第4話 スランプ
絵が描けなくなった。キャンパスの前に座っても、何も浮かんでこないし、どんな色を使っていいかもわからない。
「どうした?結城」
先生に聞かれた。
「描けなくなりました」
「スランプか」
「はい。だから、もう帰ります」
私はそう言って、美術室を出た。
今朝は、教室に入ったら、もう麻衣と藤堂君が楽しそうに話をしていた。
「おはよう」
麻衣に挨拶され、私も麻衣におはようと言うと、横にいた藤堂君もおはようと言ってくれた。
「あ、お、おはよう…」
私はきっと、思い切り引きつりながらそう言ったに違いない。ほっぺがぴくぴくしていたし。
藤堂君はそのあと、私には話しかけることもなく、麻衣と話をしていた。女の子と話すのが苦手だなんて言ってたけど、麻衣と仲良く話しているじゃないか。
「おはよう、藤堂!麻衣ちゃん!」
「おはよう、沼田君」
そこに元気にやってきたのは、麻衣の後ろの席の沼田君だ。
「あつ~~。今日、やたらと暑くね?」
沼田君はそう言いながら、席にカバンをほおると、麻衣の横に行き、話に加わった。なんだ。私にはおはようも無しか。
私は自分の席にとぼとぼと歩いていき、席に座った。
「おはよう、結城さん」
前の席の子が声をかけてきた。
「あ、名前でいいよ。穂乃香って呼んで」
「じゃ、穂乃香ちゃん、私のことは美枝ぽんって呼んで」
「美枝ぽん?!」
「そう。中学からのあだ名なの」
「そ、そうなんだ。あ、私もちゃんづけでなくていいよ」
「わかった。穂乃ぽんってよぶね」
「ほ、穂乃ぽん?!」
「かわいいよね~~。穂乃ぽん」
クラ…。なんか、仲良くなったけど、果たしてこの子についていけるかな、私。
その次の休み時間も、
「穂乃ぽん、穂乃ぽん。購買部行かない?」
と美枝ぽんが言ってきた。
「何買うの?」
「お弁当持ってこなかったから、パンを買おうと思って。穂乃ぽんも一緒に行こうよ」
「い、いいけど」
「わあい」
わあいって、このテンション、ほんと、私ついていけるのかな。
チラ…。藤堂君を見た。また、沼田君と麻衣と、3人で話している。
「は~~~」
教室を出ると、ものすごいため息が出た。
「悩み事?穂乃ぴょん」
「い、今なんて?!」
「悩み事?」
美枝ぽんが、首をかしげてそう聞いてきた。
「違う、そのあと」
「え?穂乃ぴょん?」
「ほ、ほのぴょん?」
「可愛いでしょ?」
「………………」
「穂乃ぴょんは、いつもお弁当?」
「う、うん」
「どこで食べてるの?」
「食堂」
「今日も?」
「あ、いつも麻衣と一緒だよ」
「麻衣って、中西さん?」
「うん」
「中西さん、小さくてかわいいよね」
「え?」
「麻衣ぽん。ってあまり似合わないか。じゃ、麻衣ちゃんがいいかな~~」
ま、麻衣ぽん。そんなこと言ったら麻衣、絶対に鳥肌立てるよ。一見かわいく見えるけど、中身は男みたいなんだから。
「ねえ、穂乃ぴょんは彼氏いる?」
「い、いない」
「私も。クラスの男子とか、まったく興味なくて」
「そうなの?」
「私は、○○っていうアニメの主人公が好きなの」
…。アニメ好きだったか…。
「知ってる?主人公の名前は、セイっていうんだけど、漢字は聖先輩と同じ字なんだよ」
「美枝ぽんも、聖先輩のファン?」
「え?もしかして、穂乃ぴょんも?」
「うん」
「わあ、気が合うね!聖先輩だけは特別!そんじょそこらの男子とは違うじゃない?」
「うん」
「あんな綺麗な顔立ちの人って、そうそういないよね!アニメに出てきそうだもの」
アニメ?それはどうなんだろう。
「そっか~。穂乃ぴょんも、聖先輩が好きなんだ~」
「でも、彼女いるし」
「そんなの関係ないよ~」
「え?」
「もともと、付き合おうなんて思ってないし。キャ~~って言ってるのが面白いんじゃん」
面白がってたの?
