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ハリネズミの旅  作者: 木村アヤ
37/42

デイックとケイト

僕は両手で理恵さんの肩を掴んで、ゆっくりと押し倒した。理恵さんは背中の後ろで邪魔になったぬいぐるみをうまく避けて、ぬいぐるみとローテーブルの間に寝っ転がった。それから理恵さんは邪魔だと思ったのか、ぬいぐるみを掴んでぽいっとローテーブルの向こう側に投げ捨てた。

しばらく僕らはエッチなことをした。

「ちょっと待って」

理恵さんはそういうと僕の頭を洋服から出して、立ち上がると、ローテーブルの向こう側に回って電気を小さくした。僕らは明るい中でこんなことをしていたのだ。

理恵さんが離れたことで、僕には一瞬理性が戻りかけた。しかし、再び理恵さんが僕の上にまたがって、今度は僕の上着を捲り上げると、それはだんだん溶けて無くなった。

僕らは背徳的なことをしていた。しかし、実際のところとてもとても楽しかった。申し訳ないとは思う。誰に対してなのかはわからないけど。もしかしたら茜音ちゃんに代表される人々に対してなのかもしれない。でも気持ちの良さには勝てない。誰も見ていないならいいじゃないか。誰にも迷惑をかけないならば。

その時だ。僕は階段のところで誰かが動いたような気がした。目を凝らして見ると、茜音ちゃんだった。

なんでそこで見ているんだ?僕たちの邪魔じゃないか、と僕は思った。そしてすぐにそれを打ち消した。それは自分勝手なやつの考え方だ。悪い人の考え方だ。

茜音ちゃんは僕のことを探るように見ていた。僕は茜音ちゃんに気がつかないふりをした。

茜音ちゃんはじっとそこにいた。理恵さんは階段と反対の方を向いているのでまだ気がついていない。茜音ちゃんは僕が気がついたことに気がついただろうか?僕は無性にそのことが気になった。

僕は理恵さんの背中に手を回そうとしてやめた。なぜだ?僕はどうして、そんなことをやろうとし、さらには止めることにしたんだ?

僕は顔に茜音ちゃんの視線を強く感じた。茜音ちゃんが僕の何かを見極めようとしていることを感じた。僕が今顔をピクリとでも動かせば、茜音ちゃんは何かを悟るに違いないという感じだった。

僕は表情を変えないように耐えた。でも僕のそういう様子から、理恵さんに僕の不安が伝わりそうだった。僕は理恵さんにはそういう印象を与えたくなかった。「心、ここにあらずって感じだけど」などと言われたくなかった。

それで僕は諦めて右手を理恵さんの長い髪の下から差し込んで、理恵さんのうなじに手を当てた。それでそこをさすった。

理恵さんは一瞬何か違和感を感じたのか目を上げた。僕は現状を打開する方法を考えてみた。茜音ちゃんが来たことを理恵さんに言う?駄目だ。感情の流れが阻害される。茜音ちゃんにどこかに行くように手でサインを出す?駄目だ。僕には他人にどこか行けと言うことなんてできない。いかなる理由であっても。

茜音ちゃんは動きだした。足音を立てないように最後の階段を降りて、そのまま玄関へと向かった。ガチャ、というドアの鍵を回す音が聞こえた。

僕は理恵さんを押しのけて、玄関へ急いだ。そして茜音ちゃんがドアを押しあけようとしているところを、後ろから取手を掴んで止めた。

「こんな時間にどこに行くんだ?」

「この家の外」

「もう夜も遅い。危険だ」

「でもこの家にいるよりはマシだわ」

「どうして下に来たんだ」

「あなた達がそういうことをするだろうなってことはわかってたから、見に来たのよ。それが私にとって大丈夫かどうかを確かめるために」

「け、結果はどうだった?」

「無理だった。百万匹のゴキブリの中に飛び込むくらい無理だった」

「でも君はそのことについてどうやら知ってるみたいだったし、えっとなんて言ったっけ、とにかく服屋でも」

「知ってるからと言って実際に身近で起きて受け入れられるわけじゃないわ。それにベルシュカでのこともお試しだったから」

「じゃあ、ちなみにそれの結果はどうだったんだ?」

「あれは大丈夫だった」

僕はわけがわからなくなった。僕との身体接触と、他人から話を聞くのは大丈夫だけど、実際に他人がやっているのは我慢ならない?

