第6話 複雑な心境
その日、放課後美術室に向かったが、やっぱり何も描けず、黙ってキャンパスを見ていた。
「なんか、気分転換でもするか~?結城」
と、顧問の原先生がそう言ってきた。
「気分転換って?」
「う~ん、そうだな。校内でも回ってくるとか」
「そんなの気分転換になりますか?」
「なるぞ。先生もたまにうろうろするが、普段見落としているものとか見えてくる」
「…」
「あ、いいことがある」
「え?」
ちょうどその時、部室の前を何人かの弓道部の部員が通っていた。
「弓道部!確かお前、部長だったっけ?」
そう言いながら、先生は廊下に出て弓道部の部員に声をかけた。
「はい、そうですけど」
「頼みがある。美術部の生徒を何人か、見学させてもらえないかな」
え?
「ああ、いいですよ」
弓道部を見学?でで、でも、弓道部って言ったら、藤堂君がいる…。
「美術部で今、どうにも絵が描けないぞって手が止まってるやついるか?」
先生がそう言うと、私以外にも3人手を挙げた生徒がいた。
「よし。今から弓道部の練習、見学に行って来い」
「は~い」
私とその3人は、廊下に出て弓道部の部員のあとをついて行った。
「ラッキー、さぼれる」
「弓道部だって。どんななのかな~~」
「かっこいい人いたりしてね」
3人のうち、2人の女生徒は喜んでいる。
「結城さんもスランプ?」
もう一人、美術部でも数少ない男子生徒の、柏木君が声をかけてきた。
「え?うん。柏木君も?」
「…そうなんだよね。なんか、描く意欲がなくってさ」
「そうなんだ…」
「描きたいって衝動に駆られないと、描けないと思わない?」
「え?ああ、うん、そうかも」
「結城さんもでしょ?去年の桜、あれ、うちの学校の桜に魅せられて描きたくなって描いたんでしょ?」
「うん」
「見事な絵だったもんね」
「そ、そんなことないよ。柏木君の絵こそ、素晴らしかったよ。あの海の絵…」
「うん。あれは家族で旅行に行った時に見た海で、最高に綺麗だったんだ」
「そうなの?」
「描きたい衝動に駆られたの。でも、今は描きたいものがないんだよね…」
「…」
「去年、1年同じ部だったのに、こんなに話したことってなかったね、結城さん」
「え?うん」
「結城さん、おとなしいもんね」
「…そ、そうでもないの」
「え?」
「ただ、あまり男子と話すのが得意じゃないだけで…」
「あ、そうなんだ。でも、他の女子ともしゃべってないよね?」
「仲のいい子いたよ。でも、美術部やめて、今、漫研に行っちゃったから…」
「あ~、あのイラストタッチの絵を描く子?」
「そう…」
「じゃ、一人で寂しいね」
「…ちょっとね」
「…じゃあさ、男子と話すのが苦手なのを克服するためにも、俺と友達にならない?」
「え?!」
「そんなに驚かなくても…」
私はしばらくその場に立ち止り、目を丸くして柏木君を見ていた。
柏木君というのは、中学の時もコンクールで入賞するほどの、絵の才能を持っている人で、数少ない男子部員の中でも、まじめに部活に出ていた生徒だ。
いつも黙々と絵を描き、たまに話す相手と言えば、原先生だけ。
「俺も、部に友達いないしさ、すんごい創作意欲湧いてる時はいいんだけど、今みたいに絵を描く気になれない時って、一人でいるのもきついじゃん?」
「う、うん」
「だから、ま、スランプ同士、こんなふうに話でもしようよ」
「あれ?」
「え?」
「その程度でいいの?」
「何が?」
私の質問に、柏木君が不思議そうな顔をして聞いた。
「友達って、その程度?」
「…え?そんなもんでしょ?他に何かすることあるの?」
「う、ううん」
なんだ。そうだよね。なんかちょっと深い意味でもあるのかと思った。
「そ、その程度なら」
私がそう言って、また歩き出すと、柏木君も横を歩き出し、
「あれ?なんかもっと、期待したとか?」
と聞いてきた。
「ううん。ただ、男子の友達っていないから、どうしたらいいんだろうって、身構えたって言うか」
「え~?ははは。なんか、おもしろいね、結城さんって」
「そうかな…」
そんな話をしている間に、前にいた二人の女生徒はすでに弓道部の道場に着いたようだ。
「ね、かっこいい人いる?」
と2人で、入り口で中を覗いている。
「中に入ってもいいんじゃないの?見学していいって言われたんだから」
柏木君がそう2人に言って、
「お邪魔します」
とさっさと中に入って行った。
「今日は美術部員が見学に来ています。みなさん、あまり緊張せず、普段通りに練習しましょう」
部長がそう部員に挨拶をした。私たち4人は、静かに隅っこに座らせてもらった。
あ。藤堂君だ。わ、こっちを見た。目が合った。
どうしよう、どう反応したらいい?困って思わず下を向いてしまった。
チラ…。顔をあげたら、藤堂君はもう背を向けていた。
そして、練習が始まった。
「なんか、かっこよかったね。弓道部」
1時間近く見学をしていた私たちは、美術室に戻った。その帰り道、女子二人組がそんな話をしている。
「部長もかっこよかったな」
「私は、川野辺君がなかなか、かっこいいって思っちゃった」
「クラスじゃ目立たないのにね」
「あと、藤堂君もかっこよかったね」
ドキ!!藤堂君?
