第43話 心の内
ドクン。ああ、自分で変なことを言ったと、私は一気に後悔をした。どうしよう。
藤堂君は下を向き、コホンと咳払いをすると、
「えっと、なんか英語でわからないところある?」
と顔をあげずにそう聞いた。
「え?うん。こ、この訳が…」
そう言って教科書を見せると、藤堂君は教科書を覗き込み、
「どの辺?」
と聞いてきた。うわ!顔が一気に近づいた。私は思わず、顔を後ろにさげた。
「…」
それに藤堂君が気が付いたらしい。
「あ、ごめん」
藤堂君は教科書からいったん顔を離した。
「…こっちこそ、ごめんね」
私は思わず、必死に謝っていた。
「え?」
「藤堂君のことを、その」
う、なんて言ったらいいのかな。
「…」
藤堂君は下を向いたまま、私の話すのを待っている。ああ、変な沈黙の時間ができてしまった。
「今日は勉強、やめにする?それとも、図書館にでも移動する?」
藤堂君は穏やかに私にそう聞いてきた。
「…や、やめにしようかな」
私がそう言うと、藤堂君は自分の教科書をカバンにしまいだした。
「ごめんね?せっかく時間取ってくれたのに」
「ううん、全然」
藤堂君が静かに微笑んでそう言った。
キュン。その顔でまた、私の胸がキュンってした。
私も勉強道具をカバンに詰め込み、2人で教室を出た。
「あいつらはちゃんと、勉強できてるのかな」
ぽつりと藤堂君が言った。
「あいつら?あ、沼田君たち?」
「うん」
「ど、どうかな」
何しろあの二人も、沼田君の家で2人っきりだと思うし…。
「結城さん、明日は俺、ちょっと用事があって。あさってにでも、みんなで残って勉強しようか」
「え?」
「中西さんが数学教えてって言ってたんだ。だから、みんなでさ…」
「うん」
そうなんだ。麻衣、藤堂君に勉強教えてなんて言ってたんだ。
ちょっとだけ、ジェラシーを感じている。だけど、2人きりよりもみんなで勉強した方が、きっと気が散らずにできるだろうなって、そんなふうにも思う。
駅までの道を、2人とも黙って歩いていると、藤堂君がぽつりと口を開いた。
「あんまり、あれかな」
「え?」
「二人きりにならないほうが、いいかな」
え?
「結城さん、警戒してるよね?」
ドキ。そ、それは…。
あ~~。嫌がってないとか言っておいて、警戒してるのはバレバレなんだ。
「ごめん…」
「いいよ、結城さんが謝ることないよ」
「でも…」
「俺も、変に二人だと意識しちゃうし」
「え?」
「…」
藤堂君はずっとこっちを見ないで、まっすぐ前を向いている。私はその横顔を見た。
藤堂君の横顔は、いつもと同じように穏やかだ。
「俺、まだ結城さんとどう接していっていいかも、わかってないんだろうな」
「え?」
「…付き合うの初めてだし、それも、結城さんだし」
え?な、なんで私だと?
「1年の時、ふられて落ちこんでたら、女の子紹介するよって言ってきたやつがいたんだ」
「え?!」
何それ。
「違う高校の子だから、付き合いやすいんじゃないかってさ。そいつも違う高校に彼女がいて、その友達でも紹介するって言ってきたんだよね」
「う、うん」
「だけど、俺、まったくそんな気になれなかった。他の子は、まじで興味なかったし、だったら付き合えなくたっていいし、弓道にでも打ち込もうって思ったし」
よ、よかった。それでもし、付き合っちゃってたら、今の私たちはいないんだよね。
「結城さん以外の子と付き合うなんて、俺には想像もできないことだったし」
ドキ。そ、そうなの?
「だけど、結城さんと付き合うのですら、想像もしていないことだったんだよなって、今さらながら思うよ」
「へ?」
私と付き合うのも?でも、付き合って下さいって言って来たのに?
