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夜明けの晩のウタ  作者: Eckarta
序幕
1/5

 20××年、5月10日、快晴。気温摂氏20.7度。湿度46%。

 この日のトップニュースは、国防隊機連続行方不明事件と大物芸能人のスキャンダル。そして遥か遠くの国で起こった、大規模な山林火災。東の果ての小さな島国で暮らす大部分の小市民達にとっては、いつもと何ら変わりのない、極々平和な一日だった。



 「東城さん、東城さん。中にいるんでしょ」


 とある高等学校の昼休み。使用禁止になっているはずの特別棟5階女子トイレから、感情の欠片も感じられない平淡な女子生徒の声が響く。トイレ内にある4つのの内、1つだけぴたりと閉ざされた奥から2番目の個室。女子生徒が開かずの扉を何度もノックをするが、中から返事はない。


 それでも彼女には個室内に何者かが潜伏しているという確信があるらしく、その機械的な声でコンタクトを試み続ける。


「次の体育、運動場から体育館に変更になったから」


 廊下から聞こえる、女子数名の忍び笑い。相変わらず閉ざされたままの個室からは、何の返答もない。


「返事しなくていいから、わかったらドアをノックして」


 溜息まじりに女子生徒が呼びかけると、一拍置いてドンッ、と強いノック。というよりパンチが中から返ってきた。

 否。音の出所から言うと、あれはどう考えてもキックだ。

 廊下は爆笑の渦。お箸が転んでも可笑しい彼女らにとって、少々この出来事は刺激が強過ぎたらしい。皆思い思いに抱腹絶倒する様は、何かに例えるなら、そう、出来立てのお好み焼きに散らされた削り節のように見えなくもない。



 一方、トイレ内で未知とのコンタクトを試みていた女子生徒は、意外にもその乱暴な返答に納得した模様。


「じゃあ、私は行くから」


 彼女は表情一つ変えぬまま個室の扉に別れを告げると、一切無駄のない動きでトイレから退出。未だ笑いの治まらない女子たちを引き連れ、早足で教室へと戻っていった。



 次第に遠ざかっていく足音と笑い声。削り節4名及びアンドロイド1体で構成された台風は、その勢力を維持したまま渡り廊下を横断。新校舎で他の生徒を引き込み、温帯低気圧へと変化したようだ。

 台風一過。女子トイレは、無事元の平穏を取り戻した。

 聞こえるのは音楽室から漏れる調子外れのチューバと、学校の真上を越してゆく国防隊輸送機のエンジン音のみ。青春を謳歌する者達のはしゃぎ声は、誰かさんにとって有り難いことに、ここまで届くことはなかった。

 換気の為に開け放たれた窓から差し込む五月の強い陽射しが、煤けたタイルの床を細長く切り取っている。いつもと何ら変わらない、平和な5月10日、午後0時36分。



 女子トイレ奥から2番目の個室は、相変わらずぴたりと閉ざされたままだった。

 扉の向こうは団地間1畳分にも満たない狭苦しい空間。しかもその限られたスペースの大部分を、洋式便器が我が物顔で占拠している。当たり前の話だ。トイレの個室なのだから。

 そんな閉塞感溢れる小部屋の中。洋式便器の蓋に腰掛け、ひとり耳をそばだてる少女がいた。


 1年4組26番、東城詩乃。


 その小柄な体はトイレの個室に合わせてつくられたと言われても納得してしまうほど、しっくりと空間に収まっている。

 無造作に腰まで伸びた、重苦しい黒髪。お洒落ではない、お洒落角縁伊達眼鏡。富栄養化した湖沼と見紛うほど混濁した、大きな瞳。普通ならチャームポイントになるはずの左目尻泣き黒子も、彼女に限っては悲壮感を加速させる呪いのアクセサリーでしかない。

 良く言えばぱっとしない。悪く言えば非常に残念なみてくれの少女だ。



 午後0時37分。

 残念な少女詩乃は厄介なクラスメイトらが完全に消え失せたことを確認すると、中断されていた昼食を再開した。


「八木さんったら善い人ぶっちゃって。本当腹立つ」


 口元からぼろぼろと零れ落ちる、チョコチップメロンパン。彼女はスカートへの降下に成功したパン屑空挺部隊を乱暴に払い落としながら、全人類に対する呪いの言葉――ただし自分を除く――をぼそりと呟いた。


「もう、みんな死ねばいいのに」


 華々しく高校デビューに失敗してから、はや1ヶ月。自発的に始めた完全個室での優雅な昼食—— つまり便所飯が日課と化しつつあった詩乃にとって、この呪文は最早どの日常フレーズよりも容易く発することが出来る言葉となっていた。



(序幕・中へ続く)


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