「彼氏なんかできたって、面倒なだけだよ。遠くから見て、キャ~~って言ってるのが1番だって。美枝ぽんの周りの友達も、みんなそう言ってる」
「彼氏なんていらないって?」
「そう。面倒じゃん」
「それが聖先輩でも?」
「そうだよ。聖先輩だって、完璧な人間じゃないし、きっと付き合ったら嫌な部分見えて、嫌いになっちゃうもん。だったら、遠くから見てるだけのほうがいいって」
そう言われてみたらそうかもしれない。でも、もし好きな人が自分のことを好きになってくれたらって、そういうのあこがれちゃうけどな。
もし、あの聖先輩の彼女みたいに、聖先輩にあんな素敵な笑顔を見せてもらえたら、すごく嬉しいことなんじゃないかな。
お昼休みになり、私は美枝ぽんと麻衣の席に行った。
「今日、お昼、美枝ぽんも一緒でいい?」
「美枝ぽんっ?」
あ、麻衣が驚いている。
「美枝ぽんっていうのは、私。麻衣ちゃんでしょ?」
美枝ぽんがそう言うと、
「え?うん」
と、戸惑いながら麻衣はうなづいた。
「私も麻衣ちゃんと穂乃ぴょんとお昼、一緒に食べたいなって思って」
「ほ、穂乃ぴょんって?!」
「私のことみたい」
私がそう言うと、麻衣が目を丸くして私を見た。
「ほ、穂乃ぴょん。ブハハハハ」
やっぱり、笑うと思ってたけどさ。そこまで笑わなくっても。
「あはははは!いいよ。一緒でも」
まだ麻衣は笑っている。お腹を押さえながら、麻衣は歩き出した。
「穂、穂乃ぴょんだって。芳美にも言って、大笑いしよう」
「麻衣。芳美には言わないで」
「なんで~~?笑えるのに~~」
「麻衣ちゃんも麻衣ぽんがいい?」
美枝ぽんが聞いた。
「ぞわ!いい、いい。私は麻衣で!ちゃんづけされられるだけでも、鳥肌ものなのに」
麻衣が青い顔をしてそう言った。やっぱりね。
「あ、そうだ。穂乃ぴょんが美枝ぽんとお昼食べるなら、私、あいつのところにいってもいいかな」
「え?」
「あいつ…」
「彼氏?」
「うん、ごめん。あいつと食べてくるよ」
「うん」
麻衣はそう言って、早足で彼氏の教室に向かって行った。
「麻衣ちゃん、彼氏いるんだ」
「うん」
「何組?」
「Aだったかな」
「ふうん」
私は美枝ぽんと2人で食堂に行った。美枝ぽんは、人見知りをするらしいけど、一回打ち解けると、すごくなつくみたいだ。まるで、犬のようにさっきから、きゃんきゃん言って、喜んでいる。
「あ、麻衣ちゃんと仲良しの男二人組」
「え?」
いきなり食堂の入り口を見て、美枝ぽんがそう言った。
振り返ってみると、藤堂君と沼田君だ。
「あの二人のどっちかが、麻衣ちゃんと付き合ってるのかと思った」
美枝ぽんが二人を見ながらそんなことを言った。
「仲いいもんね」
私もつい、そんなことを言ってしまった。
「沼田君は去年、同じクラスだったよ」
「美枝ぽんと?」
「誰とでも話す、明るい性格なんだよね」
「ふうん」
「藤堂君は中学が一緒なんだ」
「え?」
ドキ~~。そうなの?
「中学は、陸上部にいたよ。いつも、黙々と走ってた。長距離してたんだよね。マラソンにもいつも出てたっけな。女子とはほとんど話さなかった。私も中2、中3と同じクラスだったけど、会話したことあったかな~~」
「そうなの?でも、麻衣とはあんなに…」
「だから、ちょっとびっくりしちゃって。麻衣ちゃんと付き合ってるのかと思っちゃった。沼田君は誰にでもあんな感じだから、仲良く話しててもわかるけどさ」
「…」
複雑。麻衣、私に藤堂君が告白してきたのも知ってるし、藤堂君だって、麻衣と私が友達なのを知ってるだろうに。
私は、またもやもやしてきた。お弁当の味もわからないくらいに。なんなんだ、これ。
「美枝ぽん、今日部活?」
「うん。穂乃ぴょんもでしょ?」
「私は…」
言葉に詰まった。
「今日は用事があって、帰るんだ」
嘘をついた。なんでかな?私。
「そうなの?ね、絵を描いてるんだよね。今度見せて」
「文化祭で見れるよ」
「それまで、おあずけってこと?」
「うん」
「なんだ~~~~」
もし、絵を描くことができたらね。って言う言葉は、飲み込んだ。
放課後、私は一人でぷらぷらと校門の前まで来た。桜の木には、黄緑色したかわいい葉っぱが出てて、風に吹かれて、そよそよとなびいていた。
「可愛い、あの葉っぱたち」
そうつぶやくと、
「そうだね」
という声が後ろから聞こえた。
「え?」
驚いて後ろを向くと、藤堂君がいた。
「な、なんでここに?今日、部活」
「あ、今日はないんだ。だから、帰るところ」
うわ~~。そうだったの?うわ~~、今の独り言聞かれた!
