第十九話 世界が君を
「良かった……! やっと……見つけた……!」
「なっ! あなた、なんで……!?」
久しぶりに全力で自転車を漕いだ。
おかげで言葉を続けることが出来ない俺は膝に手をつき、肩で息をする。
いやほんとにしんどい、部活よりもきつかったぞ。
だがその甲斐あってか彼女はここにいてくれたようだ。
俺を見てすぐに見せた驚きの表情が懐かしい。
初めてこのブランコ園であった時にも彼女は確かこんな顔をしていた。
そんなことをやんわりと思い出しつつ。
「あれから一週間とちょっとくらい経ちましたか。 お久しぶりです先輩」
できるだけ気さくに、というのを意識して唯さんに挨拶をする。
これまで何処にいたのか、どうして此処に来なくなってしまったのか、聞きたいことは山のようにあるが急いては事を仕損じる。
だから落ち着いてゆっくり話を進めていくつもりであったわけだが、それで唯さんの困惑が解消されるはずもなく。
「久しぶり……じゃなくてあなた学校はどうしたの!? 今は昼休みなんじゃ――」
「抜け出してきました」
「抜け出してきた……?」
「はい」
何を言っているのかわからないという目をする唯さん。
当然の反応だろう。
俺が逆の立場でもきっとそうなっている。
だがこれが事実だ。
俺はここに来るために弁当を食べる時間も友達と語らいあう時間も、そして、
「それにあなた……なんで体操服なの?」
「そこに気付くとは良い目をしてますね唯さん」
「いや、気が付かないわけがないでしょう」
「そんなにまじまじと見られると照れるというか」
「その格好で照れ臭そうにしないでくれる?」
着替えることすら放棄してここに来たのだ。
自転車を漕いでいるときに感じた痛い視線の数々を俺が忘れることはないだろう。
せめて昼下がりにいるはずのない学生が体操服姿で、それも全速力で自転車を漕いでいたという噂がご近所並びに家族に伝わらないよう願っておきたい。
が、今はそんなことより。
「先輩、俺が今ここにいるのは一つ確認したいことがあったからです」
「確認?」
「はい、確認です」
さっきまでの慌てようは何処へ行ったのか、唯さんは俺の言葉を聞くや僅かに眉を顰めた。
瞳はじっと俺を見据えている。
「梓がブランコ園に来たあの日から先輩は文字通り姿を消してしまって、以来ブランコ園にも現れなくなった」
「――――」
「後で知ったことでしたが梓は俺が先輩とブランコ園で話していた時期に何度か俺をここで見かけていたそうです」
「――そう」
「でも、梓が見たのは一人でブランコに乗っている俺だった。 俺たちではなく、です」
「それは変ね。 だって私たちは一緒にいたはずだし、あなたはブランコに乗ったことなんてなかった」
「そう、変です。 だから一番おかしくてあってはならないのは」
「――――」
「それは……ただ先輩の姿が見えていないだけでなくて、都合よく梓の記憶が改竄されているってことです」
唯さんは口を開かなかった。
ただ俺を見つめて、離さなかった。
「先輩に初めて会った時、うちの制服を着ているからまず同じ高校の人なんだと思ってました。 でもあの後友達に聞いても、色んな先生に聞いても、三年生の名簿を見ても、歴代の卒業生のアルバムを見ても先輩らしい姿はなかった。 何処にもです」
誰も、この人を知らなかった。
「それから始業式の翌日。 学校で見た後ろ姿は先輩だったと後になって確信が持てました」
「始業式の翌日って……確かに私はあの辺りを――」
「そう、あの時先輩は俺に『あの辺りを散歩していた』って言ったんです。 校内を散歩なんてしてる人間もそういないと思いますが、名簿にない――つまり藤丘高校の生徒でない可能性の高い先輩がどうしてそう呑気に散歩なんて出来るんです?」
「それは……」
「加えて、俺が先輩を追って曲がり角を曲がるとすぐのところに白水先生がいたんです。 だからあそこで先輩が先生に捕まっていないのもおかしい。 なにせあの人は新しく入った一年生はまだでしょうが二、三年生の顔と名前は全て覚えているくらいに熱心で滅茶苦茶な先生ですから。 名簿にない人間が廊下を散歩でもしていようものならすぐにでも捕まってしまうはずです」
「そんなふざけた先生がいるのね、あの高校は」
「はい。 おまけに美人なので凄く人気の高い先生ですよ。 生憎彼氏はいないみたいですが」
「ふふっ、余計なお世話って怒られるのが見えるわね」
ここに来てようやく唯さんの表情が緩んだ気がする。
でもそれは何かを諦めたようにも見えて、俺も上手く喜ぶことは出来ない。
だから、俺は言葉を紡がなければならなかった。
「だからきっと、先輩の姿はおそらく俺以外の人には見えていなくて、一緒にいたこともなかったことにされて、俺がブランコ園に一人でいてもおかしくないよう梓の記憶が辻褄を合わされていて……」
ふと言葉に詰まる。
結局唯さんがどういった存在なのか。
たくさん考えてもその答えは最後まで出てこなかったのだ。
こんな有り得ない状況を俺は経験したこともテレビで見たことも本で読んだこともなかったから。
だから彼女の身に降りかかる理不尽に名前がつけられないでいる。
だが現状を鑑みるに彼女が置かれている状況はあまりにも突飛で、惨くて、恐ろしくて、悲しくて、冷酷で、残忍で……。
「これじゃまるで……世界が先輩を隠そうとしてるみたいだ」
それはあまりに悲しいことだ。
生きた足跡が何も残らず、誰からも観測されない。
何のために生きればいいのかすらきっとわからなくなってしまう。
そんな唯さんを唯一目に焼き付けられる俺が、放っておけるはずもない。
「先輩、教えてください。 あなたが今何に困っているのか。 俺にははっきりとはわかりませんが、それでもあなたを知ってしまった以上無関係じゃないはずだ」
「――――」
一瞬の間があって、唯さんはいつものようにブランコの方へ歩いて行き、それから慣れた所作で淑やかにブランコに腰かけた。
俺がここに来た時の動揺は既になく、むしろ今の彼女はひどく落ち着いて見える。
そうして唯さんはいつも通りの何でもない話をするようにして――。
「私はきっと世界の何処にもいないの」
彼女の言葉を紡ぎ始めた。




