然そんなにも人目を引く梓の隣で歩いていると妬みからなる非難だって俺に集中するわけで、
「隣にはまた佐藤か……あいつ急にどっか飛んでかねえかなあ……」
「昔馴染みとは言ってもよく一緒にいるもんな」
「でも当の如月は『ぜっっったいにないから!!!』って否定してるって話だぞ?」
「「「なんだぁ、良かった~」」」
という具合だ。
ぜっっったいにないらしい。
「なぁ、梓。 お前誰かに見られてるな、とか気にならないのか?」
「へ? あー……そうね、視線かぁ……」
俺の問いかけに最初は驚いて見せた梓だったが、すぐに小恥ずかしそうに笑ったかと思うと、
「視線自体は基本的に変なものじゃないし、そりゃ時々は嫌な視線を感じる時だってあるけど……」
何を思ったのだろう。
梓は言いながら両目を何かを慈しむかのようにスッと細め、にこやかな表情で、
「でもわかるのよ。思わず誰かを見ちゃうっていう、その気持ち」
そう告げた。
梓の浮かべたその顔は本当に恋をしている乙女のそれで――。
「お前、ひょっとして好きなやつでもいるのか?」
俺は気が付けばそう口を開いていた。
「はああああああ!?」
梓の声が廊下中に響き渡る。
顔をこれまでにないくらい真っ赤にした梓はあわあわと口元を歪ませており、稀にみる彼女の変容ぶりに俺は身構える。
既に十分浴びていた生徒たちの視線が更に強くなったのを肌で感じた。
あぁ、もう帰りたい。
「な、なに言ってんのあんた!? 消し飛ばされたいの!?」
「それが罵声なのかなんなのかわからないけど、滅茶苦茶怖いぞお前!」
理性が吹っ飛んでいるのか知らんが、封印されていたはずの拳を少し振り上げて構えをとろうとする梓に恐怖を覚えた俺は、急いでその場から逃れることにした。
多分だが、部室にまで行けば追ってはこないだろう。
男子の部員の部室と、マネージャーの部室というのは当然別なので、暴徒と化したあいつも大人しく自分の部室のほうに行くはずだ。
「好きなやつなんて、いいいいるわけないじゃないっ!」
「わかった! わかったからその拳を下ろせ!」
とにかく、俺はその場から脱兎のように廊下を駆ける。
途中廊下を駆け抜けきる寸でのところで、目の端で金色を捉えたような気がしたが、俺にそれを確かめている余裕なんてない。
昇降口に辿り着いた俺は靴箱から自分の出席番号の場所を探し、靴を手に取る。
視界に入った俺の真下の靴箱、佐藤優太の次にくる進藤智也の靴はもうそこにはない。
あいつもサッカー部としての活動に向かったようだった。
「――うん。 やっぱりサボりはよくないよな」
状況故に「やっぱり帰ろうかな」と考えかけていた俺の心は、多方面において手を抜かない親友の存在によって引き戻されるのであった。
* * * * *
橙色に焦げた空を数秒ほど見つめると、今日も今日とて面倒な学校生活をこなしたのだ、と実感が湧いてくるのを感じる。
時刻は六時半。
部活動を終えた俺が下校する際にはつい自然に行ってしまっている、言わば通例ともいえる儀式のようなものだった。
部員たちの多くは電車通学なので、自転車通学である俺と彼らは校門を出てすぐに別れることになっており、今俺の隣で自転車を漕いでいるのはやはり梓だ。
家が近いのだから、こればっかりは仕方があるまい。
「きれーだね、空」
「あぁ、俺でさえそう思うんだ。 きっとカメムシだって綺麗だと思ってるだろうな」
「ふふっ、なにそれ」
向かい風を受けながら会話をしていると、梓は昼間のことなど忘れてしまったようにニコニコと笑っている。
要らん話かもしれないが、この地域ではこの時期、カメムシが大量発生する。
今引き合いにカメムシを出したのはたったそれだけの安易な理由で、他意はない。
だが、カメムシたちというのは今も真上にこんなにも綺麗な橙があるというのに、そこらの街頭に目移りなんかして、結果殺虫灯の電気にやられて死んでいくのだなと思うと、やっぱり残念な生き物だなと考えてしまうのだった。
「今日はどっか寄ってかないの?不本意だけど、優太がどこか寄りたい所があるって言うなら付いていってあげてもいいわよ?」
「いや、別に寄るとこはないな。ラノベも漫画もストックはあるし」
「そ、そう?ほら、食べ物!食べ物買いに行くとか!」
「いや……そんなに食べたいもんがあるってわけでもないし今日はいいよ」
「――なによ、高校生なんだしもっとがっつきなさいよ……」
なんだ? やたら寄り道を推してきている気がするのは気のせいだろうか?
っていうかこいつ不本意ながらとか言いつつどっか行きたいんじゃないか。
「買いたいものでもあるのか? それなら行ってもいいけど」
「ふんっ、もういいわよ。 一生家に閉じこもってればいいのに」
「おい、言っとくがひもになれというなら俺は今すぐにでもひもと成る覚悟があるぞ?」
「はぁもう……ほんとにバカ。 付き合ってらんない」
やや不貞腐れたような顔をして俺に向けていた視線を前に向き直す梓。
買い物に行きたいのならそう言えばいいのに……。
何か言いたくない理由でもあるのだろうか?