いや、でもよく考えてみればそれは一般的なのか?ただその反応が過剰なだけで。

「二階に茜音がいたのに一階であんなことをしてごめん」

「私がいなかったら、よかったっていうの?」

僕は耳をかいた。

「わからないんだ、ごめん」

「やっぱり私は」と茜音は言った。「金星人なのね」

そのとき茜音の顔に金色の後光がさした。まるで金星が茜音の味方をしているようだった。

「もしかしたらね」と僕は言った。「でもとりあえず中に戻るんだ。外にはブラックホールからやって来た輩がいるかもしれないから」

茜音は少し考えてから言った。「金星はブラックホールには勝てないの?」

「まず無理だろうな。ブラックホールの力はとても強いんだ。周りの空間を捻じ曲げてしまうくらいに」

「あなたもさっきは少しブラックホールみたいだった」

「そうかな。多分そうだな。ごめん」

茜音はやっとドアの取っ手から手を離した。

「じゃあ上に戻るね。もうあんなことしちゃダメだよ」

「わかったよ。もうしない。でもとりあえず君は早く上に戻るんだ。頼むから」

茜音は靴を脱いで、履きやすいように揃えた。トントンと足音を立てながらリビングまで戻って、ちょっと部屋の様子をうかがった後、何事もなかったかのように階段を昇っていった。

上から声が聞こえて来た。

「もう9時なんだから寝なきゃダメだよ」

僕もリビングまで戻って、洋服を身につけていた理恵さんと苦笑いを交わした。先に口を開いたのは理恵さんだった。

「やめとこっか」

「そうですね」

僕は少しシャツの裾を整えて言った。

「どうします?茜音もああ言ってましたし、もう寝ますか?」

「9時を過ぎているから?」

「ええ、たまにはいいんじゃないですか?」

「それもそうね」

そして僕達は二階に上がって三人で寝た。茜音はベッドの上でもう寝ていたので、その下にもう一枚布団を敷いて、二人で寝た。今回は何も起こらなかった。

翌日目を覚ますと、理恵さんはもういなかった。下に降りていくとキッチンで朝ごはんを作っていた。

「おはようございます」

「あら、おはよう」

「朝ごはんですか。ありがとうございます」

「ええ、食べなきゃ生きていけないからね」

「でも人はパンのみにて生きるものにあらずって言いますよ」

「パンのみではないってことは、パンでも生きるんでしょ」

「パンだけで生きてる人は、死んでるも同然だと思うんですけどね」

「私としてはパンだけのために生きている人の方が、生きてるって感じがするんだけどね」

「そろそろ茜音ちゃんを起こしてきますか?」

「そうね。でも別にのんびりさせててもいいわよ。私は構わないわ」

「そうですか。じゃあ僕は先に食べさせてもらってもいいですか?お腹空いちゃって」

「私もいただくわ」

僕たち二人は理恵さんが焼いたホットケーキをもぐもぐと食べた。ハチミツやバターを塗ったり、ジャムを乗せたりして、美味しかった。

「ねえ、この世の中にはホットケーキにもパンにも何も塗らず、目玉焼きには何もかけず、ヨーグルトには砂糖を入れない、っていう人がいるのよ。この前会ったんだけど」

「そういう人もいるでしょうね。ポリシーなんじゃないですか?」

「いえ。ただ必要性を感じない、味なんてわからないから。って言ってたわ」

「純粋に要らないってことなんですね。意地を張っているわけではなく」

僕も本当は味なんてどうでもいいのだ。ホットケーキに乗せられるのがわさびだろうがチリソースだろうが問題なく食べられるはずだし、試してみたいとさえ思っているのだ。だから僕の先にいるような人に対して僕は敬意を持った。

