人を想う
16:00ジャストを、高畑の腕時計が小さく電子音で報せる。
煉瓦造りの研究棟の壁を背に、小さな紙の手提げを持ったカテジナが立っていた。
陽は傾きかけ夕暮れに向かっており、高畑を見つけたカテジナの頬は夕陽のせいか分からないが、少し上気している様に見えた。
小さく手を挙げ近付く高畑の眼が真っ赤になっているのに気付いたカテジナは、表情に出す事は無かったが大きなの悦びと小さな哀しみを抱きながら声をかける。
「ソウイチロウは何でも正確だな」
「正しく無い事は嫌いなんだよ」
照れくさそうに白衣のポケット手を突っ込みながら高畑は、不器用に笑みを作る。
「融通の利かない男はモテないぞ」
「うるせえよ」
手を伸ばせば触れる距離の位置で高畑の脚は止まり、右の口角をあげ笑う。
「まぁモテるソウイチロウを見てしまったら、うっかり魔法を撃ち込みそうだがな」
「随分と情熱的だが、モテるなんて有り得ない」
軽口を交わす二人だったが、しばしの沈黙が訪れる。
そして意を決したカテジナが攻める。
「今日何の日か知っているか?」
意地の悪い表情でカテジナは聞くが、高畑は高畑だった。
「2/14。カテジナ・リスカが還る日だ」
「……半分だけ正解だソウイチロウ。今日はバレンタイン、女子が想いを寄せる人へチョコレートを渡す日だよ」
小さく笑ったカテジナは手に持った袋から、リボン一つでシンプルに飾られた物を取り出す。
出て来たのは、カラフルにトッピングがまぶしてある少し弧を描いたチョコレート。
高畑は直ぐにチョコだと気付くが、カテジナの意図が読めず困惑の表情を浮かべるばかりだった。
「……」
しかしカテジナは黙りこくる高畑を置いて先を続ける。
「だから……」
蕾の様な唇に触れそうな位置へ両手を添えたチョコを構えたカテジナは、恥ずかしそうに頬を染めあげ、そして自分の持ちうる全ての想いを乗せ高畑惣一郎へ届ける。
「これ……渡してもらえませんか?」
普段の素っ気ない口調では無く高畑の好みに近付こうと、一ヶ月の間練習を繰り返し身に付けた、しっとりとした女の物だった。
そして彼女の努力はしっかりと実を結び、ガッチリと高畑の心を鷲掴みにする。
だが夢のような想いは、彼自身の優秀な思考回路によって疑問に上書きされる。
天国から地獄とは今の彼の事だろう。
蒼白になった高畑は、19年の人生で一番と言っても過言では無い勢いで脳を走らせ言葉を探し、出た掠れた声。
「……渡すって……誰にだ……?」
高畑は沸き上がる感情を隠したつもりで真っ直ぐカテジナを見ると、深緑の瞳に写り込む嫉妬の表情。
遠くから聞こえる救急車のサイレン。
「決まっている。再び私を【見つけて】くれる天才科学者にだ」
してやったり。
正しく、その表現が当てはまる表情でカテジナは笑うが、高畑は直ぐには理解できずにいた。
目を白黒させ、数秒かけて答えに気付くも力無く頭を振る。
彼女を【召還】させるにあたって、これまで高畑は【カテジナを狙って召喚】させる方法を寝る間も削って探ったが、彼の能力を持ってしても導き出される結論は【不可能】の漢字三文字だった。
「前にも説明したが、そのほ」
「私に会えなくなっても諦めがつくのか? 理論的に無理だからと言って端から諦められる程でしか、私を想ってくれていないのか?」
眼を逸らした高畑の言葉を、最後まで聞かずカテジナは彼の胸を叩く。
叩く。
叩く。
触れる。
「君に惚れた女は……我が儘なんだ」
カテジナの言葉と一緒に、胸に添えられた彼女の左手が暖かく光る。
小さな太陽の様な色はやがて透き通り、カテジナの細い薬指に環状に集束していくと、優しく花開く。
散っていく光の欠片が夕日の茜色を乱反射する煌めきの中、彼女の指には白くトライバルラインが刻まれていった。
指輪を連想させる模様を眺め顔を弛めたカテジナへ、彼女の手が重なった胸に熱を感じながら高畑は聞いた。
「……それは?」
「アールヴ人に伝わる魔法で、二人の想いが同じならこうやって紋様が刻まれる。……だから両想いだな」
カテジナは嬉しそうに高畑へ左手を見せ、はにかみながら瞳を潤ませる。
「……なんだよその反則魔法……」
右手で顔を覆った高畑は誤魔化すように天を仰ぎ、カテジナの頭へ左手をやり引き寄せる。確かな存在が此処にあった。
