第十五話 春の幻
「行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
今日もいつも通りの時間で家を出ることが出来た。
少し安心したのと、同時に面倒だなという気持ちが湧き上がる。
昨晩はどうしてとは言わないがあまり寝付けなかったからなぁ……。
どうも昨日の出来事は唐突過ぎて俺には刺激が強かったらしい。
呆れるほどの童貞ぶりである。
「あ、優太。 おはよー」
「おう、おはよう」
家を出るとこれもまたいつも通り梓が家の前で待ってくれていた。
ここで誤解しないで欲しいのだが言っていた通り別に俺は遅れてなどいない。
しかし何を言っても梓はいつも俺の家の前に五分前には来ていて、対抗して俺が次の日に五分早く家を出るとその次の日には梓が十分前に来る、といった堂々巡りが続いてしまうのだ。
結局仕方がないかとまたしても俺が折れる形で決着はついたのだが、俺自身未だに納得はいっていない。
「また五分前に来てたのか?」
「え、いや! 別に……イマキタトコロヨ?」
「はぁ……。 嘘を吐くにしてももっと上手くやってくれ」
「つ、ついてないわよ!」
いやそんなに目を泳がせてるんじゃ誰が見ても気付くだろ、とは言ってやらない。
それで言い合いになることもしばしばあることを幼馴染である俺は知っているからだ。
「ならいいけどさ。 ほら、行こうぜ梓」
「そ、そうね!」
梓が自転車に跨ったのを確認してペダルを踏む。
途中、ブランコ園を過ぎた時だった。
俺が少しだけ先を行く形で自転車を漕いでいると、
「そういえば昨日家に着いてすぐあんたにノート貸してたの思い出して家に行ったんだけど」
「昨日? あ、ひょっとして夕方か?」
「うん、帰った後だからそのくらいだったと思う」
「あー、それなら多分俺はブランコ園にいたかも」
「あんたまたブランコ園にいたの!? この前も一人で漕いでたの見たわよ!」
「お前そのいつも俺がブランコ漕いでるみたいな言い方止めろ! 幼く思われるだろ!」
梓が本気で驚いているのを見て悲しくなる。
ブランコは唯さんの特等席なので俺はいつもその正面でただ突っ立っているだけなのに……。
見ればいつの間にか梓は俺より少しだけ先にいる。
それから危なげなく俺の方を振り返って、
「でもいいわ。 今後はあんたが家にいない時はブランコ園に行くことにするから」
「そうしてくれると助かる」
そう言って梓はやや呆れたような顔をすると、そのまままた前を向いて自転車を漕ぎ始めた。
ノートを借りていたという件も含め明らかに迷惑をかけているようで申し訳なくなってしまった俺は、今度梓の好きな苺のショートケーキでも奢ってやろうと思った。
* * * * *
「おおー、良かったじゃんか幽霊じゃなくて」
「でもその話でいくと本人が幽霊じゃないって言ってただけなんだろ? 信じていいのか?」
いつも通り三人での昼休み。
俺は昨日の一件を二人に伝えていた。
厳密には恥ずかしいところは隠してしまったのだが、それでもあらかた伝わるので問題はないだろう。
因みに信じ難いかもしれないが先程の発言は上が信輝で下が智也である。
科学を信じていた頃のあいつは一体何処に行ってしまったのだろうか……。
それにしても。
「智也の意見はわかるけど、案外スッと受け入れられるんだな信輝。 お前こそ『いやいや絶対幽霊だってー』とか言いそうなのに」
信輝の反応の方が俺には意外だった。
そもそもこの幽霊説を唱え始めたのも信輝だし、本人は幽霊を見たことがある風だ。
そんな信輝がこうも簡単に納得したのが俺にはわからなかったのだ。
「だって本人も違うって言ってて、優太にも危害を加えているわけでもなくて、あれから夢に出てくることもないんだろ?」
「その通りだ」
「だったら普通の人なんじゃないかなって思っただけだよ」
「なるほど、恐ろしく納得がいく」
「だろ? それに美人に悪い人はいないって昔から相場が決まってるんだ」
「それはちょっと何言ってるかわからない」
「いや、一番大事なとこだろ」
本気で何言ってるんだ、という顔で信輝はこちらを見ているが、流石に本気でそんなことを考えているわけがないと付き合いの長い俺には……いや……わけあるなこれ。