「俺さ、ただ好きでいたから、告白してオーケーもらって、付き合うことになってっていうところまで、考えていなかったみたい」
「…」
私がきょとんと藤堂君を見ていると、藤堂君はちらっと私を見て、
「だから、その…。告白するだけでいっぱいいっぱいだったみたいだ」
と顔を赤くしてそう言った。
わあ。なんだか、聞いてて照れる。それに、藤堂君が可愛い。
「だから、その…。今、付き合ってる状況が、あまり実感がなくて、それにいったいどう付き合っていいかもわからなくって、ってそんな状態で…。ごめん」
か~~~。そう言った後に藤堂君は真っ赤になってうつむいた。
「……うん。それ、私もだから」
「え?」
「好きっていう思いで、精一杯」
「俺のことを?」
私は黙って大きくうなづいた。
「今日も2人でいて、ドキドキしてて、勉強どころじゃなかったの」
「…」
藤堂君は黙って私をじっと見ている。ドキ。その目にまた、胸が高鳴る。
「あ、あの。こんなこと言ったら、びっくりしちゃうかもしれないんだけど」
「うん」
「あ、っていうか、引いちゃうかな」
「え?」
「……。と、藤堂君、この前、俺ばかりが好きでって、そんなことを言っていたよね?」
「うん」
藤堂君はうなづいたあとに、ちょっと照れくさそうに下を向いた。
「あれ…。違うから」
「え?何が、どう違うの?」
「私も、その…」
か~~~。ああ、私は何を言おうとしているんだ。でも、やっぱり言っておいた方がいいよね。この前は結局言えなかったし。
「私も、藤堂君のこと、自分でどれだけ惚れちゃってるんだろうって思うくらい、好きだから」
「…………」
藤堂君は一瞬、顔を固まらせ、そのあと一気に赤くなった。
「だから、意識しちゃって、ドキドキしちゃって、変なことを言ったり、変な行動に出たり、いろいろとしちゃってるかもしれない」
「え?」
「ドキドキして、動揺したり、固まってたり、近寄れなくなったりって、いろいろと…」
「…」
藤堂君が目を丸くした。だけど、そのあとすぐに、照れくさそうに目を細めた。
「うん。わかった。ありがとう。ちゃんと言ってくれて」
「う、うん」
か~~~~。ああ、顔から思い切り火が出てるよ。私。
「結城さんが俺のこと、そこまで思ってくれてるって、ちょこっとまだ信じられないところもあるんだけど」
「え?」
「でも、嬉しいよ」
「信じていいのにな」
「…」
藤堂君は私を見た。私も思わず藤堂君を見て、目が合ってちょっとの間見つめあってしまった。
見つめあっている間、その場に2人して立ち尽くしたようで、後ろから来ていた小学生3人が、無理やり二人の間を割って入り、通り過ぎて行った。
「カップルだよ。カップル」
「道の真ん中でやめてほしいよなあ」
小学生3人組は、そんなことをゴチャゴチャ言いながら、駅に向かって歩いて行く。その言葉を聞き、私たちはまた赤くなり、下を向きながら歩き出した。
駅に着くと、藤堂君の乗る電車のほうがもうホームに来ていた。
「結城さん、また明日ね。明日の朝も、切符売り場あたりで待ってるよ」
「うん」
明日も朝、一緒に登校できるんだ。嬉しいな。
今日は駅に来ると、藤堂君はすでに切符売り場の前にいた。私を見つけた藤堂君は、鼻の横あたりを掻きながら、照れくさそうに私のほうに寄ってきたんだよね。
「おはよう」
私が言うと、藤堂君も照れた顔で、
「おはよう」
と言ってくれた。
周りにはうちの高校の学生がたくさんいた。待ち合わせをしている学生が多く、その中ですぐに私は藤堂君を見つけ、藤堂君も見つけてくれたのが嬉しかった。
クラスの子もいた。私たちを見て、何やら内緒話をしていた。でも、何を言われていようと、どうでもいいやっていう気になっていた。
