第85話 藤堂君の想い
ビュー…。ガタガタ…。雨と風の音。その中に私の、ドキドキという鼓動の音。藤堂君がさっきから、ずっと私を見てる。どうしたらいいんだろう。
バクバク…。胸の音がどんどん、高鳴る。苦しいくらいだ。
「つ、司君」
「ん?」
「な、なんでもない」
どうにも無言の状態に耐えられなくなり、つい呼んでしまった。
藤堂君。お願いだからもう、暴走はしないで。と心の中でつぶやいてみる。でも、口には出せない。
「穂乃香」
「え?」
ドキン。
「忘れた」
「え?何を?」
「持って来るの」
「え?」
「まあ、いっか」
「???」
「なんでもないよ」
何?なんか気になるんですけど。
何を忘れたの?その時、いきなり頭の中に、藤堂君のお母さんの言葉がよみがえった。
ちゃんと司、持ってるの?って、そう言えば聞いてたっけ。
バクバクバク。まさか、まさかと思うけど、それを忘れたっていうこと?じゃないよね?!
藤堂君は私の手を離し、いきなりもそっと立ち上がった。
わあ!まさか、まさか、まさか…。
「藤堂君!」
「え?」
「じゃなくって、司君!それはいらないと思う」
「え?」
藤堂君がきょとんとした顔で私を見た。
「ま、ま、まだ早いと思う」
「…え?」
「ひ、必要ないと思う。っていうか、だから、その、使わないと思うんだけど」
か~~~~!!!ああ、なんて言ったらいいの?
「…う~~ん、アラームなくても、別に何の予定もないから朝、寝坊してもいいだろうけど」
「え?」
アラーム?
「でも、誰かからメール来ているかもしれないし、一応取ってくるよ」
「え?まさか、携帯?」
「うん。さっき、下に置いてきちゃった。懐中電灯持って行くけど、大丈夫?穂乃香」
「……うん」
藤堂君は懐中電灯を持って、一階に下りて行った。
どひぇ~~~~!
私は何をとんでもない誤解をしていたんだ!藤堂君、変に思ってない?
バクバク。いや、大丈夫。藤堂君は気づいていない。私がとんでもないものと勘違いしていたことに。
ああ、頭の中に「避妊」と言う言葉がまだ、グルグルしている。どうして私、勘違いしちゃったんだろう。
きっと、私がやたらと意識しまくっているからだ。藤堂君は朝起きることまで考えて、携帯のことを思い出したんだ。
あ~。穴があったら入りたいくらいの心境。でも、でも、気づいていないよね?
藤堂君は一階から、戻ってきた。
「メール来てたよ。母さんからだ」
そう言いながら部屋に入り、私が頭まで布団をかぶっていることに気がついた。
「ごめん。暗くて怖かった?」
藤堂君は優しくそう言うと、懐中電灯をまた机に置いた。
「電池、まだもつかな…」
と言いながら。
「…」
私は恥ずかしくって、まだ顔を布団から出せないでいた。
「停電になっていない?穂乃香ちゃんは大丈夫?って」
「お、お母さんから?」
「うん。大丈夫ってメールしておこうか。心配かけてもしょうがないしね」
「うん」
藤堂君は、ぽちぽちとメールを打ったようだ。
「もう11時になるね。寝ようか」
「うん」
「朝は何時にセットする?7時?」
「うん」
「じゃ、8時間も寝れちゃうね」
「うん」
まだ、私は顔を出せないでいる。
「穂乃香?もう暗くないから大丈夫だよ?」
藤堂君はまた、優しい声でそう言った。
「う、うん」
「どうしたの?」
「ううん」
藤堂君が私の布団のすぐ横に来たようだ。それから私の髪を、優しくなでた。
ドキン!!わあ~。心臓が!
「穂乃香」
「……」
ドキドキバクバク。
「そうだよね、やっぱり、まだ俺らには必要ないよね」
え?!
「うん。変に用意しても、逆にあれだよね?穂乃香が怖がるもんね?」
え?え?え?
「だから、持って来てないよ。あれは…」
きゃ~~~~!!藤堂君、わかってたんだ!
ああ、ますます顔を出せなくなってしまった。
「でも、その…」
「え?」
「そんなふうにしてる穂乃香も、可愛いなあって、今ちょっと」
え?え?え?
藤堂君がまた、私の髪をなでた。
う~~わ~~~~。
駄目。心臓、壊れる。髪の毛一本にすら、意識がいく。藤堂君に触れられていると思うと、とんでもないくらいの集中力で、髪に意識が集中する。
その時、布団の中でもわかった。部屋が一瞬にして暗くなった。
なんで?藤堂君、懐中電灯のスイッチを切ったの?
