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第二十話 嘘と悪魔とそれを燃やす灯火

 一章もあと二話ほどで完結です。


 学校にいるクラスメイト達は今頃着替え終わって昼食をとっているのではないか。

 そんな時間に俺は学校にはおらず、こうして深刻そうな顔をした唯さんとブランコ園にいる。

 つまり学校を抜け出してきていたのだった。



 先生にバレれば当然お叱りを受けるであろうことはわかっていたが、唯さんを取り巻く問題について決着をつけようと勢い半分でここに来たのだ。

 その結果彼女を見つけることが叶い、こうして彼女が話し始めるのを待っている。



 「気が付いたら私は藤丘高校の校庭にいたわ。 それもあなたたちが始業式を迎えている日に。 自分でもわからなかったわ……どうしてみんなが体育館で校長先生の話を聞いている中同じ制服を着た私がこそこそと体育館を覗き込んでいるのか」


 「始業式の日って……」



 その言葉を聞いて俺には思い当たるものがあった。

 というか何も思わないわけがない。

 だってそう、その日はこの不可思議のきっかけである――。



 「俺が先輩を夢に見た日か……」


 「何か言った?」


 「い、いえ。 お気になさらず。 続けてください」


 「そう?」



 まずい、思わず口に出してしまっていたらしい。

 俺が先輩を夢に見たという話は伝えないことにしているため聞かれていると話がややこしくなるところだった。



 当然唯さんは少し俺を訝しんだが、すぐに話を元に戻す。



 「その時ね、私が自分の異変に気が付いたのは。 すぐに私も列に並ぼうと思って自分のクラスを探そうとしたのだけれど……覚えていなかったのよ。 自分のクラスも、どうして校庭にいたのかも。 それだけじゃない。 思い返したらあの瞬間までの記憶が一切なかった」


 「記憶がない……?」


 「そう。 両親の顔も家族構成も友達のことも、これまで自分がどう生きてきたのか何も覚えていなかった」


 「そうか、それで」



 だから唯さんは学校の話を聞いても曖昧だったのか。

 そのうえ自分から話そうとすることもなかった。



 もしこの話が真実で今までのことを全部覚えていなかったのならそもそも話のしようがない。

 むしろ俺がそのことについて触れる度困らせていたかもしれない、そう思うとどうしても申し訳なさを覚えてしまった。



 「唯一覚えていたのは唯という自分の名前だけ。 手に持っていたバッグの中にも私の証明になりそうなものはなかったし、それどころか中に入っていたのは身に覚えのない幾つかの教科書」



 唯さんの表情が悲痛に歪む。

 何とか自分を取り繕うと辛うじて笑顔をたたえてこそいるがそれが無理をしているだけだとわからないほど俺は馬鹿ではなかった。



 しかし話を聞いていて俺は致命的なまでの引っ掛かりを覚える。



 「でもだとしたら一つ疑問なんですが」


 「わかるわ、あの時のことよね?」



 そう聞かれるのを読んでいたかのように唯さんは平然としている。

 心当たりがあるのだろうか?



 「多分そうです。 初めてここで話した日……先輩は俺を知っているって言ってましたよね? 記憶がないのならそれはおかしいんじゃ……」



 そう、あの日唯さんは俺に『あぁ、あの時の。覚えていますよ』と、確かにそう言っていたのを覚えている。

 実際に廊下で話したとかそんな事実はなく、あの時に話した内容というのは口から出まかせ――つまり嘘だったわけだが、どうしてか唯さんはそんな出まかせに対して覚えている、と返したのだ。



 唯さんの記憶が本当にないのならそう返答するのはおかしい、俺はそう考えた。

 だが、



 「疑っているの?」



 急に悲し気な目をした唯さんがこちらを見上げる。



 「その目でその発言はずるいと思います」


 「ふふっ、冗談よ。 話の続きをするわね」



 そんな俺の疑問をわかっていたのか唯さんはさっきまでと同様にブランコに腰かけたまま、まるで何かを独白するかのように口を開く。



 「それから何が何なのか訳が分からなくなった私は走って学校を出た。 自分がそこにいていいのかわからなくなったのよ」


 「そこにいていいのかわからなくなった、というと?」


 「私はあなたたちと同じ服を着ていたけれど、誰のことも知らないし何処に並べばいいのかさえ分からなかったから。 此処がっこう私の居場所じゃない・・・・・・・・・と思ったの」


 「確かに記憶がないならそうなるかもしれませんね」


 「それに始業式はもう始まっていたし尚更どんな顔をして体育館に入ればいいかわからなくて、それで――」


 「気が付いたら駆け出していたわけですか……」



 確かに唯さんの言っていることはよくわかる。

 実際に記憶がなくなったことのない俺が唯さんの感じた気持ちを完璧に想像するというのは無理な話だがおおよその気持ちはわかるつもりだ。



 自分が何故か突然に見知らぬバッグ一つを片手に校庭に突っ立っていて、手掛かりとなるやもしれぬ人々は皆揃って始業式を迎えていたとしたら。

 たとえ同じ服に身を包んでいたとしても孤独感を感じずにいるというのはいささか無理な話だろう。



 「記憶のない私に宛てなんてあるはずもないから、その日は取り敢えず高校の周りの住宅地を歩き回って何か少しでも私がわかる何かを探そうとしたのだけれど、結局見つからなかったわ」



