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夜明けの晩のウタ  作者: Eckarta
第二幕
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第一場 月面着陸、未知との遭遇(下)

 カチコチ、カチコチ。古めかしい振り子時計が時を刻む。もうかれこれ半刻は経っただろうか。


 詩乃は呆然とした面持ちで、座布団の上に座っていた。目の前の卓袱台には、茶と思われる液体が入った湯呑み。たまたま出し忘れたのか、それとも客として応対されていないのか。湯呑みの下に、茶托は敷かれていない。誰も手を付けぬまま冷めてしまったお茶が、何か物言いたげに彼女を見上げている。


 湯呑みとのにらめっこに飽きたのか、長時間の正座に音を上げる脚をもぞもぞと動かしつつ、室内を見回す詩乃。

 彼女が今現在いるこの部屋は、ほぼ真四角。中央辺りで一段高い板の間とタイル張りの土間に分かれている。何処となく一昔前の商店を思わせる造りだが、土間にはがらくたが雑然と置かれていて、物を売っているような気配はない。

 土間の大きな硝子の引き戸から入る光で、蜜柑色に染まるタイル。もう夕暮れ時らしい。部屋の中は先刻と比べると、随分とほの暗くなっていた。



 視線を板の間側へ戻そう。

 板の間部分の壁は、奥への出入口と思われる箇所を除いて、一面が棚。中には用途不明の怪しい器械や古めかしい電化製品、生活雑貨が詰め込まれている。また、板の間の一角には作業場のような空間が設けられており、棚を背に土間を臨むように置かれた座机の上には、小汚い工具や金属部品が無造作に転がっている。

 座机の前に敷かれた、煎餅座布団。吸い殻だらけの灰皿。

 限りなくごみに近い――もしくはごみにしか見えない物たちが、不安げな小娘をじっと見詰めていた。


 現実と非現実が交差する、時代錯誤の妙な空間。目を細めても、逆立ちしても、特別棟5階の女子トイレには見えなかった。ついでに言うと、保健室にも、天国にも、地獄にも見えない。

 そもそも、こんな生活感に溢れた天国や地獄があってたまるものか。


 痒くもないのに頬を掻きつつ、詩乃は視線を湯呑みに戻した。謎の器械や汚らしい煎餅座布団は、目を背けてしまえばどうということはない。

 けれども、彼女には向き合わなければいけない現実――現実かどうかは微妙なところだが――があった。


 徐々に目線を卓袱台の向こうへとやる詩乃。ひくひくと動く髭に、毛に覆われた体。2本の尾。尾の数は、この際気にしないことにしよう。

 揺れ動く視線の先では、彼女と同じほどの背丈がある三毛猫―― 否、“三毛猫のような生き物”がどっしりと腰を据え、詩乃の様子を窺っていた。


 この“三毛猫のような生き物”。首にはお地蔵さんを彷彿とさせる、真っ赤な涎掛け。頭にはどういうわけかアルマイトの両手鍋をかぶっており、目元を確認することは出来ない。

 鍋の黄金色が、どんよりと鈍い輝きを発している。恐らく、先ほど彼女が目撃した“お月様のような円”の正体はこれだろう。ついでに言えば、あの「フギャア」という叫びも、恐らく彼――もしくは彼女――が発したものと思われる。



 目の前の“三毛猫もどき”を凝視したまま、ぱたぱたと瞬きをする詩乃。きっと悪い夢か何かだろう。夢ならば、この気味の悪い生き物の存在。ついでに、先程“ウサギ人間”が道連れにした布団を引き取りにきたことへの説明もつく。やけにリアルな背中から臀部にかけての鈍痛も、脚の痺れも、きっと気のせいに違いない。

 詩乃は目の前の生き物に悟られぬよう、細心の注意を払いながら自分の太腿をぐいとつねった。痛い。しかし、夢から覚める気配はない。

 もう一度つねる。痛い。けれども、やはり夢から覚めることは出来ない。

 さあ、どうしたものか――



 このままだと太腿の皮膚がねじ切れると判断した詩乃は、仕方なく自然に夢から覚めるのを待つことにしたらしい。じんわりと痛む太腿をさすりつつ、深く溜め息をついた。

 目の前の“猫人間”はうんともニャーとも言わずに、相変わらず彼女の様子をじっと窺い続けている。獲って喰うつもりか、はたまた爪で八つ裂きにするつもりか――


 何時この夢から覚めるのかは見当もつかないが、このままお互い無言で通すのも、どこか気まずい。それに、夢の中と言えども初対面同士なのだから、挨拶くらいはせねばならないだろう。

 詩乃は何やら声を発する気配を見せたが、どういうわけか、途中で言葉を飲み込んでしまった。口を半開きにしたまま、ふわふわと目を泳がせる。

 無理もない。何せ“猫もどき”との会話だ。この生き物が一体何語を操るのか、彼女にはさっぱり見当がつかなかった。アカツキ語、永語、東華語—— オーソドックスに「こんにちは」でゆくのか。それとも奇をてらって「ハロー」で攻めるのか。「ニイハオ」や「ボンジュール」、「グーテンターク」も捨てがたい。

 もっとも、彼女は母語であるアカツキ語しか満足に話すことが出来ないため、選択の余地はないわけだが。



 数秒悩んだあげく、ついに腹を決めたらしい。

 緊張のファーストコンタクト。詩乃は喉から声を絞り出し、目の前の未確認生物に話しかけた。


「にゃ、ニャーオ……」


 タイミングを見計らったかのように、振り子時計が刻を告げる。硝子戸の向こうに、白熱球と思われる優しい灯りが、ぽつぽつと灯りだす。

 親が子を呼ぶ声。ラジオの音。夕餉の匂い。


 未確認生物は、どこからか取り出した紙巻煙草に燐寸で器用に火をつけると、深く一服。何も反応を示さないまま、ぷいと横を向いてしまった。

 ほの暗い部屋に躍る、紫煙。きょろきょろと躍る、詩乃の視線。

 2人――もしくは1人と1匹――の間に、酷く気まずい沈黙が横たわる。

 何という悪夢だろう。

「早く起きて、私」と言わんばかりに、再び太腿をつねりだす詩乃。それを横目で眺めている、“猫もどき”。

 仮に雄としよう。

 彼はまだ長い煙草を灰皿の底に押し付けつつ、態とらしい溜息をついた。


「駄目だ。話にならん」

「えっ……」



 ファーストコンタクトは失敗に終わった。

 悪夢は当分の間、覚めそうにない。



(第一場 月面着陸、未知との遭遇・完)


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