「去年同じクラスだった時には、何も話したことなかったし、目立たなかったし、普通のそのへんにいる男子だったけどね~」
そうなんだ、同じクラスだったんだ。
「矢を射ぬく時、めちゃくちゃかっこよかったよね」
「うん。ドキってしちゃったもん」
「川野辺君とか、藤堂君って彼女いるのかな」
「さ~~」
…。そ、そっか。この二人も藤堂君がかっこいいって思ったんだ。
実は私も、さっきから胸の鼓動がおさまらない。藤堂君の静かな横顔、矢を射ぬく時に見せる、真剣な表情。その時の目…。
矢が的に当たった時、私のハートまで射抜かれた…なんて、あほなことを思っていたほどだ。
「お、帰ってきたか。どうだった?見学してみて」
原先生が、美術室に入ると聞いてきた。
「素敵でした」
女生徒2人組が目をハートにさせ、そう言った。
「柏木はどうだった?」
「…そうですね。なんか、静かな中に、緊張感があって、よかったですね」
「そうか。気分転換になったか?」
「…なりましたけど、でも、意欲は出なかったですよ」
柏木君は、冷めた口調でそう言い返した。
「意欲?」
原先生が聞いた。
「創作意欲」
また、柏木君が冷めた感じで答えた。
「ああ、それは期待してないさ。ただ、気分転換になったらいいだろうなって思っただけだよ。で、結城はどうだった?」
先生が私を見た。
「…はい、気分変わりました」
「そうか、良かったな」
先生はそう言うと、他の生徒のほうを見に行ってしまった。
「絵を描く気になれたの?」
柏木君が私に聞いた。
「ううん。それは、どうかな。でも、気分転換にはなったかな」
「ふうん」
柏木君はそう言って、自分の席にと戻って行った。
「はあ」
思わずため息が漏れた。藤堂君、かっこよかったし、綺麗だったな。
動作がとても、綺麗だった。藤堂君が弓を打つ瞬間は、まるで時間がそこだけ止まっているかのようだった。
「…」
あんな絵、描きたいな。無理かな。人物画なんて。それも、藤堂君を描きたいなんて言ったら、藤堂君が迷惑するかな。
ドキドキしながら私はまた、何も描かずにキャンパスの前で座っていた。
帰り支度を終え、部室を出ると、柏木君が声をかけてきた。
「結城さんって家、どこ?」
「私は藤沢のほうだけど」
「あ、なんだ。同じ方向だね。一緒に帰る?」
「え?」
わ。どうしようかな。私、男子だと緊張しちゃって、何も話せなくなるし、本当に苦手なんだよね。
「あ、弓道部だ」
ドキ!廊下を弓道部の部員たちが歩いてきた。
「お疲れ様でした」
柏木君が弓道部の部員に声をかけた。
「見学来てたよね?どうだった?弓道部は」
「いいですね。あの緊張感」
「じゃ、弓道部に入る?」
「え?いいえ、入らないですよ」
「な~~んだ。絵を描くのをやめて、弓道部に入りたいのかと思った」
部長が笑いながらそう言って、その場を去って行った。そしてその後ろから、藤堂君がやってきた。
「あ…」
なんか話しかけないと。
「藤堂君!今日、かっこよかったよ」
うわ!今、私が言いたいことを、後ろから誰かが言っちゃったよ!びっくりして振り返ると、あの例の二人組だ。
「びっくりしちゃった~。弓道してる時の藤堂君、かっこいいんだもん」
そう言われて藤堂君は、ちょっと戸惑っている。
「あ、それじゃ」
そう言っただけで、藤堂君はさっさと廊下を歩いて行ってしまった。
「あれ~。反応うす~~~!」
その二人は次にどうやら、川野辺って人をつかまえたらしく、
「今日、かっこよかった~」
と、川野辺君にも同じことを言っている。そして、川野辺君とは親しげに、何やら話し出した。
私は柏木君に、
「そろそろ帰る?」
と聞かれたが、どうしても、どうしても、藤堂君と話したくて、
「ごめん。今日、用事があって。先に帰ってくれる?」
と柏木君の誘いを断った。
「あ~~、そうなの?じゃ、また明日ね」
「うん」
柏木君をあとにして、私は廊下を小走りで走った。
ドキン。ドキン。
話すっていっても、何を話したいんだろう。私は…。
かっこよかったよ。なんて、さっきの子みたいには絶対に言えそうもない。