 俺が始業式であくびを噛み殺していた間で唯さんは一人で自分自身の手掛かりを探していたということか。



 今、唯さんはこうして気を動転させることもなく話しているが、俺がもしそういった目に遭ったなら一体どうなってしまっていただろう。

 あまりにわけの分からない状況に身を震わせてみっともなく喚くのだろうか。

 或いは夢であることに期待して現実逃避をして何処かで眠ってしまうのだろうか。



 俺には想像も及ばないが今ブランコに腰かけている彼女はそんな状況を乗り越えてきたらしいのだ。



 「それであんまり遠くに行くと迷ってしまいそうだったから、夜になったタイミングで一度高校に戻ったわ。 もちろん生徒たちがおそらく全員いなくなったであろう時にこっそりとね」


 「それ、よく見つかりませんでしたね」


 「はぁ……呆れたわね。 そこじゃないでしょう? この場合あなたが私を褒めるべき箇所は一度は逃げ帰った学校にまた戻ってきたということよ」


 「確かにそうですけど自分で言いますかそれ!」



 腕を組み、やけに映えた姿勢でやれやれと溜息交じりに首を振る唯さん。

 そんな唯さんを指摘してしまった俺だが事実頭にその考えは浮かんでいなかった。



 というのも夜の学校には警備の人がいるはずで、思うにその警備もそこまで軽くはなかったからなのだが……。



 ともかく、生徒がいない時間であるとはいえ知らない学校に再度足を踏み入れるというのは勇気が必要だったに違いない。



 だが記憶のない彼女にとって謂わば学校の校庭は出生の地と言っても過言ではなく、何の縁もない場所であるとは言い切れないわけだ。

 つまり行く宛てのない夜に敢えて場所を挙げるなら一度は逃げ出してしまったにしても唯一ゆかりのある場所、学校を選択することに違和感はない。



 「どこの教室も施錠されていたけれど、階段をずっと上っていくと屋上に辿り着いて、それからは朝方まで星を見てたわね。 曇っていなかったから案外綺麗に見えたわ」



 そう、藤丘高校の屋上はきちんと危険防止のために柵で囲われているため屋上は解放されている。

 よって唯さんの話におかしな点はないのだが、

 


 「朝方までって……眠れなかったってことですか?」


 「さぁ……? 想像にお任せするわ。 人に聞いてばかりじゃ自分が無くなっちゃうわよ」



 瞳を閉じて唯さんは口元を緩める。

 しかし、



 「先輩……」



 ――自分が無くなっちゃう。

 自嘲気味にそう言った時の唯さんの顔は笑っているようで、でもどう見ても笑っているようには見えなかった。

 そのぎこちなさに気が付けないほどに俺は鈍くない。



 ここに来てからずっと感じている心のざわつきが更に波打ち始める。



 俺が何のために此処に来たのか、わかっているつもりでいたのだが今こうして唯さんの目を見ているとその気持ちがより一層強くなるのを感じるのだ。

 心が熱くなって、しかしそれを上手く言葉にもできない俺はただ唯さんの前で空虚な何かを掴むように拳を握っているだけだ。



 「でもそうだとしたら俺が始業式の翌日――梓を置いて一足早く学校に着いたときに見た後ろ姿はやっぱり先輩だったんですね」



 だが今はこみ上げるそれを爆発させる時ではない。

 心を落ち着けて冷静に思考する。

 俺と唯さんの行動から辻褄を合わせていく。



 あの日、もし唯さんが屋上で夜を明かしたのなら始業式翌日の朝に彼女を廊下で見かけたというのはおかしなことではない。

 ヒトは昼行性であるわけで、つまり夜を明かした唯さんが屋上から降りてくるのは当然の流れだった。



 「そうね、私はあなたがいたことに気付くことはなかったけれどあの時間にあの廊下を何気なく歩いていたのは事実。 だから以前あなたに始業式の朝廊下にいたかと聞かれて、そこにいたと答えた」



 なるほど、ではやはり話していた通りあれは夢のことを引きずる俺が見た幻ではなく紛れもなく唯さんであったわけだ。



 また一つの事実がわかったことで僅かに心にゆとりが生まれたように感じる。

 が、それも束の間。



 「あ……でもそうだ。 白水先生に捕まらなかったのはどうしてなんです? 後を追って曲がり角を曲がるとすぐのところに先生はいたんです。 言っていた通り名簿に先輩の名前が無かったのは確認しましたし、だとすれば二、三年生の顔と名前を丸暗記しているあの人に捕まらない理由が――」


 「それは簡単な話よ。 どうやら私の姿、あなた以外の誰にも・・・・・・・・・見えていない・・・・・・みたいなの」


 「――え?」



 どういうことだ?