「あれ?美術部もない日?」
「ううん。私は、用事があって」
「じゃ、一緒に帰る?」
「え?!!」
私がものすごく驚いたからか、
「あ、そっか。用事あるんだもんね。一緒には無理か」
と藤堂君が言った。
「えっと、ううん。だ、大丈夫」
は!大丈夫って言っちゃった。駅まで二人で行くってことだよね。駅までけっこうあるよ。10分はかかるのに。
藤堂君は、私の横に並び、ゆっくりと歩き出した。
「結城さんって、穂乃ぴょんってあだ名なの?」
「え?!」
い、いきなり何?
「そう呼ばれてたでしょ?今日」
「あれは勝手に、美枝ぽんが…」
「美枝ぽん…。ああ、八代さんのことか」
「うん」
く…。
え?
くすくす…。
笑ってる?藤堂君が、ちょっと下を向いて、目を細めて笑ってる!
「ごめん。なんか穂乃ぴょんってかわいいけど、結城さんのイメージとは違うなって思って」
「そ、そうだよね。麻衣にも思い切り笑われたよ、今日」
「麻衣って、中西さん?」
「うん」
「仲いいよね。去年同じクラスだったでしょ?」
「知ってるの?」
「え?ああ、うん」
「…麻衣とは、藤堂君も…」
あ、私、何を言おうとしてるんだ。
「何?」
藤堂君が静かに聞いてきた。
「麻衣って、話しやすいから、藤堂君とも仲、いいよ…ね?」
ドキドキ。変な言い回ししたかな。
「…うん。話しやすいって言えばそうかな。でも、俺とじゃなくて、いつも沼田と楽しそうに話してるよ」
「そうなの?私には3人で仲良くしてるように見える」
「え?」
はっ!また変なこと言った?
「そう見えた?」
「えっと…」
「じゃ、穂乃ぴょんも話にくればいいのに」
「ちょ、ちょっと、その穂乃ぴょんはやめて」
くすくすくす。
藤堂君がまた、声を出さずに笑った。うわ。笑い方まで、なんていうか、和男子?ゲハゲハ笑ったりしないんだ。
でも、笑顔、かわいいんだ。
ドキン。
はれ?
何?今の…。ドキンって。
「結城さん、さっきの…」
「え?え?さっきのって?」
「葉っぱ。あれを絵に描くんでしょ?」
「う…」
どうしよう。今、スランプで、とても描く気にはなれないの…とは言えない。
「文化祭で出展する絵?」
「そのつもり」
「楽しみだな」
「…」
「去年の桜も、綺麗だったけど…」
「あ、あまり期待はしないで」
「プレッシャーになる?」
「う…うん」
「わかった。じゃ、この会話もしないほうがいいかな」
「う、うん。できれば…」
困った。じゃあ何の会話をしようかと言われても、出てこないかもしれない。
「中学から、美術部?」
藤堂君のほうが、話題を振ってくれた。とはいえまだ、部活の話だ。
「うん」
「そっか…」
「藤堂君は、中学陸上部でしょ?なんで高校は弓道なの?」
「え?」
藤堂君がすごく驚いている。
「へ、変なこと聞いた?」
「いや、なんで陸上部だったって知ってるのかなって」
「あ、美枝ぽんに聞いたの。同じ中学だったんでしょ?」
「あ、ああ、そっか」
うわ。藤堂君のこと、調べてるみたいに思われた?
「美枝ぽんと食堂でお昼を食べてたら、藤堂君、食堂に沼田君と来てたから、それで、その、なんかそういう話題になって。だから、別に私から聞いたわけじゃ…」
「うん。わかってるよ」
え?
「あ、気にしないでいいよ。そんなに俺も、鈍くないって言うか、期待もしてないって言うか」
「え?」
「だから、俺に興味を持ってるだろうなんて、そんなこと思ったりしないから安心して」
ドスン。
うわ。まただ。なんかおもりのようなものが、胃のあたりに落ちてきた。
「高校入っても、陸上するつもりだった。でも、弓道部に入ろうとしてたクラスメイトに、無理やり見学連れて行かされて、魅了された」
「魅了?」
「弓をうつまでの緊張感とか、静けさとか。なんか、俺にあってるかも、この空気って」
「…うん、あってるよね」
「結城さんもそう思う?あ、俺があれかな。スローだからかな」
「ううん。そうじゃなくて…。静かで、穏やかなところ…かな」
「…。俺って、そんなイメージ?」
「違うの?」
「…どうかな。いろんな俺がいて、自分でもわからない」
「…そうだよね。自分のことってよくわかんないよね」
「…結城さんは?自分のことどんな人だって思う?」
「私?私は…」
しばらく私は考え込んだ。
「そうだな。けっこう根暗…かもって最近思う」
「え?根暗?」
「後ろ向きだし、あんまり私、私のこと好きじゃないかな」
「…」
何て言ってくるかなって思いながら、ちらっと藤堂君を見た。でも、藤堂君はどこかよそを向いていて、なんにも言ってこなかった。
いろいろと聞いてくれたけど、私に興味がないのは、藤堂君のほうじゃないの?
なんてそんな言葉が、頭に浮かんで消えていった。