わけがあった。
「まあ優太がそう思うならそれでいいんだろうけど、くれぐれにも幽霊には気をつけろよ」
「智也……。 何がお前をそんなに変えてしまったのか興味が尽きないよ」
高校生になってお化けを怖がり出すのは一体どういうことなんだろうか。
これまでは別にそんなことはなかったはずなのだが、どうにも青ざめた顔をする智也がわざと怖がっているようにも見えず、むしろ可笑しくなってきた俺は今度家でホラー映画鑑賞会でも開こうかなということを考えたのだった。
* * * * *
ブランコ園には今日も唯さんと俺以外に人はいなかった。
昼にここで遊んでいた子供たちは夕方には帰ってしまうため、入れ違いになるのだ。
「こうして話すのにももう慣れてきたものね」
「そうですね、不思議なことに」
今日もブランコはキイキイと鳴っている。
揺られている少女は別に楽しそうにしているわけでもなくむしろ退屈そうにしていて、むしろそれが俺には映えて見えた。
ここまで退屈そうにブランコに乗れる人間が他にいるのだろうか。
少なくとも俺は見たことがなかった。
「最近の学校はどう? 楽しい?」
唯さんは俺を見上げながら言う。
「んー、どうでしょう。 勉強自体はあまり好きではないですし。 友人がいるお陰でなんとかやっていけている感じですね」
「友人……!? そう、いたのね……」
「失礼過ぎません?」
「でも友人がいるならどうして連日こうして私と喋ってるの?」
「え……」
言葉に詰まる。
「答えて」
「それは……」
どうして俺が此処に来ているか……?
「それは……わかりません」
「――そう」
唯さんはまた退屈そうに視線を戻した。
ちょっぴり寂しそうにして。
――俺はどうしてここに今も通っているのだろう。
考えてみれば一般的に男女がこの時間に公園で二人きりというのはおかしいのではなかろうか。
俺たちは付き合っているわけでも、それどころか友達と言っていいのかさえ分からないような関係だ。
だが僅かな時間とはいえほぼ毎日のようにこうして学校終わりに会っている。
あれ、なんなんだこの状況。
急に色んなことがおかしく思えてきた。
ひょっとして今の俺って相当気持ちが悪いのではなかろうか。
でもこうして唯さんもここに来ているわけで……。
そう考えた時だった。
「あ、やっぱりここにいたのね。 いくら何でもブランコ好きすぎよあんた」
「梓か」
声のした方を振り返ると私服姿の梓がこちらに歩いて来ていた。
入り口に自転車が置いていないのを見るに家から歩いてきたらしい。
「まーたブランコに乗ってたの? 懲りないわねほんとに」
こちらへ歩いてくる梓は苦笑いを浮かべており、間違いなく俺をブランコに目覚めた奴だと勘違いしているのが窺える。
この機に知らしめてやるしかあるまい。
「だから乗ってないって。 ほら、ブランコに乗ってるのは俺じゃなくて先ぱ……あれ?」
振り返ってブランコの方を見るがどうしたことかそこに唯さんの姿はなく、ブランコ横に置いてあったカバンもなくなっている。
もしや梓が来たのを見て気を遣って先に帰ってしまったのだろうか。
だとすれば申し訳なかった。
「あれ、梓。 さっきまでブランコに乗ってた女の人何処に行った?」
俺の問いかけに梓は小首を傾げた。
「女の人? あんたずっと一人だったんじゃないの?」
「え?」
ん? ずっと一人? 俺が今ここに一人でいたって言ってるのか?
「いやいや、俺さっきまでここで女の人と話してたろ。 見えてたはずだぞ」
「だから見えてたも何も私が来た時には優太しかいなかったわよ?」
梓は来た時の呆れた雰囲気ではなく、至って真剣な目をして俺を見つめている。
嘘を吐いているようには見えない。
だとすれば俺は本当にここに一人でいたのか?
「いやいやちょっと待て……!」
一人? 一人ってどういうことだ?
唯さんはどうした。
さっきまで一緒にいて話していた唯さんは何処に?
帰ったのか?
あの短い間に音もなく俺と梓にバレずに?
有り得ない。
それは無理だ。
だとしたらどうやって姿を消した。
いや、そもそも消えたのか?
何がどうなってる?
疑問が疑問を呼び頭を何故が支配する中、何かの名残のようにただブランコだけが弱々しく揺れていた。