「理恵さんは何か塗らないとダメっていう人なんですか?」

「そんなことないわよ。ただそういうことをする余裕があるんだからやってもいいじゃない?」

僕は否定はしなかった。でも何か間違っているような気がした。

僕らが食べ終わるのとほとんど同時に茜音ちゃんが一階に降りてきた。

「美味しそうな匂いだね」

「茜音ちゃんの分もあるからどうぞ」

「誰が作ったの?」

沈黙があった。形は美しいけれど存在理由はグロテスクな蜘蛛の巣を見ている気分だった。

僕は仕方なしに一枚とってちぎって口の中に入れた。

「ほら美味しいよ。食べな」

茜音ちゃんは少し迷ってから食卓について、新しいホットケーキをちぎって食べ始めた。僕としては僕のちぎった残りのホットケーキを食べて欲しかった。仕方がないので自分で食べた。何もつけなかった。プレーンのホットケーキはそれはそれで美味しかった。茜音ちゃんはハチミツなどを勝手に使って食べた。

理恵さんが食器洗いをやってくれたので、僕は寝っ転がって羊を数えていた。他にやることを思いつけなかったのだ。茜音ちゃんは例によって本を読んでいた。昨日の本はもう読み終わったらしく、別の本だった。表紙を覗くとピクシー・オッドマンの魔界探検記だった。結構面白かったはずだが、分厚い小説だった。

「ところで(僕の名前)君はこれからどうするの?私としてはまだいてもらってもいいんだけど」

「そろそろ行きますよ。いつまでも茜音ちゃんと一緒にいるわけにもいきませんから。茜音ちゃんはどうも一つトラブルを抱え込んでいるようなので、何か相談されたら聞いてあげてください。何かあったら僕に相談にするように言ってありますけどね」

「ふーん。詳しくは聞かないけど、私に協力できることがあったらするわよ」

茜音ちゃんは夢中になって魔界探検記を読んでいた。目が輝いていて、口元も緩んでいる。

「何かあったらよろしくお願いします。僕に連絡してくれていいので。そうだ、茜音ちゃんに話しておいた方がいいことがありますね」

僕は茜音ちゃんの前に胡座をかいた。茜音ちゃんは顔を上げない。無視しているようだ。まあ、それでもいい。

「茜音ちゃん、ちょっと話し合おう」

茜音ちゃんは顔を上げた。

「そうね」

「昨日の王さんとのやりとりで、王さんが茜音ちゃんの本当のお父さんらしいことがわかった。君の想像通りだった。それで、君はこのあとどうしたい?」

茜音ちゃんは一瞬手に持ったままの魔界探検記に目を落としてはっきりした口調で言った。

「本当のことを知れたんだし、もういいわ。昔のことだし、私がとやかく言ってもしょうがないでしょう。とりあえず親達が旅行から帰って来たら、家に帰るわ。それから私の出生について、二人と話してみようと思う。最初はちょっと嫌なゴタゴタして嫌な雰囲気になっちゃうかも知れないけど、ちゃんと話せば丸く収まるんじゃないかな」

僕はいい考えだと思った。

「それでいいんじゃないかな。うまくいくといいね」

「そうね。お父さんがそれで一層興奮して、冷たい態度どころか嫌がらせをするようになったら嫌だけど」

「それはそうならないことを祈るしかないね」

「ねえ、話を聞く限り、茜音ちゃんって中国人とのハーフなの?」

突然理恵さんが会話に入って来た。

茜音ちゃんが黙っていたので、僕が代わりに応えた。

「そうみたいですよ」

「ふーん」

理恵さんは茜音ちゃんを蔑むように見た。

「それで、色々と主張が激しいのね。ほら、中国人は押しが強いって言うじゃない」

僕は茜音ちゃんを見た。無表情だ。だけどそこに昨日までのような力はない。傷ついていることが伝わってくる。無表情の保ち方に余裕がなくなっている感じなのだ。

「そんなこと言っちゃだめですよ」

「あら、なんで?私は思ったことを言っているだけだけど」

「思ったからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう」

突然茜音ちゃんが口を開いた。

「日本人って、セックスが好きらしいわね」

僕は茜音ちゃんの方を見た。目が暗い。黒く帳が降りている感じだ。だめだ。それはだめだ。そっち側に行っちゃいけない。誰かにやられたらやり返していいと、そんなことを思わないでほしい。暗い感情に支配されちゃいけない。