「あ、切れた」
「え?」
「電池、やっぱり持たなかった」
「…」
うそ。じゃあ、真っ暗?
「替えの電池あったかな。これ、確か単2か、単1だよね」
藤堂君は立ち上がって、どうやら懐中電灯を確認しているようだ。
私はそっと布団から顔を出した。藤堂君は携帯の明かりで、懐中電灯の中を見ている。
「う~ん、電池ってどこにあったっけ?」
「一階?大丈夫?下も真っ暗だよね」
「うん」
「また、足をぶつけたりしない?」
「そうだなあ。電池、多分一階のダイニングのどこかだろうな」
藤堂君は懐中電灯を机に置くと、また私のすぐ横に座って、
「真っ暗でも大丈夫?」
と聞いてきた。
「…うん。もう寝ちゃうだけだもん、平気」
「俺がいなくっても?」
「…」
それは嫌だ。でも、いたらいたで、心臓がバクバクになるし。
「俺はいたほうがいい?」
コクンとうなづいた。目が暗さに慣れてきたせいか、携帯の明かりがなくても、藤堂君の顔が見えるようになった。それはきっと、藤堂君も一緒で、私の顔が見えているようだ。
「じゃ、いるね」
「うん」
藤堂君はそう言うと、私の布団と、隣に敷いた布団の距離をぐぐっとつめた。
「近い方が安心だよね?」
「…う、うん」
私はうなづいたが、心の奥じゃ、近い方がドキドキして駄目かもって思っていた。
藤堂君は布団にまた潜り込んだ。そして手を出してきた。手を繋ぐんだろうなって思って、私も布団から手を出した。すると藤堂君は私の手を取って、自分のほうの布団に入れてしまった。
きゃ。なんだか、藤堂君がものすごく近くにいる。
意識しない。もう寝よう。藤堂君だって、寝る気でいるんだよね?だから、もう寝ちゃおう。
目をつむってみた。
だけど、鼓動はなかなか静まってくれない。
「穂乃香」
ドキン!
「おやすみ」
「お、おやすみなさい」
まさか、こんな日が来ると思わなかった。すぐ隣で、藤堂君がおやすみっていう日が。明日は朝起きたら、藤堂君が隣で寝ているんだ。
じゃあ、寝顔が見れる?藤堂君よりも早くに起きていたら見れる?
う、嬉しいかも。
よし、明日は藤堂君より早くに起きよう。
でも、今夜いったい、私は眠れるの?
ドクン。ドクン。藤堂君の手のぬくもりが、あったかい。こんなふうに手を繋いで寝ちゃうなんて。
ああ!駄目だ。現実についていっていない自分がいる。
それに、さっきから視線を感じる。絶対に藤堂君は私をじっと見ている。
ちょこっと目を開けて横を見た。あ、やっぱり。こっちを向いてる。
「寝れないの?」
藤堂君が聞いてきた。私はコクンとうなづいた。
「…なんか、変な感じするよね」
「え?」
「俺、さっきから隣に穂乃香がいるのが、ちょっと不思議で」
同じだ。
「夢見てるみたいだね」
「うん」
「俺、穂乃香にふられちゃって」
ドキ。去年の秋の話かな。
「すげえ落ち込んで帰ってきて、家で暗かったんだよね」
「…うん」
「部屋で穂乃香を思い出すと、後悔でいっぱいになったり、悲しくなったり」
藤堂君でもそんなに落ち込むこともあるんだ。なんだか、罪悪感。
「学校でたまに見かけると、穂乃香は笑ってた。安心と、その笑顔が俺に向けられていないやるせなさで、複雑だったな」
「安心?」
「俺のことで、暗くなっていたら悪いなって思ってたんだよね。でも、そんな心配はいらなかった。2年になるまではね」
う。そうかも。私も、藤堂君のことをそんなに気にかけていなかったしなあ。2年になるまで。
「司君、白状してもいい?」
「うん、なに?俺がショックなことだったら、今のうちに覚悟決めておくけど」
「ううん。ショックは受けないと思うけど」
「うん、なに?」
藤堂君はちょこっと顔をずらし、私に近づいた。顔がすぐ横にあって、私はかなりあがってしまった。
「あ、あ、あのね?」
「うん」
「司君に2年になってから、どんどん惹かれていったときに、私、すごく後悔してたの」
「何を?」
「友達でもって、司君言ってくれたよね?」
「うん」
「あれ、オッケーしておいたらよかったって」
「え?」
「友達になっていたら、私はきっと司君の良さがわかって好きになったのにって、後悔したの」
「…穂乃香が?」
「うん。司君にもう、なんとも思われてないって思っていたし」
「ああ、そっか。俺、ずっとそう言っちゃったもんね」
「うん」
「ごめん」
「ううん。それも、私に気を使って言ってくれたんでしょ?」
「…うん」
藤堂君は、私のすぐ横に顔を持ってきたまま、元の位置には戻ろうとしなかった。そしてすぐ横から私をじっと見ている。
「…俺、その頃もずっと、穂乃香に嫌われてるって思っていたかもなあ」
「え?」
「穂乃香、絵を見に行っても怒っちゃたし」
「ごめんなさい」
「いいよ。しょうがないって思っていたから」
「しょうがない?」
「うん。怖がられてるのかもって、思ってたしさ」
「…」
「でも、道場に来てくれたじゃん」
「うん」
「あの時、すごく嬉しかった」
そうだったの?