一緒に教室に入ると、すでに沼田君と美枝ぽんがいて、私らが一緒に来たことをひやかしてきた。藤堂君は、いつものポーカーフェイスになり、ひやかしてきた二人に対して、何も言うこともなく席についていたっけ。
でも、耳だけが赤いのを私は、めざとく見抜いてしまった。
藤堂君は、あまり表情を変えないように見えて、よくよく見ていると、けっこうとっさに赤くなったり、照れたりしている。それによく、目を丸くして驚いていたり、目を細めて嬉しそうに笑っていたりもする。
って、私の前でだけなのかな、そんな藤堂君って。
私はそんな藤堂君を見るのが嬉しくて、幸せなんだよね。
家に帰り、夕飯を食べ終わり、勉強をし出した。時々藤堂君のことを思い出し、顔が赤くなっていたが、それでもどうにか、勉強のほうに集中して頑張っていた。
藤堂君と付き合ったら、成績が落ちましたなんて、藤堂君に申し訳ないもん。
翌日も朝、駅に着くと藤堂君はすでにいた。
「おはよう」
藤堂君のほうに行きながら、声をかけた。藤堂君は今日もまた、恥ずかしそうに鼻の横を掻きながら、
「おはよう」
とそう言った。
可愛いなあ。それから学校に向かって歩き出した。
「よ、藤堂」
後ろから藤堂君の背中を、ポンとたたいた人がいた。あ、弓道部の人だ。
「おはよ、結城さん」
私にも声をかけ、そのままその人は通り過ぎて行った。
藤堂君は特に何も答えず、私もぺこりとお辞儀をしたが、その人はさっさと行ってしまったので、多分私がお辞儀をしたのも気づいていないだろう。
そのあと、今度はクラスの男子がやってきて、
「あ、藤堂と結城さんじゃん」
とそう言って、でも、何も私たちには挨拶もせず、通り過ぎて行った。
クラスの女子も昇降口にいた。だけど、誰も藤堂君に挨拶をしない。
藤堂君ってもしや、クラスメイトから怖がられてる存在?だけど、弓道部のみんなとは仲いいよね。
「おはよう~~っす」
元気にそう言って、藤堂君の背中と私の背中をバチンバチンたたいてきた人がいた。
「いってえ」
「痛い」
誰?と思い振り返ると麻衣だった。
「仲良く一緒に登校?いいねえ」
麻衣はそう言って、さっさと上履きに履き替え、廊下を歩いて行く。
「中西さん、藤堂君怖くないの?」
クラスの女子が麻衣にそう言ってるのが、何気に聞こえた。
「え?司っち?ちょっと怖いって時もあったけど、今は全然」
麻衣の言葉に、その子たちは、
「え~~。そうなの?」
と興味深そうに麻衣のあとを追って行ってしまった。
昇降口に残された私と藤堂君は、静かに上履きに履き替え、廊下をゆっくりと歩き出した。
「藤堂君って誤解されやすい?」
「え?」
私のいきなりの質問に、藤堂君が驚いてこっちを見た。
「そんなに怖くないのに、なんで怖がられているの?」
「さあ。でも、いつもむっとしてるからじゃないのかな」
そうなの?そりゃ、ポーカーフェイスかもしれないけど、かっこいいと思うんだけどなあ。
「弓道部のみんなとは仲いいよね」
「ああ、あいつらは俺の内側も知ってるし」
「内側って?」
「う~~ん。ぬけてるところとか?」
え?ぬけてる?どこが?!それはびっくり。
「すごくしっかりしてそうに見えるよ?藤堂君」
「そうでもないよ。かなりずれてるらしいし」
「…たとえば?」
「流行に遅れてるらしいし、女の子のこととかうといし、たまにみんなと話がかみ合ってなくて、それが逆に受けちゃってるみたいだ」
「受ける?」
「お前、面白いって言われる」
「…」
そうなんだ。
「でも、なぜだかいろんな面で頼られる」
「あ、それ、見てると私も感じてた。部長も頼ってる感じだよね?」
