関わらないほうがいい人
「ところでこの焼肉定食美味しいね」
僕は二人の注意を不穏な話から食事へとそらしてみた。二人とも素直にそらされてくれた。
「そうですね。値段と合わせて考えると、満足してます」
茜音ちゃんは難しそうな顔をして呟いた。
「私は食べていないのに、二人して焼肉定食の話を始めるのかな」
僕は慌てて言った。
「ごめん、確かにそうだった」
僕は箸をひっくり返して、頭の部分で焼肉を一枚とタレのかかったご飯を一緒に取った。そしてそれをお皿の空いているところに乗っけた。
「美味しいよ」
「そういうことじゃないんだけど、いただきます」
茜音ちゃんはふむふむと言いながら咀嚼して、呑み込んだ。
「確かに美味しいね」
「茜音ちゃん、私からもあげる」
そう言うとセシルも、今見て覚えたのか、箸の反対側を使って、茜音ちゃんのお皿に豚肉とご飯を一口置いた。茜音ちゃんはそれをすぐに食べて「ありがとう」と言った。
「セシルさんはなんで今の会社に入ったの?」
「んー。フランス語ができる人を探してたからかな。私は日本語もできるから、ちょうどよかった」
「何か興味があったからとかじゃないの?」
「興味もあったよ。でも本当は私、漫画家になりたかったの」
「そうなの? なんで諦めたの?」
「漫画家になるのが夢ではあったんだけど、夢を見ているってことはつまり眠っているってことで、そうすると、現実には何もしてないってことなんだよね。大学時代に頑張って描いて雑誌に投稿したけど、入選しなかった。漫画に時間を費やしたせいで、私は必要単位数を取れなくて、留年した。それまでは留年なんか大したことじゃないし、漫画家になるんだったらそういった過去があってもいいだろうって思ってた。何より漫画を集中して描くためには、こうするしかなかったから、私は真面目に考えて、ベストな選択をしたつもりだった。でも新しく同級生になった一つ年下の人たちは私のことを怖がって避けた。彼らの中では私は『関わらないほうがいい人』に分類されているらしかった。それは私にとっては結構、えーっとなんて言うんだろう」
「きつい」
「そう、きついことだった。特に辛かったのが男子が何人かで『なんで留年したんですか?』ってニヤニヤしながら聞いてきた時かな。『漫画を描いてたから』って言ったんだけど、『漫画?』って言われたあと、彼らは顔を見合わせて笑った。尊敬されるだろうとは思ってなかったけど、やっぱりショックだった」
僕は話を聞きながら、そういう環境もあるんだなと思った。僕の通っていた大学でも浪人した人や二十代後半で入り直した人や、定年退職した後に入学した人と一緒に授業を受けたけど、彼らは普通に溶け込んでいるように見えた。あまり他の人と関わらない人もいたけどそういう人は元々そういう性格なのだろうと、遠くから見て思っていた。その人は一年で大学を辞めちゃったらしいけど。
実際のところ年上の同級生と話すのは楽しかった。同い年の同級生との間に感じるライバル意識みたいなものがなかった。心の垣根は同じ年齢の人たちと比べると低かった。たまにコミュニケーション中に年上としてのプライドが顔を出して、うんざりすることもあったけど、そこは仕方がないと割り切っていた。ほとんどの人には人格上の欠点があるものだ。
「それで私は思った。私は夢を追いかけたから、夢の中に迷い込んだんだ。そして、夢っていうのはいい夢ばかりじゃない。悪夢も、一つの夢なんだって」
「夢を追いかけて、悪夢の中に入り込んだってことかな? 夢を追うことの、ダークサイドってやつだね」
と僕は合いの手を入れた。
「そうだね。そういうこともあるんだって知ったあと、私の世界観は崩れた。それまでは夢を追うことはいいことで、どんな困難にも負けずに進んでいけば、きっといいことがあるって思っていた。でも、私は本当にきつい状況を、留年するまで知らなかった。入賞すらできなくて、デビューするまでにはまだ十年くらい時間が必要になるって悟った時、私はこのきつい状況が、あるいはもっときつい状況が、もしかしたらもう十年続くのかもしれないことに思い至った。周りの学生達は私を見下している。何人かいた同い年の友達も、昔と同じように話しをしようとはしていたし、実際にそれに近い形で話したけれど、そのスタイルは普通なら絶えず変化してしかるべきところなのに、ずっと変化しなかった。変化が起こるとすれば、彼女らが私を切るという変化しか起こり得なかった。私には彼女らが私に対して何らかの権力を持っているように感じた。そういったことが積み重なって、私はこんな思いはもうたくさんだという結論に達した。それから私は必死に勉強をして、ほとんどの科目で最高の成績を収めた。そのおかげで本当は二年かかる大学院を一年で卒業できた。それから私は博士課程には進まず、今の会社に就職した」
「一年で卒業できたってことは、遅れた分を挽回できたってこと?」
「そうだね。まあその同い年の同級生達とはもう連絡も取ってないけどね」
「どうして?」
「みんなの中でも私は関わらないほうがいい人になってたからね。大学時代にみんな離れていっちゃったし、向こうが先に卒業してからは音信不通」
「悲しいね」
「そうだね。私が向こうの立場だったら、多分同じようにしてたとは思うけど、悲しかったのは事実だね」




