第72話 藤堂君の笑顔
その日もしっかりと、部活はあった。藤堂君と美術室前まで一緒に行き、
「じゃあね、また帰りに寄るね」
「うん」
と、ドアの前で立ち止まりそんな話をしていると、美術室の中から女生徒が数人勢いよくやってきた。
「藤堂君、今日のバスケ、すごかったね」
「めちゃくちゃ、かっこよかったよ」
いきなり藤堂君の周りを囲んで、みんなが藤堂君に話しかけた。すると藤堂君は、ちょっとだけ眉をひそめ、
「ごめん。もう部活に行くから、そこどいてくれる?」
とそっけなく言い、とっとと廊下を歩いて行ってしまった。
「なんだ。またあの笑顔見たかったのに」
一人の子ががっかりした。
「あの笑顔?」
私が聞くと、
「ゴールを決めたあとの笑顔、可愛かったじゃない。ね、結城さんの前では、あんなふうに笑うことあるの?」
と興味津々っていう顔で聞いてきた。
「え?」
どうしよう。ここは、あると言った方がいいものかどうか。
「それとも、やっぱりあんなふうにそっけないの?」
「よく笑うよ。そっけない態度をすることって、ほとんどないかも…」
あ。言ってしまった。つい…。
周りにいた子たちがいっせいに、
「いいな~~~」
と羨ましがりながら、美術室に入って行った。
「やっぱり、彼女の前だと違うんだよ」
「あんな可愛い笑顔を見せてくれるんだったら、私だって付き合っちゃうよ」
え…。確か前に、怖くて、交際申し込まれても断るって言ってたと思うんだけど。
「バスケも上手だったね」
「運動神経、いいんだね」
「勉強もできるんだよね」
「帰国子女だし」
「え?そうなの?かっこいい~~」
「背も高いし、顔だってしょうゆ顔でかっこいいしね」
「そうだよね。いいよね」
その子たちは、私の周りにまだ固まったまま、そんな話をずっとしている。
「…」
うそ。
ちょっと前まで、むすっとしていて怖いとか、何考えてるかわからないとか、付き合ってもつまらなそうとか、そんなことをみんな言っていたのに、なんなんだ。この変わり様は…。
帰りも、みんなはいつもならさっさと美術室を出て行くのに、片づけが終わってもなかなかその場を離れなかった。
「あ、来た」
藤堂君が来ると、みんながいっせいに藤堂君に注目した。藤堂君は、まだ何人もの部員が残っているからか、ドアの前で、入るかどうか迷っているみたいだった。
「藤堂君、いつも結城さんと一緒に帰ってるの?」
「いいな~~」
「藤堂君の家って、どこなの?」
「藤堂君、中学はどこ?」
女生徒たちのほうが、ドアのほうまで行って藤堂君に話しかけた。だが、藤堂君はまた眉をひそめ、
「あ、悪いけど、俺、結城さんに用があって」
と言って、その子たちをどけて、美術室に入ってきた。
その子たちはしばらく、藤堂君を見ていたが、
「じゃ、帰ろうか」
と一人の子が言い出すと、他の子たちもカバンを持って美術室を出て行った。
「…なに?あれ」
藤堂君はみんなが出て行くと、私にぽつりとそう聞いた。
「球技大会での活躍で、藤堂君、一気に人気者になっちゃったみたい」
「…は~~~あ。そんで、道場の前にも、何人も来ていたのか」
「え?そうだったの?」
「顧問が来て、怒って帰らせたけど。うちの顧問、ああいうの一番嫌がるし」
「どうして?」
「集中できなくなるじゃん。弓道って、すごく静かな中で真剣に矢を射るからさ」
「そうだよね」
見学に行った時も、一言も話ができないくらいの雰囲気だったもんなあ。
「藤堂君、かっこいいって。それに笑顔が可愛いってみんな言ってた」
「可愛い?」
藤堂君が目を丸くした。
「うん。みんなにばれちゃったね」
「ばれた?」
藤堂君はもっと目を丸くして私を見た。
「うん。ばれてほしくはなかったな。可愛い笑顔を知ってるのは、私だけだって思っていたのにな」
「…」
藤堂君はまだ、驚いたまま私を見ている。
「俺のこと、可愛いって思ってた?」
「うん。あ、可愛いって思われるの嫌なんだっけ?」
「…ううん」
藤堂君は、いきなり耳を赤くしてうつむいた。なんだ、照れているのか。
「大丈夫だよ。そのうちにまた、俺のことなんかみんな忘れちゃうから」
「え?」