でも、もう遅いのかもしれなかった。茜音ちゃんはすでにそれを口にした。そして僕はそれに対して何も言えなかった。茜音ちゃんがそんなことを言うなんて、とても予想外だったからだ。

「あら、言うようになったわね。やっぱり中国人だからかしら?」

「違うわ。ハーフだって知ったのは、たしかにすっきりした。でも私は中国人とか、日本人とかっていう前に、山下茜音だもの。もし仮に言うようになってたとしても、人種は関係ないわ」

「その通りだよ、茜音ちゃん」

「ふん、まあいいわ」

理恵さんはそっぽを向いた。そして二階の寝室に上がっていった。居間には茜音ちゃんと僕が取り残された。茜音ちゃんは本を読むのに戻った。

「じゃあ僕はそろそろ帰ろうかな。いい?」

茜音ちゃんは「別にいいけど」と本を目で追いながら言った。

「じゃあ何かあったら連絡してね」と言いながら僕は腰を上げた。これでもう茜音ちゃんと会うこともないかもしれないと考えると、少し残念だった。

僕は二階の寝室に上がって理恵さんに別れを告げようとした。ドアが開いていたので中に入ったが、そこに理恵さんはいなかった。

「え・・・」

そんなはずはない。僕は確かに階段を上っていくのを見た。二階は寝室だけで、他に部屋はない。ベッドの下かクローゼットの中かベランダのカーテンの陰になっているところか? だとしたらなぜそんなところに隠れているんだ?

あるいは・・・

僕は寝室に内開きになっているドアに手をかけ、ぐっと押した。何が壁との間に挟まっているようで最後まで開かない。なんで開ききらないんだろう? 僕はさらに何回かぐっぐっと押してみた。

「痛いって。三幸君、気づいてるでしょ?」

ドアの後ろから聞こえてきたのはそんな声だ。

「すいません、気がつきませんでした」

「絶対嘘・・・。ほんと性格悪い・・・」

「なんでそんなところにいたんですか?」

聞こえないふりをして続ける。

「別に・・・、上がってくるのがわかったから脅かしてやろうと思っただけ」

「子供っぽいところもあるんですね」

「大人っぽいところなんて外面よ。慣れてきたらこんな感じだわ。家の中だしね」

そんなもんかな、と僕は思った。僕も家の中と外では他人には違った風にみられるのだろうか? 普通はそうなのかもしれない。僕がどうであるかはともあれ。

「残念なんですけど、もう行きますね」

「わかった。また来てね。茜音ちゃん、君がいなくなってもいいこでいてくれるといいなあ」

僕はいいこ、という言葉に少し引っかかったが、そうですね、と言った。

「それでは、失礼します。また会社で会うことがあればよろしくお願いします」

「よろしくね。気が向いたらプライベートでも何か誘うわ」

「あー、それはありがたいです。よかったら僕も誘います」

基本的にはプライベートでの人付き合いがないので、誘ってくれるのはありがたい。後半は結構勇気を出して言った。でも理恵さんにはそのことは伝わらなかったようで、特に屈託なく「オッケー」と言った。

僕はその家を出た。なんだか魔法の家みたいだった。中には魔女がいて(いい魔女なのか悪い魔女なのかはわからない)そして一人のまともな女の子がいる。まるでおとぎ話だった。その中での僕の役割はなんだろう。これから起こることをまるきり予見できずに去る凡庸な狩人だろうか。








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