第一話 棚から牡丹餅(ぼたもち)
窓から差す陽光を気付けにまだ目覚め切れていなかった体を強引に起こす。
のっそりとベットから降りたらいつも通り部屋の隅に掛けてある制服を手に取り、部屋を後にする。
いつも通りの、つまるところ朝の習慣ってやつだろう。
それは早朝から何らかの出来事によって頭をジャックされているような気分にさえなっている今でも相違ないことだった。
さて、かなり良い夢を見た。
階段を一歩ずつ下りながら俺はついさっきまで見ていた夢を思う。
そう、自室に美少女が現れる夢だ。
雰囲気は大人びており正直どこか話しかけづらい感じもしたが、決して悪い人には見えなかった。
むしろ俺に話しかけてくるその感じは親し気ですらあった。
だが俺はその人に話しかけようとして、結果叶わなかった。
淡い期待というのはあまり持つもんじゃない。
それは俺がこの16という年月の中で培ってきた、経験から成る教訓のようなものだった。
こんな話両親やら先生やらが聞けば何を達観した気になっているのかと忌々しげに俺をなじるのだろうが、実際問題俺はこれを真理であると捉えている。
「ちょっと、起きて来て早々ドアの前に突っ立たないでよ! 邪魔よ、邪魔」
「あ、ごめんごめん」
考え事をしていたらドアの前に突っ立っていたようだ。
洗濯かごを持った母さんが俺の後についてドアからリビングへ入ってくる。
そのままベランダへと洗濯物をを干しに行く母さんの姿を尻目に、俺はキッチンに朝食の食パンを取りに向かった。
リビングには今しがた離脱していった母さんを除いて父と俺の二人がいて、見れば父はパンを置いてコーヒーを啜りながらも、熱心にニュースを見ている。
ということはつまり俺は今日もまた、
「なあ、優太」
「なんだよ」
「また身元不明の人が交番に現れたって。お前も気をつけろよ?」
「どう気を付けるんだよ……」
謎の心配を受けることになるのだ。
これも毎朝の習慣みたいなもので、朝のニュースを見てはその日その日の内容で訳の分からない心配をしてくる。
まぁ、これも親が子を思う気持ちの強さ故だと思えばこの会話も少しはやり切れるのだが、当の本人がニヤついている時点で我が父に弁明の余地はない。
ちなみに今日はまだマシな方で昨日は株価の暴落、一昨日は芸能タレントの結婚だった。
訳が分からん。
くだらなすぎて他所様には口外できない俺と父との慣例を終えた俺は、応対をしながらも皿に乗っけていた食パンをテーブルの上に運んだ。
そうだ、ここでパンを食すついでにさっきの教訓について例え話をしよう。
例えば俺に漫画やアニメで見るような幼馴染が存在するとする。
あんなのは本来なら空想上の産物。
冴えない男子高生や、こう在れば良かったと昔の思い出の形を歪曲させてニヤニヤする大人たちが自己満足するためだけのツールだ。
それが、俺にはなんとまぁびっくり。
隣の家とまでは言わないが斜め前の家に存在していたとしよう。
それが毎朝家にまで押しかけてくるわけだ。
同じ高校に通っていて、高校まではお互い徒歩圏内。
俺も幼馴染もいつも自転車で高校へ登校するのだが、よくよく考えてみてほしい。
年頃の男子と女子が二人並んで自転車を漕いで登校するのだ。
これを見た同学年諸君並びに有象無象共はそんな俺たちを見てこう思うだろう。
いや、俺なら思う。
あらあら、ひょっとしてデキちゃってる?と。
いやいやいや、デキていないから!
断じてデキていないし、そう思われること自体恥ずかしい!
再度言っておくが俺とそいつは幼馴染なわけだ。
昔から知っているような奴とそんな関係にだなんて想像すら及ばない。
そう、俺は今朝の夢に出てきたような女性が好きなのだ。
というかあの人はタイプ過ぎた。
ストライクゾーンもど真ん中、それもかの有名なメジャーで闘う投手でさえびっくりの剛速球であった。
--話は逸れたが、そんな幼馴染が例え存在したとしても、以上の理由によって俺ならそいつと高校へ向かうことをあまり善しとはしない。
しかし今日は新学期初日。
始業式の朝なわけだ。
我々呪われし県の民に課せられた通称朝課外も今日ばかりは行われない。
いつもよりゆったりと起床し、優雅に牛乳を啜る。
こんな日を迎えると俺はこうも願ってしまいそうになる。
幼馴染来なかったらいいな、なんて。
十分な睡眠、穏やかな食卓、これらを得ておいてまだ何かを望むというのはあまりに傲慢であると、確かにその自覚がないわけではない。
だが、一つ二つと餌を与えられると一より二を二より三をと、多くを望みたがるのは俺たち人間のどうしようもない性なのだ。
だがしかし、ここで先程の教訓に帰結する。
淡い期待というのは持たないほうが良いのだ。
というのも期待してそうでなかった時、がっかりしてしまう分余計に精神的には参ってしまう。
こういう時はむしろ期待はせず常に棚から牡丹餅的姿勢で物事を待っていれば、常に「あ、ラッキー」というように物事を受け入れられるのだ。