「1年の時も、球技大会の後、よく声を掛けられたんだ。だけど、いつものようにあまり話もしないで、むすっとして接していたら、みんな話しかけてこなくなったから」
「そうだったんだ」
「うん。今回もきっと、2~3日もしたら、みんな俺のことなんかどうでもよくなるって」
そうかなあ。あんなに褒めまくっていたけどな。
そうなんだよね。どっちかって言えば、モテる要素のほうが多いと思うんだよね。
運動神経の良さ、勉強もできる。帰国子女、弓道している時の藤堂君はめちゃかっこいいし、照れて笑うと可愛いし。
じ~~。私が藤堂君のことをじっと見ているからか、藤堂君はちょっと困っている。
「な、なに?」
「藤堂君って、1年の時より大人っぽくなって、かっこよくなっているなあって思って…」
ボッ!あ、藤堂君が真っ赤になった。
「…それでじっと見てた?」
「う、うん」
「…」
藤堂君は顔を赤くしたまま、うつむいた。それからしばらく黙っていたが、いきなり顔をあげると、私にキスをしてきた。
ひょえ。なんで突然?
か~~~~。ああ、一気に顔が熱くなる。
「…」
藤堂君は唇を離すと、そのまま私の顔を目の前でじっと見て、
「赤い…」
とぽつりと言った。
「え?」
「結城さんの顔、赤い」
「え?え?」
「これでおあいこ」
……何が?
藤堂君はちょっとだけ、口元をゆるませそう言うと、
「帰ろうか」
とぽつりと言った。私は黙ってうなづいて、藤堂君と一緒に美術室を出た。
おあいこ?顔が赤いのがってことかな。あ、まさかわざと私にキスをして、私の顔が赤くなるようにしたのかな。
藤堂君はたまに、予想不可能なことをしてくる。いまだに藤堂君の行動や言動に、驚かされることがいっぱいあるし。
「そうだ。俺の写真、見せて?」
電車に乗ると、藤堂君がそう私に言った。
「み、見たいの?」
「うん」
私は携帯を藤堂君に渡した。
「…」
藤堂君は何も言わずに携帯の待ち受け画面を見て、私に携帯を返した。
「そういえば、俺も持ってないな。結城さんの写真」
「そうだよね」
「今度、撮らせてね?」
「え?!無理!」
「どうして?」
「どうしてって…。恥ずかしいし」
「じゃあ、誰かに二人を撮ってもらうのは?」
「ああ、それならいいけど」
藤堂君が私に携帯を構えて、写真を撮るのはかなり恥ずかしい。
「じゃ、母さんにでも頼むかな」
「そういえば、パジャマの写真撮るって言ってたけど、撮ってないね」
「…そのうち、来るよ」
「え?」
「母さん、俺らをくっつけたくって、しょうがないみたいだし」
「くっつける?」
???もう、付き合っているのに?
「知らないの?結城さん」
「何を?」
「母さんと、結城さんのお母さんが、どんなことを言ってたか」
「え?いつ、何を?!」
「そっか。知らないのか」
「…え?」
「電話で話してるのを、聞いたんだけど。っていうか、俺がいても平気で母さん、話していたんだけど」
「うん」
「まだ結城さんがうちに来る前、このまま穂乃香ちゃんと司が結婚したら楽しいわよね~~とか、孫ができたら、一緒に楽しめるわね~~とか、いろいろと…」
結婚?!孫?!
私はカチンと、藤堂君の横で固まってしまった。
「ね?びっくりするでしょ?」
そんな私を見て、藤堂君はそう言った。
「俺も電話の横で、何言ってるんだって驚いてたよ。電話切ってから、いったいなんでそんな話になってるんだよって言ったら、だって、本当にそれが叶ったら、楽しいじゃないって、能天気なこと言ってるしさ」
「…ええ?」
私はまた、フリーズした。
「母さん、ほんと変な人でしょ?」
いや、藤堂君のお母さんだけじゃなくって、うちの親も、かなり…。
「まだ、お互いが結婚もしていない頃、自分たちの子供が恋に落ちたりしたら、楽しいわよねって、そんな話をしていたんだってさ。この話は聞いてる?」
ブルブル。私は首を横に振った。
「そうか…。母さん、そんな話を結城さんのお母さんと話していたから、それが本当に叶っちゃって、かなり浮かれてるんだよね」
「……」
うそ~~。
「なんだか、母さんの思い通りにことが進んでいて、もし俺と結城さんが本当に結婚することになったら、それはそれで、母さんの思惑通りでちょっとむかつくんだけどさ」
「え?」
むかつく?