俺たちは学校の前の、葉桜へと変貌しつつある桜並木を抜けて、住宅街へと入った。
俺と梓の家がある区画となる。
思えば最近は少しずつ日照時間も長くなってきていて、先の葉桜と共に身の回りの環境が総出になって変化の波として押し寄せてきており、現に一週間前なんかに比べると人通りは増えているような気がした。
「また明日なー!」
「おーう! まったなー!」
家の近くの公園から、見覚えのある子供たちが出てきた。
歳は確か五年生くらいだっただろうか。
彼らくらいの子供たちが遊ぶには少々時間が遅いような気がするが、他所には他所のルールがある。
俺が彼らくらいの頃は冬場は五時、夏場は六時という門限があったが、おそらく彼らにはそれが比較的厳しくないか、あるいは堂々と約束を破っているだけなのかもしれない。
どちらが当てはまるかなんてわかったものではないが、今もほとんど沈みかけている陽がなんとか一帯を照らそうと持ちこたえている分、暗さによる弊害というのはないように見えた。
彼らはいつも通り家に着くことが出来るだろう。
「懐かしいわね……私たちもよくこの公園で遊んでたっけ?」
「おかしい。 俺はお前に関節キメられるか顔の形状を変えられるかされた記憶しかないぞ……?」
「あ、あれはその……! 若気の至りというか……。 と、とにかく今は反省して何もしてないじゃない!」
こいつは今日の昼間のことを完全に忘れ去っているのだろうか……?
拳の照準は完全に俺を捉えていたと思うのだが。
必死の形相で弁明に努めている梓だったが、昨日の今日どころかそれが今日の出来事であるために全く言葉に重みがない。
とは言え、そのように努めてくれているだけでも俺からすれば願ってもないことなわけで。
「ま、頑張ってくれよ。 そのうち部員なんかにも手を上げたら大変だしな」
「いやいや、優太以外に手を上げるわけないじゃない」
「何その全く嬉しくない俺限定」
確かに全くと言っていいほどに梓のそんな姿は見たことがないが、こうも断言できるとは。
こいつほんとに俺のことを何だと思ってるんだろうか。
そんな理不尽にうんざりしつつも、自転車を停めた俺は彼女の言う公園を見渡してみた。
ブランコ園、と言われているこの公園。
本当は別にいかした名前があるのだろうが、俺たち住民の間ではこの名前でまかり通っている。
その名の由来はブランコがいっぱいあるから――ではなく、ブランコしかないから、だった。
そしてそのブランコも一つしかない。
なんと遊び心のない公園なのだろう。
そんな公園でも小学生の時には梓も言っている通り俺と梓や智也、信輝なんかでよく一緒にサッカーなんかをして遊んでいたものだった。
公園の中心を占める何もない上に対して広くもないただの平地で。
というのもバカ真面目な智也は練習のためにといつだってサッカーをやりたがり、信輝も楽しそうだと賛同するものだからそれは半ば強制イベントのようなものとして俺の前に立ちふさがったのだ。
俺が僅かながらもサッカーを習ったのもこいつが強引に俺を誘ったからだったりする。
どうしてあんな疲れるだけの競技をみんなしてやりたがるのか……。
それは今この年になってなお解決できない、例えるなら俺の中ではリーマン予想のようなものだった。
「あれ……?」
視線を公園の中心地から右へずらし、この公園にたった一つしかない遊具のある方へと視線を向ける。
するとそこに周囲が暗くなってきたためにはっきりとは見えないが、それでも目を凝らすとそこには女性の姿があることが確認できた。
髪を肩まで垂らした女性だ。
「――っ」
瞬間、衝撃が走ったような気がした。
ここ最近の流れるような毎日のせいか、頭から流れ落ちてしまっていたものが脳にねじ込まれたかのような感覚。
俺はただブランコに腰かけているその少女を見ただけで、どうしようもないくらいこころがささくれたってしまったのだ。
だってあの少女は俺が夢に見た――――。
「どうしたの? ブランコで遊びたくなった?」
「あぁ、そうだな。 ブランコに乗りたくなった」
「え、なんで!?」
厳密にはブランコに座っている彼女に用があるのだが、俺にそんな甲斐性なんかないと梓は思っているのだろう。
それはその通りで、普段の俺であったのなら見知らぬ女性に声をかけるだなんてしなかっただろう。
ただ、彼女は違う。
俺は夢での借りを返さなければならない。
もう正直な話彼女が誰なのかも、笑えるくらいに俺とは無関係の女性で、「変な人だ」と思われてしまったとしても万事どうでもいいことだった。
それでも俺は俺の中をかき乱す根幹を断ち切りたかったのだ。
「梓、もう暗いし、先に帰っててくれ」
「ほんとにブランコで遊んでいくんだ……」
普通に驚いている梓に俺はハハハ、と乾いた笑みを漏らした。
自分でも変なことをしているなと思うのだから、梓はなおさらのはずだ。
とにかく俺は梓に別れを告げると、まだこちらに気付いた様子のない彼女の方へと足を向けた。