 「見えていないの。 その日生徒たちが授業を受けている間に廊下や教室を歩き回っても見向きもされなくて、それでようやくわかった。 まさかそんな重大なことに丸一日気が付かないだなんて自分でも呆れたわよ」


 「ちょ、ちょちょちょっと待ってもらっていいですか!?」


 「ええ、どうぞ」



 ここにきて身に余る情報量に頭が時間を要求し始めた。

 思わず大きな声が出たが、そんな俺に戸惑う様子もなく唯さんはいつも通りの口調で俺の申し出を受け入れる。



 それでは頭を働かすとしよう。



 待ってくれ!

 なんだ見えていないって。

 姿が見えていないということか?



 確かに姿が周りから見えていないのなら白水先生に捕まらなかったのも夜の学校に忍び込めたのもブランコ園で梓に見えていなかったのも説明がつくが、しかしそんな非現実的なことが起こり得るのか?

 いや、普通に考えてないだろう。



 だがそれを真実だとすれば色々と辻褄があってしまうのも事実だ。

 それにどんなに非現実的であったとしても俺が夢を見たあの日を皮切りに少しだけ不思議なことがことが起こっているのも、また事実。



 では仮に唯さんの姿がある一人を除いて・・・・・・・見えていなかったとしよう。

 だとしたらどうして……。



 「どうして俺には先輩が見えるんでしょうか?」



 そのある一人・・・・が俺なのだろう。



 さっきまで燃えていたはずの俺の胸の内が、どす黒い何かに握られているような感覚に陥る。

 燃え上がっていた気持ちがしぼんでいくように錯覚する。



 ――初めて会った時に俺は唯さんのことを知っていると嘘を吐いた。

 ――以前に廊下で話したことがあるとでたらめを言った。



 本当は何も知らないのに。

 会ったことさえないはずなのに。



 夢であなたを見たなんて言えば確実に引かれる。

 だから気になって声をかけてみたなんて気味悪がられる。

 そう思ったからあの時はそこそこに考えて自分にダメージがなさそうな策を考えた。



 無論、嘘を吐くことに抵抗がなかったわけではない。

 ただ彼女がそんな複雑な事情を抱えているだなんて思いもしなかった。

 それも知らなかったのだ、知っていたらあんな嘘は吐かなかったはずだ。



 しかし幾ら言い訳を重ねようが答えは目の前にある。



 すなわち俺は、自分の記憶すらない不憫な少女を騙していたことになるのだ。



 そう悟った途端にとてつもない罪悪感が足元からずずっと這い上がってきた。

 伝えようと思っていた思いが、今日のサラの姿を見て決まったはずの心が揺らぎ始めた。



 「――わからないわ。 言った通り私は本当にあの日までの記憶がないの。 だから申し訳ないけれどあなたとの関係についても本当は覚えていない。 ごめんなさいね嘘を吐いて」



 頼むから謝らないでくれ。

 嘘を吐いたのは俺の方なんだ。



 「だけど一つ言い訳をさせて頂戴? あの時私初めて人に声をかけられたの。 だから凄く驚いてしまったわけだけど、そのうえあなたは私を知っているだなんて言うから、私も話を合わせて繋ぎ留めないといけないと思ってつい嘘を吐いてしまったの」



 そうかもしれないがそれこそが嘘なんだ……。

 俺はあなたのことを実は何も知らなくて――。



 「でないと『私はあなたのこと知らないの』なんて言ったら気を悪くさせるかも知れなかったし……。 だからおいおい言おうと思ってたの。 これは本当よ?」



 いいんだ、あなたは何も悪くない。

 それより問題なのはあなたに期待をさせた醜い俺自身だ。



 「でも正直に言って凄く嬉しかった。 世界で独りぼっちだと思ってた矢先にこの公園であなたに話しかけられて。 最初はまさか話しかけられているとは思わなくてつい驚いてしまったけれど、私を知っている人に会えたのは奇跡だと思ったもの」



 やめてくれ……。

 知らないんだ俺は……なのにあなたにあんな馬鹿みたいな調子で声をかけて……。



 ブランコを僅かに揺らして嬉しそうにあの日のことを語る唯さんを見ていると、今にも逃げ出してしまいたくなった。

 こんな厄介事からは目を背けて、知らんふりをした方が楽だぜと悪魔が囁きかける。



 俺が彼女に構わなくともきっと他の誰かが彼女をどうにかしてくれるさ。

 そもそも何で俺だけが選ばれたような気になっているんだ?

 何も俺のみが彼女を見ていられると決まったわけではないだろう。

 むしろ最低なことをした俺よりずっと良い人間が見つかるはずだ。



 それらが最低な考えだとわかってはいても悪魔の甘美な囁きは俺の頭を酔わせるに足る力があった。



 が、それでも俺が此処から逃げ出さず彼女の前に立っていることが出来たとするなら。



 「すいません唯さん(・・・)……」



 たった一つ幸運なことに。



 「嘘を吐いていたのは俺なんです」



 俺の中の灯火ともしびが悪魔の腕の中で未だか細くも燃え続けてくれていたからだろう。



 「今から話すことこそが全て真実です。 引くかもしれないし傷つけてしまうかもしれませんが……それでも聞いてください」

 

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