「ソウイチロウ……大好きだ」
「俺もカテジナの事が……大好きだ」
顔を寄せた白衣に染み付いた薬品の臭いが、カテジナは短くも濃厚な時間を思い出させる。
「……早くみつけてくれよ?」
カテジナの言葉に頷いた高畑は彼女の頭に乗せた左手を長耳裏に移動させ、覚え込ませる様に指で堪能する。
優しく這う指。気持ち良さそうに喉をならすカテジナ。
そして二人は互いの背へ腕を回し、熱を含む視線は融ける様に合わさる。回した腕に力がこもり、身体を擦り付ける様に高畑へ身を預けるカテジナ。
短く繰り返される呼吸。吐かれる息に湿度以外の潤いが混ざる。
薄いオレンジが引かれた蕾に吸い寄せられる高畑。
カテジナの瞳が閉じたのをきっかけに二人は、啄む様に唇を合わす。
傾く夕陽は二人を照らし、空の奥に浮かぶ月も輝かせる。
祝福する様に二羽の小鳥が頭上を舞った。
*
陽は完全に落ち、代わりに濃紺のベールが空を覆う。ブラインドの開けられた天窓からは、満月の端が覗いていた。
円形のプレート状に加工された魔銀の上に立つカテジナは、高畑へ小さく手を振る。
高畑も手を振り返しそうになるが気恥ずかしさが勝ったのか、軽く咳払いをして言葉で返す。
「お母さんによろしくな」
「……あぁ。好きな人が出来たと伝えるよ」
嬉しそうに薬指を撫で笑みをみせるカテジナに、高畑も笑顔になる。
「……必ずみつける。待っててくれ」
「期待している。だから腐らない様にチョコバナナには時間凍結の魔法をかけておいたから、【方法】を見つけた天才科学者に絶対渡してくれ」
ニヤニヤと笑うカテジナの言葉に高畑はバーチャルキーボードを操作しながら、彼女から預かった手提げへ視線をやり大きくため息を一つ。
「残した魔法は働き続けるのに、【跳躍】させた途端に魔力に繋がりが切れ探知不能とか、ほんと悪意としか思えないよな」
「それでも見つけてくれるのだろう?」
「俺を誰だと思っている?」
「ほう……先程まで泣き言を吐いていた誰かさんに聞かせてやりたいのだが?」
意地悪そうに笑うカテジナを前に、首を伸ばし辺り一面を見渡した高畑はすっとぼける。
「もうそんな輩は居ないようだぞ」
「調子の良い男だ」
他愛も無い会話の間も別の生き物の様に動く指で、休む事無く【量子言語】を構築していく高畑。
一つ入力する度に、磨き込まれた魔銀に紋様が打ち込まれ空間を犯していくと、降り注ぐ月光は歪んだ次元と混ざり【扉】を形成し始める。
最初は薄く透ける程度だった空間を繋ぐ【扉】は、高畑が指を動かす度に存在を強めていく。
だが彼の指が勢いを失っていき、やがて【量子言語】の構築が終わりを迎えた。
「カテジナ……準備はいいか?」
最後の【量子言語】を入力した高畑がカテジナへ想いとは逆の言葉をかけると、彼女は不敵に笑い静かに言った。
「無い。一思いにやってくれ」
儚くも耀く様な表情に高畑は背を押され、【召還】のトリガーへ指をかけ氷点下の空気を肺いっぱいに吸い込み指を引くその時。
刹那の静寂が訪れ高畑に気付かせる。
世界で一番大事な女性の震える身体。
もう止める事なんて出来なかった。
「君と過ごした時間は俺に感情をくれた! 俺に好きな人を作らせてくれた! カテジナ! 君と過ごした二年の続きを必ず!」
力の限り叫んだ高畑は指を引いた。
張り詰めた空気が弾け、魔銀のプレートに刻み込まれた紋様が蒼白く変化した月光を吸い込む。空気は震え、部屋の中を雪の様に光が乱舞する。
次第に空気の震えは、空間の振動へとなっていき次元を湾曲させる。
不思議と一切の音は遮断され光の奔流だけが二人を包み、乱れ飛んでいた光はやがてカテジナを中心とし集まっていく。
その様は、フェアリーリング。
本当の意味は違うが、高畑の脳裏に浮かんだのはソレだった。
幾つも光の輪に囚われたカテジナの周囲に紫電が走ると、砕け散る様に輪が順に消失していく都度に彼女の存在が薄れていく。
そして遂に飽和したエネルギーが次元を破ると、光が螺旋を描き頭上に集まり花火の様に散った。
そして実に呆気なく。
伸ばしそうになる手を歯を食い縛り耐える高畑の目の前から、カテジナ・リスカは掻き消えた。
月の雫の洪水も失せ、魔銀の上に残された一斤染のニットワンピースだけが高畑の視界にあるだけだった。