「まさか、俺に謝りに来てくれるなんて、思ってもみなかった」
「……」
「ちょっとね、あの時から、勝手に希望の光を見てたよ、俺」
「え?何それ」
「あはは。もしかして、もしかすると穂乃香と仲良くなれるのかなってさ」
笑った。可愛い。
「教室で、俺、穂乃香のことたまに見てたの、知ってる?」
「外を見ていたんじゃなくって?」
「外?」
「司君がこっちを見てて、ぱっと視線を外す時があったの、知ってるけど、外を見ていたんだろうなって思ってたんだ。桜の木とか…」
「そうなの?面白いね。自分のことを見られてるとは思わなかったの?」
「うん。ドキってしてたけど」
「…ふ。そうなんだ」
藤堂君は静かに笑うと、
「見てたよ。っていうか、目がどうしても穂乃香を追っちゃうんだ。穂乃香の声にも反応してたし」
と言葉をつづけた。
「…」
か~~~。顔が熱い。
「いつも、どんな会話してるんだろうとか、いろいろと気になっていたし」
そうなの?そんな素振り全然見せていなかったよ。まったく、興味を持ってくれていないのかと思っていたのに。
あ、またじっと私を見てる。私は藤堂君を見れなかった。天井を見つめて、ずっとドキドキしていた。
「やっぱり、信じられないな」
「え?」
「穂乃香がここにいることが…」
つい、藤堂君のほうを見てしまった。あ、目が合った。思い切り顔が近い。
「手を繋いで、穂乃香のぬくもりも感じているのにな」
「え?」
「すぐ隣にいるのに、なんでかな」
「?」
「なんか、胸がギュってしてくる」
ええ?!なんで?
「変だよね?いまだに切なくなるんだから」
藤堂君が、切ない?!
「こうやって、隣にいる。それだけで幸せなことなのに。どこかでまだ、信じられないからなのかな。こんなに近くにいるのに、遠く感じることがあるよ」
「私のことが?」
「うん」
藤堂君は目を細めて私を見た。
遠くないよ。こんなに近いよ。近すぎて私はドキドキしっぱなしだよ。
「キスしていい?」
ドキーーーーン!
「え?」
どうしよう。わ。カチカチに私、固まってるかも。でも、藤堂君の目を見たら、駄目って言えなくなった。
「う、うん」
私がうなづくと、藤堂君はそっとキスをしてきた。
そして、唇を離すと、真ん前で私の顔をじっと見つめた。
「…穂乃香は、本当に俺の彼女だよね?」
ドクン。
「うん」
なんでそんなこと聞くのかな。
藤堂君はまた、キスをしてきた。さっきよりも長いキスを。
ドキドキドキドキドキドキ。わあ。また心臓が…。
「穂乃香…」
わあ!藤堂君が耳元でささやく。それ、すんごくドキドキしちゃうんだってば。
「…こうやって、朝まで顔を見ていようかな」
「え?」
「これが夢じゃないって、心の奥底から信じられるようになるまで」
「…」
か~~~~~。ああ、顔がもっと熱くなった。でも、そう言う藤堂君の目が、とても切なそうに見えて、胸がきゅんって締め付けられた。
藤堂君。もしかして、そんなに私のことを想ってくれているの?私が思っている以上に、私のことを好きでいてくれてるの?
キューーーーーーン。胸、痛い。痛いくらい、キュンってした。
藤堂君、私も信じられないの。でも、これ、夢なんかじゃない。私が藤堂君を好きなのも、それも藤堂君のことしか考えられないくらい、胸が締め付けられて、苦しいくらい好きなのも、夢じゃないよ。
だから、もう藤堂君は、そんなに切ない思いをしなくってもいいよ。
そんな言葉が浮かんできて、どう藤堂君に伝えようか、私はドキドキしながら考えていた。