「うん。多分、俺、ぬけてるからさ、あまり動じないところがあって、それでじゃないかな」
「ぬけてるのとは、関係ないと思うけど?」
「そうかな。みんながひるんだり、怖がったり、心配したりすることろで、俺、平気なんだよね。それってかなり、鈍感ってことじゃないかな?」
ええ?そうかな。心が強いっていうか、しっかりしていて頼もしいってことなんじゃないのかなあ。
教室に着き中に入ると、麻衣と沼田君と美枝ぽんが楽しそうに笑っていた。
「おはよう」
私と藤堂君がみんなの所に行くと、3人は笑顔で迎え入れた。
藤堂君を、沼田君は怖がったりしないし、しっかりと友情で結ばれてるみたいだし、きっと、沼田君は藤堂君の良さを知ってるんだろうな。
「司っち。昨日は何を勉強したの」
沼田君がそう藤堂君に聞いた。ギク。ほとんど勉強できなかったんだよね。
「お前らは?」
藤堂君が逆に沼田君に聞き返した。
「ああ、数学をやろうとして、2人して沈没した。今日、司っち、俺らにも数学教えてくれない?」
沼田君が藤堂君の肩を抱きながらそう言うと、美枝ぽんも、
「お願い。藤堂君。そりゃ穂乃ぴょんと2人のほうがいいとは思うけど、私も沼っちも数学音痴で、駄目なんだよね」
と藤堂君のそばによって、お願いしている。
「明日でもいい?」
「今日はやっぱり、2人きりのほうがいいの?」
美枝ぽんが藤堂君の返答にそう返した。
「違うよ。今日は俺、用事があるからさ」
「じゃ、明日の放課後ね」
「私も明日だったら、参加できる。数学致命的なんだ」
麻衣もみんなの中に入って、そう言ってきた。やっぱり、ここでも藤堂君は頼りにされてるよなあ。
「今日は何の用事?部活?」
沼田君がそう聞くと、藤堂君はちょっと言いづらそうに、
「いや、ちょっとした用事」
とボソッと答えた。
「ふうん」
沼田君はそう言って、藤堂君をじっと見ている。なんでかな?
「ところで、美枝ぽん、沼っちの家に行ったんでしょ?どうだった?」
麻衣がそう聞くと、
「沼っちの部屋、綺麗に片付いてて驚いた。それにお母さん若くてきれいだった」
と嬉しそうに美枝ぽんは答えた。
「あ、あれ?お母さんって?」
「昨日はお母さん、ちょうど休みの日だったんだって」
なんだ。家に2人きりじゃなかったんだ。
「沼っちと、漫画や映画の話で盛り上がって、勉強どころじゃなくなったんだよね。やっぱり、藤堂君でもいないと勉強はかどらないよねって言ってたんだ」
え。でも、藤堂君がいたって、勉強はかどらなかったけどな。なんて言えないよね。
だって原因は、2人して意識しちゃってたからだなんて。
いや、私だけ意識したのか。
「じゃ、明日はまじ、よろしく頼むよ、司っち」
沼田君はそう言って、藤堂君の肩をたたいた。
「ああ」
藤堂君は、一言だけそう言って、自分の席に着いた。
私も自分の席に行った。そして、いきなり気になりだした。今日の用事ってなんだろう。家の用事かな。ご家族でどこかに行くとか?
藤堂君を見ると、後ろを振り返って麻衣と笑いながら話している。
はあ。いつものことながら、羨ましいぞ。麻衣。麻衣はあんなに近くに藤堂君の顔があっても、大丈夫なんだね。って当たり前か。
藤堂君の笑っている横顔を見ていると、また胸がきゅんってなった。するといきなり、藤堂君がこっちを見た。
え?なんで?私が見ているのがわかっちゃった?目があうと、藤堂君は照れくさそうに笑い、ぱっと前を向いてしまった。
は~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。可愛い笑顔だった。
私はそのまま、藤堂君から目が離せなくなってしまい、先生の話している内容もまったく、耳に入ってこなかった。