じゃあ、何を話したらいいんだろう。
だいたい、藤堂君をつかまえて、私から話しかけることなんてできるのだろうか。
そんなことが頭によぎりながらも、私は藤堂君のことをひたすら追った。
藤堂君はすでに、昇降口にいて、弓道部員と楽しそうに話していた。
ああ、そうだ。弓道部の人もいたんだ。それも、弓道部って仲いいみたいで、藤堂君も弓道部員とだと、やけに楽しげに話してるんだよね。
そんな中、声をかけるなんて、とても…。できないかも。
私は自分の下駄箱から靴をだし、靴に履きかえた。それから、チラッと藤堂君を見たが、こっちには気づいていないみたいだ。
「あれ?」
藤堂君の横に部長がいて、私に気が付いた。
「さっき、見学に来てた子だよね?」
うわ。声かけてきちゃったよ。
「あ、はい。さきほどは、どうも…」
あ、藤堂君もこっちを見た。
「どうだった~?弓道は」
「え?えっと、素敵でした」
「素敵って?あれ?もしかして、誰かに惚れちゃったとか?」
部長がそう笑いながら聞いてきた。この人、けっこう冗談が好きなのかな。弓道してる時と、イメージが違うぞ。
「あ、あの…」
私はなんて答えていいかもわからず、言葉に詰まってしまった。
「ああ、冗談、冗談。あはは。もしそうだとしても、そんなこと言えないよね?」
また部長が笑ってそう言った。
「…」
困った。藤堂君もこっちを見てるよ。
「結城さん」
「え?」
ドキ!藤堂君のほうから声、かけてきたよ?
「なんで、弓道部のこと見に来たの?」
「え?」
ドキン。藤堂君、なんか、顔怖くない?怒ってる?
「…先生が突然、見学に行って来いって」
「え?先生って原先生?」
「うん」
「それで、なんであの4人だったの?」
「それは、その…。4人とも絵を描く意欲が消えてたから、先生がきっと気分転換にいいと思って、見学して来いって言ったんだと思う」
「意欲消えてたの?」
「え?」
「結城さんも?」
「…」
そうだった。それ、知らなかったんだっけ、藤堂君。
「そうなんだ。実は、ちょっと今、スランプで…」
藤堂君が黙った。
「藤堂、その子と知り合い?」
部長が聞いてきた。
「え?はい」
「じゃ、2人で帰ったら?俺ら先に帰るから」
「え?」
「じゃあね、また見学いつでも来ていいからさ」
部長は私にそう言って、他の部員を引きつれ先頭を立ち、校門に向かっていってしまった。
「じゃあな、藤堂」
「その子と帰れよ」
「見学また、来てもらえよ」
「いつでも、大歓迎だから、結城さん」
部員たちが藤堂君にそう声をかけ、こっちをなんとなく見ながらぞろぞろと歩いて行った。
でも、中には振り返って私を見る人もいて、それも、こそこそとそのあと、話をしていて、あまりいい気はしないっていうか、なんていうか。
「みんなと帰っていいよ?」
思わず私がそう言うと、藤堂君は、
「え?なんで?」
と私に聞いてきた。
「だって、なんか…。変に思われたかも」
「変って?」
「気を利かすみたいな、そんな感じだったし。私のことみんな、勘違いしてないかな。クラスメイトなだけなのに」
「…」
変に思われたら、藤堂君嫌だよね?とまでは聞けないでいた。だけど、藤堂君のほうが、
「ごめん。そうだよね。俺、ちゃんとあいつらに言えばよかったよね。結城さん、嫌な思いしたよね」
と言ってきた。
「え?私は別に…」
「は~~あ。あいつら、変に気をまわし過ぎだよね。部長までがさ。まいっちゃうよね、本当にごめんね」
「ううん」
「なんでもないのにね、ただのクラスメイトなのに…」
そう藤堂君に言われ、グサッと傷ついてる私がいる。そうだよね、私単なるクラスメイトってだけだよね。
ズドン。さすがに藤堂君に言われると沈んでしまう。
「帰る?駅まで一緒に」
藤堂君に聞かれた。
「い、いいの?」
「え?うん、別に…。あ、結城さんは嫌?」
「ううん」
ぐるぐる首を横に振った。そして藤堂君と横に並んで歩き出した。
ドキドキするような、でも、どっかで落ち込んでるような、そんな複雑な気持ちで…。