「だけど、しょうがないよなあ。もし、そうなったとしたら」
む、むかつくって?
今度は凍り付いた。だが、隣にいる藤堂君がにやけていることに気がつき、私の凍り付いた心は一気に溶けた。
「?」
なんで藤堂君、にやけてるの?
「は~~あ。しょうがないよね」
「え?」
何が?
「母さんがどう思っていようが、俺が結城さんに本気で惚れちゃったんだから。それはどうにもならない事実だし」
「え?」
「結城さんがうちに来るようになったのも、俺、すごく嬉しいし」
「…え?」
「そのまま結婚ってことになっても、俺…」
あ、もっと藤堂君の口元がゆるんだ。それに耳、真っ赤だ。
「ごめん。でも、まだ先のことだもんね?」
「う、うん」
「………でもやっぱり…」
「うん?」
「結城さんがずっと、俺の隣にいてくれるのは、嬉しいな…って思うよ」
ドキン。
藤堂君はそう言うと、私が真っ赤になっているのをまるで確認するように私を見て、そして視線を下げた。
片瀬江ノ島に着いた。藤堂君と肩を並べ、ゆっくりと家に向かって歩き出した。藤堂君は朝も機嫌が良かったが、今もいつもよりも言葉数が多く、よく笑っている。
そして時折、私の顔を覗き込むようにして私を見る。
「?」
私が不思議そうな顔をしたからか、
「あ、ごめん。結城さんの表情が気になっちゃって」
と藤堂君は言った。
「え?どうして?」
「結城さんの表情、見逃したくないって言うか」
「え?」
「結城さん、赤くなったりすると、可愛いから」
は~~~~?!!!
「あ、ほらね」
うわ。顏、あっつ~~~い。
あ、まさか、これも?私が藤堂君、可愛いって言ったから、藤堂君もそんなことを言ったの?
「結城さん、最近よく笑うし、赤くなったりもするし、可愛いんだよね」
「え?!」
「ほら、一緒のクラスになった時には、結城さん、明るくなかったから」
ああ、思い切りそういえば、暗かったもんね。
「って、原因は俺だったんだけどさ。でも、今は俺の横で、俺が話すと笑ったり、赤くなったり、表情をくるくる変えて、それが嬉しいから」
「…」
「見逃したくないって思っちゃって、つい、見ちゃう」
「…」
か~~~。もっと顔が熱い。でも、そうだったのか。それで藤堂君は、口数がいつもより多かったんだ。
「よかった」
「え?」
「1年の時、友達といる結城さんはいつも笑ってた。その頃に結城さんが戻って…」
「…そんなことないよ」
「え?」
「あの頃より私、今のほうがずっと幸せだから」
「………え?」
藤堂君が立ち止まって、目を丸くして私をじっと見た。
「藤堂君の隣にいて、嬉しくてドキドキしたり…。あの頃よりもずっと、幸せでいると思う」
だって、彼氏がいなくって、寂しい思い、いっぱいしていたし。
「……ああ、うん。俺も、結城さんがすぐ隣で笑ってくれてるのは、あの頃、遠くで結城さんの笑顔を見ているより、幸せだな」
藤堂君はそう言って、コホンと咳払いをすると、また歩き出した。
「家に帰っても、結城さんといられるしね。うん。なんだか、最高すぎて、時々怖くなるよね」
藤堂君がそんなことを言った。
「え?」
「今の状況、すごく幸せで、こんなに幸せでいいのかなって思う時があってさ」
藤堂君はそう言いながら、また私を見た。
「それは私も思う」
「でも、いいんだよね?」
「うん…」
藤堂君と手をつないだ。細い路地に入り、ここだとほとんど人に会うこともない。
藤堂君の手は、大きくてあったかくって、ほっとするけどドキドキする。
そして紫陽花が綺麗に咲く家に、一緒に私たちは帰って行った。