つまり俺の言う「淡い期待を持たない」というのは消極的思考からくるネガティブな思想なのではなく、むしろ日々の出来事をハッピーに捉えるための積極的思考、つまりポジティブな思想なのである。
「ククク……ビバ、棚ぼた思想」
「おい、お前……頭でも打ったのか?」
パンを片手にいつになく心配そうにこちらを見る父さんを他所に、俺は凄く満たされた気持ちで残り僅かになった牛乳をゴクリと飲み干す。
皿とコップを片付けて洗面所に向かって歯を磨く。
目の前にはおそらく優劣のつけようがない平凡極まりない顔立ち。
しかし俺はそんな顔を、敢えて不細工であると評する。
これは棚ぼた思想の応用版。
自分の顔を敢えて平均以下であると自覚することによって、人からあらぬ言葉をかけられた際に傷つかないようにするのだ。
こうすれば逆にイケメンだといわれた際にはかなり嬉しく感じる。
いや、もう正直めちゃくちゃ嬉しい。
「ビバ、棚ぼた思想……」
制服に着替え、時計を見ると着席完了時刻の25分前。
高校までは自転車で15分なので、そろそろ今さっきまで会いたくないと言っていた誰かが来る時間であろう。
言っておくが当然期待はしていない。
俺は賢い男。
そもそも寂しがりなあいつが一人で学校へ行けるわけがないのだ。
始業式ごときのイベントでは、あいつは止められない。
「準備も終わったし、外で待ってるか」
わざわざ家の中で待つのも図々しいので俺は玄関にあらかじめ置いてあるカバンを手に靴を履く。
「行ってきまーす」
ドアを開けて右足を一歩外に出すと、閉まりかけたドアから両親のいってらっしゃいが聞こえてきた。
こういうところは我が家ではしっかりしている。
あぁ、今日も印象深い夢を見た以外は概ねいつもとそこまで変わりない朝だ。
ーーしかし一点だけ。
「あいつ、遅いな」
いつもならとっくに来ているはずのあいつが五分ほどたった今も家に来ず、家の前にも現れない。
いい加減自転車と共に家の前に立つ姿が虚しくなってきた頃だ。
というのもこちらから訪ねるつもりがないので、それを見越していつもあいつからうちにやってくるのだ。
それが今も来ていないということはつまり、始業式というイベントがあいつと俺を遠ざけるに値する力を持つということが証明されたことを表していた。
ひょっとしてこれは期待していいのだろうか? あいつがいない一人での登校に。
そうであればこれで俺はのんびりと野端に咲く花々にまで目を配り、春の訪れを目一杯感じながら登校することが出来る。
俺は家の前で止めていた自転車に跨った。
登校経路は右方向、斜め前のあいつの家の方向だ。
ありがとう、始業式。
ありがとう、地球。
この世界を心中で称賛しながら、俺はいざ自転車を漕ぎ始める。
今なら何処へでも行けそうな気さえするぜ。
二年生初日からそんな高揚感に駆られた俺は体制を立ち漕ぎに切り替えようとしてーー。
目の前に黒い影が見えた。
「ちょっ!?」
ガンッ
瞬間、すごい勢いで自転車が停車した。
反動で体制も相まってか体が前にぶっ飛びそうになる。
いや、大袈裟ではない。
本当にぶっ飛びかけたのだ。
目の前には俺の自転車のカゴを凄まじい気迫で受け止める少女が……ってか何!? めちゃくちゃ怖い!誰だこの力士みたいな女は!
「先に行くなって、これまで何度言い続けてきたかしらね……私」
「あっ、梓さんじゃあないっすか。 は、ははは……」
正面から立ち漕ぎへと移行しようとする自転車を受け止めたのは張り手の特訓をする現役の力士ではなく紛れもない俺の幼馴染、如月梓だった。
それと言っておくが、力士と思ったのは決して彼女が太っているからではない。
なんなら梓のスタイルは良い方だ。
単純に自転車を止めたその勇ましさと体制が、力士そのものだったのだ。
現状を即座に理解した俺は引き攣った頬をピクピクと震わすことしか出来ない。
対する梓はふう、と溜息を一つ漏らし一仕事終えたような顔をして腕で額を拭っている。
いやはや、こいつは本当に人間なのだろうか。
俺は心底疑問に思う。
「というかあんた、今凄いブサイクな顔してるわよ?」
「ぐあっ!」
未だ頬をピクつかせていた俺を梓の心無い言葉が襲った。
どうしてだろう……俺は自分を不細工と認識していたはずじゃ……?
今日も鏡の前でそんなことを考えていたのに。
さ、さては心のどこかで俺は自分のことを……。
そんな恐ろしい考えが俺の頭をよぎっている中、梓の方は自分の自転車を持ってきていたようだ。
俺の自転車の隣に自分の自転車をつけて言う。
「ま、まあ、いいわ。 取り敢えず許してあげるから行きましょ? ちょっと寝坊しちゃった私も悪いからこれでおあいこね!」
「それは助かるけどあそこまでして止める必要あったのかよ……」
「いや、その、寂しいから!そう、私一人で学校行くの寂しいから!」
「わかったから! 寂しいのはわかったから!」
ということで、めちゃくちゃ寂しいから俺を引き留めた……いや、押し留めたらしい。
気持ち良かったはずの朝が遠のいていく感覚と棚ぼた思想の崩壊を肌で感じながら、結局俺はいつも通り如月梓という幼馴染と共に高校へ行く羽目になったのであった。




