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ハリネズミの旅  作者: 木村アヤ
30/42

ルールです。文化ではありません。

僕はセシルに目配せをして、残っていたサラダを急いで食べた。セシルも急いで定食を食べ終わらせて、僕と同じく残していたサラダを片付けにかかっていた茜音ちゃんを引っ張って外に出た。出たところで警察に電話をかけて、スターバックスでの放火事件の犯人であるような独り言を言っている高校生が、渋谷のとある定食屋にいることを告げた。定食屋の名前と周りの建物や店を教えると、地図か何かを見たのか、電話の向こうの警察官はわかったと言った。

「では済まないが、できれば店の前でその高校生が出てこないか少し見ていてくれないか。近くの交番の警官は今パトロールに出ているんだ。なに、一分もあれば着く」

ぼくが、わかりましたと言おうとした瞬間だった。その高校生が自動ドアを通り抜けて外に出て来た。早過ぎる。なにも食べていないに違いない。高校生は店の前でスマートフォンを耳に当てて固まっている僕を見て、駅と反対方向に脱兎のごとく逃げ出した。今考えてみれば定食屋を出るときの僕たちの行動が、彼には不審に見えたのだろうと言うことができる。しかしこのときの僕は突然のことになにも考えられなかった。何も考えず、高校生を追って僕は駆け出した。

アメフト部時代の経験が役に立っていた。コーナーバックといっても、ボールを持って相手をかわしながら走ったことは何度かあった。だから僕は人ごみの中をほとんどトップ・スピードで走り抜けることができた。しかし高校生は人ごみが邪魔でそんなにスピードを出せていない。僕はすぐに高校生の背中までたどり着いた。

五十メートルも走ると、人ごみがなくなったので、僕は高校生の肩に手を置いた。

「すいません、ちょっといいですか」

しかし高校生は肩で僕の手を振り払って一層速く走り出した。どうしようと僕が思い始めたとき、右手に握ったスマートフォンを思い出した。耳に当てると、警察官の声がした。

「どうしたんですか? ……どうかしたんですか?」

「今例の高校生が店から出てきて、逃げ出したので走って追っています。目の前にその高校生がいます」

「何ですって。やめてください、やめてください、その人がナイフでも持ち出したらどうするんですか」

僕はそれを聞いた時に反射的に右に跳んでいた。高校生が振り向きざまナイフをひらめかせるのを想像したのだ。しかし、彼は実際にはそのまま遠ざかって行くだけだった。

「いいんですか? 追いかけないと逃げられるかもしれないですよ」

「あなたの安全を確保するのが優先です。これはルールであり、法律です。私の好意や、個人的なポリシーや、ましてや文化ではありません。絶対に、これ以上その高校生に近づかないでください。あとは私たちが対処します」

「安全が確保されていればいいんですよね?」

僕は再び追いかけ出した。

「距離を取って後を追います。もうすでにかなり離されてしまっていますが、出来るだけ」

「わかりました。それで結構です。ただし彼があなたに何か危害を加えそうな様子を見せたら、直ちに逃げてください。いいですね? それで今高校生はどこにいますか?」

僕は説明を続けながら高校生を追った。結局警察官は間に合わず、高校生はクリーム色のマンションに入っていった。僕は少し離れたところでそれを確認して、通話中のままだったスマートフォンの向こう側にむけてそのことを言った。すると今度こそすぐに自転車に乗った警官が二人、到着して、一人はマンションの出入り口を見ながら無線で誰かとベラベラ喋り、もう一人は同じくマンションに体を向けながら僕に質問を浴びせ始めた。どういう背格好だったのかとか、そういうことだ。僕が質問に答えている間に今度はパトカーが到着して、白いコートを着た肩幅が広くて背の高い、少し偉そうな人が降りてきた。

ここでのことを細々と書くのは意味がないと思う。僕は白いコートの人とも少し話をして、僕の情報を元に聞き込みを行うということを聞き、それから解放された。最後に自動販売機でポカリを買って、「協力費代わりだ」と言ってくれた。僕はそれをその場で全部飲み干し、自動販売機の側のゴミ箱に捨てた。白いコートの人に軽く会釈をすると、彼はうなづき返した。そして僕はその場を離れた。

警官たちが見えなくなったところで、僕はここがどこなのか知らないことに気がついた。なのでグーグルマップを開いた。現在地を確認すると今度はヤフー路線を呼び出し、交通手段を徒歩に設定して現在地から渋谷センター街までの必要時間を計算してもらった。三十分らしい。だいぶ走った後だったので三十分も歩くのはなかなか億劫だった。なので、さっきの白いコートの人にパトカーで送ってもらえないか聞いてみることにした。

「もちろん、いいですよ」

白いコートの人は快諾してくれて、警官一人に送っていくように言った。警官が運転席、僕が後ろの席に座ると、パトカーは発進した。少しすると僕のスマホに電話がかかってきた。茜音ちゃんからだった。





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